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世界を悪魔が支配する

作者: 赤城奈津子

世界を支配するのは、悪魔のような平和かも。

「世界を変えるのは政治だ」

 楠誠二は言い切った。

 ここは教養学部棟の端にある講義室。アメリカの白熱教室にかぶれた講師が大学に掛け合って作った教養講座だ。半年間、二単位の選択科目。受講生の学部を問わないということで、多くの学部から学生が集まった。

「違う、経済だ」

 ほかの学生が挙手した。

「経済が社会をまわしているんだ。金がなくては何もできない」

「違う、政治だ。経済も政治が取り仕切っているんだ。税制とか許認可があってこそ、経営ができ、経済が回せる。経済をけん引しているのが政治だ」

 楠は自分が専攻する政治学こそが最高だと信じている。だからこその発言だ。

「いいえ、科学よ。科学技術なくして現代社会は存続できないわ。科学技術の進化がこの社会をここまで変えたのよ」

 奥田愛美も黙っていなかった。理学部総合科学科の学生で、研究の虫と名高い。

「科学、まあ、少々生活は変わるが、大きな意味はないさ。まずは政治だ、政治家こそ社会を、そして世界を牽引するんだ」

 楠の声は大きく、他の学生の意見を封じてしまう。あまりの独断で、講師も出す手を失い、結局、講義時間切れになって、その日はお開きになった。

「楠君、政治なんて大きな力にならないんだから、思い知るわよ」

 帰り際、奥田は怒鳴ったが、だれも気に留めなかった。


 ある日、ネットに変わった書き込みがあった。一つの設計図だ。それは太陽のコロナ質量放出と同じ効果を持つ電磁波の発生装置と書かれていた。

 コロナ質量放出は太陽の表面で起こり、それが地球に到達すると送電線がショートし停電を起こし、すべての電機システムが止まってしまう。かつてカナダの地方都市がこの被害を受け、街中が停電した。運悪く真冬だったので、暖房が使えずに通信網も機能せず、多くの死者を出す惨事となった。そのため、コロナ質量放出の出現の予報をするための人工衛星や、天文台が太陽を観測している。

 その恐ろしい現象を生み出すコロナと、同じ効果を発生させることのできる装置という触れ込みの書き込みは、ネットであっという間に拡散した。

 つくりはかなり複雑で、それ相応の大きさになるが、高校生程度の知識と技術があれば作れないこともない。そして材料になる基盤や集積回路など、その他もろもろの機材はごく一般で流通しているものばかりだった。さほど入手困難な最先端機密情報になるような部品は含まれていない。

 はじめは単なる眉唾ものだと皆は馬鹿にしていた。シャレでそっくりそのまま作った学生がいた。その電源は一般家庭の送電線から勝手に引き込んで充電し、とある夜中、スイッチを入れた。そしてその直後、東京は沈黙した。

 平日の深夜二時過ぎ、その学生がスイッチを入れた半径50キロの東京都を中心とする円内が暗黒の世界になった。すべての送電網が沈黙し、電気という電気が使えなくなった。テレビ、ラジオも使えない。携帯電話も基地局が沈黙したために一切つながらない。固定電話も使えない。もちろん、ネットなども全く沈黙してしまう。

 不幸中の幸いはそれが夜中だったこと、そしてたまたまその時間、民間の航空機がその圏内を飛んでいなかったことだ。

 ただ、数台の米軍のヘリコプターが厚木から市ヶ谷に向けて飛んでいたのだが、電気系統が止まって制御できなくなり、墜落した。それによって建物を巻き込んで爆発炎上した。深夜の六本木に火災が広まったが、場所が場所だけに人的な被害が少なかったのはまだましだった。もしこれが昼間だったら、飛行機が墜落し、信号機が止まって多くの交通事故が起こり、制御できなくなった電車があらゆる路線で暴走していたかもしれない。ありとあらゆる場所で惨事が起こり、東京は壊滅していただろう。

 電車に関しては操車場で入れ替え作業をしていた列車が止まれずに列車止めに突っ込んだケースがあったが、もともと入れ替え作業ではそれほどのスピードを出していなかったのが幸いして、死者が出るような事故は起きなかった。

