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飛鳥 幻の三代  作者: ふじまる
11/48

10 道後温泉

馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我本宗家三代の物語です

 四人は、やっと道後温泉に到着した。

 さすがに名高い温泉地とあって、町の中は多数の湯治客で賑わっていた。温泉特有の匂いがして、あちこちの辻からは湯気が上がっていた。四人は宿へ入ると、さっそく温泉へ直行した。岩間の広い露天風呂である。

「うっひゃー、気持ちいいなあ」

 内麻呂が大きな岩の上から勢いよく湯に飛び込んでそう叫んだ。

「ほんと体の芯から暖まるね」

 蝦夷が足を伸ばしながらそう言った。

「旅の疲れがとれるようです」

 厩戸も首まで湯につかってそう言った。

 と、そこへ

「湯加減はどうだい?」

 そう言いながら楓が入ってきた。

 この時代、男女が別々に入浴するという習慣はまだ無いので、当然のように混浴である。だが、それでも若い女の出現に年頃の三人は一気に緊張した。

 楓の体は細くて全体がきゅっと引き締まり、小ぶりな胸はつんと上を向いていた。その小鹿のような体を眺めていると、三人とも知らぬうちに肉体の一部が硬直したのを感じた。

「どうしたのさ? 急に黙っちゃって」

 そう言って笑顔の楓が湯の中を泳ぎながら近づいてきた。そばへ行っても相変わらず表情をこわばらせたままの三人を楓は最初おかしいなと思ったけど、すぐにピンときて

「あ、そうか、あんたたち、女はまだだったね」

 と言った。そして悪戯っぽい目付きで三人の顔を代わる代わる覗き込んでいたが

「見たいかい?」

 そう言うと、ざばっと立ち上がった。湯の滴をぽたぽた垂らした女の裸体が三人に迫ってきた。黒々とした隠毛が濡れて光っている。三人は悲鳴を上げて逃げ出した。

「こら、逃げるな」

 楓が笑いながら追いかけてきた。四人は歓声を上げて湯の中で追いかけっこを始めた。辺り一面に湯のしぶきが飛び交った。しばらくそんな風にふざけ合った後、内麻呂が

「分かったから、ちょっと待ってくれ。一回休もう」

 そう言うと、やっと楓もおとなしくなった。四人は笑いながら湯につかり、並んで岩にもたれかかった。楓はちゃっかり厩戸の横に座っていた。

「やっぱり温泉は良いねえ」

「そうだね。来て良かったね」

 内麻呂と蝦夷の他愛もない会話は厩戸の耳にほとんど入らなかった。というのも、横に座っている楓の手が湯の中でこっそり太ももの上に置かれ、それが少しずつ股間の方へ近づいてくるのに気を取られていたからである。他人の話に注意を向けている余裕など無かった。厩戸がちらっと横を向くと、自分を見詰めている楓の鋭い視線とぶつかった。厩戸は心臓が止まりそうだった。

 風呂を出て夕食を済ますと楓がどこかへ消えた。しばらくして戻って来た楓は、両手に中ぐらいの大きさの瓶を抱えていた。

「何だい、その瓶は?」

 内麻呂がそう尋ねると、楓は器を四つ並べて

「お酒さ。みんなで飲もうよ」

 と言った。

「酒? おれたちはまだそんなものを飲む歳じゃないぞ」

「まあタカ、そう固いこと言わずにさ。ここは温泉場だよ。一杯飲んでみなよ」

 楓は内麻呂の器に酒を注いだ。内麻呂は楓に言われるままそれを飲み干した。

「うん。悪くない味だな」

「でしょう? いける口じゃないのよ。さあ、もう一杯やんなよ。ほら、ゼンもウマもそんなところにいないで、こっちへ来て飲みなよ」

 こうして四人は酒盛りを始めた。

 楓は飲み慣れているらしく酒に強かった。ご機嫌な調子で三人に酒を勧め、自分でも何杯も飲んだ。

 反対に男たちの方はからっきし駄目だった。善徳は二杯飲んだだけで目を回して倒れ、内麻呂はやたらにげらげら笑ってばかりいた。こんな状態だったから、いつの間にか楓と厩戸がこっそり部屋からいなくなったことなど二人が気づくはずもなかった。

