最後の長期休暇
そうやって緊張して一通りをこなし、ようやく自分の休暇が始まる。
年が明け、久しぶりに母上の実家、正確には実家ではないけれど、俺や母上の後見をしてくれているシュヴァルツヴァルトの家にいつもの年始の挨拶へ来た。
母上は元々義父上の遠縁である子爵家の娘だったが、両親を一度に亡くし、爵位と母上を一時的に預かっていたのが義父上だ。
子爵家と言っても大した財産もなく、当時の母上だけでは屋敷や使用人を維持することが難しくなり、義父上が手続きをして母上を引き取り、自分の魔術専科の学費と行儀見習いを兼ねて義父上付きの侍女として王宮へ上がっていたところを、先王陛下である父上に見初められ、16歳で側室入りをした。
義父上は「そんなつもりで連れて行ったんじゃない!」と大反対したらしいけど、渋々送り出したそうだ。
母上を知る人は、もうシュヴァルツヴァルト家でもごく一部の人だけ。
義父上と兄たち、そして古い使用人が少しだけになった。
北国シュヴァルツヴァルト領は冬の寒さも厳しく、魔の森を抱えて人には少し肩身が狭い地――。
王都からも遠いので、聖女様に何かあれば真っ先に魔物があふれる土地柄だ。
でも、聖女様さえいれば魔力に満ちて、雪でも良い作物が育ち、家畜は増えやすく、魔の森は豊かな恵みを分けてくれる。
故にシュヴァルツヴァルト領の税収の殆どは作物や家畜、作物を加工した品を売って得た収入がほとんど。
領民達もほとんどが農家や畜産、またはその関係者が多い。
シュヴァルツヴァルトが反旗を翻したければ、荷を止めて王都を飢えさせれば良い、すぐに言うことを聞く事になる、とは授業で習った知識だ。
「お帰り、エードルフ。卒業おめでとう。よく顔を見せてくれ。本当に久しぶりだ。元気そうでよかった」と、義父上は嬉しそうに目を細めて俺を抱きしめてくれた。
「しばらくお世話になります。そうだ義父上。お体の具合は?」
義父上は最近調子が良くなく、寝付くほどでもないのだが、領主としては仕事の殆どをアルフレート義兄上に任せていると聞いていた。
「私を年寄り扱いするでない。まだ95歳であと10年は余裕だ。それに少し前までは其方の父を連れて鹿狩りに出ておったのだぞ。しばらく行ってないから、明日にでも行こうか?」と茶目っ気たっぷりに答えた。
なんでも表向きは「そろそろ身体が言う事を利かなくなってきた。後は息子に」と、陛下には体調不良での引退宣言を申し出たんだそうだ。
健康には全く問題ないことも、領地でのんびり過ごしている事も父上はご存じで、むしろこっそり転移で二人で休暇を楽しんでいたんだそうだ。
それならそうと父上も教えてくれればいいのに。でも心配は杞憂のようで安心した。
「失礼しました、義父上。ぜひお連れください。鹿は義兄上の好物ですから、休暇の土産にぴったりです」
義父上も若返りは使ってるし、宣言どおり10年どころか20年は余裕そうで一安心だ。
俺は居住まいを正し、二人に向き直った。
「義父上、そして義兄上。母上が亡くなってから現在まで本当にお世話になりました。どれだけ感謝してもし足りませんが、これからは私自身の働きでこの国の助けになり、この恩を一生かけてお返しします」
俺は今回の目的でもある卒業の挨拶を二人に伝えた。
母上が亡くなった時も、婚約反対派の説得も義父上や義兄上達はとても力になってくれた。
これからの俺で返せるものは何でも返すつもりだった。
「そのような言い方は止しなさい。お前はリーゼマリーの息子で私の孫。ここはお前の家でもあるのだから、気兼ねせずいつでも帰って来なさい。礼なら時々こうして顔を見せてくれればいい」
「そうそう。父さんが後見人引く訳ないだろう。それに魔術騎士は使い出あるから、近衛クビになったらウチへ来ればいいさ!」
大きな執務机の向こうから、良く響く声でアルフレート義兄上は同意する。
よく見れば一回り小さい机もある。
「ところで義父上。何故執務室に机が2つもあるのですか?」
