つむじ風のレオン①~市場グルメ探訪編~
まだ夜も完全に明けきらない、春まだ浅く肌寒い朝。
朝もやの残る城下町の市場通りでは、近隣農村の農家や工房の者たちが農産物や加工物を簡素な屋台に並べて売買している。
ある者は今日の店の仕入れのために、またある者は一般向けより新鮮で安価な物を求めて。
ここには値段なんてあってないようなもの。
活気ある交渉があちらこちらから聞こえる中、私達兄弟もある酒の卸問屋の店先にある大きな酒樽に、買ってきたものを並べる。
こんな下町の出店に、椅子やテーブルなんて気の利いたものはない。
腰までの高さに積み上げてある葡萄酒樽がテーブル代わり。
だが、それがいい!!
私は好物である鹿肉の串焼きを一口かじり、冷えた白葡萄酒で塩気と共に流し込む。
「くーっ。やっぱり焼きたては美味いの! 最高じゃっっ!!」
実に数か月ぶりの味に私は只々身悶えしながら全感覚を使って味わう。
何の変哲もない、ただの塩味。
だけど外はかりっと香ばしく、噛めばじゅわりと塩と肉汁の混じった極上のスープがしみ出して口に広がるこの幸福感よ!!
一度王宮で冷めないように作らせたが、味は全く違って死ぬほどがっかりしたのは良い経験じゃ。
「こちらの腸詰もなかなかですよ。兄上、次はあのトマト煮込みを食べましょう!」
唯一私が国王だと知っている男は私と同じ服を着て、同様に目と髪の色を変え、エールの入ったジョッキを片手に、肉屋の片隅でぐつぐつと湯気を立てて煮えている鍋を指さす。
エードルフもよく城下町には出入りしているから、こういった場所には抵抗はない。
「ううむ……。だがあれは臓物の煮込みぞ。其方平気か?」
私は少々顔をしかめる。
別の店で一度食べたが野菜や汁の味はともかく、あれらの口当たりとクセがどうも苦手なのだ。
「友人と食べましたが平気でしたよ。あれは牛や豚の固い筋や臓物をトマトや野菜と煮たもので、赤の葡萄酒が一番合うんです。次はあそこに行きましょう、兄上!」
「お、おう。。。そうだな……」
眉間にしわを寄せて笑う舞踏会より、断然晴れやかで積極的な様子に苦笑しつつ、私は白葡萄酒を流し込んで相槌を打つ。
「あっれぇ~? もしかして……レオンさん?」
何となく聞き覚えがある。少しばかり幼い声の主が、大人をかき分けて現れる。
「トール! どうしてこんなところに!!」
エードルフは驚いて招き寄せる。
「へへっ。今日は先輩達の朝飯の買い出し。新入りの大事な仕事だからな!!」
トールは少し胸を張って笑う。
学校へ戻るきっかけとなればと、見世物小屋の仕事を見学させたら、案の定、芸事に興味を持ち、順調に学校と孤児院を卒業して、今は常設劇場の付き人として働き出したのだとエードルフから聞かされていた。
「そうか。朝早くから大変な事だの」
「ううん、全然! 毎日すっげぇ楽しい! 演技って難しいけど面白いんだ!」
トールはキラキラと輝く目をして今の仕事を語る。
夢中になれるものがあって、それが金になるなら結構な事だ。
将来はしっかり稼いで、私にたんまり税を納めるがよい!!
