二話
鉄船に連結された荷台に揺られて早三日。ソーヤは一言も発すること無く、荷積み小さな隙間に体を収めて幽鬼のような表情でただ床の木目を眺めていた。
「水飲まないと死ぬわよ?」
数時間に一回、エリーが話掛けるも、反応は稀に返ってくるのみ。溜息を付きたくなる彼女だったが、その溜息すらも彼の傷を広げかねないのでグッと飲み込む。いつもの彼女の性格なら「この意気地なし!いつまでくよくよしてるのよっ!」と叱咤するかもしれないが、事情が事情だ。この数年間、自分自身を欺きながら命尽きる寸前まで戦い、傷ついた彼を責められる者は誰もいない。ただ、彼の耳には誰かが自分を責めている声が聞こえているだろう。
彼女はそっと彼に近づくと、頭を抱え込み自分の小さな膝に乗せる。優しくその髪を手で梳きながら、空いた手で彼の肩をゆったりとしたリズムで軽くたたく。耳元で夕暮れの温かな日のような声で囁く。まるで小さな赤子をあやす母のように小さな笑顔を浮かべて、
「これからどうしようか。今はどこも戦争ばっかりだから。中央に行けば少しはマシかしら。私、アンタと一緒に学校通うの夢だったの。本も一杯読みたいわ。アンタのお父さんにもまた会いたい。凄く優しかったもの。二人きりもいいけど世話係くらいは欲しいわね。妖精にも会ってみたい。小さいころ、絵本で見て憧れてたの・・・まだまだ生きないと割に合わなわね」
いつか望み、夢見た生活に身を置いたエリー。明日のことすら分からない幸せな生活に、ソーヤのやつれた顔を見て少し悲しそうに口を紡ぐ。
どうか。どうか彼が戦わなくていい未来でありますように。そう願って彼女は背を丸めて小さく寝息を立て始めた彼の頬に口づけをした。
轟音。そして、衝撃。
突如荷台が吹き飛ばされ、外に身を投げ出されたエリーとソーヤ。彼女はその小さな体からは考えられない力で彼を抱きかかえ、空中で態勢を整えると、難なく着地する。口の中に入った砂を唾ごと吐き出して口元を拭うと、そっと近くの岩にソーヤの背を預ける。
そしてこの爆発の現況を睨みつけ、
「話が違うじゃないっ!」
積み荷を荷台に積んでいた気弱そうな青年に向けて、エリーが吠える。
「いえ。契約通りです。指輪の価値分は働かせていただきましたよ。指輪の価値は凡そ3億、色を付けて3億2000万で見積もらせて頂きました。中央からの通達を無視して貴方達を連れ出すのに1億5000万、再度要請を無視するのに5000万、これが三度で1億5000万。
締めて3億。次無視すると『あの方』に話が行きそうなので残りの2000万では二人生きて引き渡すのが精一杯ですかね」
「・・・私はいらないってことね」
「聡い方は嫌いではありませんが、とても残念です。ここで抵抗されては私も言い訳ができません」
爆発によって原型を留めない荷台はいつのまにか孤立しており、遮蔽となる碌な岩もない更地の中、エリーとソーヤを囲むように数十人の軍人が待機していた。軍人はその佇まいのみで精錬されていることが分かり、暗い青色の軍服は中央。第一コロニーのもの。
個々人がソーヤを倒すことはできないが、足止めは出来る実力者たち。
「ソーヤは絶対に渡さない」
エリーの呟きがその場にいた全員の耳に届いた瞬間、彼らの心臓はドクンッと重く跳ねた。
第一コロニーの彼らは優秀だ。生存本能の訴えに逆らい、警戒レベルを最大限に上げる。目の前に年端も行かない少女の存在感が、その身に宿す格が作り変わっていく。
「下がれ。あれは人ではない。混じり物だ」
軍人の一人が商人の男にそう告げて一歩前に出る。彼らは知っていた。あれは人ではなく、その上位に位置する存在。神程の格はなく、だがそれに近しいものはある。誰からともなく、エリーの正体を口にする。
