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堕ちた者達  作者: 赤霞
1/5

一話

「特殊軍事計画イ号実験体00番個体特将、報告を」


 薄暗い独房のような殺風景な部屋の中。窓はなく、周囲の音もない。石床の隅にはうっすらと埃が溜まっており、平時では使われていないことが一目で分かる場所に二人の男が向かいあって立っている。報告を求めたのは頬の瘦せこけた猫背の中年の男。それに答える青年とは親子と言われても不思議でない程年が離れている。二人の身に着けている軍服は同じだが、違う点が二つ。左胸の印の形と青年の赤いマント。赤いマントは軍を率いる将の証。将の間に位はあれど、将より偉い位はない。

 青年の前に立つ男が将の位を手にしているかと言えばそうではない。本来ならば面と向かって話すことすら憚れる立場に中年の男は位置している。それでも尚、高圧的に青年に物言う姿勢から青年が特殊な立ち位置にいることは容易に察せられる。


「4-8-2番地から4-817番地防衛任務。任務番号サ7063より帰還。敵軍侵略により4-8-15まで押されていた前線を4-8-21まで押し上げることに成功。詳細は現場指揮官に。次の任務は?」


 青年は淡々と事務的に報告を行う。黒曜石のような美しい黒髪に同色の瞳。ただ、青年は目を閉じているのではと思うほど目を細めているのでその瞳を見ることはできない。人当たりの良さそうな顔立ちからは想像できないほど体つきはがっちりとしており、目の下には酷く濃い隈が窺える。軍人とは思えないほど白く透き通った肌には、首元から頬にかけて四本の刺青が入っており、臀部からはどの動物とも違った細長く、先端が平たく丸まった尾が揺れている。


「ご苦労。次の任務はこの紙に記載されている。十五分の休憩の後、東イ門に迎えが来ている。それに乗り、現地に向かってくれ」


 中年の男が差出した紙を引っ手繰るように手に取った青年は、尻尾と同じく幽鬼的に体を揺らしながら部屋を出ていく。その背中を見送りながら鼻を鳴らした中年の男は部屋を出ると、青年が歩き出した逆側に歩みを進めた。


 青年は、中年男から受け取った紙を流し見しながら照明も少ない廊下を歩く。休憩時間と言っても移動を含めたら無いに等しく、移動時間でどれだけ休めるかを青年は考えていた。

 数分、いくつかの扉をくぐり、いくつかの曲がり角を曲がった青年は未だに紙を睨みつけながら歩いていた。人とも少しずつすれ違うようになり、廊下の端の方を歩いていた青年の前に一つの気配が行く手を阻む。青年は顔をあげることなく、気配を避けるように右に一歩踏み出したが、それに合わせて気配の主も左に一歩踏み出す。意味の分からない行動に青年は顔をあげ、気配の主を見つめる。


「よっ、00番個体(レオ)

07番個体(レイナ)か・・・」

「任務終わり?」

「そんなところ」

「お互い、しぶとく生き残っているもんだね」


 気配の主は青年の同僚だった。癖のある髪を後ろで一つに纏め、人懐っこい笑みを浮かべながら人よりも長い耳をピクピクと動かしている。かつては何百といた同僚は数ヶ月前に二人きり。次に死ぬのはどちらか、それともコロニーか、そんな不謹慎な話を二週間くらい前に話すくらいの仲だ。


「任務、あるから」

「そう、だよね・・・。引き止めてごめん、踏ん張り時だね、お互い頑張ろ」

「うん」


 気まずい。と言うよりは会話をする元気が無い。そんな態度の青年の様子に気がついた彼女は、少し影を堕とした笑顔を浮かべると拳を彼に突き出した。彼もその拳に答えるように、コツンと小さく拳を合わせる。彼女とすれ違い、数歩歩みを進めた青年は、先ほど彼女が浮かべた笑顔が頭から離れなかった。


07号(レイナ)。今回の任務が終わったら、時間を取ろう。久しぶりにあいつらのところに顔を出したい」

「・・・いいよ。待っていてあげるね!」


 振り返った青年は、声を張るわけでもなく、ただ小さくそう呟いた。その青年の声に数瞬の間の後に声を返した彼女の笑顔は彼が見慣れた花のような笑顔だった。その笑顔に満足した彼は、それから一度も振り返ることなく廊下を進む。その口元には小さく笑みが浮かんでいた。


