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飛鳥 幻の三代  作者: ふじまる
9/48

8 ぽんこつ道中

馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我本宗家三代の物語です

 初めて見る難波の港には多数の船がひっきりなしに出たり入ったりしていた。それらの船からは次々に大量の積み荷が下ろされ、たくさんの人が大きな声を掛け合って働いていた。港は活気に満ち溢れていた。

「すごいなあ」

 蝦夷は港の賑わいに驚いて思わずそう呟いた。

「都よりもずっと栄えているんじゃないか、ここは?」

「ああ、そうだな」

 内麻呂も同じ感想を抱いた。

「この港に全国からの荷物が集められ、ここから都へ運ばれるのです」

 厩戸がそう解説した。

 ずっと都で暮らしてきて、都が世界の中心であるかのように錯覚していた蝦夷には、都から遠く離れた場所にも人間の営みがあり、都に劣らぬ繁栄をしている事が不思議でしょうがなかった。内麻呂も同じ様に感じたのだろう、ぽかんとした顔で巨大な船や町の様子を眺めていた。

 翌朝、三人はあらかじめ予約しておいた船に乗った。船は帆にいっぱい風を受け、ゆっくりと沖へ向かって動きだした。難波を出港した船は明石海峡を通り抜け、四国の讃岐に出て、そこから伊予の熟田津方向へ進む航路になっている。抜けるような青空。頭上を飛び交う白い鴎。潮風の香り。冒険の旅の始まりは否応無しに三人を興奮させた。

 ところが、最初のうちこそ初めて乗る船にはしゃいでいた三人だったが、すぐに事態が一変した。上機嫌で飯を食べていた内麻呂の顔色が急に青白くなったかと思うと、船端にすがりつき、海へ向かって嘔吐した。

「大丈夫か? 高志」

 蝦夷が慌てて内麻呂のそばへ行くと、内麻呂は

「揺れる。揺れる」

 とだけ呟き、そのまま倒れ込んだ。

「皇子、高志が変なんです」

 蝦夷がそう言って厩戸の方を振り向くと、厩戸も倒れていた。

「どうしたんですか? 皇子」

 蝦夷が駆け寄ると、厩戸は

「すいません。わたしも駄目です」

 そう言って白目をむいた。

「大変だあ!」

 蝦夷は水夫に助けを求めたが、水夫は倒れている二人をちらっと見て、

「船酔いだよ」

 そう言うだけで相手にしてくれなかった。それでも蝦夷は執拗に食い下がり、

「治す方法は無いのですか?」

 と訊いたが、水夫は

「慣れるしかねえな」

 と答えるだけだった。しかし、あまりにも心配そうな顔でおろおろしている蝦夷に同情したのか、こう付け加えた。

「そう心配するこたあねえよ。船酔いなんか陸に上がればすぐにけろりと治るんだから」

 蝦夷は懸命に厩戸と内麻呂を看病したが、二人とも寝たきりで、するのは吐くことだけだった。航海中、二人は吐き続けた。胃の中に吐くものが無くなっても、まだ吐いていた。二人がそんな惨憺たる状態なのに、不思議にも蝦夷はまったく平気だった。

(あれ? ぼくは船に強いんだ)

 蝦夷は自分の意外な長所を発見して驚いた。

 しかし、このままでは二人が死んでしまうのではないかと心配した蝦夷は、夕方、讃岐の港に船が着くと、すぐさま二人を船からおろした。

 船をおりると、厩戸も内麻呂も、それまでの姿が嘘のように元気になった。吐きすぎて胃袋が空っぽになったせいか二人とも空腹を訴え、宿に入るなり勢いよく飯を食べ始めた。

「すごい食欲ですね」

 蝦夷は呆れてそう言った。

「半日、何も食べていなかったからなあ。そりゃあ腹が減るわなあ。ねえ、皇子?」

 内麻呂はがつがつと飯をかき込みながらそう言って傍らの厩戸を見た。

「そうですよねえ。ご飯がこんなにおいしいとは初めて知りました」

 厩戸も夢中で箸を動かしながらそう答えた。

「しかし、ついさっきまで、二人とも死んだような顔で倒れていたんですよ」

 蝦夷がそう指摘すると、内麻呂は照れ笑いを浮かべてこう言った。

「不思議だよね。船酔いというのは陸に上がった途端ころりと治っちまうんだから」

「まったくその通りですね。あんなに苦しかったのが嘘みたいです」

 と厩戸も頷いた。そこで蝦夷が

「こんなに元気なら明日また船に乗れるね」

 と言った。この時代、船は夜に航行しないから、翌朝また同じ船に乗ろうと思えば乗ることは可能だった。ところが、この蝦夷の提案に二人は猛反対した。二人は陸路を行くと主張した。

