1 運命の子
馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我本宗家三代の物語です
西暦五七四年五月、蘇我本宗家に待望の男子が誕生した。
女の子が続いた後だったので、父親である馬子の喜びようは尋常でなく、一日に何度も赤ん坊が寝ている寝所を訪れては子供のようにはしゃいでいた。
「うん、良い子だ。今に強い男になるぞ。ほら、おれの指を握るこの小さい手にも力が漲っている」
馬子はそう言いながら赤ん坊に頬ずりしたり、頭をなでたりした。
傍らに寝ている妻の布都は、そんな夫の姿に半ば呆れながらも嬉しそうに微笑みながらこう言った。
「まだ生まれたばかりですから何も分からないでしょうに」
「いや、分かるぞ。この面構え。おれにそっくりじゃないか。早く大きくなれよ。大きくなって、おれと一緒に馬で都じゅうを駆け回るのだぞ」
そう言って豪快に笑う馬子は、このとき二十三歳。全身からギラギラとした熱気を発し、内側に野望の炎をたぎらせている、男盛りの真っ最中だった。四年前に父・稲目が亡くなり、その後を継いで大臣になっていた。
長男ではなかった馬子は、ほんらい蘇我本宗家の跡継ぎになるはずではなかった。ところが、兄たちが次々と病気で亡くなり、馬子にお鉢が回ってきたのである。
馬子は稲目が年を取ってから生まれた子供である。だから、稲目が亡くなった時、馬子はまだ十九歳だった。馬子は生まれつき英雄的気質の持ち主であったが、十九歳の若さで蘇我本宗家を背負うのは、さすがに荷が重かった。若輩の身でありながら物部氏や大伴氏など有力豪族の長たちと対等に渡り合っていかなければならなかった馬子の心労は想像に余りある。しかも、同族の中にも虎視眈々と彼の地位を狙う者がいたので、馬子は片時も気が抜けなかった。ぴんと張り詰めた緊張状態が続く日々を、馬子は超人的な精神力で耐え抜いていた。
長男が誕生したのは、まさにこのような状況下においてであった。それゆえ馬子が大喜びするのは当然だった。それまでに生まれた子供が二人とも女の子だったので喜びもひとしおだった。これでやっとおれにも気の許せる仲間が出来た・・・馬子は正直そういう心境だったであろう。血を分けた息子なら信用出来る。息子になら裏切られる心配が無い。息子になら安心して仕事を任せられる・・・そう思ったはずだ。今の馬子が願うのは、とにかく早く月日がたって、凛々しい若武者となった息子が、頼りになる片腕として自分を補佐してくれる日が来ること・・・ただそれだけだった。
目に入れても痛くないほど可愛いがっている最愛の息子に、馬子は「蝦夷」という名前をつけた。言うまでもなく蝦夷というのは大和朝廷に敵対する北方の原住民のことである。馬子は、かねてから蝦夷の勇猛果敢な戦いぶりに心酔していたので、自分の息子も彼らのような勇ましい武者になることを願って、この名前を選んだのである。日常的に使う名前、すなわち字は「善徳」とした。
当時の人々は結婚の形態が通い婚だったせいか、母親の出身氏族の姓で呼ばれた。たとえば、かっての有力豪族である葛城氏出身の母を持つ馬子は「蘇我葛城馬子」と呼ばれた。馬子の孫で、蝦夷の子である蘇我入鹿の場合、彼の母親は鞍作氏の出身なので、字の「太郎」よりも「鞍作」と呼ばれることが多かった。
