第7話 語らい、知りあい
「トーヤ。聞きたいことがある」
満天の星空を頭上に臨む、森林の中の開けた一角。ふと、自分の名を呼ぶ声を耳にして、トーヤはそちらを見やった。
「ん、なに?」
見れば、眼前に腰を下ろし、膝を抱えてちょこんと座る少女、ことアスセナが、金色の瞳で真っ直ぐにトーヤを見つめている。相変わらずその表情は見えなかったが、その瞳にはどこか好奇心に満ちた光が宿っていた。
「ここは、人間の住む場所じゃない。なのに、どうしてトーヤはこんなところにいるの?」
アスセナが口にしたのは、疑問。自分を助けた人間が、どうしてここにいたのかという、単純明快な疑問だった。
「あぁ、そんなことか。……ちょっと長くなるけど、それでも良いなら」
「ん、大丈夫。聞かせてほしい」
「わかった。……じゃあ、どこから話すべきかな」
拾ってきた無数の枝――開けた空間の周囲には、アスセナがここに降りた時になぎ倒されたと思しき無数の倒木があったため、枝集めには困らなかった――に、召炎魔法で火を付けながら、トーヤは少し考え込む。
即席のたき火が完成し、夜を乗り超える準備ができたところで、トーヤも思考を纏めると、ゆっくりと語り始めた。
***
「……と、まぁそんなところか。そういうわけで、俺はここで君と出会って、今に至る、ってわけだ」
しばしの時を費やして、トーヤはここに来たいきさつを――森の中でパニッシュ・レオーネに襲われ、囮役を買って出て、九死に一生を得てきたことを語る。
一通り聞き終えたアスセナは、納得したようなそぶりを見せつつも、どこか不思議そうな顔をしていた。
「……どうして、そんなことをしたの?」
「え? うーん、なんて言えばいいかなぁ。その時俺がいた行商隊には、家族……とはちょっと違うけど、似たような人が乗ってたんだ。で、その人や周りの人を死なせたくないな、って思って、気が付いたら行動してたんだよ。……まぁ、我ながらあの行動はどうかしてたと思うけどな」
無謀と言っても足りないほどの蛮行を犯したことをようやく自覚して、トーヤは自嘲気味に笑いながら、力なく頭を抱える。
きっと今頃、エヴァは絶望に暮れて、泣いているかもしれない。あるいはもしかすると、トーヤを探しに森へ戻ってしまっているかもしれない可能性もあるのだ。
後から後から懸念ばかりがあふれて来て、トーヤはまた一つ、ため息をついた。
「でも、そのおかげで、トーヤの大切な人は生きてる。なら、それは誇らしいこと、だと思う。……私には、たぶんできない」
物憂げなトーヤを気遣ってか、アスセナは少したどたどしいながらも、トーヤに賞賛を送ってくれる。言葉少なで、それゆえにストレートな言葉を受けたトーヤは、なんだか居心地が悪くなって、ぽりぽりと頬をかいた。
「……そ、そうだ。セナはどうしてここで倒れてたんだ?」
照れ隠しがてら、話題を変える。
彼女が負っていた傷の状態や、倒れ込んでいた時のうわごとから察するに、何かしらの事情があってこの場にいたことは間違いない。事情を聴いたところで何ができる訳でもないが、もしもなにか悩みを抱えているのならば、多少は負担を和らげられるかもしれない……というのが、トーヤの考えだった。
そして、それが無粋な質問だったと後悔したのは、アスセナの表情が暗く陰ったのを見た時だった。
「……悪い。無理に聞きだすつもりはないんだ。ごめん、変なこと言って」
「ん……大丈夫。……話したくないわけじゃ、ない。むしろ、トーヤになら、話したい、と思う」
言いつつ、アスセナは眉尻を下げ、寂しそうな眼差しで、ぼんやりと焚き火を見つめる。その顔には、幼気な容姿にはあまりにも似つかわしくない、重い影が落ちていた。
「――私は、殺されそうになった。この身体が、原因で」
ぽつりとそうこぼしてから、アスセナはとつとつと、これまでのいきさつを語り始めた。
***
アスセナは元々、ドラゴンたちが寄り集まって暮らす里――この世界とは少しだけ時空のずれた、隔絶された場所に作られたドラゴンの里に生まれた、いわゆる「忌み子」と呼ばれる存在だったらしい。
曰く、ドラゴンという種族は、成長するに従って、内に宿した魔力の影響で、その体色を様々に変化させる。だが、本来ならば何かしらの色に染まるはずだった彼女の体色は、何色にも染まらない、白のままだったのだ。
「白き竜が厄災を招く」。古くから伝えられてきた言い伝えを恐れた他の竜たちは、アスセナの存在をひどく恐れた。そして、いずれ降りかかるやもしれない厄災を避けるために、彼らはアスセナを里から離れた地に幽閉したのだ。
