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終止符を君の手で  作者: 砂川恭子
運命の輪
20/48

3

 


「これはこれは、公爵閣下。ようやく婚約者殿をお連れですな」

「あぁ、申し訳ない、デュトワ伯爵。リンジーは体調をくずしていたもので」

「初めまして、リンジー・ダールトンと申します」


 颯爽と道を行く公爵は注目を集めるようで、すぐに周囲に人だかりができた。笑みを絶やさないようにして、公爵が呼びかける名前から話し相手を特定しつつ、あいさつを交わす。


 なんとか人だかりをさばき、誘われるまま庭園を散策した。しばらく歩くと、中央に位置する噴水に行きついた。白亜の噴水からは勢いよく水が噴き出し、夏の日差しをうけて水滴がきらめいていた。


 周囲の芝生の上には清潔な真っ白い布のかかった長いテーブルが置かれ、菓子や軽食がひしめくように並んでいる。果物を漬け込んで冷やしたお酒や紅茶もあるようだ。


 少し離れたところには木製の円卓と椅子がいくつも置かれ、人々が腰かけてカップを傾けながら談笑していた。時折給仕がその間を縫うように回って紅茶を注いでいる。舞踏会の時よりも鮮やかなドレスを着ている女性が多い。日傘を携えた淑女も多く、夏の訪れを感じた。


 公爵とそのご友人と一緒に腰掛け、聞き役に徹しながら、勧められるがまま薫り高い紅茶を楽しんだ。男性陣の間で交わされる冗談に、公爵が声を上げて笑う。彼は少年のようにくしゃっと笑うのだとこのとき初めて知った。周囲のご令嬢が頬を染めて熱い視線を送っている。


 どうしてか胸の奥が痛んだが、笑顔を貼り付けるようにして、一緒に笑ってお菓子をつまんだ。きっとおいしいお菓子なのに、緊張のせいかあまり味わえなかった。


 メアリがいたらきっと色んな知識を聞かせてくれてもっとおいしく食べられるんだろう。照り付ける太陽と人いきれで、段々頭がぼんやりしてくる。首の後ろがじりじりと熱い。


「やぁ、お二人さん」

 ふいに背後から声が掛けられ、振り返って目を見開く。つややかな黒髪の美丈夫が何やらガラスの器を手に朗らかに笑っている。周囲がにわかに色めきだった。


「国王陛下! 本日はお招きいただきありがとうございます」

 席を立って敬意を表す周りに我に返って、慌てて立ち上がってあいさつする。


「はい、どういたしまして」

 どこからともなく椅子を持ってこさせた陛下は、当然のように私と公爵の間に腰を下ろした。


「堅苦しいのはいいからこれ食べて。早くしないと溶けちゃう」

 周りの動揺を気にも留めず、陛下は私の前に器を置き、もう一つの器から、中身をスプーンですくって食べ始める。


「あの……これは?」

「氷菓。帝国で食べてはまっちゃってさ、こっちでも試作させてるの」

 グラスの中身は木苺やレモンなどの果汁とシロップを凍らせて削ったものらしい。


 涼しげな透明の器には赤い丸と黄色い丸が二つ。ということは赤い方がベリー系で黄色い方はレモンだろうか。色鮮やかで香りもいい。みんなも取ってきてよ、陛下の一声で周囲の人間がぱらぱらと散っていく。その場には公爵と私、陛下が残された。


「あの、私も自分のを頂いてきますので、こちらはオリバー様が召し上がってください」

「いや、私は食べたことがあるからいい」

 気を利かせたつもりが、不要だったようで上げかけた腰を下ろす。


 陛下から再び急かされて、慌てて中身を口に運ぶ。ひんやりした甘い氷が口の中で溶けていった。心地よい冷たさが広がり、体にたまった熱が穏やかに引いていくようだった。


「おいしい?」

「えぇとっても!」

 よかったとほほ笑んだ陛下は公爵と何やら小難しい話を始める。


 聞き耳を立ててこれ以上面倒ごとに関わるのは嫌だったので、黙々と氷菓を口に運んでその味を堪能した。調子に乗って一口を大きくすると、鋭い痛みが頭に走った。


「それで、二人は全然順調じゃなさそうだね?」

 最後のひとすくいを口に運んだ瞬間、唐突に陛下に言われ、氷菓を詰まらせてせき込んだ。陛下から差し出された紅茶を慌てて飲み込む。


「そんなことは……」

 ぼろが出たんだろうか、焦って否定しようとした声が尻すぼみになっていく。

「あなたが無理に始めたことでしょう」

 不服そうな公爵がさえぎるように低い声で言った。


「まあそうだけど。もうちょっとうまくいくと思ったんだよなあ」

 のんきに呟いた陛下は、文句を言おうとした公爵を手で制して続けた。


「せっかくだし二人で散歩でもしてきたら? 氷菓はふるまい始めたのがついさっきだから、君の取り巻きもまだ戻ってこないんじゃない?」

 陛下はそう言うと、来た時のように急に席を立って行ってしまった。残された二人の間に沈黙が落ちる。


 公爵はどうなさるつもりだろうか。一瞬考えたが、私と気まずい散歩をするより友人たちと一緒にいるほうが楽しいだろうし、彼らを待つだろう。そう決めつけて紅茶に手を伸ばすと、徐に公爵が席を立った。


