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『ゴッホの手紙』



 YouTubeで、小林秀雄『ゴッホの人生』とタイトルのついた動画を観たところ、実際に小林秀雄がゴッホについて語った講演会の録音だった。この講演で小林秀雄は、ゴッホが37歳で拳銃自殺するまでの生涯において、毎日のように弟テオに書き送った莫大な量の手紙を、まことに稀有で価値のある告白文学だと述べている。


 昭和22年、小林秀雄は上野の名画展で、ゴッホの複製画 ──麦畑からたくさんの(カラス)が飛び立っているゴッホが自殺する直前に描いた有名な絵画── に衝撃を受け、絵の前でしゃがみ込んでしまう。《(おお)きな眼》に見据(みす)えられ、動けなくなったらしい。

 小林秀雄は、ゴッホの絵画作品と弟テオ宛ての膨大な量の手紙を手がかりに、彼の魂の内奥深く潜行し、《巨きな眼》がいったい何なのかを確かめるために『ゴッホの手紙』を執筆した。ゴッホの精神の至純は、ゴッホ自身を(さいな)み、小林秀雄をも呑み込んで行ったのだ。


 この小林秀雄の『ゴッホの手紙』は、電子書籍の試し読みで、冒頭だけは読むことができたが、元来オレは、小林秀雄をあまりよく思っていなかった。小説家ではなく、文芸評論家という自身で小説を書かずに評論するという立ち位置をよく理解できなかったことと、さらに親交のあった中原中也の恋人と、奪うかたちで同棲したことも毛嫌いする理由だった。

 しかし小林秀雄は中原中也の最期に、講師をしていた明治大学を1週間休講にして病室に詰め、最後まで中原中也との親交が途絶えることはなかった。おそらく小林秀雄は、中原中也の才能を認めていたのだろう。


 小林秀雄が、見据えられて動けなくなったという《巨きな眼》とは? オレもこの《巨きな眼》が、いったい何なのかぜひ確かめてみたくなった。正直、数十億円の値がつくゴッホの絵画を観て感銘を受けたことはないし、なぜこれほどまでに評価されるようになったのかもわからない。

 小林秀雄は、ゴッホが(のこ)した弟テオ宛ての膨大な手紙を読むことなく、ゴッホの絵画の本質を理解することはできないと断言している。それは想像を絶する類稀(たぐいまれ)な狂気とのたたかいのすえの、ようやく到達した至高の作品のはずだから……


 そしてオレも、多少でもゴッホを理解し《巨きな眼》を確かめるために、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を読もうと決心した。


 仙台は秋らしくだいぶ涼しくなってきた。愛犬シーズーのシーは畳の上で、行儀よく? お腹を仰向けに熟睡している。





挿絵(By みてみん)




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