側から聞けば理不尽極まりない酷い仕打ちにも思えたが、アスセナからしてみれば、理不尽でこそあれど、さしたる不満はなかったらしい。
もとよりアスセナは、自身が幽閉された小さな世界以外のことを、ほとんど知らなかった。故に、不便でこそあったが、そこに大きな不満や憤りを感じることはなかった……とは、本人の弁だった。
しかし、幽閉されたままの生活の生活は、ある日突然、終わりを告げる。それまで顔を見せることすらなかった同胞たちが、何の前触れもなく、アスセナが幽閉されている血へと、姿を現したのだ。
驚くアスセナをよそに、竜たちの口からは、一つの宣告が告げられる。
「ここ数年の間、我らの里は幾度も災いに見舞われた。これ以上、お前という災いの大元を看過することはできない」
仲間であるはずの者たちから受けた、「アスセナという厄災の元凶を葬る」という、無慈悲な言葉。それを皮切りに、アスセナは激しい攻撃に身をさらされることとなった。
しかし、その攻撃がきっかけとなり、彼女を幽閉していた牢獄は崩壊。活路を見出したアスセナは、死に物狂いで脱出を試み、命を狙う同族を振り切り、人為的に歪められた時空を強引に突破して、脱出に成功する。
そして、脱出の前に受けた無数の傷と、時空を無理やり突き抜けてきた反動によるダメージで動けなくなったアスセナは、眼下にあった森へと落着。
息も絶え絶えのまま、命の灯火が尽きるのを待つのみとなったところで、たまたま通りがかった人間に命を救われ――今に至るのである。
***
「……そう、だったのか」
語り終えたアスセナが、静かに口を閉じる。対するトーヤは、軽い気持ちで聞いてしまったことを後悔するように。あるいは、彼女に対するいたたまれなさで、そっと顔をそむけることしかできなかった。
「……私は、ただ生きたかっただけ。あの、暗くて狭い空間だけが、私の世界だったとしても。そこに、なんの自由がなかったとしても。静かに暮らしていられれば、それでよかった」
なおも陰った表情のまま、アスセナは続ける。
「そう望むのは、悪いこと? ……私は、生きていちゃ、いけないの?」
どこか空虚な金の瞳で、アスセナはトーヤを見やる。やり場のない絶望感を湛える光に濡れた、あまりにも悲愴なまなざしが、トーヤの胸をきつく締め付けた。
「そんなわけない。――そんなこと、絶対にない」
とっさに、声を荒げる。憐憫でも打算でもない、本心からの言葉が、トーヤの口を突いて出た。
「――君がどんな種族で、どういう形で生まれてきたのだとしても、他の誰かに生きるのを否定する権利なんて、ない。……えらそうなこと言える立場じゃないのは、わかってるつもりだけど、さ。それでも、君が生きたいって思うのは、悪いことじゃないよ。絶対に」
語勢を強めて、トーヤはきっぱりと、彼女の憂いを否定してみせる。きっとそれが、彼女の望む答えなのだろうという確信が、トーヤにはあった。
そしてどうやら、その言葉は、無事にアスセナの心にも届いてくれたらしい。かすかに驚いたような表情を浮かべたかと思うと、ふっと和らいだ表情を見せてくれた。
「……ありがとう。そんなことを言ってくれたのは、あなたが初めて。……私に色々教えてくれた人も、きっと、そこまでは言ってくれなかった」
表情筋が硬いのか、その表情はわずかしか変わらない。にもかかわらず、その笑顔はとても可憐で、思わず見惚れてしまいそうなほどに、綺麗な笑顔だった。
「……トーヤ。お願いがある」
「え?」
直後、意を決したように、アスセナが表情を変える。少しだけ真面目くさった表情になった彼女の顔からは、すっかり陰りが消えていた。
「私、強くなりたい。生きていくために……私が生きることを望まないヒトたちから、自分を守るための、力が欲しい。……だけど、私は竜で、ずっと閉じ込められて生きてきた。だから、私は世界のことも、自分のことも、何も知らない」
その口から語られるのは、強い願い。まっすぐな瞳とまっすぐな言葉で、アスセナは語る。
「だから、トーヤ。私に、教えてほしい。人間の世界を、人間の知恵を。知らないことをたくさん学べば、きっと私は、強くなれるから」
そして、アスセナは小さく頭を下げた。
――今でこそ、華奢で繊細な少女の風体をしているが、目の前にいるのはかの伝説の生物、ドラゴンだ。
神話にその名を轟かせながらも、架空の存在として認知されていたはずの生き物が、自分と変わらない年頃の少女に変じ、こうしてお願いを口にしている。その、あまりにも現実感の薄い奇妙な光景が何だか可笑しくて、トーヤは小さく吹き出してしまった。