私は内心でほくそ笑む。
「それに俺、レオンさん達が学校行けって言った意味がようやく分かったよ。読み書きできなきゃ台本も読めなくて演技できないし、契約書に署名もできない。お使いの計算だって出来なきゃおつり誤魔化されて損するのは自分だもん」
付き人なら衣食住はついてるが、給金は激安だからの。
こういった使いの釣りや切符の売り上げ手数料が足りない分の足しになるのだ。
「確かに。品書きの字が読めなければ、美味い臓物煮込みも葡萄酒も頼めないな」
エードルフはトールと顔を見合わせて微笑む。
うむ。私の施策効果はちゃんと出ておるな。結構結構。
「で、レオンさんはお忍び野菜殿下と朝飯?」
エードルフも髪や目を変えたはずだが、声までは変わってないからトールにはバレていたらしい。
あれ以降、二人は孤児院や学校で会っているからな。
「おお、そうじゃ。今日はエ……」
エードルフと言おうとしたら、言葉にならなかった。
今日の衣装はすべて私が用意し、術式も私が仕込んだはずだ。
覚えのない術式に、私は口をとがらせてちろりと隣を見上げる。
「今日はレオンの友人、ユリウスだ。レオンにこの市場が旨いと連れてきてもらったのだよ」
エードルフは私の不満気な目線を躱し、人差し指を立てて唇に当てて内緒だと、人当たりよくにっこりと笑う。
むう。今度こそ私の弟だと自慢したかったのに。
今日もダメだと言う事か。つまらん。
「そっか!! わかった!!」
トールは心得顔で話を合わせる。
「ここいらのメシはどれも旨いんだぜ! 俺も頼まれて買いに来たんだ」と自慢気にトールはエードルフが指さした店を示す。
「特にあそこの店の臓物。どれも捌きたてで新鮮だし、癖もなくて食いやすいからオススメ。先輩は煮込みパイだけど、俺は牛の舌の塩焼きが好き!」
トールは明るい声で好物を挙げる。
「ううう、牛の舌だと! そんなものまで食べるのか!?」
衝撃のあまり私は声がひっくり返る。牛の口の中でびろーんびろーんしているあれを食べるとは。
屈託なく語るトールは私より何歩も先んじて進んでいるようで、まぶしいものを感じた。
「ええ? 見た目はアレだけど美味いんだよ?! 舌がダメなら、レオンさんはしっぽ肉の葡萄酒煮にする?」
「し……!」
ししし、しっぽだと?! あの牛の尻でぶらーんぶらーんしているのも食べるのか!?
尻はその……。ふ、不浄の穴の……。。。
「わ、私は……く、燻製肉にしようかの。食器は私が返してくるから二人で行くが良い」
しっぽ肉も牛の舌もさすがに腰が引け、慣れた燻製肉にした。
「了解! レオンさんは燻製肉ね。野菜殿下は何にする? 俺、買ってくるよ?」
「しっぽ肉もいいが私は臓物煮込みだな。飲み物も欲しいし。二人で行こう、トール」
私は二人を送り出して店に食器を返し、食器の預り金を返してもらう。
「まだまだ修練が足りぬ。立派な平民への道は厳しいの!」
これからも腐らず努力すれば、きっと立派な平民に(見えるよう)なれる。
差し当ってはエードルフの煮込みを一口貰って食べるところから始めよう。
程なくして戻った二人は買ってきたものを並べる。
臓物煮込みに燻製肉の炙り、そして牛の舌の塩焼きにリンゴ酒とリンゴ水。
各々好きな物を取って、トールが串焼きを食べ終わるまで少しばかり立ち話をする。
「付き人は普段どんな事をしておるのだ?」
「基本、先輩達の側でいろんな用事や世話をしたり、芸をさせる動物の世話とか。なんでもやってる!」
誰誰は優しくて小遣いをいっぱいくれるとか、誰それは気難しくて気を遣うとか。
最近はたまに前座として動物たちの芸を見せたりしているらしい。
「で、この動物曲芸が結構評判良くてさ。もっといろんな事ができるようになったら、前座から本公演も検討するって支配人が言ってくれたんだ!」
「本公演なんてすごいじゃないか!」
「うむ。本公演なら取り分も増えて懐も大分温かくなるし、御前興行は意外と早く実現しそうだの!!」
それはそれは楽しそうに話し、「レオンさんもウチの芝居見に来てくれよ! じゃあな!!」とパイを抱えて風のごとく駆け出していった。
「少々落ち着きはないが、充実しているようだな!」
「あれ以来孤児院の状況もかなり改善されましたし、一安心ですよ」
問題のあった育成基金も順調に損失を回復しつつあり、要望の8割は基金で回せるところまできた。
あと少しで完全に基金は元に戻る。
「もう少し、頑張ろうかの」
「お手伝い致しますよ、兄上」
互いに顔を見合わせて笑い、リンゴ酒の入った木製のカップをカツリと合わせる。
「ではまず賭場に行って、今日の軍資金を稼ぎに行こう! 待ちに待った“エードルフ三昧”の日だからな!」
今日の元手は金貨2枚。これを個室席2枚分と食事代や小遣いまでに増やさないと。
個室席をトールから買えば、良い小遣い程度の手数料になるはずだ。
「常設劇場は『“お前は真の王族じゃない”と追放された第13王子は見返すため隣国へ修行しに行ったが、何故か年下の公爵令嬢に溺愛されています』が街で話題ですよ」
「そ、そんな長い演目、其方もよく覚えとるの……」
大体何だ。王族に真も偽もあるものか。
王族なら色が違うからすぐにわかるというのに。
「貴族名鑑を覚えるよりは簡単です。さあ、行きましょう、兄上! 賭場は久しぶりで腕が鳴ります!」
エードルフはパキパキと指を鳴らし、まるで殴り込みにでも行くような気合いの入りようだ。
うむ。実に結構な事だ。