 悪夢のような夜が明け、電気が復旧したのは十数時間たってからだった。その事実はすぐに世界にインターネットで配信され瞬時に広まった。世界は震撼し、その威力に畏怖した。

 各国の政府がこの書き込みを削除した。しかしすべてを削除できるはずはない。これが非常に強力な兵器であることは自明のことで、だれもがこの現代のロンギヌスの槍を欲しがった。

 次にこれを発動させたのは、宗教を御旗に掲げた反政府勢力だった。学生が作ったものでは作用する範囲が広すぎる。だから彼らはその十分の一のモデルを作った。まずは政府軍の主要基地の近くにそれを置き、時限装置で作動させて、軍が混乱しているすきに攻め入って、政権を奪取しようともくろんだ。

 小さな装置だからその範囲は狭いとは考えたが、それでも余裕をもって装置を置いた場所から十キロほど離れた谷に分散して設営し、その時を待った。時間が来たら一気に攻め込む手はずだった。あまり基地から遠い場所では攻め込むまでに時間がかかり、政府軍が復旧して返り討ちに会うかもしれない。東京では半径50キロが停止した。その十分の一というサイズだから、有効範囲は5キロだろう。だったらその倍の距離だと安全だと踏んだ。

 時間が来た。政府軍は混迷状態になった。自国の地下資源どころか、食料すら売り渡して手に入れたハイテクの兵器がすべて沈黙した。電子機器も使えず、携帯電話どころか、通信機も使えない。発電機すら稼働しなかった。周りには反政府組織のゲリラが潜んでいるという状態の中で、昔ながらの銃しか使えない。それもスコープ機能は使えず、照準補正機能も暗闇のままだ。

 時間帯は昼間だったが、ハイテク装置が機能しない政府軍にとってまるで暗闇の中で孤立したかのようだ。

 決行の時間を昼間に設定したのは反政府軍の装備が貧弱だったからだ。暗視ゴーグルなど手に入れられない彼らには、真っ昼間に特攻することしかできない。都市にいる一般市民に紛れて、攻め込むつもりだった。

その彼らも混乱した。彼らとて10キロの道のりを歩いていくことは想定していない。しかし、彼らの車両は始動しなかった。装置の有効範囲はせいぜい5キロ程度だと高をくくっていた反政府勢力は、自分が作った装置の有効範囲内で身動きが取れなくなっていた。

 装置は半径50キロのすべての電気製品を沈黙させた。小さく作ったはずなのに、結局同じ範囲を沈黙させてしまった。違っていたのは小さく作ったおかげで威力が続く時間が少々短くなっただけだった。

 車両はエンジンがかからず、ほかの拠点に待機している味方とも連絡が取れない。

部隊は各リーダーがそれぞれ連携をとることなく、個別に突撃していき、散発的な攻撃に終わった。使える武器が銃のみでは、奇襲の効果も薄い。

 しかし問題はその近隣の地域の損害だった。それは大惨事と呼んでいいものだった。五十キロの圏内に隣国の平和な地域が含まれていた。紛争地を避けて多くの航空機の航路となっている場所だった。そこを飛んでいた八機の旅客機と三機の輸送機が巻き込まれ、それが建て込んだ人家の上に落ちた。

 たった一つの小さな装置が、数十万人の命を消した。


 その威力に魅せられて、紛争地域で装置は散発的に稼働した。そして多くの人の命を奪った。

 あらゆる人々が航空機に乗ることを恐れた。そして乗らなくなった。航空機は予約がキャンセルされ、欠航した。輸送機も飛ばなくなった。多くのパイロットが業務を拒否した。経済は混乱したが、麻痺はしなかった。時間がかかるが海上輸送は存在している。比較的安全な船に切り替えればいい。船ならばたとえ装置が作動しても、その間錨を下ろして停泊するか、錨を下ろせないような遠洋にいる場合はしばらく漂流すればいい。装置の稼働時間は十数時間とないのだからその間をやり過ごせば問題はない。社会生活はスピード感を失ったがそれでも続いた。