「でも、陸路を行くと、いつ博多に着くか分からないですよ」

 蝦夷はそう反論したが、二人とも頑として譲らなかった。

「そんなの、いくら時間がかかっても構わないじゃないか。ねえ、そうでしょう、皇子?」 

 と、内麻呂は主張した。すると厩戸も同調してこう言った。

「そうですよ。それに今回の旅の元々の目的には、博多へ行く事と同時に諸国の視察が含まれていたはずじゃありませんか」

 それまではろくに口もきかなかったくせに、船酔いが厩戸と内麻呂の間に奇妙な友情を芽生えさせたようだった。蝦夷はすっかり腐りきって顔をしかめた。その顔を覗き込んで内麻呂はこう言った。

「そんな顔するなよ、善徳。また気が向いたら船にも乗るからさ。しばらくは陸路を行くことにしようや」

 翌朝、三人は陸路を出発した。

「このまま海沿いをずっと西へ歩いてゆけば伊予国へ出るはずです。伊予国には有名な道後温泉がありますから、みんなで温泉に入りましょう」

 厩戸は明るくそう言った。

「温泉ですか? いいですねえ。楽しみですねえ。な、そうだろう? 善徳」

 はしゃいだ声で内麻呂にそう問われても、蝦夷は

「そうですね」

 と浮かぬ顔で答えるだけだった。

 三人は、宿があればそこに泊まり、宿が無い時は近くの民家に泊めてもらい、それも無い時は野宿しながら、海沿いの道を西へ西へと進んだ。途中、道が無くなると危険な断崖絶壁の上を歩いたり、山へ入って草や木の枝をかき分けながら進んだ。

 山の中で野宿する時は、猪や山鳥を捕まえてきて、それを火で焼いて食べた。三人ともすっかり野生児と化していた。蝦夷がそんな毎日に音を上げて

「何でこんなひどい目にあわなければならないのさ。本来なら船ですいすいと楽に行けたはずなのに」

 と不平をこぼすと

「旅は人間を鍛える道場である。弱音を吐くな、善徳」

 内麻呂がそう叱咤した。厩戸も一緒になって

「そうですよ。善徳くんは情けなさすぎますよ。この程度の事で泣き事を言うなんて」

 と蝦夷をたしなめた。

「そんなこと言って、本当は船に乗りたくないだけなんでしょう!」

 蝦夷はムッとしてそう言い返した。

 夜、三人でたき火を囲みながら野宿していると、遠くで獣の鳴く声が聞こえた。

「薄気味悪いな」

 内麻呂はそう言って辺りをきょろきょろ見回した。

「火を絶やさなければ獣は襲って来ないから大丈夫ですよ」

 厩戸は木の枝をたき火にくべてそう言った。

「そんな事よりも空を見てごらんよ。星がとってもきれいだよ」

 蝦夷にそう言われて内麻呂と厩戸が空を見上げると、満天の夜空いっぱいに無数の星がキラキラと輝いていた。

「空の上は賑やかだな。まるで宝石箱みたいだ。なぜ星はあんなに輝いているのかな?」  

 内麻呂はごろんと寝転んでそう言った。

「そうだね。それに星は夜になると急に出てきて、朝になったらまたどこかへいなくなるけど、昼間はどこに隠れているのだろうね? 皇子は分かりますか?」

 蝦夷が厩戸の方を向いてそう質問した。

「さあ、おそらく星は昼間どこかに隠れているわけじゃなくて、太陽の光が眩しすぎて見えないだけだと思いますけど・・・」

 と厩戸は答えたが、そのあと

「あそこの赤く光っている星を知っていますか?」

 と今度は逆に厩戸に質問した。

「ああ、あの燃えているような色の星ですか? 知りません。何という星なのです?」

「あれは火星という星です」

「火星?」

「そうです、火星です。火星は五行の火の神とされています。この神さまはおちゃめな性格でね、ときどき地上に降りてきては、子供たちと遊んだり、歌をうたったりするらしいですよ」