 青年が指定された東イ門に到着すること数分。数人の顔も知らない同じ軍人の出入りを確認した後、一台の鉄船が土煙をあげながら門の前に立っていた青年の目の前に停泊する。鉄船は人が五人も乗れば窮屈に感じそうなほど小型だが、その装甲は戦場を走ることを想定しるのか分厚い。前席には運転手らしき白仮面を被った男と、その横には同じく顔を仮面で隠した小さな少女の姿。


「乗れ」


 運転手の男が一言呟くが、青年は警戒して一歩もその場から動こうとしなかった。理由は簡単。二人が身に着けている服が軍服ではなかったからだ。幾度と戦場任務の送迎を受けていた彼の記憶では現地の運び屋以外で軍服を着用していない送迎に心当たりが無かった。運び屋を利用した時ですら、事前に軍部から通達があった。

 猛烈な違和感に彼は両手をだらりと落とし、左手に自身の尾を握る。一般人でも分かるほどの警戒の意が彼から発せられる。臨戦態勢の彼に汗一つかくことなく、運転手はもう一度「乗れ」と告げる。複数の可能性を脳内で思い描き、考慮した上で警戒を解くことなく、少しの間を置いて彼は後部座席に飛び乗った。

 彼が乗った事を一度振り返り、確認した運転手の男は鉄船のエンジンを入れる。停泊するために地面に浮いていた船は、船底に取り付けられた刃を高速で回すと、土の中に船体の少しを沈め、勢いよく進んでいく。


「急に連れ出したことは謝るわよ。一応、任務先には向かっているから安心して」

「・・・!」


 会話も無い中、進むこと数十分。たまにすれ違っていた軍船もなくなり、土と岩のみの景色になった頃、助席に座っていた少女がマスクを取り、口を開く。その姿に青年は目を見開いた。


 腰まで届くローズピンクの髪。吊り上がった朱殷色の瞳の奥には金色の六芒星が輝く。幼子のような体つきとは相反する気が強そうな声音。青年は彼女の事を知っていた。数年振りに再開した彼女の見た目は昔と変わらず、そしてその瞳は一度見たら忘れる者の方が少ないだろう。


「エリー、お嬢様・・・」

「昔みたいにリュエリーでいいわ」


 人々は土と岩の大陸を八つに分けた。それぞれはコロニーと呼ばれ、八人の土地頭がそれぞれのコロニーを治めた。その膨大な規模のコロニーを二十四に分け、地主に治めさせた。目の前の少女は何百万といる大陸に生きる人々の中で二百人にも満たない地主の正統なる血族。この第四コロニーの二番地主の娘、その人だ。

 エリーは、長い髪を両側で結びながら青年に微笑むが、青年は酷く戸惑っていた。彼らの年齢は同じ十七。身体の成長期だ。だが、目の前の少女とも幼女とも言えるエリーは記憶よりも小さく、それこそ出会った頃と大差ないほどだった。


「久しぶりね。ソーヤ」

「あ、ああ、いや、はい」

「敬語じゃなくていいわ。昔みたいにして」

「いや、でも」

「昔みたいにして」

「お互い、立場とか色々。それに、聞きたいことも」

「昔みたいにして」

「分かった・・・」


 有無を言わせない物言いは青年(ソーヤ)の記憶にある彼女の性格そのものだった。どこか懐かしいような、そして釈然としない気持ちの彼の表情を読み取った、エリーは「色々あったの」と、悲しそうに小さく笑った。


「今日、私がここにいるのは、アンタに話があるからよ」

「話?」


 数年振りの再開。戦場までの送迎を使い、人のいないこの状態での話。そしてエリーの真剣な面持ち。穏やかでないのは、ソーヤも直ぐに理解した。

 ソーヤの中で彼女の印象は愚直。幼い頃から曲がった事を嫌い、例え相手が大人だろうと間違っていることには間違っていると声を大きく主張する。正義感が強すぎるあまり、空気を読めずに同世代の友達は少なかったが、それも彼女の魅力の一つだと彼は思っていた。他コロニーからの侵略が続く中、少しでもコロニーの為にと地主である親の反対を押し切って士官学校に通い始めたのが彼女との別れだった。その時も「私が全部ひっくり返してこのコロニーをもっと豊かにするわ!」と傲慢にも取れる彼女らしい台詞だったのを今もソーヤは覚えていた。


