『純』Part1
社会人になったばかりの頃、大学の先輩に誘われて、翌日の朝まで上映するオールナイト映画フェスティバルを観に行った。
もう閉館してしまった仙台市中心部広瀬通りに面したビルの地下にある映画館で、朝まで続けて何本も映画を観たあと地上に出ると、 ──わーまぶしい! と眩い朝陽がとても印象的だった記憶が鮮明に残っている。
それは映画という一種の架空の世界から、一気に現実の世界へ引き戻された瞬間であり、とくに朝陽という大自然の現象に圧倒されてしまった。朝陽に反射するビル群、スズメたちのさえずり、通りを歩く人々や行き交う車……
大都市の朝の喧騒に、かえって安堵できたのかもしれない。
その映画フェスティバルの中で、とくに印象深かった映画がひとつあった。廃坑になった長崎の軍艦島から集団就職で、東京にやって来た漫画家志望の青年が、美人の彼女がいるにも関わらず、通勤電車の中で痴漢行為に耽るという歪んだ若者の姿が描かれたもの……
映画のタイトルが、ジュンだった記憶がありGoogleで検索してみると、確かに横山博人監督の『純』という映画を確認することができた。
カンヌ映画祭批評家週間オープニング上映作品ではあったが、痴漢を題材にした映画ということで日本ではなかなか配給できなかったようだ。AmazonではDVDが発売されているので、もう一度観ようと思えば観れるのだが……
村上龍の長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』を初めて読んだとき、 ──コインロッカーに捨てられ孤児院で暮していた主人公キクとハシが、九州の炭鉱跡の島に住む養父母に引き取られた── まさにその炭鉱跡の島こそ、この長崎の軍艦島に思え、とても懐かしく、あの映画フェスティバルを観た朝の、朝陽を眩しく感じた光景が蘇って来たりもした。
まさに巨大な軍艦のような様相の島……
立ち並ぶ廃墟になった高層アパート、置き去りにされた三輪車やフランス人形……
もう取り戻せない忘れ去られた人間の営みが、たしかにそこにあったのだ。
Part2につづく……
今夜も日本酒を飲み、愛犬シーズーのシーの寝息を聴きながら、YouTubeでニュースを観た。安倍派幹部の立件が見送られ不起訴になった。これはどういうことなのだろう。キックバックは会長と会計責任者の指導のもと行われたと、死人に口なしではないか。これで国民が納得するとは思えないし検察もだらしがない。もはや派閥の解消だけではなく自民党も解散すべきだろう。
──シー、どうして世の中はこのように欺瞞と矛盾だらけなのだろう! わかるかい?