変形私小説
また得意のブックライブの試し読みで、小谷野敦の『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』を試し読みできる範囲で読んでみた。作者の小谷野敦をはじめて知ったのだが、皆さまはご存知であろうか?
『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』は、文芸評論家と小説家の違いはあるが、同世代の二人を対比させながら書かれたダブル伝記らしい。大江健三郎はノーベル賞作家として戦後日本の代表的な小説家として有名だが、江藤淳も戦後日本の、小林秀雄死後の文芸批評の第一人者と評された文芸評論家で、吉本隆明等にも大きな影響を与え、同世代の大江健三郎や司馬遼太郎らとともに、気鋭の新人として注目を浴びたという。
江藤淳の評論は読んだことがないので、あまりピンとこなかったが、やはり大江健三郎は『同時代ゲーム』を書き下ろしたあたりから、小説は優れているのに売れない作家になっていったとあった。 ──実際ほかの人もそうだったように作者の小谷野敦自身も大江から心が離れていったとある── ノーベル文学賞の受賞も『万延元年のフットボール』や『個人的な体験』など過去の作品でとったものとし、ノーベル賞受賞の際、小説から引退すると宣言した大江が、一転、親友の武満徹の葬儀でまた小説を書くと述べたようだ。
しかしながら、それ以降に書かれた長編小説の『取り替え子』以降において、変形私小説という新しいジャンルが作られていったのには驚嘆したと述べている。あまり話題にならなかったが『キルプの軍団』も傑作らしい。
大江は、西洋の文学をあれだけ勉強し、私小説という日本独自だと誤解されてきた様式も取り入れてきたのだから、もはや漱石や谷崎、川端をも超えていると小谷野敦は語っている。 ──もちろん、異論のある人もたくさんいるだろうが──
オレも大江から多大な影響を受けてきたが、いちばんは、彼のほんものを追いもとめる理論物理学者のような姿勢かもしれない。例えば『懐かしい年への手紙』のように、あのダンテの『神曲』から小説が導かれていく、このような壮大な小説を書こうと試みる作家は、少なくても日本ではほかに見たことがない。
まして大江はジャンル的に私小説に近い。 ──変形私小説── 私小説の是非もあるだろうが、少なくてもオレには、これからの新しい文学のヒントが隠されているような気がするのだ。
さあ、そろそろ愛犬シーズーのシーと朝の散歩に出かけよう。寒いけれどマフラーを巻いて、シーと一緒に薄明のなか、底辺から色づく東の空から大宇宙を感じよう。
──シー、お散歩だよ!