 そんなエリーから信じられない言葉が─────


「ねえ、ソーヤ。一緒に、このコロニーから逃げない?」


 一瞬、ソーヤはエリーが何を言っているのか理解できなかった。その短い言葉を頭の中で理解しようとかみ砕いているうちに、彼女は言葉を続ける。


「アンタ、もう限界よ。このコロニーも。この一年でコロニーの半分を占領された。第七コロニーも参戦の動きを見せている。土地頭や地主の爺共は降伏する気なんかない。私たちが死ぬまでこの戦場は続くわ。だから、今の生きているうちに逃げるの」

「ちょっと待ってくれ。それってつまりこのコロニーを捨てるってことか?まだ戦っている兵士も、必死に生き延びている人たちも、今まで死んでいった人たちも捨てて、どうして──────「アンタがっ!アンタがもう、戦えないからよっ・・・!」


 エリーがソーヤの言葉を遮って叫ぶ。その声は微かに震え、振り向いた朱殷色の瞳には大粒の涙が今にも零れ落ちそうなほど溜まっていた。


「そもそもおかしいのよ。アンタが一番分かってるんじゃないの!?たった一人で支えている前線なんて長続きしないって!時間の問題だって!休みなく、毎日毎日、前線が押されたところを順番に回せれて、その()も、どれだけ持つか・・・!!」

「それでも、ボクが戦わないと他の人が。07号(レイナ)だっている、皆戦って死んでいった。今更逃げ出すわけには・・・」


 エリーの必死の訴えに、尻窄みになっていくソーヤの声。

 ソーヤには、彼女の言葉に心当たりしかなかった。現状、このコロニーがどれだけ窮地にいるのか。戦場では少年とも呼べる見た目の兵士を多く見た。中には女性もいた。二週間に一度は報告する相手が変わっている。徐々に押され始める前線。敵味方問わず積み上げられる屍。ただ敵は彼女の言う通り、増えている。

 彼自身もそうだ。ナコワ=ソーヤ。大陸最強の戦闘民族ナコワ族の一人。ナコワ族は意志をその尾に形を反映させる。その戦意が尽きるその時まで硬く、敵を葬る為にその剣を振るう。誇張無しに、過去の名を残す戦いには必ずナコワの名がある。彼もまた、一般兵士から見ると怪物と呼ばれる程の実力を、戦績を上げていた。

 だが、日に日に意志の剣が脆くなっていくのを感じていた。ナコワ族が最強と呼ばれるのはその戦闘能力ではなく、意志の剣によるものが大きい。折れず、曲がらず、刃こぼれをしない。どんなに敵を倒しても、どんな業物と打ち合っても、鉄槌を受け止めても意志がある限り、砕けない。だが、彼自身の心が限界に近かった。ここ数ヶ月はほぼ休みなく戦場を駆けている。彼も生まれ持った戦闘本能があるとは言え、人を斬って何とも思わない程冷酷な人間でも、簡単に割り切れるほどの軍人でもなかった。終わりの見えない戦いに、終わりの見えるコロニー。それは彼の心を確実に蝕んでいた。


「もう、頑張らなくてもいいの、ソーヤはよく頑張ったから、もう、だから、一緒に逃げよ?」


 訴えかけるような、最後の希望に縋るようなその声は、その表情は、ソーヤの知らないものだった。


「ごめん。それはできない」

「どうしてっ・・・」

「・・・・・・怖いんだ。逃げるのが。目を背けるのが。ここで逃げたらこれまでのものが全部無くなりそうで。それが当たり前になりそうで。いや、違う。誰かに恨まれるのが、憎まれるのが怖い。戦場で相手を斬るとき、その目の奥に宿った憎悪が何よりも怖い。それから逃げたら、今まで死んでいった人が、感謝してくれた人が、信じてくれている人が、この世界から憎まれているように思える。それにきっとボクは耐えられない。だからボクは逃げられない」


 彼は戦場に向いていなかった。彼は心優しかった。そして臆病だった。幾万の屍を築き上げた男が臆病とは笑えない話だが、彼は毎日願っていた。全て忘れて、捨てられたらどれだけ楽になれるだろうか、と。だが、彼には捨てられない理由があった。実際、この時代、この場所でなければ彼は幸せに生きられていたのかもしれない。ただそれは仮定の話であり、夢物語だ。そんな未来があったらと幾度も思い描いた彼の独白にエリーは座席から身を乗り出して、彼に半ば抱き着くように何か言葉を重ねようとしたが、ソーヤが割って入る。


