運転する人が怖い
親戚の一人に誘われ、焼肉を食いに行くことになった。
その親戚が運転する自動車、その助手席に乗ることになったのだが。
そいつは運転席に座ると、シートベルトをつけエンジンをかける。その後、右手でハンドルに触り、先ずは時計回りに一回、次に反時計回りにハンドルを撫でる。
不思議な行動をするなと疑問に思い訊ねてみる。
「何をしてるんですか?」
「こうしないとハンドルの動きが悪いだろう?」
逆に不思議そうに言われた。
「教習所で習わなかった?」
いや、そんな不思議なおまじないは習った憶えがまるでない。不安に感じつつもそいつの運転する車は走り出す。
「……ちょっと、スピード出し過ぎでは?」
「みんな、このくらいのスピードで走ってるから」
いや、そう言いながら隣の車を追い越しているんだが。焼肉屋と言ってもそれは温泉施設の中で、風呂に入って焼肉を食べよう、ということらしい。先に言って欲しかったがこの親戚に会うのも久し振りで、こいつが前よりおかしくなっている、ということを気がつくのが遅れてしまった。
温泉施設に到着し、そいつは車を駐車場に止める。
「ちょっと、そこに停めちゃダメでしょ」
車イスのマークのある駐車場。そこに平気で車を停める親戚。
「ここは車イスを使う人が停めるところでは?」
「でも、空いているし。雨も降ってるから建物に近い方がいいし」
「それでも、この場所は健常者が使うとこじゃ無いでしょ?」
注意してみるが、不思議な顔をされる。
「私が見たときに空いていた、それは私にそこを使え、ということだから」
昔から自分の言うことをまともに聞く人物では無かったが、更に悪化している。
温泉施設で風呂に入り、焼肉を奢ってもらい、そいつの過去の自慢話などを聞かされる。もう、早く帰りたい。
帰りもそいつの運転する車に乗せてもらうのだが。
「ビール飲んで運転しちゃダメでしょ」
「ジョッキ二杯は飲んだ内に入らない」
「でも、飲酒運転……」
「私は大丈夫」
そいつは自信満々に言ってのける。ビールをジョッキに二杯飲み、機嫌良くハンドルを握る。
「それに焼肉を食べるのにビールが無いと、焼肉の味が解らない、そうだろう?」
そんな特殊な味覚は知らない。そんな奴に注意される。
「だいたい君は言ってることがズレていて、的はずれだ。焼肉を食べる時も、ビールを飲む前に白飯を食べるなんて」
いや、食べる順序に何か問題でも? フランス料理じゃあるまいし。
「ビールを飲み終わってから白飯だろう普通は。君は自分がおかしいという自覚が無いんだね」
私の知ってる普通と、こいつの知ってる普通には大きな開きがある。
「それに私はビールを飲んで運転しても大丈夫なんだ」
私の知らない内に日本の法律が変わったのか?
「なぜなら私は毎日一時間、お経を唱えている。だから〇〇〇神が私を守ってくれる」
降りたい、早くこいつの運転する車から降りたい。信号のあるところでこいつは加速して信号を通過する。
「……今、赤信号」
「そうだね、赤信号だったね」
「それを、何故、強引に? 横から誰も来なくて助かったけれど」
「〇〇〇神が私に行け、と、今、背中を押したんだ」
いるのか、そのなんとか神様。今のこの車の中に。飲酒運転に信号無視、無視しないのは信仰だけ、恐ろしい。俺はその神様とやらを信じられない。
「何故、一方通行を逆走しているので? 捕まるのでは?」
「私は大丈夫」
何でお前だけは大丈夫なんだよ。そいつの運転する車の中で、生きた心地もせずに早く到着しろと願い祈るばかり。私の不安も知らずにそいつは機嫌良く運転を、飲酒運転を続ける。
オチも無いまま終わるのは、これが実話だからだ。
こんな人が運転免許を持って公道を車で走る。
日本の交通事情は恐ろしい。
いや、恐ろしいからこそ神に祈り、自分だけは守ってもらおうと考えるのだろうか?
それともこれが、これからの令和時代の新しい常識なのか?
日本の道路の上では、今も安全神話が生きている。
ノンフィクション