 厩戸は楓に手を引かれ、真っ暗な空き部屋へ連れこまれていた。

「楓さん、こんなところへわたしを連れてきて一体どうするつもりなのですか?」

 酒で意識が朦朧となった厩戸は楓にそう尋ねた。その厩戸を黙ったまま楓が押し倒し、体の上に乗っかってきた。

「何をするんですか?」

 驚いて厩戸が逃げようとすると

「動かないで」

 楓はそう言って厩戸の顔をじっと見詰めた。暗闇の中で楓の瞳だけが妖しく輝いていた。厩戸の体は金縛りに遭ったように動かなくなった。

「あたいは、あんたにお礼がしたいんだよ」

 楓は厩戸の耳もとでそう囁いた。

「あたいに出来るのはこれくらいしかないからね」

 体をぴったり密着させているので楓の肌のぬくもりや心臓の鼓動がじかに厩戸に伝わってきた。さらに楓の熱い吐息が厩戸の顔を優しく撫でた。厩戸はまた肉体の一部が硬直するのを感じた。楓にもそれが分かったのだろう、彼女の息づかいが荒くなった。

「それともあたいみたいな女じゃ嫌かい?」

 甘えた声で楓にそう問われると、厩戸は首を横に振った。本当はちゃんと答えたかったが、喉がカラカラで声が出なかったのである。

「あたいのこと好き?」

 厩戸はこっくりと頷いた。

「うれしい」


 厩戸と楓は一体となった。


 その日以来、厩戸と楓は一日中べったりとくっ付いて離れなかった。時々、二人はどこかへいなくなった。いなくなった後、二人が何をしているのかというと、とうぜん交わっているのだった。

(世の中にこんなに楽しい事があったのか)

 厩戸はそう思うばかりだった。厩戸と楓は一日に何度も交わった。何回交わっても飽きなかった。厩戸は楓との情交に夢中だった。

 人間的な欲情に生来の探求心が加わって、厩戸は女体のすべてを知りたがった。楓の体の様々な部分を愛撫しては、どこがいちばん感じるかを調べたり、楓の足を大きく開いて女性器の構造をじっくり観察したりした。