「それにね、リュエリー(・・・・)。ボクが一族を抜けて、このコロニーで戦っているのは君を守りたかったからなんだよ」

「そんなのっ・・・誰も頼んでないわよバカぁ・・・!私だって、戦争が始まったらソーヤがどっかに行っちゃうって分かってたから、早く戦争終わらせて一緒に居たくて・・・!でもっ、もう負けちゃいそうなのよっ!死んじゃうのよっ!」


 それでもだよ。とソーヤは泣き出した小さな彼女を愛おしそうに、これで最期かもしれないと、強く抱きしめた。

 最初は強い覚悟を持っていた。自分が戦争を終わらせるのだと。そう思い、戦場に飛び出したのはソーヤが十四の時だった。

 そして直ぐに現実を知った。戦場を知らぬ少年は、人を殺す恐怖を知った。一人ではどうにもできないことを知った。理不尽は幾千とあった。それでも、覚悟が鈍らないように、毎日自分の戦う意味を考えた。心が折れそうなとき、感謝、未来、友情、約束、多くの想いで補強して、支えて、歯を食いしばった。

 ただ、意志が砕けぬように。いつからか、誰からも感謝をされなくなった。これが自分の役目だと逆恨みのように飛び交う罵詈雑言を受け止めた。


 いつからか、誰も明日の話をしなくなった。日に日に悪くなる戦況に顔を背けた。


  いつからか、友の数は片手で足りるようになった。最後に守るべきコロニーがなによりも嫌いだと逝った彼らの顔が頭から離れない。


 いつからか、約束は果たされなくなった。また会おうと言った誰もが、二度と会えなくなってしまった。


 傷ついたから、自分の中にあるもので代用した。だが、もう自分にはヒビ割れた心を全て塞ぐような支えが残っていないことをソーヤ自身が分かっていた。彼の中に残っている少しの支えがまだ彼を戦場に縛り付ける。彼自身の生きてきた中で生まれた大切が戦場にある限り、彼は自分だけが逃げることを許せないだろう。


「話してくれてありがとう。ボクを選んでくれてありがとう。ただ、まだ約束があるんだ。まだ戦っている友達がいるんだ。だから、ごめん」

「それは私よりも大事なの?」

「ううん。同じくらい大事にしたんだ」


 ソーヤの頭の中には沢山の思い出が駆け巡った。どんなに苦しくても励まし、支えあった友たちの思い出。そして07号(レイナ)との約束。彼の中で意志の火が強く燃える。まだ残っている、この大切を守る為にまだ自分は戦えると彼の覚悟はより強く、固まった。


「ありがとう。リュエリー。これでまた戦えそうだ」



「特殊軍事計画イ号実験体00番個体特将、報告を」


 エリーはソーヤの感謝の言葉の後、何も言う事なく、到着まで彼の胸の中で泣いていた。そんな彼女とは反対に、彼の顔は憑き物が取れたかのように晴れやかだった。そして防衛任務を終えて無事帰還した彼は報告に以前と同じ独房のような部屋に来ていた。


 報告を受ける男は前回とは違い、顔に大きな傷跡がある筋肉質の男だった。


「報告───


 報告の内容は相手が目を見張るような戦果だった。快進撃とも言っていい。防衛任務であり、押された前線を押し上げる役目のソーヤは今回、前線を押し上げるどころか単騎で重要拠点の奪還まで果たしていた。これがナコワの一族の底力かと唸る相手に彼はすこし誇らしげになりながらも、確かな手ごたえを感じていた。戦場を知って早数年。窮地にも関わらず、全盛期ともいえる状態を手に入れた彼は、まだ戦えると次の任務へ心を急かしていた。


「こちらからも報告だ。特殊軍事計画イ号実験体07番個体少将が戦死した」


 なにかが割れる音がした。実際には何も割れてはいない。報告を受けた男には何も聞こえていない。だが、ソーヤには確かに聞こえていた。


「ぁ・・・え・・・?」


 ソーヤのいつも開いているのか分からない目は見開き、瞳からは大量の涙が零れる。切り替えろ。と、戦場ではいつものことだと頭の中で冷静な自分が訴えかけるが彼の唇は震え、視線は右へ左へ飛んでいる。