「人工天使・・・!!」
輪郭のボヤけた天輪がエリーの頭上に現れる。ジジジとノイズを鳴らしてその天輪は点滅を繰り返して、徐々にその姿をこの世界に形を残していく。
「イカレ野郎共が・・・!!」
彼らが目にしている幼い少女も元は普通の人だったのだろう。だがその格は神に近く、それが人の手で作られていることに、その背景を想像し悪態をつく。
彼女の進化とも呼べる肉体の変動は止まず。背から天輪と同じく不完全な天羽が根元から形を作っていく。逆再生の如く、元からそこにあったように小さな羽根が群れ、固まり、彼女の身の丈を優に超える三枚の天羽を作り上げた。そして元凶たる彼女の体には回路図のような青い線が全身に張り巡らされていく。
「抜剣っ!」
超常の光景に圧倒されていた彼らだったが、一人が一言叫ぶとその意図を瞬時に読みとり、帯剣していた剣を抜き去り、陣形を組んでエリーに肉迫する。
格は上。しかし、その存在感は安定していない。彼女が完全な天使化を図る前に、叩く。そして彼女には何かしらの欠陥がある。完成態ならば既に戦場にて相対しているだろう。そう踏んだ彼らは、好機は今しかないと意識を共有していた。
祈るように手を組むエリーとの距離を詰め、彼らは剣を振り下ろす。水の中で動くような抵抗感の後、全身に激しい痛み。しかし、それでも動きを止めず、切っ先を彼女の体に入れ込む。しかし、彼女は表情を変えず、祈りの姿勢を崩さない。
彼らの目には信じられない光景が映し出されていた。切りつけたはずの傷が蒸気をあげて修復されていくのを。だが、彼らは見逃さなかった。彼女の額に球粒の汗が浮かんでいることを。
「手を緩めるな!」
戦いが始まって一分と経たずに両者の体は満身創痍だった。彼らはエリーの張る結界のようなものに体を拒絶され、全身が打ち身になったような痛みが襲い、体がバラバラになるのではと思うほど悲鳴を上げていた。一方でエリーの体も大量の生傷の修復が追い付いておらず、体の天使化も途中で止まっている状態。
そして、ついに天羽と天輪がガラスのように甲高い音を立てて割れ、消えていく。
これを好機と見た彼らは限界の近い体を動かし、倒れる寸前のエリーに一歩を踏み出す。
☆
己に問う。なぜ生きている。
───分からない。
己に問う。死にたいか。
───分からない。
己に問う。なぜ戦っていた。
───それなら分かる。戦いを終わらせるため。
己に問う。なぜ戦わない。
───心が折れてしまった。心が戦いを拒んでいる。
己に問う。お前は今、何をしている。
───ボクは、ただ見ている。傷つく彼女を。
己に問う。なぜ戦いはじめた。
───それは・・・・
我、応える。
「リュエリーを守るために」
ソーヤの心は折れた。意思無き心に意思の剣は応えない。相手を倒すと。戦うと。その意思がなければナコワの尾は決して振り向かず、敵を打ち倒す形を作らない。
彼は逃げ出した。言葉にはしていないが、エリーに連れてこられた時に拒まなかった時点で自身がその選択肢を受け入れたことに等しく、その事実が彼の心をさらに押しつぶす。粉々に砕かれ、擦り潰された心の一番奥底に、彼の意思はまだあった。
どれだけ絶望しようと形を残したその意思は彼が戦場に立った誓いの意思。原点。
今にも倒れそうな愛おしい彼女を守ると決めた、その意思にナコワの尾は振り向いた。
焦点の合わない瞳に意思が宿る。
「っ!?」
エリーとの間に一瞬で割り込んだ影。振り下ろされた剣を深紅の盾が弾く。
守るという彼の意思に応えてナコワの尾はその意思に従い、誰かを守るための形に変わった。その盾は涙滴形で意匠は無く小さい。盾と呼ぶには無骨な純粋な硬さの塊。
「怯むなっ!!」