 スピード感を失って失墜したのはスポーツ界だった。国際試合がなくなった。維持できなくなった。選手が集められないからだ。地域リーグは相変わらず庶民の娯楽だったが、国際試合を開催しようにも選手がやってくることができない。船でやってくるには時間がかかりすぎる。ヨーロッパやアジアでその地域限定の選手を集めても、盛り上がりに欠ける。衛星放送は機能しているので、その試合を世界に配信することはできるのだが、国際試合のような盛り上がりに欠ける。ワールドカップなど夢また夢だ。オリンピックはどこの国も不参加を決め、開催国は開催を返上し、そのあとは開催国に立候補する国、地域はなかった。

 次に軍も困った。少なくとも空軍は沈黙した。活発に装置の無効化の研究が行われたが、効果のある方法は見いだせない。ネット上には削除しても削除しても設計図は書き込まれる。少々複雑な装置ではあるが、ちょっと工学的知識があれば、既存の設備で簡単に作ることができるのだ。そんな究極の破壊兵器が全人類の前に公開されている。空軍のパイロットたちが操縦かんを握ることを拒否するのも当然だ。飛んでいる間に装置の影響を受けたら、墜落するしかない。そんな危ないものを訓練であっても飛ばせるはずがない。

 各国は空軍を縮小し、空軍基地を閉鎖した。それに伴い、陸上部隊の輸送もできなくなった。世界各国の紛争地はほとんどがすべて発展途上国にある。そこまで先進国から軍隊を派遣するためには今までは大型の輸送機が使われた。しかしそれは飛ばない。各国や国連は兵士を派遣できなくなった。戦艦で移送しても時間はかかる。空路の頼っていた今までの戦略は基礎から見直しを迫られた。戦争は100年前に逆戻りした。高価な電子機器より簡単な銃、小火器しかここぞという時には役に立たない。もちろん、ミサイルや誘導兵器など、抑止力にもならない。飛ばない核兵器は自国の安全の脅威にしかならない。邪魔でしょうがない。

 世界各国の軍隊はそれぞれの軍備の無意味さに衝撃を覚え、一時的に鎖国に近い政策をとった。

 世界は停止したかに思えた。ただそれは凍り付いたものではなかった。徐々に経済は動いた。航空機が使えなければ船がある。流通が止まることはなかった。急ぎのものはインターネットで情報をやり取りした。

 多くの人は他国への関心を失い、紛争にも興味を失った。たとえ紛争が起きても、ジャーナリストが駆けつけることができない。そこで残虐非道なことが起きても、知る術がなければ世界は紛争があったことすら気づかない。噂で知っていても、ネットで情報が流れたとしても、フェイクか事実か判別がつかない。人道支援は先進国の上流社会にとって魅力的なお話ではなくなった。いくら支援してもその支援の状況が報道されなければ、やったかいもない。面白みのない自慢話にもなれない支援活動に熱意をもって金を出すものはいなくなった。

 基本、人道支援はスポンサーがあってのものだ。誰かが資金を出してくれないと活動はできない。それにはその地で悲惨な状況があって、それをマスコミが報道し、広く知られる必要がある。あんな悲惨な状況に胸を痛め、支援のための金を送る私って素晴らしいと陶酔するためには、ジャーナリストがそこに行って取材し、その悲惨な状況をタイムリーに映像を配信する必要がある。でもそこにジャーナリストや人道支援団体が訪れるには船を使って時間をかけていくしかない。それはタイムリーではない。

 アジア、アフリカ、中近東の田舎で、何かの事件が起きても、そこにジャーナリストがいて、映像があって、それが配信され、多くの人の耳目をひきつけ、報道のムーブメントが起きないと、世論を形成することは難しい。

 今まで多くの紛争でいち早く集まったジャーナリストが、多くの悲惨な状況を瞬時に配信したからこそ、大国はそこに平和維持部隊を出す口実ができるし、人道支援のスポンサーたちも、金を惜しまないが、そんなスポンサーたちの心を揺さぶる悲惨な状況が配信されなければ金は集まらない。

 事実、紛争や災害が、人が簡単に行けないような場所で起きれば、ジャーナリストはほとんど来ない。山岳地帯や、劣悪な環境、交通網が整備されていないために行くだけでも数日かかるような場所に、紛争や災害が起きればただでさえ貧弱なインフラは破壊され、そこに行く手段はなくなる。当然、その悲惨さを世界に発信するすべはない。