「た、戦わなくちゃ。戦わないと・・・」


 震えながら小さくこぼれたソーヤの呟き。その異常なまでの反応に男は困惑の表情を浮かべる。彼は何度も繰り返し譫言を発すると糸の切れた人形のようにフッと膝から崩れ落ちる。その気味の悪い姿に男は、


「つ、次の任務だ」


 と上ずった声で紙を一枚、地べたに座る彼の目の前に置くと足早に部屋を後にする。

 男が去った後も、ソーヤは焦点の合っていない瞳で部屋の壁を見つめる。全身から込み上げていた覇気はなくなり、彼の心を生き写していた尾は力なく地べたを叩く。床からひんやりとした冷たさが下半身を通じて彼の体に寒気として現われるが、彼は気にすることなく、ただ壊れた機械人形のように虚空を見つめていた。


「戦わなくちゃ・・・」


 数十分後、目を腫らしたソーヤは力の入らない体を無理やり動かし、立ち上がろうとする。幾度か膝が笑い、立ち上がれずに膝を付いたが、数分掛けて立ち上がる。ふらふらと、誰が見ても正常では無い様子で廊下に出た彼は、壁を支えに歩き始める。


「戦わないと・・・戦え・・・・戦うんだ・・・・あぁ・・・・・」


 数歩進んだ所でソーヤはその場で蹲り、自分に言い聞かせるように呟く。その呟きが止まり、一瞬。


「よし、大丈夫。次の任務の紙、置いてきちゃったなぁ・・・取りに戻ろうか」


 何事も無かったように立ち上がったソーヤ。その顔には生気が戻っており、その一挙手一投足は報告を行っている時よりも機敏であり、口元にはうっすらと笑みを浮かべたまま元来た廊下を戻って行った。

 その後、報告部屋で任務の紙を貰ったソーヤは集合地点で今回の輸送船に乗り込み、次の任務へと向かっていた。このコロニーの現状も、これから戦地に向かうことも知った上で鼻歌交じりで送迎を行う輸送船で鼻歌交じりに景色を楽しんでいる彼の姿は何度か送迎を担当している運転手から見ても気味の悪いものだった。


「特殊軍事計画イ号実験体00番個体特将、早速だが」

「分かってるよ、ささっと終わらせよう」


 現地に着いたソーヤ。そこでは数千人規模の大きな争いが行われていた。指揮官の男が待ち受けている天幕に顔を出した彼は壮年の指揮官の男の言葉を話半分のまま、手をひらひらと振って一言告げると天幕から出て主戦場へ歩いていく。


「なにかあったのか?」

「い、いえ。ここに来る間もあのような様子で」

「前回の防衛任務の報告は見た。あの様子なら今回も期待できよう」


 戦場でソーヤと顔を合わせるのはこの数年で何十回とあった指揮官の男だが、あのような上機嫌の彼を見るのは初めてだった。彼を連れてきた運転手の男も事情を分かっていなさそうだったが、問題ないかと自慢のあごひげを撫でながら、指揮官の男は彼の出て行った天幕の入り口を何とも言えない表情で見つめていた。


 まるで日課の散歩をしているように、軽装でここに来る間にも奏でていた鼻歌を鳴らしながら、主戦場までの道のりを歩くソーヤ。待機中の味方の部隊の間をのらりくらりと避けながら、今尚、殺し合いをしている場所へと一歩ずつ近づいていく。その姿は味方からしても異常だったが、彼の背にある赤いマントを見て納得していた。

 時折、スキップをしながら目前に迫る敵に対して不敵な笑みを浮かべるソーヤ。そんな彼を見た敵兵士は一瞬、戸惑いを見せたが、次の瞬間には覚悟を決めた顔で彼に剣を振るう。ソーヤは自身の尻尾を握ると、高らかに宣言する。己の意思を具現化するために。


「来い、意思の剣よ──────── え 」


 しかし、怒号と悲鳴が鳴り響くなか、間抜けなソーヤの小さな声は敵味方問わず、届いていた。いつもなら手の中にあるはずの剣が現れず、彼はその状態に驚き、手の中に握る尻尾を見つめるのみ。そして彼の腹には深々と敵兵士の剣が突き刺さる。そして、彼の下に複数の矢が飛来し、彼の視界は真っ赤に染まった。



