永遠のかなたに
梅雨の合間の紺碧色の空に、星がかすかな希望のようにほのかに小さく輝く夜だった。
10日振りぐらいに、自宅のあるJRの駅に降り立つと、もう夜の23時を過ぎていたため、他に数人の乗客が降りただけだった。愛犬シーズーのシーを入れたネイビー色の大きなキャリーバッグを引きずりながら、ホームの東側にあるエレベーターへ向った。
灰色のホームの黄色い視覚障害者誘導用ブロックに沿って歩きながら、ふと視線を暗闇にほのかに浮かぶ線路に落とした。等間隔に備えられた枕木の上には、冷たい鉄のレールが暗闇に吸い込まれるように延びていた。
深夜に、このような冷たい鉄のレールに身を横たえ、電車がやって来るのを待つとしたら、どんな気持ちになるのだろう。それは本当に、あまりにも静粛過ぎて、自分の呼吸や心臓の音だけが聞こえるだけかもしれない。
原民喜は、深夜の線路に身を横たえ、列車に跳ねられた。
広島の原爆の惨状を描いた『夏の花』を読んだ際、彼がどんな人生を送ったのか気になった。彼は45歳の時、大量の酒を飲んだあと鉄道自殺をしていた。
多くの人が、その名前すら聞いたこともないであろう詩人・小説家の原民喜……
彼をいつどのようなきっかけで知り得たのかもう忘れてしまったが、以前、取り憑かれたように読んだ新潮文庫の『夏の花・心願の国』を数年ぶりに手に取り、あらためて巻末の解説を読み返してみた。
「解説 ──原民喜と若い人々との橋のために」と題されている。
原民喜は、1945年8月6日広島で原爆を被災した。それ以後、彼は文学の主題の根本に原爆被災をおき、それは同時に、彼がその後生きぬいてゆくべき生涯の根本に、原爆被災をおいたということでもあった。
この原民喜の短編集を編集(昭和48年当時)した解説者は、とくに若い読書に向けて語りかけたい二つの理由があるという。
一つは、若い読書がめぐりあうべき、現代日本の、もっとも美しい散文家のひとりであるということ。明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体……
そして第二の理由は、原民喜が原子爆弾の経験を描いて、現代日本のもっとも秀れた作家であること。編集者でもある解説者は、原民喜の原爆以前の作品をすべてはぶいて編集した。なぜなら若い人々は、作家にとってその文学の主題が、いくつでもありうると考えるかもしれないけれども、しかし真の作家にとっては、彼の生涯が唯一であるように、生涯をかける文学の主題もかぎられたもの、深いか浅いか、それのみを問題とし、より深めるために勇気を持った作家は、あえて彼自身の主題を選びぬき、自分を豊かにするかもしれない他の可能性を切り棄てすらするであろうから……
また原民喜は、対人関係において、臆する幼児のようであったと言われるぐらい、極度に無口でおとなしい人だったらしい。唯一の話し相手であった妻貞恵さんが、病のために亡くなった翌年、疎開先の広島の実家で原爆被災を体験し、文学の主題の根本に原爆被災をおかざるえなくなってしまった。
──原子爆弾の惨劇のなかに生き残った私は、その時から私も、私の文学も、何ものかに激しく弾き出された。この眼で視た生々しい光景こそは死んでも描きとめておきたかった……
前述のとおり、原民喜は最愛の妻を病気で亡くした。民喜38歳、妻貞恵33歳の時だった。彼は心に誓っていた。
──もし妻と死に別れたら一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……
そして妻が亡くなって、あと1ヶ月で1年という昭和20年8月6 、疎開していた広島の実家で原爆に遭い、その惨劇を描いた『夏の花』を執筆した。
その後彼の筆からは、硬い岩盤から清冽な水が穏やかに湧きおこるように、美しい散文が紡ぎだされ、書かねばならないもののすべてをよく見きわめて、少なくてもおおかたを書き終えるまでは、決して死ぬことはなかった。この現実世界でもっとも恐ろしく酷たらしいものを描きながら、しかし、それに重ねるように妻への美しく哀切な鎮魂歌を描いたのだ。
そしてすべてを書き終えた45歳の彼は、昭和26年3月13日、大量に酒を飲んだあと、午後11時31分に国鉄の吉祥寺駅ー西荻窪駅間の線路に身を横たえた。
この新潮文庫の『夏の花・心願の国』の解説の末尾に、もちろん編集者兼解説者の名前が記載されていた。オレはその名前を見て、あーオレが原民喜を知ったきっかけこそが彼の強い影響からであったことを納得した。
編集者兼解説者は、大江健三郎だった。
原民喜は、遺書をいくつか残している。後輩の作家で親交が深かった遠藤周作と、当時21歳の祖田祐子宛にも。
梯久美子著の『「愛の顛末」に、─原民喜─「死と愛と孤独」の自画像ー』でも触れられているが、彼女はとても美しい女性で奇跡の少女と言われており、最晩年の原民喜の救いだったのかもしれない。
その遺書に、彼の『悲歌』という詩が添えられていたそうだ。
私は歩み去ろう
今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに
永遠のかなたに
愛犬シーズーのシーが先になって、垣根付きの舗道を歩いている。東の暗澹たる夜空に、ひとつだけ輝いている星があることに気がついた。もうすぐ七夕だ。おそらくあの星は、ベガ(織姫星)に違いないと思った。夜空には、ベガだけが輝いている。その輝きの派生が、周りの空を不思議な世界に映し換えているようだった。
また原民喜のことを思った。深夜に彼は、大量の酒を飲み冷たい線路に横たわった。夜空を見上げただろうか。星を見つめただろうか。夜空のかなたに永遠の世界をみたのだろうか……
今朝は雨があがったのでシーと散歩をした。シーはとても嬉しそうに元気に歩いてくれた。