プルファの夜の舞踏会(エードルフ)その1
気が付けば、俺は真っ暗闇にただ一人。ぽつんと放り出されていた。
(ここはどこだ? 俺は何をしているんだ?)
ぐるりと首をめぐらせぱ、明るい一画と人の姿があり、俺は駆け寄った。
そこは見慣れた王宮の客間だった。
女は仕立ても素材もよさそうな白いドレスを身につけてはいたが、黒くて長い髪はすっかり艶を無くしており、茶色い瞳は視線が定まっておらず、ぺたりと座り込んだまま思いつめた様子で空中を見つめていた。
この女性は誰だったか。何となくどこかで見た記憶はあるのたが、思い出せない。
声をかけようとしたら、女は隠し持っていた食事用のナイフで胸を突くと崩れ落ち、傷からの血で、衣服も絨毯も赤黒く染めたが表情は満足そうに微笑んでいた。
馬鹿な女性だ。こんな小さなナイフでは死ねないのにと思いつつ、手当てしようとナイフを掴んだが、手は空を切った。
(掴めない。どうして?)
何が起こっているのかさっぱりわからないまま、突っ立っていたら近侍の男が現れた。
「聖女様。またこのような騒ぎを起こして。怪我などすぐに治せますと、何度申したら聞き分けて頂けるのですか?」
聖女? 現聖女様は何度かお会いしているがこんな顔ではなかった。
となると過去の聖女様で、これは夢って事だろうか。
男は痛ましい表情で、持っていた魔力水を傷に一振りかけ、跡形もなく傷が消えると少し安堵したように見えた。
「どこかほかにお怪我は……」
遠慮がちに身体を心配する男の手を振り払い、女は絶望に打ちひしがれた顔で訴えた。
「お願いだから死なせて!」
「できません。貴女がいなければこの国は魔物達がはびこり、たくさんの人々が死ぬ世に逆戻りです。どうか私達の為に生きてくださいませんか?」
既に涙も枯れ果ててしまったのだろう。
聖女様は涙も溜めず、虚ろな目をしてぽつりと言った。
「私、帰りたい。帰りたいの……」
その言葉は俺の胸をえぐった。
彼女達のような救国の聖女は、何の前触れもなく故郷から突然遠く離され、この国に現れる。
いずれ彼女も誰かと縁付かされて子を成し、この国で一生を終え、また別の女性が現れる。
望むなら帰してやりたい。望まぬ生き方を強いられて生きるだけなんてあまりに辛すぎる。
だが帰せない。あの男の言う通り、帰してしまえば魔力はあっという間に溢れて、人々は魔物に襲われる日々。
たった一人の命と複数の命なら、複数を選択せざるを得ない。
この国はすっとそうして命を繋いできた。これからも変わらない。
そしてこの俺は、そんな一族の末裔なのだと。
見ていられなくて、とうとう視線を逸らした。
「……また、参ります」
男によってドアが閉められるとあたりは暗くなり、自分は今度こそ真っ暗な中に取り残された。
※ ※ ※
柔らかい人肌の感触で奇妙な夢から覚めれば、エルフリーデとひどい現実が待っていた。
どう好意的に見ても半裸の俺がエルフリーデを組み敷いてる構図。
「うぎゃああああっっ!!!!」
なんとも情けない声を上げて、エルフリーデから飛びのいた。
致してない。お、、、俺は断じて致してないぞ!!
誰かそう言ってくれ!!!!
「まぁ殿下。気が付かれてしまいましたか?」
そう言ってエルフリーデはゆっくりと起き上がって、ドレスの肩口を整える。
「そ、そ、そなっ……そ、其方。あの葡萄酒に何か……」
衝撃でつっかえながら何とか言い切ると、エルフリーデは、「催淫薬と心を操る術式ですわ」と悪びれもせず言った。
「さ……心を操るって……禁術ではないか!!」
あの葡萄酒に薬を仕込み、グラスを包んでいたナプキンに術式を書き込んで、俺に手渡しだそうだ。
どうしてそんな術を魔術をそれほど知らないエルフリーデが使える?
あれは結構複雑な術式な上に、一般に流通している術式ではない。
「術式はある方に依頼しました。でも私の魔力量程度では殿下に及びませんでしたね」
そうか。誰かに頼んで術式を書いてもらって、それに魔力を流したという訳か。
でも複雑な術式だから、想定より多くの魔力が必要で俺の魔力の方が上回ってたから術が解けたらしい。
「どうしてこのような事を……」
禁術の使用は大罪。
罪人や容疑者の自白に官吏が使うならともかく、こんな風に使えば使用者は罪に問われ、大抵死罪だ。
「殿下は私を愛しているからですわ。そうでしょう、殿下」
エルフリーデは腰掛けていた寝台から立ち上がり、離れた俺に近づこうと一歩を踏み出す。
「違う!! 私があこがれて愛したのは、其方の両親のようにお互いが支えあい、思いあう。そういう両親を大切にする其方だった。だが其方は両親と違う。恋人を別に持つ其方とは知らなかった!!」
エルフリーデは悪気なく、
「まぁ、殿下。そんなことを気になさっていたの? 愛する人が複数持てるなんてとても幸せな事ですのに」
と平然と言った。
そんなこと、か。以前のエルフリーデなら決して言わなかったのに。
どこまで行っても俺達の意見はかみ合わない。これ以上話しても無駄か。
外の控えの間からは、俺の声を聞きつけた侍女によって呼ばれたルドヴィルの声がする。
「殿下! どうなさいましたか? 開けますよ!!」
返答も聞かずルドヴィルは俺の私室に押し入ってきた。




