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終止符を君の手で  作者: 砂川恭子
追憶の塔
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2


 襲撃から遠ざかるために、森の中を全速力で走る。足元の茂みや木の枝が顔や足首の辺りに引っかかってひりひりと痛んだが、それどころではなかった。木の根に足を取られそうになりながら、傾斜のきつくなっていく道を駆け上がった。


 手を引いてくれるアレキサンダー皇太子を必死で追いかけるうちに、右手側からも馬の蹄の音が近づいてきて、再びつんざくような破裂音がする。銃弾がすぐ左手の木に当たったのか、木の皮がめくれて細かい木の屑がぱらぱらと降りかかった。


「くそっ、こっちだ」

 皇太子が近づいてくる馬を避けるように左に曲がった。道はさらに細く、獣道のようになっていく。


 道なき道を行くと、不意に開けた場所に出た。芝生が広がっていてその先にはもう道がない。どうやら切り立った崖に出てしまったようだ。


「しまった、誘導か! 引き返そう」

 皇太子が踵を返すも、林の中から勢いよく男を乗せた馬が飛び出してきた。猟銃を背負った男が、興奮した様子の馬から下りて、にやにやと笑いながらこちらに近づいてくる。


 私をかばうように前へ踏み出した殿下が落ち着きを取り戻して問いかける。

「私が誰か、分かったうえでの狼藉か」

 威厳に満ちた様子に男が一瞬ひるむも、林の中から新たに男が二人飛び出しきた。


「えぇもちろん、アレキサンダー皇太子殿下さま」

 仲間の姿を見て、下卑た笑いを浮かべた男が猟銃に玉を詰めながら、一歩一歩こちらに近づき、私と皇太子がじわじわと後退する。


「あなたには死んでもらわなくてはならなくてね」

「誰の指図だ」

「明かすわけないでしょう」

 へらへらと笑った男が、緊張で乾いたのか、ぺろりと唇を舐めた。


「殿下、もうこれ以上は……」

 ついに限界のところまで来てしまった。皇太子を呼んだ自分の声が弱弱しく響いた。そっと足元を見下ろすと、下の方には草原が広がっていた。


 高さは公爵家の二階の自室と同じくらいだろうか。飛び降りるのも不可能ではないかもしれないが、急な斜面には山肌が覗いている。無傷ではすまなさそうだ。それに無事に着地できたところで、猟銃で狙われるだろう。


「狙いは私だろう、彼女を解放しろ」

「そんなっ!」

 叫ぶように言うと、安心させるようにつないだ手に力が込められた。


「お優しいことだ。安心してください、殿下の後にすぐお嬢さんも天国へ送ってあげますよ」

 男はもう押し問答を続ける気もないようだ。銃口をゆっくりとこちらに向ける。


 真っ黒な銃口からかばうように、皇太子が私を真後ろに追いやった。もう後ろには地面がない。どうしようもなく不安で目の前の背中に手を当てると、激しい鼓動の動きが感じられた。


 堂々としている様子につい頼ってしまったが、彼も怖いのだ。そんな当たり前のことに気付かされ、恐怖でいっぱいだった頭が少し冷静になった。一体誰が彼の殺害を企てているのか――。政治的なことは全く分からなかったが、このままでは二人とも殺され、両国の関係も悪化してしまう。


「殿下、飛び降りてください」

「リンジーなにを、」

 そっと囁いて皇太子を押しのけるようにして前に出た。考えている暇はなかった。皇太子は文武両道と聞くし、彼一人なら飛び降りても助かる見込みがあるだろう。今は何としても時間を稼ぐしかない。


