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飛鳥 幻の三代  作者: ふじまる
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6 決戦

馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我本宗家三代の物語です

 突然、守屋が少数の供を連れて領地である河内国へ向かった。

 守屋が都を離れたことを知ると、好機到来とばかりに蘇我軍はすぐさま行動を開始した。まずは穴穂部皇子の屋敷を急襲して皇子を血祭りに上げ、その足で河内国へと向かった。馬子はこの機に乗じて守屋との決着をつけるつもりでいた。

 ところが、これは老獪な守屋が仕掛けた罠だった。

 馬子との決戦が避けられないにせよ、大和朝廷の守護者を自負する守屋としては、都を戦火に巻き込むことだけは避けたかった。そこで一計を案じた守屋は、いったん都から離れて河内国へ入ることにした。自分が警備の手薄な河内国へ行ったと知れば、さっそく馬子が動きだして攻めてくるだろう。そう考えた守屋は、蘇我軍を河内国へ誘い込み、一気に決着をつける腹でいた。すでに石上の地から密かに大軍を河内国へ呼び寄せてあった。準備万端整えて守屋は馬子が来るのをじっと待った。蘇我軍が攻めてくるのは夜明けだろうと守屋は予想していた。果たして蘇我軍は、守屋の思惑通り、夜明けと共に攻めてきた。 

 蘇我軍と物部軍による戦闘が始まった。

 馬子は敵の大軍を見て

「計られたか」

 と悔しがったが、今さら後の祭りだった。もはやこの戦いを勝ち抜くしか蘇我に生きる道はなかった。

 物部との決戦に向け蘇我側では自軍の兵士の弱さを武器の性能でカバーしようと考えた。そのために馬子は鞍作止利に命じて従来のものより飛距離の長い弓を開発させた。敵の矢が届かない場所から射られるわけだから有利に違いなく、初戦においてこの弓は大いに効果を上げた。ところが、戦いが中盤になり接近戦が始まると、もはや駄目だった。物部軍の兵士の斬り込みの勢いは凄まじく、蘇我軍内では恐れて逃げだす兵士が続出した。蘇我軍はじりじりと都の方へ押し戻されていった。

 この戦争には蝦夷と内麻呂も参加していた。参加といっても年若い二人が前線に出るわけではなく、後方で待機しているだけだったが。それでも生まれて初めて甲冑に身を包んだ二人は興奮してはしゃいでいた。内麻呂は何度も剣を抜いては

「よし、おれがこの剣で敵をぶった斬ってやるぞ」

 と息巻いていた。

 厩戸も蘇我軍に参加しているはずだが姿は見えなかった。

 初めのうちこそはしゃいでいた蝦夷と内麻呂だったが、戦闘が始まり自陣に続々と死体や怪我人が運ばれてくると、いっぺんに元気が無くなった。全身血まみれの兵士、腕が無い兵士、足の無い兵士、目が潰された兵士、現実に戦争の実態を垣間見ると、さすがの内麻呂もガタガタ震えだす始末だった。蝦夷に至ってはすでに半べそ状態だった。

「ぼくたちもああなるのだろうか?」

 蝦夷は内麻呂に震えながらそう訊いた。

「分からないよ、そんなの」

 内麻呂はヒステリックにそう叫んだ。

 結局、蘇我軍は物部軍と三度激突し、三度とも敗れた。戦線は難波と都を結ぶ竹内街道沿いに伸びていった。

 大聖勝軍寺という小さな寺が大阪八尾市にある。俗に「下の太子」と呼ばれている寺である。この寺の境内には神妙椋樹という椋の木が祭られている。伝承によれば、物部軍に追われた厩戸の皇子がこの木の洞に隠れて難を逃れたということである。本当にそんな事があったのか、その真偽は定かではないが、ともかく蘇我軍が敗走したのは事実である。

 蘇我軍の本陣では態勢を立て直すための軍議がおこなわれていた。出席者は、総大将の馬子の他に、参謀格の摩理勢、将軍の葛城烏那羅、そして阿倍鳥子、膳部賀多夫かしわべのかたぶ巨勢比良夫こせのひらぶ、それから十四歳の厩戸皇子であった。