「・・・・・・」

「目が覚めた?」

「リュエ、リー?」


 ソーヤが意識を取り戻したのは三日後の事だった。持前の丈夫な体と、文字通り人並み外れた回復力で普通だったら致命傷だったはずが、完治に向かって回復していた。目が覚めた彼の視界に最初に映り込んだのは歪んだ青空だった。朦朧とする意識の中、微かに動くその気配を感じてエリー声を掛けた。

 違和感が拭えないまま、ソーヤは僅かな揺れから自分が鉄船の後部座席に寝かされていることに気付いた。そして声の主が先日言葉を交わした幼馴染だと分かるまでに時間はいらなかった。


「調子はどう?」

「あぁ・・・」


 少しずつ覚醒する意識の中、ソーヤはまず喉の渇きを覚えた。掠れた声でエリーの問いかけに応える。グニャリと歪んだ視界の中、ゆっくりと体を起こすと、当然ながらリュエリーの他に運転手の男がいた。前回も運転手を務めていた男だ。相変わらずの仏頂面だと思いながら、彼はこちらの様子を伺う為に助席からこちらを振り返る彼女を見てぎょっとした表情を浮かべた。


「その、目」

「義眼よ」

「じゃあこの視界は」

「右目が矢で潰れたのよ。良かったわ、適合性があって。アンタ、人間じゃないからそもそも構造からして合うかどうか微妙だったもの」


 平然と言って除けるエリーの物言いにソーヤは僅かにたじろいだ。この歪んだ視界は彼女の魔眼(・・)によるものだと謎が解けても、彼の心は穏やかではない。ただ、なにを言ってもこの選択に後悔はないと、彼女の朱殷色の瞳と、新たな空色の瞳が力強く訴えていた。


「ありがとう、でいいのかな」

「それでいいのよっ!目的地までまだかかるわ。まだ本調子じゃないでしょう?寝てなさい」

「目的地?軍に戻る途中じゃないのか?」

「・・・いいから寝なさい。るなら足元に水袋があるから適当に飲んでいいわよ」

「そっか」


 目的地と聞いて現在、自分がどこにいるのか分かっていないソーヤは辺りをキョロキョロと見渡して見覚えのある景色がないか探りながら、エリーにと問う。しかし、返ってきたのは意味深な間と、有無を言わせない力強い言葉のみ。その言葉を訝る様子もなく興味をなくしたように鼻歌交じりに携帯食と水袋を用意する彼を見て額に皺を寄せたあと、前を向き直して深々と鉄船の助席に座り直した。

 それから数時間後、ソーヤの目には見覚えのある景色が飛び込んできた。


「長城・・・」

「止めて。ここまででいいわ」


 鉄船から降りたソーヤ達。大人が十人縦に並んでようやく手が掛かるような壁が目の前に広がっている。彼の呟いた通り、その壁は『長城(ながじろ)』と呼ばれており、各コロニー境に作られている。一定間隔で関所や砦の役割を果たしている。つまり、ここは第四コロニーの端の端、コロニー境だ。戦時の今、ここに来る理由は一つ。まだ何も説明は受けていないが、ソーヤにはエリーの目的が明確にわかってしまった。


「お嬢様。こちらを」

「世話になったわ」

「いえ」

「今からでも一緒に逃げない?有能な貴方は歓迎よ」

「私はあくまで旦那様に仕える身なので」

「そう。また生きて会えたらお酌の一つでもしてあげるから、ちゃんと覚えてなさいよ」


 エリーは運転手の男から大人用のリュックサックを受け取ると数言言葉を交わすと、運転手の男の胸を三度叩くと、ソーヤに近づき、リュックサックを差し出す。ソーヤはそれを受け取って背負い、何も言わずに微笑みを浮かべる。


「お嬢様のこと、よろしく頼む」

「うん、任されたよ」


 男は最後に仮面を取ると二人に向かって深々と頭を下げると、鉄船に乗り込み少し上を向きながら走り去っていく。


「ねえ、どこに行くの?」

「隣の第五コロニーさ。お嬢さん達も同行するのかい?」

「ええ、是非お願いしたいわね」


 運転手の姿が見えなくなると、長城近くで荷台を連結させた大きな鉄船に貨物を積み込んでいた男にエリーが話しかける。男は三十半ば程の気の弱そうな男だが、軽々と荷物を持ち上げているところを見るに、見た目によらず、かなり鍛えているようだった。