そうであれば、蝦夷も同じように母親の元の姓で呼ばれてもよいはずだが、蝦夷の母は蘇我氏最大のライバル、物部氏の長・物部守屋の妹であった。蘇我家と物部家の友好のために馬子は守屋の妹・布都と政略結婚させられたのである。もっとも、その後も蘇我氏と物部氏の敵対関係は収まることなく、それどころかますます激しくなる一方であったが。したがって蝦夷の場合、本来ならば「蘇我物部蝦夷」、もしくは物部氏の本拠地があった場所の地名を採って「蘇我石上蝦夷」となってもよかったはずだったが、さすがに蘇我家の跡取り息子として政敵の名を称するわけにもいかず、母親の元の姓で呼ばれることは無かった。
名前に関してもう一つ。
いま書いた通り、のちに蝦夷の妻となり、入鹿を生むことになる女性は鞍作氏の出身である。鞍作氏は朝鮮半島からの渡来人を祖とする小豪族であり、蘇我氏の配下にあった。元々はその名の通り馬具を作る職人の一族だったが、やがて仏像なども製作する芸術家集団に変貌していった。鞍作氏の長は止利という寡黙な男である。無愛想で可愛げの無い男だったが、その芸術的才能は誰もが認めるところだった。馬子は止利に屋敷の庭造りを依頼した。止利は自ら図面を引き、職人を指揮して造園にあたった。やがて完成した庭は日本初の回遊式庭園となった。庭園の中央に大きな池があり、池の中には細長い島が築いてあった。それが四方を海に囲まれたわが国を模しているのは明らかで、このような庭を所有しているということは、すなわち蘇我氏が日本国の支配者であると暗に宣言しているようなものだった。もちろん馬子はそのような挑戦的な意図を口にすることは決して無かったけれど、来た者は全員この庭から馬子の秘めたる野望を感じ取っていた。これ以降、なかば皮肉をこめて、馬子は「嶋大臣」と呼ばれるようになる。
のちに蝦夷にも「豊浦大臣」という似たようなニックネームが付いたが、それは馬子の場合のようなキナ臭い理由からではなく、単に蝦夷が生まれ育った屋敷のあった土地の名前からそう呼ばれるようになったのである。このあたりにも馬子と蝦夷の人間像の違いがよく表れているように思える。
馬子は蝦夷のためにヨシという名の乳母を用意した。また、司馬友知に蝦夷の教育係を命じた。友知というのは蘇我家に古くから仕える中年の家来だが、取り立てて優れた能力があるわけでもない、ごく普通の凡庸な男だった。ただ、温厚で実直な性格の持ち主であり、馬子は友知のそういう人柄をとても気に入っていたので、蝦夷の教育係に抜擢したのである。
蘇我家の御曹司として蝦夷は、一族全員から真綿にくるまれるように大切に育てられた。馬子自身も蝦夷がものをしゃべったといっては大騒ぎし、立ったといっては感激して涙を流すという親馬鹿ぶりを存分に発揮していた。
「うちのお館さまは一体どうしちゃったんだろうね? 息子ができた嬉しさで頭のタガが外れちゃったのかね?」
と、家来たちが呆れるほどの溺愛ぶりだった。何よりも家来たちがびっくりしたのは、普段から威厳に溢れ、近寄り難い雰囲気のある馬子が、赤ん坊の前ではまるで少年のようにはしゃいでいる事だった。馬子にもこういう子供っぽい顔があったのかと家来たちは主人の意外な一面を発見して、ただただ驚くばかりだった。
しかし、そんな幸せな時期も長くは続かなかった。日に日に馬子は不機嫌になっていった。というのも、蝦夷が成長するにつれ、馬子が思い描いていた息子像からどんどん遠ざかっていったからである。
蝦夷は弱っちかった。
馬子は蝦夷が手のつけられない腕白少年になるのだろうと期待していたし、自分の息子ならば当然そうなるものと思い込んでいた。そのうち友知あたりがすっ飛んできて
「若さまは、ご気性が荒すぎて弱ります」
などとおれに泣きつくことだろうな。そうしたら、おれは
「いやいや、男はそれくらいでなくちゃ駄目だよ。おれだって小さい頃はどうしようもない暴れん坊で、いつもケンカばかりしていたじゃないか」