「行こう」

「どちらにでしょう?」

「……散歩だ」

 陛下が仰せになってただろう。苦虫を嚙み潰したような顔でそう言う公爵の腕を慌てて取る。公爵はどこまでも忠実な臣下らしい。


 ゆっくり歩き出した公爵に連れられ、噴水広場を後にする。すれ違う貴族と時折あいさつを交わしながら、舗装された道を行く。人の少ない方へ進んでいるようで、人の数が少なくなっていく。


 挨拶する必要もなくなると、笑顔を保っていた顔から力を抜いてこっそり一息つく。右側を行く彼を盗み見ると、愛想のいい笑顔は跡形もなく消え失せ、唇は真っ直ぐに引き結ばれていた。


 視線を落として歩みを進める。周囲の楽しそうな様子とは裏腹に、公爵と私との間には張り詰めたような緊張感があるような気がした。


(あれ……ここってカイルお兄様と来たところ?)

 しばらく進み、見覚えがある景色にふと周りを見渡して、舞踏会の夜に抜け出して来た場所だと気付いた。


 大分宮殿の近くまで来てしまったらしい。脇道からそれた木陰に兄と座った白いベンチがあった。たった十日ほど前のことがひどく懐かしく感じられた。


「少し腰掛けて休もう」

「え……」

 足を止めた公爵の言葉に口ごもってしまう。この雰囲気のまま並んで腰かけるのは気まずい。それに、楽しかった思い出が上書きされるようで嫌だった。


「行くぞ」

 苛立ったような公爵がいささか強引に歩みを進め、それに引っ張られるようにして慌ててついていく。しかし舗装された道が芝生に切り替わるところで、思ったよりも大きかった段差につんのめってしまった。


 高いヒールは踏ん張りが効かない。占い師のおばあさんを恨むのは何度目だろうか。前方に体が傾き、添えるだけだった手が公爵の腕から抜ける。振り返ってぎょっとした公爵の差し出した手がむなしく空を切った。


 べしゃり、間抜けな音で芝生に膝と手をついた。足元は柔らかい芝生だし、勢いもなかったのでそんなに痛みはないが、ただただ恥ずかしかった。顔が火照るようにあつい。


「だ、大丈夫か」

「えぇ、失礼しました」

「いや……」

 硬直する公爵の足元を見ながらのろのろ起き上がる。たまたま人の流れが途切れていて公爵以外に誰もいないことだけが救いだった。


 ドレスについた草をはたいてから、顔に手を当てて、冷たい指先で頬を冷やす。少し落ち着いたところで手をおろすと、こちらを見下ろした公爵が口を開いた。


「顔に汚れが」

「えっ」

「転んだ拍子に手が汚れていたんだろう」

 手のひらを見ると、少し砂が付いていた。この汚れが頬についているらしい。


 何か拭けるものを探して慌てふためく私をよそに、公爵が胸元から真っ白なハンカチを取り出しだして言う。


「じっとして」

「でも……」

「それくらいさせてくれ」

 きれいなハンカチが汚れてしまう。そう断ろうとしたが、懇願するような公爵の口調に何も言えなくなった。


 公爵がそっと私のあごを持ち上げる。てっきり貸してくれるのだと思ったが、直々に汚れを拭こうとしているらしい。予想外の展開に焦ったが、端正な顔が間近に迫って思わず息を止めた。


 壊れ物を扱うかのような慎重な手つきで、はじめに左、次に右の頬が柔らかい布でそっと擦られる。

「これでとれた」

「……あ、ありがとうございます」

 これまでにない距離の近さに緊張し、やっとの思いでお礼の言葉をささやいた。


 しかし拭き終わったはずの手はなぜかそのままだ。不思議に思って行き場のなかった視線をあげると公爵の黒い瞳が私を捉えた。熱を秘めたようにきらめく瞳にはっと息をのんだ。


「オリバー様、」

 離してくださいますか、そう続けたいのに金縛りにあったかのように口が動かない。絡み合う視線もそのまま、彼の手が触れている場所がじわじわと熱を帯びていくようだった。


「リンジー……」

 かすれた声が名前を呼ぶ。どくりと鼓動が高鳴るのは緊張か、恐怖か、それとも――



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