「あっちにこのキャラバンの代表がいるから・・・」

「いいえ、私はアナタにお願いしているの」


 男は積み荷を乗せながらエリーの話を聞くが、彼女の一言で動きが止まり、目をスッと細めて彼女の顔を覗き込む。


「・・・そっちの青年は訳ありかい?軍人さんがここから出ようだなんて」

「詮索は無しよ。これで乗せなさい」


 ソーヤ達の内情を探ろうとする男だが、エリーはそれを許さない。右手の親指に嵌めていた装飾の少ない指輪を外すと、男に渡す。その指輪を値踏みするように眺めると満面の笑みを浮かべる。


「差分は現金で?」

「全部あげるわ。ただ、融通しなさい」

「もちろん。こちらの指輪の利益分は働かせていただきますよ」


 少ない言葉だったが、二人はお互いの意図をしっかり汲み取ると、商談を手早く終える。「こちらへ」と鉄船に繋がれた九台のうち、前から七台目に案内されたソーヤとエリーは積み荷で手狭な車内へと足を踏み入れる。


「また何かありましたら、お申しつけください」

「ありがと。感謝するわ。移動続きで疲れているからしばらくここに誰も近づけないでくれると助かるわ。ノイズがあると寝付けないの」

「そのように」


 エリーの言葉に男は一礼すると、荷台脇の骨組みを組み立てると布を被せていく。これで二人の姿は完全に外から見えなくなる。かなり古い布なのか、少しの隙間から差し込む光はすくない。


「さて、ソーヤ」

「ん?どうかした?」


 二人きり。人払いは済ませ、邪魔の入らない空間。エリーはソーヤの両手をその小さな手で握ると、彼の目をジッと見つめて話を切り出す。こうして向かい合うのも酷く懐かしさを覚えるほど前で、この数年がいかに濃密だったものだったのかを彼女は思い知り、目の前のソーヤをそれほどまで放置してしまったと自責の念を覚える。


「もうツクらなくていいよ」


 朱殷色の瞳が揺れ動き、空色の瞳は揺れず、彼女の高い体温が冷たい彼の手を通してゆっくりと伝わっていく。幼さの残る少し舌足らずな声は、温かさを含み、彼を包み込むように、彼の心を溶かすように響く。ソーヤの心は限界だった。彼を一番知っていて、理解している彼女は久しぶりに会った時からそれに気づいていた。だから彼女は彼を逃がす。どれだけ危険だと分かっていても、どれだけ他人に恨まれようとも。


「ぁ・・・・ぃ・・・ごめん」

「違う」

「・・・ごめん」

「違う」


 エリーの言葉にソーヤの細目が開かれる。焦点の合っていない瞳は揺れ動き、次第にエリーの顔を映し出す。絞り出した言葉。ツクられた彼は消え、壊れた彼が帰ってくる。


「迷惑かけてごめん」

「違う。かかってない」

「逃げてごめん」

「違う。私が逃がしたの。勝手なこと言うな」

「さっきの指輪。お母さんの・・・ごめん」

「ごめんと思うならアンタが私に新しいのを買ってプロポーズしなさい」


 俯きがちに謝罪する彼を真っ向から否定するエリー。そして彼の両の頬を包み込み、顔をあげさせ、無理やり視線を合わさせる。彼の瞳をまっすぐに見上げた彼女は続けてこう告げる。


「今は何も考えなくていい。まずはちゃんと泣きなさい」


 その言葉をきっかけに、ソーヤは声をあげて泣き始めた。まるで赤子のように、今まで吐き出せなかったものを吐き出すように泣いた。エリーは、そんな彼の頭を膝立ちで優しく抱きしめる。


「私のために生きなさい。そうしたら私の全てをアンタにあげる」


 その日、二人はこれ以降言葉を発する事は無かった。現実から目を逸らし、何も考えまいと、これまでの数年を取り戻すように、何も知らなったあの頃に戻るように荷積みの隙間に身を寄せて、抱き合いながら眠った。


赤霞です。初投稿になります。拙い文ですので、どうかお手柔らかにお願いします。

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