閑話〜彼女のその後1〜
――エードルフ様、なぜあんな事を突然言い出したのでしょう。
私は付き添いで侍女のセレーネに宥められ、物寂しい気持ちのままにぎやかな晩餐会会場を後にしました。
会場の外にある馬車回に寄せられた我が家の馬車から、愛しい護衛騎士のマティアスが出迎えてくださいました。
「エルフリーデ様。こんなに早くお戻りになられるなど、何が起きたのでございますか?」
とても心配そうな顔で、マティアスは馬車へエスコートしてくれました。
「私、エードルフ殿下に婚約破棄されてしまいました。しかも衆目がある場所で。何がお気に障ったのでしょうか……」
私、訳がわかりません。
理由は私が知っている? 全く身に覚えがありませんわ。
ほんの3日前には、あんなにお優しい笑顔でエスコートして下さったというのに。
今日のようなとても冷たくて怖いお顔に、あのような公衆の面前で一方的な婚約破棄など言い出すお方ではありませんのに。
何かの間違いか、新手の魔術にでもかかったのでしょうか。
「婚約破棄だなんて、そんな無体な事をなされるとは。いくら王家でも横暴が過ぎます!」
セレーネは事の次第を聞き、とても憤慨して王家の身勝手なやり方を失礼だと糾弾します。
「私の家は伯爵家といっても、下の方ですから」
沈鬱な声で私は答えます。
領地がなくても、陛下の信頼厚く、国の要職についているフォンターナ伯とは違い、お父様は年々人も収量も少なくなる領地を引き継いだだけの伯。
王宮内で重要な役職でもなければ、領地もそれほど広くはないのです。
それを憂えた陛下がご尽力下さり、エードルフ様のお輿入れの際は、持参金として直轄地の一部割譲と、お父様の昇進をお約束下さいました。
この婚姻はどう考えても我が家の方が格下なのです。
「お相手が格下の家だからと、軽んじられるのはあまりに悔しいではございませんか。エルフリーデ様」
私は首を振って言いました。
「王宮から正式な使者が来たわけでもありませんし、何か行き違いがあったのかもしれません。めったな事を言うのは控えましょう」
大体私、婚約破棄には納得致しかねます。
馬車が屋敷に着くと私は着替えもせず、先触れも出さず、お父様の書斎に向かいました。
※ ※ ※
「お父様! 私、これほどの辱めを受けたのは初めてです! 婚約解消の撤回と抗議を王家に……」
ですが、お父様は私に最後まで言わせて下さらず、とても冷たい声で言いました。
「……エルフリーデ。あれほど言ったのに、お前はマティアスと別れてなかったのだな?」
「いいえ。一体どこからそのような……」
私がそう言うと、お父様はとてもお怒りになり、書類を私に投げつけて怒鳴りました。
「嘘をつくならもう少し考えてつけ! お前のせいでエードルフ殿下だけでなく、レオンハルト殿下までお怒りになるんだぞ!!」
私達の婚姻に王太子殿下には関係のないお話なのに、なぜお怒りになるのでしょう。
政治の事はよく分かりません。
私はバラバラになったいくつかを拾い、目を通します。
書面は王家からの正式な婚約解消通知で、理由は私が不貞を働いていると、幾人かの証言がありました。
確かに私はマティアスと領地内の城下町を遊び歩いたり、二人っきりで景色のよい湖水地方へ水遊びをしに行きました。
ですが私、マティアスと二人で貴族の公式の場である夜会にもお茶会にも出席したことはございません。
ものの数には入れられませんし、もちろんプルファの夜は対象外です。
「だいたいこんな平民の言など、信用に足るものではありません。撤回させれば良いではありませか!!」
彼らは風見鶏のようなもので、力の強い者、金のある者へ簡単になびいてしまうのですから。
いつものように金を握らせて、証言は嘘だったと言わせればよいのです。
ですが、お父様はとても大きなため息をついて
「この証言は平民だけではない。“影”の何人かがお前の姿を確認しているそうだ」
と申しました。
「“影”って宰相様直属の私兵、でしたか?」
騎士団に属さず、宰相グリューネヴァルト公の命令のみを聞き、国内外の諜報活動が主な任務なのだそう。
とても規律が厳しく、所属している者達は全員、婚姻の石を公に差し出して契約し、生命すら自分のものではないのだそうです。
随分不自由な事ですこと。
「これで我が家門はおしまいだ。殿下の持参金がなければ立ち行かぬというのに……」
お父様は領地を憂え、目に見えて気落ちなさっております。
どれもこれも理不尽な要求ばかり。どうして私達がこのような目に遭わないといけないのでしょう。
私、マティアスと同じように、エードルフ様の事も愛してますのに。
やはり、エードルフ様は何か誤解をさせられているのかもしれません。
私達の愛に嫉妬する何者か。例えば私との結婚を快く思わないレオンハルト様やその腹心のクラウス様、でしょうか。
それでは私がエードルフ様を真実の愛で目覚めさせれば良いのです。
なんて素敵な事でしょう。私が真実の愛を教えて差し上げるなんて、とても光栄ですわ。
「お父様。そうがっかりなさらないでくださいませ。もう一度私がエードルフ殿下の愛を取り戻してみせます。おやすみなさいませ、お父様」
エードルフ様は女性慣れもしておりませんし、お優しいから私が追いすがれば無碍にはなさいません。
きちんとお話して、再度契約頂きましょう。
貴族とはそういうものなのですから、私だってマティアスと別れる必要などありません。
私、政治もお勉強も苦手ですが、恋と社交ならマティアスに褒められるほど上手なのです。
ああ、簡単なお話で良かった。どんな手段で殿下の愛を取り戻しましょうか。
私はとても安心して寝台に入りました。
今日もいい夢が見られそうですわ。