「もうウマのすけべ」

 楓はそう言って逃げる素振りをするが、すぐにまた厩戸に抱きついて甘えた声を上げるのだった。

 すっかりのけ者にされた蝦夷と内麻呂は湯に入ったり町なかを散歩したりしながら退屈な日々を過ごしていたが、二人ともそんな生活にはいい加減飽き飽きしていた。そこで

「そろそろ博多へ向けて出発しましょうよ」

 と提案してみたが、厩戸は

「そう慌てずに、もうしばらくここにいましょうよ」

 と言うばかりだった。厩戸は完全に楓との愛欲の日々に溺れていた。

 都を出発した時、蝦夷も内麻呂も家の者に旅費をたくさん持たされていたから、当分のあいだ金に困る心配は無かったが、退屈だけは耐え難かった。

「まったく厩戸の野郎は調子がいいよな」

 散歩の途中、内麻呂が呆れてそう言った。

「ま、あの人はああいう性格なのだろうね」

 横を歩く蝦夷も諦めたようにそう言った。

「だけど、いつまでこんな所にいるつもりなんだよ? おれはもう温泉にも田舎にもうんざりだぜ」

「確かに」

「そりゃあ、あの二人はいいよ。やるのに夢中なんだからさ」

「やるって、何をやっているのさ?」

「あれ、善徳。君は何も知らないのかい?」

 そう言って内麻呂は蝦夷の顔をまじまじと見つめた。

「厩戸と楓がこっそり隠れて何をやっているか、本当に分からないのかい?」

「うん・・・」

 蝦夷の顔が自信なさげな表情に変わった。

「君は本当に世俗的な事に疎いなあ」

 内麻呂は今度は蝦夷に呆れて嘆息した。

「いいかい、厩戸と楓はねえ、まぐわっているのさ」

「まぐわるって、なに?」

「バカだなあ。子作りの行為じゃないか」

「皇子と楓さんは子供が欲しいの?」

「そうじゃないよ。もうイライラするなあ。まぐわると、すっごく気持ちが良いんだよ。だから、子供を作る気が無くても、まぐわるんだよ」

「そうなの?」

「そうなんだよ。ああ、おれも女とまぐわりたいよ」

 と、内麻呂は大声を上げた。

「楓さんに頼んでみれば?」

「バカ。そんなわけにいくかよ。楓は厩戸の女だぜ。他人の女にやらせてくれなんて言えるわけないじゃないか。ここは温泉場だから、金を払えばやらせてくれる女はうようよしているけど、そういうのは何となく嫌だしな。おとなしくしておくしかないか。善徳、君は本当に女とやりたいと思わないのか?」

「ぼくは、そういうのは、まだいいよ・・・」

 そんな会話をしながら二人が歩いていくと、温泉街の入り口付近で数人のガラの悪い男たちがたむろしているのを見つけた。蝦夷と内麻呂はその中の髭面の男に見覚えがあった。

「あの時の奴だ」

 二人は慌てて物陰に隠れた。物陰からじっくり観察すると、髭面の男は内麻呂に斬られた肩に包帯を巻いているみたいだった。もう一人の厩戸に足を刺されたのっぽは見当たらなかった。男たちは温泉宿を一軒一軒回って楓を探し回っていた。

 蝦夷と内麻呂は急いで宿へ戻り、事の次第を厩戸と楓に報告した。

「ちょっと・・・のんびりしすぎましたかね?」

 と、厩戸はバツの悪そうな顔をした。

「そうに決まっているでしょうが!」

 蝦夷と内麻呂は口を揃えてそう叫んだ。

 四人はすぐに宿を出た。温泉街の入り口付近は男たちが固めているので、裏山へ逃げることにした。四人は険しい山道を絶えず辺りに注意を払いながら海を目指して進んだ。ところが、そんな彼らの前に背の高い男が立ち塞がった。それはあの時の足を刺されたのっぽだった。のっぽは楓や内麻呂の顔を一目見るなり

「いたぞ。こっちだ。こっちにいるぞ」

 と大声を上げた。

「くそ。やるぜ」

 内麻呂が一気に駆け寄り、剣でのっぽの腹を突き刺した。のっぽはその場に崩れ落ちた。後方から追っ手の足音が近づいてきた。

「みんな先に行け。急げ!」

 内麻呂は他の仲間を先に逃がし、自分はしんがりを務めるつもりだった。

 すると楓が内麻呂を押しとどめて

「もういいんだよ。あたいさえ戻れば、それで事が収まるんだから。あんたたちはあたいを置いて逃げておくれよ。これ以上、あんたたちを危険な目にあわせるわけにはいかないよ」