「おお! よく聞いてくれた。全く実の父に対してひどい扱いだと思わんか? ようやく引退して妻や孫とのんびりできると思っていたのに、なお働けと息子は老馬に鞭打つ仕打ちで……」
引退したはずの義父上は今、義兄上と共に領主仕事をさせられているとちらちら義兄上を見、ウソ泣き交じりで俺に訴えたが、
「違うっ!! 父さんの書類仕事は書付けが全然なくてわからないから引き継ぐのに苦労してるんだ。ったく。次の苦労を考えろとお前からも言ってくれ」
と、義兄上は真逆の事を言う。
「だそうですよ、義父上?」
「うむ。善処しよう」
「絶対しねぇ。このクソ親父っっ!!」
「クソとは何だ! この領地で“糞”は貴重品だぞ! 糞を笑う者は糞に泣くのだぞ!!」
まあ、どちらにしても。
「アルフレート義兄上もお元気そうで何よりです。エリアス義兄上とティアナは?」
と2番目の義兄と一昨年生まれた姪の事を聞くと、
「エリアスは今、用水設計に夢中だよ。今は西側の方を整備中で夕飯に戻るとさ。ティアナは待ちくたびれてお昼寝中で、クラーラはバラの手入れ。後で会ってやってくれ」
と返ってきた。
エリアス義兄上もいつも通りだし、ティアナは生まれた時以来だから、どれだけ大きくなってるだろうか。
アルフレート義兄上の奥さんのクラーラ様も趣味のバラ作りに余念がないそう。
「今日はお前にうまい川鱒を食べさせるんだって、朝っぱらからトーマスが張り切って仕込んでるぞ」
「“川鱒のマリネ”か、去年初めて食べたけど本当に美味しかったよ」
柑橘の酸味を効かせたソースに、少しだけ火を入れた濃厚な川鱒の身を乗せ、塩漬けされた魚の卵がのっている。
卵がプチプチはじけててとてもうまい。
バケットに乗せて食べるとこれまた美味しくて、白葡萄酒がよく進む。
去年はこちらにいる間ずっとリクエストし続け、義兄上に呆れられたくらいだ。
レシピ的にはそんなに難しくはないそうだが、生で食べる分、一にも二にも新鮮さが重要。
王都では新鮮な川鱒や魚卵が手に入りにくいから食べられないだろうと、トーマスは自慢していた。
「しばらく食卓がにぎやかになって、実に良い年明けだ」
義父上は楽しそうに笑う。
この家は来客でもない限り、「貴族たるものマナーを覚えるまでは親子でも食事は別々」などという事を言わない。
食事はすべて一度に供して、家族全員揃って食べるのが決まり。
だから各自の皿に取り分けるのだが……。
隣に座っているティアナは取り分けられた皿を暗い顔でじっと見つめてもじもじしたかと思ったら、フォークを使って器用にピーマンの小さな切れ端だけを「おにいしゃま、これあげるー」と俺の皿に移した。
「ティアナはピーマン嫌い?」
懐かしいな。俺もピーマンは苦手だったよ。
母上が厳しくて残したら叱られたけど。
「きらーい。にがいもん」
ティアナは口をとがらせて、緑色の繊維でさえ目ざとく見つけて移す。
「そうか。じゃあにんじんは?」
ぱあっと明かりがつくみたいに「あまいのすきー」とにっこり笑う。
ついつい「なら、兄様と交換だ」と自分の皿からにんじんをいくつか分けてやったら。
「ありがとー。おにいしゃま」と砂糖菓子みたいな一言をくれた。
可愛いなぁ。こんなの断れる訳ないよ。
これを見ていた二人の義兄は、
「弟よ、これあげるー」
「エードルフよ、これあげるー」
とティアナの口真似をしつつ俺の川鱒のマリネを増やし、俺の好きな豚肉とトマトは回収された。
「俺の肉!」と言う間もなく、それを見ていた義父上までもが「そうかそうか。私の川鱒もあげよう!」と、俺の皿に移した。
「ティアもおにいしゃまにあげるのー」
皿に少しだけ残っていた余白さえ、ティアナが一つくれたおかげで完全に川鱒に占拠された。
「わ、わぁ。うれしぃなぁ! ありがとうティアナ」
とまぁ、こんな具合で帰省の初日は山ほどの川鱒のマリネを食べ、他は食べることができなかった。
いや、川鱒も好きだけど。豚もトマトも好きなんだよ。
川魚、生はダメ絶対!!
ここの世界は魔術処理して生で食べられる川鱒なんです、きっと。