 今回の戦争は炊屋姫皇太后を奉じて物部守屋を討つということを名目にしていたので、炊屋姫の名代として形式的に厩戸が出席していたのである。もちろん、誰もが厩戸の事など置物程度にしか思っていなかった。厩戸に期待されているのは、ただ黙ってそこに座っていることだけだった。

「こうなったらいったん都まで退却して、そこで態勢を立て直すしかない」

 巨勢比良夫がそう提案した。

「いや、それでは都に戦火が及ぶことになります。都を火の海にすることだけは何としても避けなければなりません」

 常識派の阿倍鳥子はそう言って比良夫に反対した。

「そうだ。どうしてもこの場所で決着をつけなければならない」

 馬子もきっぱりとそう言い切った。

「今夜じゅうに秦河勝の軍が合流する手筈になっています」

 と、摩理勢が自軍に明るい情報を伝えて場を盛り上げようとした。

「しかし、いくら援軍が到着しても、こうも兵士が物部軍を恐れている状態ではどうにもなりますまい」

 膳部賀多夫はそう言って頭をかかえた。確かに蘇我軍兵士の士気の低下は深刻だった。

「おい烏那羅、きさま兵士にどんな訓練をしていたんだ?」

 比良夫がそう怒鳴ると、烏那羅はムッとして

「戦場から逃げ出したのは、わたしが訓練した新兵よりも、そちら様の兵士の方が多かったようですが」

 と皮肉を言った。

「何を」

 比良夫は烏那羅に掴みかかろうとした。

「よさんか! 仲間割れしている場合ではなかろうが!」

 と、馬子は一喝した。

「しかし兄上、兵士たちの恐怖心、確かにこれは何とかしなければなりません」

 摩理勢にそう言われても妙案があるわけでなく、馬子も頭をかかえるしかなかった。

「ここはひとつ嶋大臣に出ばってもらうしかありますまい」

 それまでずっと沈黙していた厩戸が、とつぜん口を開いてそう言った。誰も厩戸が発言するなどとは思っていなかったので、全員が驚いて一斉に厩戸の方を向いた。厩戸は十四歳とは思えないほど落ち着き払い、鋭い視線を大人たちに向けていた。

「皇子、兄に出ばってもらうとは、どういう意味でしょうか?」

 摩理勢が子供に接する時の大人がよくそうするように優しく微笑みながらそう尋ねた。

「嶋大臣に最前線で戦っていただくという意味です」

 厩戸の答えに一同はぎょっとなった。

「嶋大臣が死をも恐れず自ら先頭に立って戦えば、否が応でも兵士たちは奮い立つでしょう。これ以外に兵士たちの恐怖心を拭い去る方法はありません」

「しかし、皇子」

 摩理勢が慌てて口をはさんだ。

「総大将である兄が討たれれば、この戦争そのものが終わってしまいます」

「確かにこれは賭けです。なにしろ嶋大臣に囮になってもらうのですからね。しかし、今の我々に賭ける事なしに勝利できる余裕がありますか?」

 厩戸にそう問い詰められると誰も反論出来なかった。

「前線に出た嶋大臣を見つければ、敵兵は手柄欲しさにどっと襲い掛かってくるでしょう。敵の陣形は縦に長く伸びるはずです。その伸びきった敵の横腹を秦河勝に攻めさせます。敵は少なからず混乱するでしょう。その混乱に乗じて、あらかじめ敵の本陣近くに潜ませていた兵士に、物部大連を弓で射させるのです。これで戦争は終わりです」

 時にまだ幼き子供が突然まるで神意を得たかのように物事の本質をずばり言い当てる言葉を発し、世の大人たちを驚かせる事があるが、この時の厩戸がまさにそれだった。その場にいた全員が厩戸の背後に後光が射しているように思った。厩戸の言葉に逆らい難い何かを感じ、それに圧倒された一同は、ただじっと沈黙を守るばかりだった。

