閑話~“影”見習いマティアスとエリィと父親~
ちょっと過去に戻って、マティアス訓練生くらいの時のエルフリーデ親子のお話です。
俺が影に放り込まれて早数か月――。
奇跡的にまだ生きてる。つーか、死ぬような任務にはまだついてないから死んではいない。
けど、死にたくなるほど訓練期間は辛かった。
だって短剣一本、魔術なしで山に放り込まれてひと月暮らせとか。寝ずに山を5往復とか。絶対無理に決まってるよ。
今も訓練期間で辛いのは変わらないけど、肉体的には大分楽に感じるようになった。
クソダサ目出し黒装束も、死ぬよりましと言い聞かせて着ている。
あの黒装束、実は風景に紛れ込む魔術式が入ってるらしく、着て魔力を流すと本当に目立たなくなってしまう。
俺自身が消える訳じゃないから、猫がぶつかったり、鳥が止まって糞を付けられたりしたけど。
「アインス。次はこの家だ。目を離すなよ」
俺は目下張り込みの訓練中。家や城、商店を張り込んで目当ての人物を追ったり、家の出入りの人間や荷物を調査したり。そういう密偵や間者のような任務の勉強中だ。
この仕事のいいところは黒装束を着なくても済むのと、期間限定だけど名前がもらえる。
今は普通の格好にアインスと名前がついた。由来は51番目の入団で末尾の1がちょっと悲しいけど。
「次の訓練はこの親子の会話と動向の報告。直接接触は禁止。あくまで外からの口読みと人の出入りだけで推測しろ。口読みは俺も見てるからな。ごまかすんじゃねぇぞ。失敗したら……そうだな、国境行って魔物狩り3日間」
先輩はこともなげに言うけれど。
ワイバーンとかオースティーの野生ドラゴンなんて、出会ったら頭からぱっくり食われるじゃねぇか!!
俺は恐怖で背筋が伸びた。
「一体親子でどんな事したんっスか。つーかあれ……誰?」
見た目は普通の平民っぽく、ちょっと小太りで茶色い髪に目も茶色。
服装だって今の俺とさほど変わらない、地味なシャツにトラウザーズ。
俺たちが監視するのは大抵貴族や他国の人間や役人が多いけれど、そういう輩は監視を逃れるため平民の姿に変えることが多い。
平民に紛れ込まれると見分けるのが本当に難しいから、まだ下っ端の俺だけでは厳しいんだよな。
「あの人は元リーフェンシュタール伯。今はただの平民でリーシュ。隣は娘のエリサ。ああ見えて二人とも罪人なのさ」
「リ……!」
リーフェンシュタール伯と言いたかったのに、何かに縛られて声は出なかった。
これも契約の一種で、目標や標的にかかわる重要な情報が拷問などによって流出しないように、俺達には一定の制限がかかっている。
いや、それより!! 娘ってエルフリーデだろ!!
誰だよ、あのくっそ地味な女。手も肌も汚くてボロボロ、髪もぱっさぱさのひっつめ。身体もガリガリ、胸も大分小さくて残念過ぎる。
俺の知ってるエルフリーデなら、もっとツヤツヤで綺麗で抱き心地は良かったぞ!
「……が、娘の名前が変わってるんです!!」
パクパクと音にならない言葉を器用に先輩は拾ってくれ、俺の聞きたい事に答えてくれた。
「あー。お前、娘の事知ってるのか。あの女、本来なら死罪だが、殿下のお情けで名を変えてここで生きているんだよ」
先輩の話によるとリーフェンシュタール伯は公金横領で捕まり、エルフリーデはなんと元婚約者のエードルフ殿下の寝所に忍び込んで害そうと画策したらしい。
ちょっと離れてた間に、エルフリーデが殿下を殺そうとしてたなんて。
いくらフラれたからって、極端すぎねぇ?