想定外の乱入に取り乱すも、一秒も経たぬうちに立て直す彼らは、ソーヤを囲むように陣形を広げて、限界の近い体に鞭を打ち、剣を振り下ろす。
しかし、ソーヤはその上をいく。遥か昔、コロニーという概念が生まれるより前からナコワの一族は闘争の中に身を置いてきた。遺伝子は進化を続け、その体を長い年月を掛けて戦闘に最適化させてきた。
彼らとソーヤでは見た目は大差はなくとも、体の造りが細胞一つから異なる。振り下ろされた剣を搔い潜り、右手に握った盾で一人の顎を殴り砕く。勢いそのまま後ろから近づく者には前宙にて剣を躱し、つま先を喉に突き立てる。
例え彼らが万全の状態でも今のソーヤを倒しきるのには倍の数では足りない。三倍の数を持って半数が死に絶え、甚大な被害を出して倒せるほど彼らとソーヤの実力はかけ離れている。たった一人で戦線の拮抗を作り上げてきた最強の名は伊達ではない。
また一人、また一人と気を失って戦闘不能になる中、エリーは掠れる視界の中、ソーヤの姿を見ていた。そして彼を引き戻すように手を伸ばし、喉の奥から絞り出すように、
「やめて・・・もう、戦わない、で・・・」
「英雄の、帰還です」
エリーの声に応えるのは、甘ったるく、どこか芯の通った声。彼女はいつの間にか自分の横に人が立っていることに気が付き、その姿を見上げ、戦慄した。
その少女は少女でありながら、女であるエリーからしても、くらりとする程、美しく、可憐で、濃艶な女だった。臀部に届くであろう闇夜を彷彿とさせる髪は濡羽色。青色のドレスは涼しげで、腕にはシースルーのロンググローブ。露出面積の少ない肌は髪の色とは対象的に陶器のように細やかでハリのある白。そして何より、瞳は朱殷色で瞳の中には二つの星が浮かび、直線を結んでゆっくりと回っている。
この場に一番相応しくなく、それでいてエリーやソーヤをも超える『格』。敵か味方かも分からない強者の登場に、エリーはただ、恐れおののくしかなかった。
少女の登場は、エリー以外は気付いておらず、ソーヤ達の戦いは終局を迎えようとしていた。残り三人。未だ勢いの止まらないソーヤを前に彼らは顔を見合わせて頷く。不穏な気配を前に、ソーヤはぐっと手を白くして盾を握り直す。
「無粋な真似はやめなさい」
エリーは目を見開いた。先程まで横にいた少女が彼らの横に立ち、その動きを手にもった扇子で制している。いつ動いたのか、気配すら掴めない少女にエリーを含め、その場の動きが一瞬で凍り付く。
「し、シス様・・・!」
「ご苦労。下がりなさい」
「しかし、」
「 ──── 」
シスと呼ばれた少女の名前を呼んだ男は、彼女の身を案じてか、彼女の言葉に食い下がる。次の瞬間、彼の首は上半身から切り離されていた。首が地面を転がる。その顔はただ、彼女を案じていたその顔そのままで、血すらこぼれない残された体は未だ力強く立ったままだ。
「誰だ」
「シス」
少し乱れた呼吸を整えながら目の前の少女に問いかけるのはソーヤ。その問いに少女は短く答える。
鈍い金属音と共にソーヤの体が弾かれ、エリーの近くまで転がる。細腕からは考えられない膂力と速度。首を落とされた男は知覚すらできていなかったが、見えていたソーヤは弾かれながらもその身を盾で防いでいた。
「あら。意識を刈るつもりだったのですが」
自らの頬に手を当てて困った様子で呟くシス。
エリーは手を伸ばし、吹き飛ばされた後も立ち上がろうとするソーヤの手を握る。
「ダメ・・・戦わ、ないで。・・・」
「妬けてしまいますわ」
そして二人の意識は、シスのこの言葉を最後に途切れた。
☆
「っ・・・!!」
エリーが目を覚ました時、そこがどこかは一目で分かった。家が何件も入りそうなほど大きく、高い。数度足を運んだことがあるこの場はコロニーの中央、『第一コロニー』の中央城。八人の土地頭の主。土地頭領との謁見部屋だ。