 と叫んだ。

 しかし、内麻呂は

「そんなわけにいくか」

 そう言って楓の申出を拒絶した。

「いいか、楓さん。おれはあんたを助けると約束したんだ。約束は必ず守るのが、おれの男としての流儀だ。おれは君を助ける。だから早く先に逃げろ、ここはおれに任せて」

「でも、タカに何かあったら・・・」

 楓はもう泣いている。

「おれは大丈夫だから、さあ早く行くんだ」

 そう言って内麻呂は楓を厩戸と蝦夷に押し付け、無理やり先へ行かせた。そして追っ手の方を振り向くと

「さあ、来やがれ、バカ野郎」

 と大声を上げた。

 風を切るような音がして追っ手が放った矢が何本も飛んできた。内麻呂は身を伏せてそれらをかわした。矢は内麻呂の頭の上を通り過ぎ、近くの木に音をたてて突き刺さった。

「へっ。こんなへなちょこ矢がおれに当たるもんか」

 内麻呂は最初に現れた追っ手の臑を斬り、二番目に現れた追っ手の横腹に剣をつき立てると

「思い知ったか、このぽんこつ野郎!」

 そう言って駆けだした。

 ところが、その内麻呂の背中に矢が命中した。内麻呂はどかっと転倒した。

「くそ。やられた」

 矢は右の肩の下あたりに突き刺さっていた。内麻呂は矢を引き抜こうとしたが、手が届かなかった。何とか立ち上がり、また走ろうとしたところ、次第に意識が遠くなってきた。そこへ追っ手の一人が近寄ってきた。

(もう駄目か)

 内麻呂が観念した時、

「高志!」

 蝦夷がそう叫びながら戻ってきて、めちゃくちゃに剣を振り回した。偶然その刃先が追っ手の腕にあたり、追っ手は傷口をおさえて逃げた。その隙に蝦夷は内麻呂の体を支え、背中に刺さった矢を抜いた。

「何だ? 先に逃げたんじゃなかったのか?」

 内麻呂がそう言うと

「ぼくは弱虫だけど、仲間を置いて一人だけ逃げるような男じゃないよ」

 と、蝦夷は答えた。

「頼もしいじゃねえかよ」

 内麻呂はニヤリと笑った。

 蝦夷は内麻呂を支えながら必死に逃げた。後方からは絶えず追っ手の放った矢が飛んできた。海岸では先に着いた厩戸がたまたまそこにいた漁師に無理やり金を渡し、船を借りたところだった。そこへ蝦夷と内麻呂が逃げてきた。追っ手たちもすぐ後ろに迫っていた。

「早く乗れ!」

 厩戸が叫んだ。その周りに矢が雨のように降ってきた。蝦夷と内麻呂が乗り込むと、船は大急ぎで沖へ向かって漕ぎだした。

「タカ、やられたのかい?」

 陸を離れると、すぐ楓が心配そうに内麻呂のそばへ駆け寄ってきた。

「背中に矢が当たったんです。矢はぼくが抜いておいたのですけど」

 と、蝦夷が答えた。

「たいした事ねえよ」

 内麻呂はそう言ったが、息が苦しそうだった。

「そんな事ないよ。傷を見せてごらんよ」

 楓は急いで内麻呂の上着を脱がして背中の傷を確かめた。右の肩の下に大きな穴があき、そこから血がどくどくと流れ出ていた。

「タカ、死んじゃ嫌だよ」

 楓は声を上げて泣きだした。

 内麻呂の傷を調べた厩戸はめそめそ泣いている楓を慰めてこう言った。

「大丈夫。幸い急所は外れているようです。楓さん、荷物の中に酒の残りが入っていたでしょう? その酒で傷口を消毒して、布で縛ってあげてください」

 楓は手で涙を拭き、厩戸に言われた通りに処置した。酒で傷口を洗う時、内麻呂は顔をしかめた。

「傷に滲みて痛いだろうけど、少しのあいだ我慢してね」

 楓はさも愛おしそうに内麻呂にそう言った。

 傷の手当を済ませると、楓は寝ている内麻呂にずっと膝枕をして、ときどき額の汗を拭いてあげていた。

 その後、一行は大きな船に乗り換えて博多へと向かった。今回は内麻呂の怪我に心を奪われ、誰ひとり船酔いの事など忘れていた。内麻呂は熱を発し、楓の膝の上で苦しそうに顔を歪めていた。早く博多に着け。全員がそればかりを願っていた。

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