秘密のお茶会
私がエードルフ殿下に初めてお会いしたのは、私が6歳、殿下が10歳の頃でした。
引き会わされた時、多少距離感はあるものの、至って普通の、貴族の子供同士の出会いだったと思います。
二人で王宮の家庭教師について勉強を始めた数刻で、殿下の態度は急変しましたが。
「年下の癖に算術も読み書きも武芸まで知っていて、私が面倒見る必要ないではないか!!」
私は殿下のお怒りにぽかんとしてしまいました。
父も陛下と共に育った家です。私もいずれ殿下付きになると聞かされて、そういうものだと育ちました。
そのため日々の勉強も武芸も殿下のためだと聞き飽きるほど言われ続けていたので、殿下にお会いする前にいくつかを学んでおりました。
ですが、そういった賢しさが殿下のお気に召さなかったようです。
「はい。じぶんの事はじぶんでできます。『お前は殿下の“じゅうしゃ”であり、“がくゆう”であり、“たて”だ。だからよく仕えなさい』とちちうえにめいじられてます」
殿下は途端に朝に食べたマフィンみたいにぷうっと膨れて「俺が欲しいのは家来じゃない! “友達”だっ!!」と言い、自室へ走り去ってしまいました。
これには私が困りました。当時の私に友達はいませんでしたから。
許嫁はいましたが、女の子な上にまだ3歳で参考になりません。
友達とはどうやってなるものなのかを私は学んでおらず、どうしたらいいのかわからなくなってしまったところに、殿下の母君、リーゼマリー様のお呼びがあったのです。
「リーゼマリーさま、およびとうかがいました。ごようけんはなんでしょうか?」
私は叱られるものと思い込み、ぎこちなくお辞儀をすると、コートを握りしめて所在なく立っていました。
ここで叱られれば父にも知られ、更に叱られる。私はとても心臓がどきどきしていたことを今でもよく覚えています。
「ルドヴィル、ごめんなさいね。エードルフが困らせているのですって?」
リーゼマリー様は叱るどころか私に謝ってくださり、母と話す時のように長椅子の隣に座らせました。
「いいえ。殿下のめんどうをみるのはボクのしごとです。でもすこしこまっています」
「あらあら。困りごとはなぁに?」
「殿下は“ともだち”が欲しいけど、ボクはどうしたら殿下と“ともだち”になれるかわかりません。本にもかかれてないんです……」
落ち込んで俯く私の姿に、リーゼマリー様は大げさに驚きました。
「まぁ大変! ルドヴィルにも知らない事があったのね!」
これはやっぱり怒られてしまうのかも。
その時私は『そんな事も知らないなんて、王族の従者にふさわしくない』とクビになることを恐れていました。
こんな不名誉、絶対に父が許すはずがありません。
亀のように身を縮めて次の言葉を待っていた私に、リーゼマリー様は明るい笑顔で言いました。
「大丈夫。“ともだち”はとても簡単なの」
簡単。その言葉は私を励ましてくれました。
だって“頑張らなくていい”と言う事ですから。
「私達、これから“秘密のお茶会”なの。ルドヴィルもいらっしゃい。甘いお菓子は好き?」
「すきです。でもボク何ももってきてません」
お茶会に呼ばれるなら手土産の一つは必要。
叱られるものだと思っていたばかりに、手ぶらで来ていたことを後悔しました。
「今日は私が急に誘ったのだから、いらないわ。お菓子はね、必ずコケモモジャムとスコーンを出すのよ。エードルフもね『母上のコケモモジャムだけは美味しい』って褒めてくれるから、不味くはないと思うわ。ね、一緒に食べましょう! コケモモジャムには“おまじない”がかかっているから、“ともだち”なんてあっという間よ!」
リーゼマリー様は椅子から立ち上がった私の手をとり、何かを企んでるのにとてもニコニコしていました。
「おまじない、ですか?」
まじないは魔女の領分。彼女達は私達のように土地と契約せず、妖精や魔物と契約して使役したり、魔力を使って魔法を使う特殊な存在。
もしかしたら、リーゼマリー様が書物や伝承でしか見たことのない魔女の生き残りなのかと、失礼ながら私は少しワクワクしていました。
「そう。おまじない。今のルドヴィルにとってもよく効くと思うわよ」
東屋へ連れてきて下さったリーゼマリー様は、ここでのお茶の楽しみ方を教えてくれました。
それがお茶にジャムを入れて飲む方法です。
あまりに不作法で驚きましたが、エードルフ様はこれが一番お好きで、この東屋だけではこの飲み方なのだとリーゼマリー様が教えて下さいました。
「ルドヴィルもここでは気にしなくていいわよ。その代わりこれは三人の秘密。だからお家の人に話しちゃダメよ」
「はい。しょうちしました、リーゼマリー様」
私も殿下をまねて、お茶にジャムを溶かしながら言いました。
従者は主人の秘密を守るものですから。
「ほら、秘密を持ったのなら、もう友達よ! ね、簡単でしょう? さあ、エードルフも言う事があるでしょう?」
ニコニコとして私に言ったかと思えば、途端にリーゼマリー様は真面目な顔をして殿下を促します。
「ゴメン、ルドヴィル。悪かった」
そっぽを向いたままで、カップを弄びながら謝る殿下の手をリーゼマリー様はパシリと叩きます。
「ゴメンではありません。ごめんなさい、でしょう? それに何ですか、その態度は。それではルドヴィルに許してもらえませんよ?」
「ルドヴィル……ごめんなさい」
今度はこちらを見てから、カップを弄ばずに頭を下げました。
「これで許してくれる?」
リーゼマリー様の笑顔は、母上が褒めて下さるときのように笑っていました。
私は恐縮しきりで声も出せず、折れんばかりにぶんぶん首をふって頷きました。
なんということでしょう!!