「どけ、女!」

 もう取り繕う余裕もないらしい男が鋭く言った。恐怖で震えそうになる声を必死に抑えて語り掛けた。


「私をそんじょそこらのお嬢さんと一緒にしないで頂戴」

 男たちの身なりや馬は立派だが、話している言葉尻や抑揚は貴族のそれではない。そこになにか糸口があるかもしれない。


「ガーフィールド家当主の婚約者よ」

「それがどうした」

 話している間に早く逃げてほしいのに皇太子は飛び降りないどころか、なおも私をかばおうとしている。


 前へ出ようとする皇太子を必死に抑えながら返答する。

「王国随一のお金持ちよ、見逃してくれればいくらだって出すわ」

「そういうことか。無駄だぜ嬢ちゃん」


「そう……王国と帝国を敵に回すのよ、それに見合うだけもらってるの?」

 国の話か報酬の話が彼らの関心を引いたのか、男が振り返るようにして後ろの二人と顔を見合わせる。


 どうにかして彼を守らなくては――。考えているうちにふと男が乗ってきた馬が目に留まって、急に心が凪いた。周りの動きや音がつぶさに感じられる。


「自分だけ逃げようったってそうはいかねぇよ、せいぜい祈りな、嬢ちゃん」

 こちらに向き直って銃口を向ける男の言葉に従ったように見せ、私は目を閉じた。


 どうすればいいかが不思議なくらいに分かっていた。意識を集中させると、周囲の動物の存在を感じた。『男たちを、蹴散らして』――そう心の中で念じるとかっと体が熱くなる。


「おいっ、どうした! 落ち着け」

 急な物音と、焦ったような男たちの声に目を開けると、大人しくしていた馬が急に暴れ出していた。後ろ足で立ち上がり、いななきながら後ろに控えていた男を蹴飛ばす。蹴られた男はうめき声をあげて倒れ、もう一人が尻もちをつく。


 目の前の男がぎょっとするのも束の間、今度は急に空から鳥の群れが男たちに襲い掛かった。男は咄嗟に猟銃で顔をかばいながら後ずさっていく。そうこうするうちに木々の間から、犬や猪、鹿がなだれ込むように飛び出してきた。


 動物たちが男たちを蹂躙している様を見ていると、甲高い笛の音が辺りに響いた。はっと我に返った皇太子が応答するように胸元の笛を鳴らす。


「よかった、助けが近い。リンジー! 大丈夫か」

 その言葉を聞いて急に体から力が抜けた。慌てた様子の皇太子に支えられながら地面にへたり込む。激しい運動をした後のように全身が疲労感を訴えていた。頭も割れるように痛む。


「ちくしょう、どけっ」

 苦し気な声に顔を上げると、地面に腹ばいになった男がのしかかる動物を押しのけて猟銃を構えたのが見えた。


「危ない!」

 咄嗟に皇太子に抱き着くようにすると、左肩の辺りが焼き付くように痛んだ。


 急な重みに耐えきれず、反動で皇太子が体勢を崩す。気付いた時にはもう、私と皇太子は崖下へ転がり落ちていた。視界が上下に反転し、強い衝撃が全身を襲った。けたたましい物音の後、辺りが急に静かになった。





「――ンジー、リンジー!」

 なんだか固い床にぼんやり横になっていると、必死に名前を呼ぶ声がして重い瞼を開けた。すぐ横の地面にアレキサンダー様が膝をついてこちらを心配そうに覗き込んでいた。


「殿下……」

 ひねり出すように言うとほっとした表情を浮かべる。


 体を起こそうとすると、左肩に激痛が走った。気付いた彼が顔を歪めて背中を支えてくれる。瞬きしながら周りを確かめると、一面は草原で、見上げた先に崖が見えた。


 体調は悪いし肩は痛むものの、落下による負傷があまりない。不思議に思って皇太子を見ると、その服はぼろぼろで、そこかしこが赤く染まっている。


「皇太子、そのお怪我……」

 ぼんやり問いかけてはたと思い当たった。彼が落下の時にかばってくれたのだろう。


「ごめんなさい、私の、せいで」

「なんてことない、君こそ僕を庇って撃たれるなんて……」

 全身傷だらけの殿下が、私の肩を見て顔を歪める。


「僕はまた君に救われたね」

 俯いて、ぽつりと言う彼の空色の瞳から涙が今にもこぼれ落ちそうだった。

「……泣かないで、アレックス……」


 私の言葉に殿下がはっとしたようにこちらを見つめる。やっとの思いで首を動かして頷く。そう、全部、ちゃんと思い出したのだ。しかしそれよりも伝えなくてはいけないことがあった。


 体の熱が徐々に上がっていくのを感じた。鼻からぬらりと液体がつたって、慌てた皇太子にハンカチをあてがわれる。視界が暗くなっていくなかで、必死に殿下の手をつかんだ。


 ぎょっとした様子の彼が何事かと視線を向ける。

「お願い、戦争を……起こさせないで……王国を、守って」


 やっとの思いで切れ切れに言うと、彼はこちらを真っ直ぐ見つめてしっかり頷いた、

「わかった。もういいから休んで」


 遠くの方から複数の蹄の音と誰かを呼ぶような人の声が聞こえてくる。その方向を見た殿下が安堵する様子をみて、私は意識を手放した。



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