エードルフ、婚約破棄する
魔術専科卒業の晩餐会が開かれる、その卒業生控えの間――。
着飾った大勢の卒業生や関係者が俺のピリついた様子でざわめいたが、無視してツカツカと婚約者の元に足を向ける。
俺はずっと言いたかった事を口にした。
「エルフリーデ・リーフェンシュタール嬢、貴女との婚約は破棄する」
立場? 悪評? はっ!! 何だっていうんだ!!
それくらい俺は怒っていた。
「まぁぁ。突然いかがなされましたの? エードルフ様。私との婚約破棄なんて……」
俺の怒りと突然の申し出に動揺もせず、よく教育された貴族の娘、エルフリーデは目をぱちくりとさせ、可愛らしく小首を傾げて見せる。
きっと俺が何にも知らないとでも思ってるんだろうな。もうだまされないよ。
「わからないふりなどなされなくとも良い。貴女も本当に好いた男と婚姻なさるが良かろう。その方が互いのためだ」
「好いた男とは、随分他人行儀ですこと。私、こんなにエードルフ様をお慕いしておりますのに」
さらりと嘘をつき、頬を染めて見せ、当然のように二の腕に自分の腕を絡めようとしてきたので、つい払い除けた。
エルフリーデは俺の事などこれっぽっちも好きじゃない癖にこんな事ができる。ゾッと寒気がした。
エルフリーデは払い除けられ、行き場のなくなった腕を引っ込めて、
「理由は教えて下さらないの?」
と悲しげな姿でしおらしい事を言う。
ダメだ。エルフリーデの何もかもが鼻について気に食わない。
俺は苛立ちを心の箱にぎゅうぎゅう詰めし、少しも漏れ出ないように蓋をした。
気を抜かないようにしないと、表情から口から感情が溢れ出てしまいそうだ。
「理由は貴女の方がお分かりでしょう。明日はちょうど青の3の月、その前に話せて良かった。契約はこちらで解除しておく。では、良い夜を」
そう無表情で言い捨て、形だけは完璧な礼をとって彼女に背を向けた。
背後からエルフリーデが「エードルフ様は私の愛をお疑いになるのですか?!」と喚き散らしてるけど、知るもんか!
周囲にいた者たちも何事かと俺とエルフリーデを交互に見ているようだが、振り返るのも面倒で俺はそのまま立ち去った。
ちゃんと途中で控えの間にいるであろう、エルフリーデの付き添いを呼びにやらせたから十分だ。
――あああ。すっごいむかつく!
やり場のない怒りを踵を叩きつけると、カツコツとブーツのヒール音と一緒に一歩下がって近づく人の気配がした。
「……殿下」
大股で歩く俺に遅れず歩調を合わせ、ルドヴィルが静かに声をかけてきた。
「何?」
イライラが収まらない俺は、不機嫌に返事をする。
「お怒りはわかりますが、もう少し抑えて下さい。これから陛下とお話しなさるのでしょう?」
呆れ半分、忍び笑い半分でルドヴィルは俺を咎める。
まだ抑えろって言うのか!? もう十分抑えたぞ!!
手を上げなかっただけ上出来だと褒めてほしいくらいに。
「ルドヴィルは口うるさい」
ぷいっと顔を背け、歩く速さを少し緩めた。
おかげで俺との距離は半歩にも満たない近さになった。
「突然の婚約破棄で陛下の説得、お手伝いしませんよ?」
それはとても困る。
俺はピタリと足を止めて、ルドヴィルを振り返って大声で叫んでいた。
「だって!! エリィはあんなひどい事言ってても許されるとかないだろ?!」
と言うと、ぷちんと我慢の紐が切れ、堰を切ったかのように不満が止まらなくなった。
「俺の事、『顔と身分しか取り柄がないけど、契約すれば若返りもついてくるし、お飾りの夫には最高よ』って!」
俺は唇を噛みしめ、力任せに石造りの壁をぶん殴り、こぶしを少し擦りむいた。
気づけなかったのが悔しい。知らなかったのが情けない。
一番キツいのは、笑顔で俺に嘘をつき、平然と裏切ってたなんて……。
信じてたからとても恐ろしく、何より悲しい。
泣きたいのはこっちの方なのに。
がっくりと肩を落とし、うじうじと凹んで壁と会話する俺にルドヴィルは完全な呆れ顔になった。
「その通りではないですか。正当な王家の血筋の象徴たる青い髪と目。可憐でお美しかった母君リーゼマリー様の生き写しといわれる容姿。なのに王族を全く鼻にかけない気取らない性格で、平民の間では“お優しくて美しい、青の殿下”と評判なのですから」
