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終止符を君の手で  作者: 砂川恭子
馬車は正義へ
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加筆しました(2022/4/4)


 陛下へのお目見えは演奏会の日に叶うこととなった。連日の雨がようやくやみ、青空が気持ちよく澄み渡っている。夏の強い陽光を受けて木々や花が輝くようだった。


 支度を整え、公爵と二人で屋敷を出る。夕刻になるが王都の夏は日が長く、まだ外は明るかった。陛下との話し合いを控えた私は気もそぞろで、考え込んでいるうちに馬車はすぐに宮殿に到着した。


 ホールには華やかな正装に身を包んだ紳士淑女が集まっていた。茶会よりもこぢんまりとした規模で、今日は護衛も従者も連れていない。高位貴族をはじめ芸術家の支援に熱心なごく少数の豪商や教会関係者が招かれているらしい。等間隔で並べられた椅子に腰かけると、少しして演奏会が幕を開けた。


 期待のこもった拍手を受けて、次々と演奏家が壇上に上がり優雅な音楽を奏で始める。曲の合間には後援者が奏者や曲目ついて紹介している。王都ではさすがに進んでいるようで、見たことのない楽器もあった。


 しかし私の頭の中は、再び目覚めた能力のようなものを、陛下にどう打ち明けるかでいっぱいで、素晴らしいはずの音の調べを楽しんでいる余裕はなかった。


(どうやら動物を使役できるようなんです。『三人のはたらきもの』の三男みたいな力があって……。駄目だわ、きっと正気を疑われてしまう)


 陛下への言い分を脳内で試行錯誤するも、浮かんでくるのは子供騙しのような文句ばかりで、青い瞳に冷たく見つめられるのが簡単に予想出来て肩を落とした。


「続いて曲を披露しますのは、謎に満ちた期待の新星――」

 奏者の紹介が急に砕けた感じになっていることに気付いて、ふと視線を正面へ向けた。会も半ばを過ぎたところで、演劇的な台詞や歌を取り入れたものや、情緒豊かで旋律の分かりやすい前衛的なものになっているようだった。


 紹介を受けて、白い仮面をつけた男性が登場すると、聴衆の一部から熱狂的な拍手が巻き起こった。すでに支持者がついているらしい。額から鼻までを仮面で覆ったその男性は華美な装飾の施された椅子に腰かけ、チェンバロを弾き始めた。


「数年前から覆面のまま、街の食堂で演奏をはじめて徐々に人気を集めたそうだ」

 奏者の姿を食い入るように見つめる私に、興味を持ったと思ったのか公爵がそっと耳打ちしてくれたが、ろくに返事を返せなかった。


 長い指が鍵盤の上を器用に動き回り、繊細で軽やかな音色が空気を震わせる。顔は見えないものの、その聞き覚えのある音色と、撫でつけられた髪色をみて確信した。


(ど、どうしてここに……)

 動揺を悟られないように澄ましながらも頭の中は大混乱だった。あれこれと考えを巡らせているうちに、図書館の化粧室で出くわした姉の伝言をようやく思い出した。


 ――『演奏会で抜け出してガゼボに来て』。

 狩猟でのドタバタがあってすっかり忘れていたが、要領を得ないあの伝言には、間違いなくこの白い仮面の演奏家が関わっているだろう。しかし、監視の中をどうやって抜け出すか……。


 考え込んでいるうちに演奏が終わり、休憩に入った。公爵に連れられるがまま広間へ向かうと、お酒や軽食が用意されていた。聴衆が熱心に感想を交わしていて、人数は少ないものの熱気があった。


 給仕に勧められてグラスを手にするとすぐに、公爵の友人らしき二人の男性が声をかけてきた。茶会でも卓を囲んだ中にもいたこの二人は随分気さくな様子で、どうやら軍部にゆかりのある方らしい。立派な体躯に内心しり込みしつつも、慣れた笑顔を顔に貼り付けた。


 ぽんぽんと小気味よく会話が交わされていく。抜けるなら今だろう。意を決して会話が落ち着いたところで口を開いた。

「ごめんなさい、ちょっと熱気にあてられたようで……失礼して化粧室に」

「大丈夫か? それなら私が案内しよう」


 公爵の申し出に友人が目を丸くして口々に言う。

「おいおい過保護だな、あのオリバーがなんて変わりようだ」

「そうだな、急に結婚すると聞いた時は驚いたが。リンジー嬢、旦那は君に夢中のようだ」


「急に付き合いも悪くなったしな。独身者の相手はしてられないってか?」

「おい、やめろ。それにまだ婚姻は結んでいない」

 にやにやと冷やかすような友人に、やや乱暴な口調で公爵が釘を刺した。


「私は大丈夫ですから、お友達といてください」

 言葉の応酬がまた始まる前にそう言って公爵の腕から手を引き抜いた。私の言葉を聞いた友人が、捕まえたとばかりに公爵の肩に手を回す。これ以上引き留めるのはかえって不自然と思ったのか、公爵は渋々折れてくれた。