そう言って大笑いしてやるんだ・・・馬子は、そういう場面を想像してはひとり悦に入っていた。
馬子の思い描く少年蝦夷は、ケンカ好きで、まっ黒に日焼けしていて、常に数人の子分を引き連れながら肩で風を切って歩いている乱暴者の少年だった。将来の蘇我本宗家の跡取りならば、幼少の折から大将の器たるところを見せてくれなければ困るとも思っていた。
ところが、実際の蝦夷は、ピーピー泣いてばかりいる、色白の、か弱い少年だった。蝦夷は小さい頃から泣き虫で、転んでは泣き、馬を見ては怖がって泣く、とにかくしょっちゅう泣いてばかりいる子供だった。そして、外で遊ぶより屋敷内でヨシに絵草子を読んでもらったり、一緒に双六をして遊ぶ方を好んだ。
そんな蝦夷の姿を苦々しく思った馬子は、友知にもっと蝦夷を外へ連れ出して逞しく鍛えるよう命じた。狼狽した友知はさっそく蝦夷を庭に連れ出して剣術の稽古を始めたが、蝦夷は嫌がってすぐに屋敷内へ逃げ戻った。また、近習の子供たちを集めて一緒に相撲をさせてみたが、たちまち投げとばされ、泣きながらヨシにしがみつく有様だった。
すっかり失望した馬子はたびたび布都に向かって
「善徳は出来が良くない」
と不平をもらすようになった。
そのたびに布都は気色ばんで馬子を諭した。
「せっかく神さまが授けてくれた息子を、そんなふうに悪く言うなんて何と罰当たりなのでしょう。善徳だって大きくなったら、きっとあなたの期待通りの立派な男になりますよ」
また友知も
「そりゃあ確かに若さまは活発なご気性ではありませんが、その分たいへん利発で芯のしっかりしたお子さまです」
そう言って蝦夷を弁護したが、馬子は横を向いて顔をしかめるだけだった。
次こそはと期待した次男の倉麻呂(字は良徳)も蝦夷同様の軟弱な子供だったので、馬子の機嫌はますます悪くなる一方だった。
物心つく頃になると、蝦夷本人も馬子に嫌われているのを敏感に感じるようになった。そこで蝦夷は父に気に入られようと必死に強くなる努力をしてみたが無駄だった。やはり持って生まれた気質は変えようもなく、自信を無くした蝦夷はこそこそと馬子を避けるようになった。たまたま庭先で蝶を捕まえたりしている時に馬子が廊下を通りかかり、その冷たい目でぎろりと睨みつけられると、たちまち蝦夷は縮み上がり泣きだしたくなるのだった。
蝦夷はヨシの乳房にすがりついて泣いた。自分の不甲斐なさが情けなくて泣いた。ぼくは父さんに嫌われている。父さんはぼくが嫌いなんだ。ぼくみたいな弱虫の子供は嫌いなんだ。強くなりたいよ。強くなって父さんに褒められたいよ。でも、ぼくには無理なんだ・・・
そう言って泣く蝦夷をヨシは優しく抱きしめて
「大丈夫ですよ。若さまにはヨシがついているから大丈夫ですよ。ヨシには分かります。若さまは、今にきっと逞しい若武者になりますよ」
と励ました。
「ヨシは、こんなぼくが好きかい?」
蝦夷は涙で濡れた目でヨシの顔を見上げながらそう尋ねた。ヨシは暖かい眼差しで蝦夷を見つめてこう答えた。
「もちろん大好きですよ。若さまは素晴らしい男の子です。若さまには良いところがたくさんおありです。残念ながら、お館さまはまだそこにお気づきじゃないのです。でも、やがてお館さまも若さまの長所に気づく時が来ます。そうしたら、お館さまも考えをお改めになって、若さまを頼りにするようになりますよ。必ずそうなりますよ」
ヨシの優しい言葉と肌のぬくもりですっかり気持ちが落ち着いた蝦夷は、やがてヨシの胸に抱かれたまますやすやと寝息をたて始めた。蝦夷のあどけない寝顔を見ながら
「大丈夫。ヨシは最後まで若さまの味方ですよ」
と、ヨシは一人つぶやいた。