「わが軍で一番の弓の名手は誰ですか?」

 呆然としている大人たちの目を醒ますかのように厩戸がそう質問した。

「イチという者が一番ですが・・・」

 烏那羅が恐る恐るそう答えた。

「その者をわたしに貸してください。明日、戦闘が開始したら、わたしはその者と一緒にこっそり間道を進んで敵の本陣近くへ行きます。そして物部大連を討ちます」

「しかし」

 と、摩理勢がやっと口を開いた。

「それよりも先に兄が討たれてしまったらどうしましょう?」

 摩理勢の言葉遣いはもはや子供に対するものではなかった。

「そうならないように皆さんで嶋大臣をしっかり守ってあげてください」

 と、厩戸はいかにも愉快そうに笑った。

「結局、明日の決戦は、嶋大臣と物部大連のどちらが先に討たれるかの競争です。負けないようにしませんとね。そうだ、明日の朝、戦闘が始まる前に、わたしが嶋大臣の無事とわが軍の勝利を四天王に祈願いたしましょう。四天王というのは仏教の守護神です。四天王に守られていると知れば、兵士たちも心強いでしょうからね」

 それだけ言うと厩戸はさっさと自分の宿営へ戻っていった。他の者はただ黙って見送るばかりだった。

 夜半、到着した秦河勝はすぐに厩戸のところへ向かった。厩戸は大喜びで河勝を迎えた。

「頼んでいた物は持ってきてくれましたか?」

 厩戸がそう尋ねると、河勝はニコニコしながら

「はい。ここにちゃんと用意してあります」

 そう言って木彫りの四天王像を厩戸に手渡した。

 翌朝、まだ太陽が昇る前、蘇我軍の兵士たちの前には祭壇が設けられ、火が燃やされた。そこへ純白の法衣を身に纏い、四天王像を髪に差した厩戸がしずしずと現れた。兵士たちは厩戸の異様な風体に息を飲み、その一挙一動を黙って見守った。辺りはいっぺんに厳かな雰囲気に変わった。

 蝦夷と内麻呂も遠くから友の姿を見ていた。蝦夷には不思議でしょうがなかった、よく知っている友人の厩戸が奇妙な格好をして兵士たちの前に立っていることが。そして、その厩戸に蘇我軍全部が引っ張り回されていることが。

 厩戸とは何だ? 所詮は自分と同じ、たかが十四歳の少年にすぎないではないか。考えてみれば、これまでも厩戸には驚かされてばかりだった。これだけは誰にも負けないと自惚れていた学問も厩戸にはまったく歯が立たなかったし、その他、容姿においても、運動能力においても、交友関係の広さにおいても、とにかくすべてにおいて厩戸は蝦夷を遥に凌駕していた。

「これが本当に同じ人間か?」

 祭壇の前に立つ厩戸の姿を目の前にして、あらためて蝦夷はそういう感想を抱いた。

 厩戸は祭壇の中で燃えさかる炎に向かって一心に蘇我軍の勝利を祈願し、最後に

「我らに勝利を与えてくださるならば、ここ難波の地に護世四王のための寺を建立いたしましょう」

 と四天王に誓った。それから兵士たちの方を向くと

「皆の者、よく聞け。我らには四天王がついているぞ。四天王というのは仏を守る神だ。この四天王の加護がある限り、我々は負けない。我らの命は四天王が守ってくれる。その証拠に、今日の戦いでは、総大将の蘇我大臣自らが諸君の先頭に立って戦う。だから恐れるな。恐れずに戦え。勝利は我らのものぞ!」

 と叫んだ。厩戸の演説の効果は絶大であり、兵士たちは歓声を上げて戦場へ向かっていった。 

 馬子は不機嫌だった。何だかうまく厩戸に乗せられたような気がして不愉快だったのである。

(あの小わっぱめ)