 広間を出る間際に、そっと公爵の様子をうかがうと、お酒が回ったのかご友人はやけに陽気に絡んでいる。対する公爵も、先程は乱暴な物言いだったが、やはり仲はいいようで呆れながらも笑顔で話しているようだ。


 あの様子ならすぐには追ってこれないだろう。近くを歩いていた給仕に体調を崩したから少し休めないかと尋ねると、すぐに別室へ案内された。その旨を公爵に伝えてもらうように頼み、給仕の姿を見送ってから、私は部屋を後にした。


 歩きながら、先ほどの公爵のご友人の会話を反芻する。『旦那は君に夢中』なんて、そんな関係とは程遠いと知ったらどんな顔をするだろう。


 やるせなさと偽りを重ねることへの罪悪感を抱えながら、人目を避けるように敷地内を歩いていく。無茶をしないでほしいという公爵の言葉がちらついた。


 庭園へ抜け出すと、外は薄闇に包まれ始めていた。周囲の気配に神経を尖らせながら足音を立てないように庭を行く。

(確かお姉さまはベンチから噴水の方へ下りる途中にあるって言ってたはず……)


 姉の言葉を思い出しながら周囲を見渡しながら道を行くと、ベンチを少し離れたところで、生垣に覆われるようにして白い屋根が見えた。


 ドレスをひっかけないようにしながら細い道を行くと、白亜の休憩所に行き着いた。幾分侘しい雰囲気のカゼボは手入れが行き届いていないようで、柱も円卓もくすんでしまっている。せっかくの庭園も見渡せない位置にあるし、あまり使われていないのかもしれない。


 円卓の中央には使いかけの蝋燭がぽつんと置かれていて、心細さに私は蝋燭に明かりを灯して円卓を囲む椅子の一つに浅く腰掛けた。自分が来た方向を息をひそめて見つめていると、仮面の男性が現れた。


 私の方へ歩みを進めたその男性が仮面をそっと外すと、榛色の瞳が蝋燭の光を受けてきらめいた。

「アーサーお兄様……」


「久しぶりだね、リンジー。少しやつれたかな」

 笑顔を浮かべながらも少し心配そうに呟いた兄が、蝋燭の火を吹き消した。細く白い煙がたなびいて、ほんの少し焦げくさい香りが夏の風にさらわれていった。


「どうしてここに? それに楽器はもうやめたと――」

「答えてあげたいけどひとまず後だ、リンジー」

 隣に腰掛けた兄が真剣な様子で言葉を紡ぐ。


「宮殿へ上がったあの日、何があった?」

「、言えないわ!」

 急に核心をつかれて動転した私は弾かれるようにそう答えていた。


「それじゃあ何かあったって言ってるようなものだよ」

 その様子を見た兄がくつくつと笑う。悔しさ半分、巻き込みたくない気持ち半分で席を立った。


「とにかく、そういうお話ならできません。もう行かなくちゃ、演奏とても素敵だったわ」

 宮殿へ引き返そうとすると、それを阻むようにお兄様が立ちはだかった。


「リンジー……」

 肩に手を置いて優しく名前を呼ぶ兄が私の顔を正面から覗き込んだ。視線を合わせないようにそっぽを向いたが兄は気にも留めず言葉を続ける。


「何を見た? それとも何か聞いた?――例えば、誰かを殺す計画とか」

「ど、うしてそれを」

 驚愕して思わず本音が漏れる。私の言葉を聞いた兄がやっぱりかと呟いた。


 このままじゃまずい。振り払おうとするも、肩の手に痛いくらいの力が込められた。弾がかすめた左肩に痛みが走って思わずうめき声をあげそうになった。顔を歪めた私が隠し事をしていると思ったのか、畳み掛けるようにアーサーが問いを続ける。


「暗殺計画か。相手はナイジェル様? 教皇? ……その様子だと皇弟殿下か」

「っ――」


「そこまでにしてもらおう、アーサー・ダールトン」

 兄の言葉を否定するより早く、その背後から固い声が響いた。最悪なタイミングでの第三者の登場に、恐怖が体を駆け抜けた。


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