「本当ですか?」

「単なる伝説ですよ。でも、その伝説によれば、この神さまは歌にはそうとう自信があるらしくて、むかし八嶋という歌の名人がいたのですが、その人のところへもやって来て、歌の上手さを競ったという話です」

「変な神さまだなあ」

 蝦夷はそう言って笑いだした。

「もしかしたら、そういう不思議な事もあるのかもしれませんね。世の中には、この無数の星のように、わたしたちの知らない事がまだまだたくさんありますからね」

 と、厩戸は言った。

「数限りない未知の世界か。ああ、ぼくも早く真理に近づきたいな。究極の真理にさ」

 蝦夷がそう言うと、内麻呂が

「何だい、その真理とかいうのは?」

 と訊いた。

「仏教を勉強していると、結局はそういうところへ行き着くんだよ。悟りを開いて宇宙の根本原理へ到達するという・・・」

 蝦夷が夢見がちな表情でそう言うと、内麻呂は

「おれはそんな話には興味が無えなあ。おれが興味あるのは、これからの日本がどう変わっていくのか、政治がどう変わっていくのか、それだけだ」

 と言った。すると厩戸が

「それを探るために我々は博多へ行くのではありませんか」

 と笑った。

「ああ、そうでしたね。おれたちは外国の情勢を探りに博多へ行くんでしたよね? ひいてはそれが日本の未来を占うことになるのでしょう?」

「その通りです。我々は外国の脅威に備えなければならないのです」

「皇子はこれからの日本はどんなふうに変わっていかなければならないと考えているのですか?」

 と、蝦夷は厩戸に尋ねた。

「隋がどのような国であれ、いずれにせよ日本は早急に統一国家に生まれ変わらなければならないでしょう。そうじゃないと隋に対抗出来ません」

「今だって日本は統一しているじゃないですか」

「違います。今の日本は単に豪族の寄り合い所帯にすぎません。そうじゃなくて、天皇を中心とする中央集権国家を作る必要があると言っているのです」

「でも、そうなったら、おれたち豪族はどうなるのです?」

 と、内麻呂が体を起こして厩戸に訊いた。

「どうにもなりません。これまで通り天皇を支えてこの国の政治をおこなってもらいます。ただし私的な所領は無くなり、土地はすべて国家のものとなります」

 厩戸がそう答えると、内麻呂が急に怒りだして

「そんなバカな話があるか!」

 と大声を上げた。

「なぜおれたちが先祖代々大切に守ってきた土地を手放さなくちゃならないんだよ?」

「では、あなたは日本よりも自分たちの領地の方が大切だと言うのですか?」

「誰もそんなこと言ってねえだろう? ただ、おれは豪族の権利にも配慮しなければならないと言っているだけだ」

「あなたみたいな時代遅れの人間がこの国を滅ぼすのです」

「何だと、この野郎。もういっぺん言ってみろ」

「ええ、何度でも言ってあげますよ。あなたは時代遅れだ」

「こいつめ」

 内麻呂が厩戸に掴みかかり、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。

「やめなよ、もう」

 蝦夷は懸命に二人を引き離そうとしたが、内麻呂も厩戸も抵抗して暴れるものだから、なかなか上手くいかず、逆に蝦夷が殴られる始末だった。蝦夷の顔にはいくつもの青痣が出来た。

「二人とも落ち着いてよ」

 やっとのことで二人を引き離すと、蝦夷は両人に冷静になるように頼んだ。蝦夷の髪の毛はぐちゃぐちゃに乱れ、肩でぜいぜい息をしていた。それでも内麻呂と厩戸はまだ物足りない様子で、しばらくのあいだウーと唸ったり、隙あらば飛びかかろうとしていたが、やがて疲れて寝てしまった。二人が眠ったのを確かめると、やれやれといった表情で蝦夷もやっと眠りにつくことが出来た。

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