「……? 私、おかしなこと言ってた?」
「や、悪い。そういうわけじゃないんだ。ただ、改めて考えてみると、なんか不思議な光景だなぁって思ってさ」
不思議そうな表情のアスセナを見ると、やはり奇妙な光景だと実感する。もう一度苦笑をこぼすと、またアスセナがこてんと首を傾げた。
「それに、なんて言うか、偶然なんかじゃないんじゃないかって思うんだ」
「……どういうこと?」
「実は、さ。俺も、強くなりたいって思ってたんだよ。理由はまぁ、君のそれとは違うんだけどな」
そうしてトーヤは、胸に抱いた夢を語って聞かせる。
亡き両親が自分に託してくれた、最強の冒険者になるという夢。ひとしきり語り終えてみると、熱心に聞き入っていたアスセナは、金色の瞳を静かに輝かせていた。
「最強の、冒険者。誰にも負けない、強いヒト。……私と、同じ夢」
「あぁ。……理由は君と違うけど、目指すところはだいたい同じなんだ。それが、なんだか偶然には思えなくてさ」
そう言って笑いかけるトーヤは、しかしすぐに眉尻を下げ、困り笑いを浮かべる。
「ただ、言っちゃなんだけど、俺ってあんまり強くないんだよな。実力的にはまだまだ駆け出しもいいところだし、剣も魔法も得意っていえば得意だけど、誰にも負けないって程じゃない。だから、君に教えられることはあんまりないと思うけど……それでも、良いかい?」
自嘲気味に肩をすくめつつ、トーヤが問いかける。
果たして、どんな答えが返ってくるだろうか。期待と不安の入り混じった複雑な心境でアスセナの方を見やるが、そこに座る少女の顔は、思案にふけっているのか、相変わらずの鉄面皮のままだった。
「ん……なら、一緒に強くなれば良い」
しばらく考え込んだアスセナが、不意にそうこぼす。
「……と、いうと?」
「トーヤも私も、強くなりたいって目的は同じ。なら、私はトーヤと一緒に強くなりたい。教えてもらうだけじゃなくて、トーヤと力を合わせて、一緒に自分を強くしていきたい。……そう、思った」
続くアスセナの言葉で、ようやくトーヤはその発言の意図を理解するに至る。そして、思いもよらぬ答えに驚くとともに、感嘆の声を漏らした。
「……なるほど、なぁ。でも、セナはそれで良いのか? 強くなるためなら、俺なんかと一緒になるより、もっと良い方法も……」
トーヤの言葉が終わるよりも早く、アスセナは小さく首を横に振る。
「もしそうだとしても、私はトーヤと一緒に行きたい。……私のことを認めてくれたヒトと、トーヤと一緒にいれば、きっとなんとかなる、と思うから」
その発言に、トーヤは返す言葉を失ってしまう。
よもやこれほど信頼を置かれるとは思っていなかったので、アスセナの言葉はまさに予想外といっていい。どう受け止めればいいかを測りかねたトーヤは、少し照れ臭そうにぽりぽりと頬を掻いた。
「そっか……ん、わかった。そこまで言ってくれるなら、俺としても断る理由なんかない。むしろ、強くなれる可能性が広がるんだ、こっちからお願いしたいくらいだよ」
拳を握り、笑いかければ、アスセナもまたほんの少しだけ微笑んで、小さく頷く。
――実のところ、この出会いが本当に良い結果をもたらすとは限らない。
トーヤの眼前に座る少女は、確かに伝説に名を連ねる存在でこそあるが、その実力そのものは、全くの未知数だ。トーヤを軽くしのぐような実力者である可能性も、トーヤがマシに見えるレベルの落ちこぼれである可能性も、どちらも否定できない。そのことを考えれば、アスセナを受け入れるというトーヤの行動は、本来なら酷く非合理的だ。
(きっと、この出会いは偶然なんかじゃない。どっちに転んだとしても、この子と一緒に居れば、何かが起こる。――そんな気がする)
しかしそれでも、トーヤは自分の直感を信じて、彼女の提案に乗る形で、その手を差し伸べる。
もしもこの出会いが、運命だと言うのならば、あるいは。そんな淡い期待と、確信とすらいえる不思議な直感に、今のトーヤは突き動かされていた。
「じゃあ、決まり。――これからは、トーヤについていく」
「あぁ。……きっと、ここで会ったのも何かの縁だ」
かたや、抱いた夢を叶えるために強くなることを願う少年。
かたや、降りかかる火の粉を払うための強さを求める少女。
それぞれの胸に抱いた願いを異にしながら、しかし、二人は導かれるように邂逅を果たした。
「強くなろう。二人で、いっしょに」
「ん。これからよろしく、トーヤ」
「こちらこそ。よろしくな、セナ」
強さを求める目的は違えど、目指した場所は同じ。
この瞬間、一人と一匹の道は、不思議な出会いによって交わることとなった。