 また通常の干ばつやありふれた地震、自然災害では人道支援は滅多にやってこない。人道支援がやってくるには、目を覆いたくなるような悲惨な状況、乳幼児までがその災害や紛争に巻き込まれ、命の危険があるという場合か、すでに多くの乳幼児や子供が死んでいることが必須条件になっている。そのために支援を欲しがる現地では、わざと子供を餓死寸前まで追い込んだり、地雷原を歩かせたりして、悲惨な状況の映像を作ることも珍しくない。

 ジャーナリストが来なくなり、人道支援が訪れなくなった紛争地域では、物資が欠乏する。あまり知られていないことだが、難民キャンプを仕切っているのは、その地の支配者であり、紛争の当事者であり、民間であろうが政府であろうが、軍隊なのだ。そしてその軍隊の一番の収入源が、人道支援団体がそこで活動するために支払う入場料だったり、税金の名目で巻き上げる善意の金だ。支援物資は求めている難民の口には入らず、横取りされて売却され、その金で武器弾薬を買う。ジャーナリストや支援団体はそれを知っていて、その事実を配信しない。

 紛争には人道支援団体が必須なのだ。金づるであり、自分たちの正当性を宣伝してもらえる広告塔なのだ。それが来なくなった。戦争は資金不足になって下火になり、結局は多国籍企業の開発を受け入れるか、その企業に見向きもされないような資源のない国や地域はその現地の人からも見捨てられ、人は去っていく。多国籍企業は多くの人に誤解されているようだが、コンプライアンスを守らなくてはいけないから、そこの従業員たちの福利厚生にはそれなりの基準があるし、安全と環境維持は製品の品質にも関わるので、基準を設けてかなり高水準な福利厚生を行っている。むしろ、地元の有力者や支配者のほうが、労働者を冷遇し、こき使っているのは多くの場所で日常化している。

 航空網がなくなったとはいえ、船便は機能していることから、生鮮食品のように時間がかかると品質が落ちるもの以外は、国際市場が成立している、コーヒーや茶、穀物などは今まで通りに世界の端から端まで運ばれるし、鉱物資源も同様に国際市場の目玉商品であり続ける。

 観光業は冷え込んだ。国内観光はそれなりに根強かったが、国際観光はほぼ壊滅した。ごく少数の時間に余裕のある富裕層が船便による豪華な周遊旅行が残ったくらいで、その規模、人員動員は今までと比べようもなかった。丸一日で地球を一周できる便利さが失われた今、時間も金も限られた庶民に、海外旅行は夢のまた夢だった。

 他国に興味を持たなくなった人々は他国の宗教にも、興味を失っていった。宗教間の軋轢は消失していった。それとともに若者を中心にして、宗教への興味も薄れていく。


 装置がネットに上がってから10年が過ぎ、世界は平和になった。軍隊はほぼなくなった。情報はそれぞれの国で発信され、通信網は豊かにつながってはいたが、人々の関心は自国が中心になり、人の往来は滅多にない。物はそれなりに流通しているので、人々の暮らしに困ることはなくなったが、人は自国にとどまり、交流はほとんどなかった。

 移民も難民も大きくは移動しない。開発途上国の多くはあちらこちらで債務不履行になって崩壊していったが、産業があれば多国籍企業が乗り込んでいって開発し、なければそのまま放置される。そこの国の人々は近隣の国に流れていき、産業のあるところ、肥沃な大地に人は集まり、流動化していく。民族も国家も宗教も、流動化していき、世界はネットでつながった小さな集団の海になる。

 各国のテレビ局はお互いに番組を交換した。旅行番組などは人気で、高い視聴率を稼いだが、人々はそれを見るだけで満足し、自国から出て行くことはほとんどなかった。生鮮食品でなければ、かの地の産物を船便で取り寄せることは可能だったから、世界の産物は相変わらず流通していた。

 世界は最も安定し、穏やかに発展し、平和な世界が広がっていった。


「科学が世界を変えたのよ」

楠誠二はすれ違いざま女性に声をかけられたが、その相手がだれかはわからなかった。


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