私はここで殿下に謝らせた上に、リーゼマリー様に殿下を叩かせてしまうような事をしてしまったのです。
(じ、“じゅうしゃ”は“ひみつ”をまもるもの……!)
小さな私はこの失敗だけは決して報告してはならないのだ、と心に誓いました。
だって話せば殿下の不名誉も話さなくてはいけませんからね。
「さあ、食べましょう! 今日のスコーンは新しいレシピなのよ!」
殿下は途端にがっかりした様子で肩を落とし、
「ゴメン、ルドヴィル。これは残してもいいぞ。俺が許す」
と、とても申し訳なさそうにまた私に謝りを耳打ちしました。
※ ※ ※
俺はスコーンを半分に割り、ジャムとクリームを乗せて一口かじる。
外側はほろっと崩れ、中はしっとりの最高の焼き加減。
「母上が焼くスコーンは時々岩みたいに堅かったり、全然半分に割れなかったり」
「かと思えば、奇跡みたいな美味しさのスコーンもたまにあって楽しかったですね」
母上、作るの好きな割に量は目分量で作るから、一定の味じゃない。
しかも時々入れ間違ったり、入れなかったり。
「新レシピだって言って、時々びっくりするくらいまずいものも作ってたな、母上は。お前は平然と食ってたけど」
「“影”用の携帯食ほどまずいものでもありませんよ。少し塩分糖分が多すぎたり少なすぎたり、カチカチに硬かったり焦げ臭かったりなだけですから」
「それだけあれば十分問題だろ!」
作るのは好きだが、料理下手を自覚していたのか、父上はこの“秘密のお茶会”に一度も呼ばれたことはない。
父上が離宮で過ごす時は、基本料理人に任せていたのだ。
あ、そっか。もしかしたら――。
「これって“俺たちの秘密”じゃなく、“父上に秘密のお茶会”って事だったの?」
今頃になってようやく気が付いたが、ルドヴィルの答えは違った。
「いいえ。お二人の“秘密のお茶会”は私達の知らないところ、だったのかも知れませんね」
俺の動向はルドヴィルを通じて義兄上に報告されているけど、父上にも報告が上がるのだそうだ。
「殿下がリーゼマリー様を訪問されるときは必ずコケモモジャムをお持ちになるのを先王陛下はご存じで、その後、必ず訪問して一緒にお茶を楽しんだ後、ジャムを持ち帰っているそうですよ」
その時ばかりは護衛騎士も影も遠くに配して、二人だけでお茶を楽しむのだそうだ。
「ふーん。父上ってそんなにジャム好きだったんだ。次は父上にもあげた方がいいかな?」
そこまで好物とは知らなかった。言ってくれれば持って行ったのに。
「……殿下はもう少し、男女の心の機微を学んだ方がよろしいですね。こればかりはご自身の努力が必要です。よい恋愛指南書を見繕いましょう」
気の毒そうな表情を浮かべて言って、ルドヴィルはジャムを溶かしこんだお茶を飲み、ジャムを多めでクリーム少な目のスコーンを一口かじった。
疎いかとは思っていたけど、俺、そんなに鈍感か、ルドヴィル?