 憎々しげにそう呟いたが、もはやこうなった以上戦わなければならない。これが最期になるかもしれないので、馬子は蝦夷を呼び、

「父の戦いぶりをよく目に焼き付けておけ」

 と言った。

 蝦夷は黙ったまま頷いた。蝦夷にはそれしか出来なかった。目から涙が溢れて何も言えなかった。涙で濡れた蝦夷の目には戦場へ向かう馬子の背中がひときわ大きく映った。

 いざ戦闘が始まると、予想どおり敵兵は馬子のもとへ殺到した。

「あそこに敵の総大将がいるぞ。あの首はおれが貰った」

 馬子は馬上から敵に相対した。蘇我軍の兵士を震え上がらせたつわもの揃いの物部軍兵士も、所詮は馬子の敵ではなかった。人間の迫力が違った。全身筋肉の塊のようなこの男は、馬を右へ左へと巧みに操りながら、物部軍の兵士をばっさばっさと斬り捨てていった。遠くから眺めていた蝦夷も思わず感心する程の大活躍だった。馬子の奮戦に勇気づけられて、蘇我軍の兵士たちはそれまでのへっぴり腰が嘘のように勇ましく戦った。

 その頃、厩戸は道とも言えないような細い間道を、背の高い草をかき分けながら、イチと二人で物部軍の本陣めざして突き進んでいた。イチは二十歳そこそこの青年だった。厩戸がでこぼこ道に躓いたりすると、そのたびに

「大丈夫ですか? 皇子」

 と、さかんに気を遣った。イチは心の優しい青年だった。守屋を討つのは当然だが、それ以上に若い厩戸の命を守るのが自分に課せられた使命だと考えている様子だった。厩戸はこのちょっと田舎臭い純朴な青年に好感を抱いた。

 やがて二人の目に敵本陣の天幕が見えてきた。

「よし、しばらくここに隠れて敵の様子を観察しましょう」

 厩戸とイチは草むらの中へ身を潜めた。

 物部軍の本陣に馬子自ら兵の先頭に立って戦っているという情報が入ると、守屋が興味深々な様子で天幕から出て来た。

(あやつめ、いよいよ追い詰められたか)

 守屋はそう思ってほくそ笑むと、馬子の最期を見届けようとして目を凝らしたが、その場所からでは兵士たちが邪魔になってよく見えなかった。そこで本陣の横にある榎の大木に登り、高見の見物としゃれこむことにした。

 守屋が太い木の枝にどっかりと腰掛けて戦場を見渡すと、遠くで馬子が奮戦している姿が見えた。それを見てすっかり愉快な気分になった守屋は、まるで芝居を観劇しているかのようにのんびりと馬子の戦いぶりを眺めていた。圧勝とは言えないが味方が優勢なのは明らかだった。勝利は時間の問題に思えた。

 その時、とつぜん脇の方から伏兵が現れ、物部軍の側面に襲い掛かった。秦河勝の軍勢だった。不意の敵に物部軍は動揺した。

 守屋も驚いて枝の上に立ちあがり、上からさかんに大声で指示を飛ばし始めた。

「あそこだ。あの木の上に物部大連がいる」

 草むらの中に隠れていた厩戸は守屋を指さして、すぐさま横のイチに弓を射るように命じた。かなりの距離があったが、ここで蘇我軍の新型弓がものをいった。普通の弓なら届かない距離だが、この弓ならギリギリ届くはずだった。

「よく狙ってください」

 イチはぎりぎり限界まで弓を引き、よく狙いを定めると、ひょいと矢を放った。矢は放物線を描いて飛んでゆき、守屋の心臓を貫いた。守屋は木の枝からどかっと落下した。すでに絶命していた。

 総大将を失った物部軍は大混乱に陥った。この時代の戦争では大将を失うということは軍を一つにしている吸着力を失うことを意味し、まとめの中心を欠いた物部軍はバラバラにならざるを得なかった。物部軍の兵士はちりぢりになって逃げ始めた。

 だが、守屋戦死の報が届かない最前線では、まだ激しい戦闘が続いていた。馬子は馬を降り、仁王立ちになって戦っていた。全身に敵の返り血を浴び、血まみれになって戦っている馬子は、まるで鬼神のようであった。次から次へと襲い掛かってくる敵を自慢の大刀で斬り捨てながら、いつ終わるとも知れぬ絶望的な戦いを続けていた。

「ついでに嶋大臣も討たれてくれれば助かるのだが・・・」

 厩戸が何げなくそう呟くと、

「え?」

 と、イチは訊き返した。

「何でもありません。嶋大臣が無事であるよう祈っただけです」

 厩戸は苦笑しながらそう答えた。

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