男に“美しい”はどうかと思うぞ。言われるなら“かっこいい”と言われたい。
それに母上のような女性で細身の身体ならともかく、男が細くてひょろひょろな身体はみっともないだけで、俺は好きじゃない。
優しいのは下手な事をして俺のせいで父上や兄上達を悪く言われるのが困るからだ。
どれもこれも自分のためじゃない。
「ですが続けて3人目とは。殿下は存外、女運がお悪い」
「女運じゃない、これは誠実さの問題だ!!」
俺は鼻息も荒く言い返した。
「大体、俺が欲しいのは愛情だ!! それさえケチるとかないだろ!!」
そうさ。俺が欲しいのは愛情に満ちた家族だ。
俺の母上は側室、いわゆる愛妾だ。正妃ではない。
式典や公式行事は必ず末席、人目のあるところでは必ず一歩下がり、決して陛下の隣には立とうとしなかった。
唯一家族として対等に会える離宮で、時折しかこない父上を待つ母上はとても寂しそうに見えた。
だから俺の妻は一人だけ、愛し愛され温かい家庭が良いと心底思っていた、のに……。
「政略結婚なんてどの貴族もそんなものですよ。愛情など後からついてくればもうけものです」
筆頭貴族の四男は、それが当然だと夢も希望もないことを平然と言い、意にも介さない。
14歳でそれって達観しすぎだろ。俺はお前の将来が心配だ。
「俺だって政略結婚に最初から愛情は求めてないけど、最初から愛情を外注するのは約束違反だ」
貴族や豊かな商家で側室や愛人を持たない者はまれ、むしろ家の為に妥協して婚姻し子を成して、お互いの本命は別、という者も多い。
互いの婚姻の石と契約さえしなければ、子はできないから。
側室である母の寂しさを見て育った俺には、きっと一生理解できない感情だ。
俺も生涯側室を持たない、だから妻も俺以外を見てほしくない。そう見合いの条件にしていたのにエルフリーデは恋人がいた。
あの女、自分の護衛騎士に本命がいて、二股かけたまま俺と結婚する気だった。
全く女ってのはどいつもこいつも俺の外側しか見ず、中身をこれっぽっちも理解しようとしない。
見てるのは俺の後ろにいる父上や次期国王の兄上や他の兄弟、いずれ使う若返りの恩恵だけ。
女たちの評価はこの先もずっと変わらない。俺の価値は他よりちょっといいおまけのついたアクセサリー。
もういいよ。よーく分かった。
お前達が欲しいものは、全部ここで捨ててやる!!
「……決めた」
「何をです?」
「俺は騎士になる。もう一生一人でいい!」
突然の宣言にルドヴィルは足を止めて、
「はい? 来週から王宮へ出仕なさるのですよ? それに騎士専科の出願はもう締め切られました」
と間抜けな事を言う。
「何のための王立学院だよ。一人くらい何とかできるだろ?」
その名の通り、王立学院の学院長は国王たる父上、実際の運営には王太子であるレオンハルト兄上がかかわっている。
息子で弟の俺が頼みこめば何とかなるだろう。
王宮だって新人魔術師ひとりいなくても、誰も困らない。
「全く……。そういう強引なところは陛下に似ておいでなのですがねぇ」
ルドヴィルはため息を一つつき、懐から紙を取り出して何かを書きつけ、どこかに伝言鳥を送ると、トラウザーズの隠しから魔力水の入った瓶を出して俺に渡しながら言った。
「承知致しました。まずはその傷を治してから、陛下の説得に参りましょう。お覚悟はよろしいですか?」
この2年で使い慣れた魔力をどばっと瓶越しに込めて、擦りむいた手に少しかけた。
傷はあっという間にきれいに消える。
「どっからでもかかってこい! 全部ぶっ倒して絶対に騎士専科へ進学してやる!!」
第一の敵で最大難関は父上と兄上。試験よりこっちの説得の方が余程重要だ。
父上、いっそとてもお怒りになって「こんな奴はもう息子などではない!」とか言って、俺を廃嫡にでもしてくれればいいな、と淡い期待もこっそり抱く。
――絶対騎士になってこんな不毛な悩みとはおさらばして、一人自由に気ままに生きてやる。
俺は固く決意をして、両頬に気合の一発を入れるとルドヴィルと共に晩餐会の会場に足を向けた。