「ホント女って怖いねぇ。俺は商売女で十分だ」
先輩は冗談めかして肩をすくめる。
殺されそうになったってのに、青の殿下は何だってエルフリーデ助けたんだろ。
訳が分からないや。
※ ※ ※
ほんのちょっと前、彼女は仕えるべき女主人で、俺は仕える騎士で時々恋人――。
今じゃ罪人とその監視者とは。人生わっかんないもんだな。
二人は今、王都に構えていた屋敷や領地にあった馬小屋並みの大きさの家に住み、ほとんど街にも出ずに過ごしている。
家の周りは畑と鶏小屋で近所も遠く訪問者もほとんでいない。いつも二人で朝早くから畑を耕し、鳥の世話をしてつつましく暮らしていた。
貴族育ちの二人が、婚姻の石を取り上げられて魔術もなしに生活しているらしい。
どうやってと様子を窺えば、水は近場の井戸から汲み上げ、火だって苦労して種火を作ってかまどで維持している。
俺も訓練で婚姻の石なしで放り込まれた山で火おこしに苦労したからよく知っている。
教えられた手順を知っていても大変なのだから、二人はもっと苦労しているはずだ。
昔は何でも侍女や使用人にやらせていたエルフリーデが、手や顔を真っ黒にして畑仕事をするなんてとても想像できなかったのに。
二人は朝早くから寝るまで働き詰め。ただひたすら働いている。
手にマメを作りながら。
マメなんてさっさと治療すればいいのにと思いながら、俺は二人の様子を見ている。
「先輩、質問いいッスか? あの二人、婚姻の石なくても魔力水は作れますよね。何で作んないッスか?」
途端にため息と共にぺしっと後頭部を殴られる。
「……ぃてっ!!」
「情報は一度で全部頭に入れろ! あの二人は罪人だって言ったよな!」
そうだった。罪人には俺達のように行動制限がかかる。
ある範囲を踏み越えると身体が砂になってしまう、俺達と同じ契約だ。
俺達と違うのは、罪人でその範囲がとても狭いという事。
生活のための商店なんかは範囲内だけど、神殿は範囲外だし、範囲内の雑貨屋は領主様の命令で売ってはもらえない。
もし怪我や病気をしても、二人は決して治療できない。
痛みや苦しみも贖罪の一つだから。
「厳しいッスね……」
何だかずっしり重いものが胸の中に落ちていく気がした。
今の俺にはエルフリーデの名を呼ぶことも、励ますことも褒めることもできない。
ただ側で見ているだけで、マメができていても魔力水一本、渡すことさえ禁じられている。
暗くなって肩を落とす俺に先輩はひとつ咳払いをし「これは俺の独り言だ」と前置きした。
「彼らの行動範囲内に魔力水が偶然落ちていたり、こっそり村人から貰って使う分には止められない。何せ俺達は監視だけで直接かかわることが禁止だからな」
「えーと……それってつまり」
直接かかわらないよう玄関前にこっそり置いたり、裏で村人使って渡すように頼むのはいいって事か?
「後は自分で考えろ。独り言には答えんぞ」
「あざーっす! 考えます!!」
よし。どうにかして渡す方法考えることにしよう、と俺は口読みを続けた。
「エリィ。少し休憩にしようか」
「そうね。お父様」
エルフリーデは手を止めて父親の持って来た芋を洗いに行き、父親は手早く火を起こして、枯れ葉や枝をくべて少し大きくし、灰を作った。
「さて、新品種の出来はどうかな。最近北のシュヴァルツヴァルトではこれを焼いて食べるのが流行っているんだそうだ」
父親はできた灰を少し掻いて、洗ったじゃがいもの上に灰をかけてまた小枝や落ち葉を火にくべた。
「王都は煮潰しが主流でしたけれど、リーフェンシュタールのようにシュヴァルツヴァルトも焼いて食べるのね」
「北は寒いからな。かまどやストーブを囲んで温かいものを食べるのは最高のご馳走、という訳だ!」
そういやあの二人、領地に戻った時にはあんな風に暖炉の灰の中にじゃがいもを埋めて焼いていたな。
さすがに王都じゃやってなかったけど。
「そろそろいい具合かな。ウチは塩だけど、北ではバターを挟むそうだ」
父親は焼けた芋の灰を払って、エルフリーデに渡した。
「いい匂い。頂きます」
エルフリーデは皮をむいて塩をすこし振り、はむりとじゃがいもをかじると、目を見開いて驚いていた。
「まぁ。とっても甘くて美味しいわ。シュヴァルツヴァルトのフェールさんは素晴らしい人ですわね」
「ああ。私達も早く完成させないとな」
「ええ。この国にはあまり時間がありませんもの」
二人は真面目な顔をして頷き合っているけど、何をしたいのかが全然掴めない。
「先輩。あの二人、じゃがいもで何を作ろうとしているんです?」
聖女様が関係あるような事を言っていたけれど。
「品種改良だよ。石が使えなければ術式に頼らない魔力しか使えない。お前が言ったように魔力水を作る事と植物に魔力を直接与えて改良すること。二人は品種改良で魔物を寄せ付けないじゃがいもを作り出そうとしているのさ」
ふーん。植えれば魔物を寄せ付けないじゃがいもねぇ。
そんなのできるのかな?
「聖女様は今年85歳くらい、でしたっけ?」
「88歳。今すぐじゃないだろうけど、いずれは身罷られる日が来る。その間俺達は騎士団とは違って基本単独行動だから無事で済むかどうか。お前も覚悟はしとけよ」
「ええ!? まさか俺達まで単独で魔物狩りに駆り出されたり?」
「当たり前だ。国境周辺は結界が薄いせいで平常時でも魔物が湧きやすいんだ。聖女様のいない時期の国境なんて、想像を絶する過酷さだ。もし、今じゃがいもを植えるだけで魔物が減るなら、俺は喜んで植えにいく」
そう語る先輩の顔は、珍しく真面目で期待のこもった目をしていた。
俺は聖女様のいない時期というのを経験してないけど、普段の国境でもキツいのに、アレよりも魔物が湧き、それが止まらないような状況に一人放り込まれるのはとても恐ろしい。
俺はぶるりと震えた。
「あの二人のじゃがいも、早く完成するといいですね」
先輩は俺の言葉に「……そうだな」とうっすら微笑んで同意した。
次回で本編終了します。
お付き合いいただきありがとうございました!