ぐるりと視線を巡らせると、何度か目にしたことのある各コロニーの地主達。そして玉座に座るシスと呼ばれた少女。その前に今にも死にそうなソーヤの姿があった。
「随分と遅い目覚めですわね」
「ソーヤになにをしたっ!!」
「・・・・殺すわ」
エリーの問い掛けに興味を失ったように呟くシス。エリーは瞬時に理解した。
ここが命の使い時だと。
「 【 堕 天 】 」
エリーの『格』が跳ね上がる。その場にいたシスを除く全員が膝を付いてしまうほどの圧倒的なまでの存在感。そしてその存在感に対して誰もが嫌悪感を隠せずにいた。体を虫が這いまわるような、喉を直接搔きむしられ、胃を握りつぶされるような圧迫感。体のいたるところに異物感があり、体が、本能が今のエリーを拒んでいた。
天使化と同じくエリーの頭には天輪が、天羽が、ノイズを発しながら生み出されていくが、それらは瘴気を纏い、彼女の体には回路図のような規則正しいものではなく、ドス黒い血管のようなものが脈を打ち、白目も黒く濁っていく。
変身や進化というよりも、浸食。なにかよくないものが彼女の体を犯していく。彼女の綺麗な髪も一部が黒く染まっている。
「堕ちた、か」
異常な空間の中で平然と小さな赤い木の実を口にしていたシスは、唇についた真っ赤な果汁を指でなぞり、形のいい唇を飾る。そして目を閉じたのも、つかの間。力強く見開かれた瞳。その格がエリーと同じく、それ以上に膨れ上がる。玉座の間は二つの神にも近い格がぶつかり合い、相殺し、まるで台風の目のような空白が生まれる。
【堕典・我、火を司る者】
瞬間、機械のような金切り声で全員の耳にその音が聞こえる。部屋の中央で豪と音を立てて一本の剣が顕現する。その剣は人の身にはあまりに大きく、黒い炎をその刀身から作り出しながらゆっくりとエリーの手に収まる。
「どこまでも醜く、愚かな」
エリーの持つ剣から発せられる炎は燃えるのではなく、ゴポゴポとマグマのように沸き立ちながら、粘性を持って床へと垂れていく。床に着いた炎は煙をあげてそれを溶かしていく。
【斬】
「甘い」
エリーがその小さな体でその剣を振るう。だが、シスはそれを手を振るうだけで拮抗する。
二つの強大なエネルギーがぶつかり合う。余波で空気が嘆き、部屋に亀裂が入る。
【堕典・我、神に最も遠き者】
「この壇上に登る資格はお前にはまだ、ないですわ」
一撃を持ってシスを倒すことを不可能だと悟った堕天使は、その体を更なる深みへと変貌させる。しかし、それを許すシスではない。ゆっくりと玉座から歩みを進め、エリーの頭に扇子を乗せ、強制的に力を持って押し込み、地を這わせる。
ただ、扇子で上から力を加えただけ。ただそれだけで、床は凹み、エリーの人間離れした変貌も、意識を手放したことで元の姿に戻っていた。
「お目覚めですか?」
「リュエ、リーに、なにをした」
振り返ることなく、エリーと入れ替わりで目を覚ましたソーヤの存在に気付き、問いかけるシス。彼の手には既に盾が握られており、虎視眈々とシスの背中を狙い澄ましている。
次の瞬間。ソーヤは部屋の中央付近まで飛ばされる。彼のいた玉座の近くにシスが立っており、常人には見えない次元の戦いは既に始まっていた。床に何度も体をぶつけ、跳ねる彼の体はもう死に体。あと一息でその命の灯が消えてしまいそうなほどに弱弱しい。
「レオ様」
「そ、の呼び方、は、」
