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終止符を君の手で  作者: 砂川恭子
ぎごちない恋人たち
16/48

3

 


 気が付くと私は自室の長椅子で横になっていた。


「リンジー様、よかった。お体の具合はいかがですか?」

 ほっとした顔で執事が声を掛けてくる。起き上がってそれとなく距離をとって返事する。


「大丈夫、なんともありま……ないわ」

 公爵もマーティンの隣にいることに気付いて慌てて言い直す。窓の外の様子はそんなに変りないから、どうやらそんなに経っていないようだ。


「それはようございました」

「ごめんなさい……あの、私、」

 今の状況は一体どうなっているのか。尋ねようとすると、察したらしいマーティンが優しく言う。


「ダンスの途中で倒れられたんですよ。幸い……といっていいか分かりませんが、オリバー様がすぐ近くにいたので体はどこもぶつけていないはずです。横になられてから五分ほどでお目覚めになられました」


 主人にそんな言い方をしてしまっていいんだろうか。心配になって公爵の方を見やると、少し顔色が悪いようだが気にしてはいないようだ。視線がばちりとあって慌ててそらす。先ほどの剣幕を思い出して体が少し震えた。


 ばつが悪そうな公爵が発した次の言葉にざっと血の気が引いた。

「どこか具合が悪いのかもしれない……医者が必要なんじゃ」

「っおやめください! 私は大丈夫です」

 医者という言葉に動転して、彼の言葉を遮ってしまう。


 この国で女性は医師になれない。必然的に男性に限られる。あんな夢をみたあとに医師に診断されるのはなんとしても避けたかった。


「しかし……」

 公爵はなおも言い募る。このままだと医師を呼ばれてしまうかもしれない。公爵への恐れに医師へのトラウマが相まって、涙まで出てきた。情けなく嗚咽をもらしながら頼み込んだ。


「お願いですから、呼ばないで! なんともないんです。……もうわがままも言わないし、勉強だって、もっとちゃんとやります、だからっ」


 涙が止まらなくなって、みっともなく泣きじゃくってしまう。あまりの取り乱しように二人がぎょっとしても止められなかった。


「分かりました。呼びません」

 ややあって、誓うようにマーティンが力強く言った。公爵をみると、戸惑った様子だが頷いてくれた。


 ほっとすると一気に体の力が抜けた。涙は止まらないままで、肩が上下する。心配そうな公爵が伸ばした手が、あの先生のふりをした男の手に重なって見えた。


「いやっ」


 思わず口から漏れた悲鳴に、その手が止まって、力なく落ちた。謝るべきなのに、上手く言葉は出てこなくてただ情けなくしゃくりあげる声が響いた。


「……しばらくお一人にしてさしあげましょう」


 マーティンの言葉がありがたかった。一人になった部屋で、そのままだらしなく長椅子で丸まって一夜を明かした。




◇◇◇◇◇◇◇◇




 翌日から、以前より必死になって勉強に取り組んだ。一人で自室にいるときも、付き合いのある貴族を一覧にした名簿を手にぶつぶつと読み返した。外国語もマーティンに頼んで初級の教科書をわざわざ取り寄せてもらって自習した。


 恐怖心を押し殺すようにすればダンスでもぼろを出さなくなった。機械的ではあるものの、なんとかそれなりの形になってきたと思う。


 公爵は私が気絶して以来、ぐっと口数が減って怒らなくなった。しかし勉強や踊る時以外は、一切の接触はおろか、会話もなくなった。


 時折、なにか言いたげに公爵は口を開くが、怯える私を一瞥すると諦めたように口を閉ざすのだった。本当は私からなにか話しかけるべきなんだろうが、一度植え付けられた恐怖は根深く、何もできずにいた。


 与えられる課題をこなせるようになってくるにつれ、食欲がなくなり、寝つきも悪くなってきた。食べる量が変わって体調不良を疑われるのが怖くて、無理やり詰め込むようにして食べた。


 一人で勉強することもなくなると、窓辺に立ってぼうっと窓を開けて外を見て過ごした。気付くと朝晩冷えることもなくなってきた。日に日に緑の色が濃くなっていく。



 家族はみんなどうしてるだろう。宮殿のみんなも働き始めてるはずだ。急にいなくなってどう思ってるかな。メアリもどこかのお家で元気にしてるんだろうか――夏の風を感じながら、取り留めないことを考えて外を眺めるくらいしか余暇にすることがなかった。



 なのに――気づいたら立派な窓は外側から施錠されてしまい、内側からは開けられなくなってしまった。悲しいはずなのに、もう涙も出なかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇




 三日後に茶会を控えたその日の晩、夕食後に扉が叩かれた。めずらしいことだ。たたずまいを正して返事をする。


「夜分に申し訳ありません、リンジー様」

 入ってきたのはマーティンだった。

「いいのよ。どうしたの?」

 夫人の口調も一応板についてきた……と思う。


 マーティンが声を落として言う。

「リンジー様に来客がいらしてます。カイル・ダールトン様……お兄様ですね」

 予想外の言葉に驚愕して声をあげそうになって慌てて口を押えた。


「大層心配しておいででした。今応接間にお通ししています」

 気持ちが一気に舞い上がったが、公爵の顔がちらついて現実に引き戻された。


「でも……きっと公爵がお許しにならないわ」

「坊ちゃんはまだ帰っておりません」


 まあ、と目を丸くしてマーティンを見つめる。主人の許可も取らずに客人を招き入れたことにも、初めて聞いた坊ちゃん呼びにも驚かされた。


「このマーティンが同席してもよろしければ、今からお連れ致します」

「……でも」


 行きたい、絶対に行きたい。しかし、もしもばれてしまったらただでは済まない。マーティンにも迷惑がかかる。返事を返せないでいる私に彼が諭すように言った。


「見つかってしまったら、爺やと一緒に怒られましょう」

「……そうするわ」


 お孫さんにもそう言ってるんだろうか。悪戯っぽい笑顔につられて、思い切って頷いた。




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