「貴方は紛れもなく英傑ですわ。私という存在がいなければ間違いなくこのコロニーの英雄に成りえた存在。一度心が折れても立ち上ったその姿・・・・嗚呼、愛おしい。私は英雄を欲している。幼少期から憧れた童話の中の英雄に。私だけの英雄に。そう、貴方は私だけの英雄なのです、私を救い、私を焦がした英雄です。故に私は、皆の英雄は嫌いなのです。思い通りにならないものが嫌いです。私に恋しないものが嫌いです。醜い者も愛しましょう。悪人も愛しましょう。ただ、私に愛を捧げるのなら、愛に愛を返しますわ。慈悲深く、罪深い私に貴方は愛を返してくれない。絶望し、堕ちた貴方を独り占めしたかった。私が癒して差し上げたかった。ドロドロに堕ちて、堕ちて、堕ちて、堕ち尽くして私だけのモノにしたかったのに、貴方は勝手に知らない女と立っていた。大好きな貴方が嫌いで仕方ありません。どうすれば貴方は私に堕ちますか?何をしている時も私のことを考え、何をしていても私の為に動き、恋焦がれて、支配されている。どうしたら私と同じこの気持ちになってくださいますか?あの女を殺せばよいですか?拷問すればよいですか?甘やかせばよいのですか?教えてください。教えて頂ければ私はその為に尽くしましょう。その女が良いのであれば、顔も、声も、体も性格もあの女と同じになりましょう。狂おしいほどに好きなのです。愛して止まないのです。私だけを見て欲しいのです。お答えください。レオ様。どうしたら貴方は私の思い通りの存在になってくださいますか?」
狂愛。その想いを敢えて表すのなら。
一息にその想いを吐露したシスに対して、ソーヤは言葉の半分も聴いてはいなかった。呼吸を整え、ただひたすらに体の回復を図っていた。
「貴方では私に勝てません。盾を下ろさなければそこの女を殺します」
ソーヤの内情は筒抜け。ワントーン低くなったシスの言葉に是非もなく彼は手にもった盾を捨てる。
「教えてくださらないのなら、従えてしまいます。安心してくださいまし。貴方好みの私が沢山愛して、愛して、愛し合いましょう」
頬を染め、口の中で赤い舌を浮かせて恍惚とした表情を浮かべるシスをただ、ソーヤは睨みつけている。
「忠誠を。そして純愛を。私のものになったのだと誓ってください」
体に力を入れて起き上がろうとするソーヤを跨ぎ、彼の体を自分のドレスの中に閉じ込めるシス。
「舐めてください」
どこを。など聞く必要など無かった。その行為を持って皆の英雄が崩れ、彼女だけのものになる。それを示すには十分な方法。
ソーヤの体が少しずつ持ち上がり、彼女の秘部に顔が近づく。
「ああ、ついに。ついに・・・」
だが、部屋の中に響いたのは、シスの歓喜の声ではなく、彼女の悲鳴だった。
ソーヤの中で覚悟は決まっていた。エリーを守る覚悟。彼女の為に死ぬ覚悟を。
彼らナコワの一族の武器である尾はその意思に対して強度を変える。強固な意志には強固な盾を。軟弱な意志には軟弱な盾を。堕ちたエリーですら叶わなかったシスの攻撃を受けてなお、その盾は砕くことも、傷つくこともなかった。
数年という年月と、絶望の中で折れた彼の心だったが、彼は数年間耐えていた。耐えるだけの強さを持っていた。常人に近い脆く、弱い考えと反して、彼の心は常人とはかけ離れていた。
ソーヤは、シスの太ももを嚙み千切った。
もう折れない。死んだとしても折れることなく貫く。エリーの英雄は前よりも強く戻ってきていた。
口の中の血肉を床に吐きつけ、口元を袖口で拭ったソーヤは、早々にシスから離れてエリーを回収するとそのまま部屋から走り、逃げる。
その後ろ姿を呆然と眺めるシスと、超常の戦いに支柱に身を隠していた地主達が彼女の下へと駆け寄る。その目は彼女に心酔しきっていた。
☆
場所も分からないまま、エリーを抱えたソーヤはただひたすらに走った。途中、邪魔をする者もいたが、シスと比べるまでもなく、今のソーヤでも突破するにはそれほど時間はかからなかった。
そしてたどり着いた先、そこは・・・・・