第4話 襲い来る影
翌日、以降は満を持して、森――今回の旅の最大の障害となる地域へと、足を踏み入れた。
「コルシャの森」と呼ばれるこの森林地帯は、近隣の町村や、そこを拠点とする冒険者の間で「魔物の森」と呼ばれるほど有名な、魔物の群生地だ。
豊かに生い茂る植物と、それを求めてやって来たり、この地に住まう様々な動物。それらを狙う魔物が内外から集結した結果、コルシャの森は専門家をして「天然の魔物博物館」と言わしめるほど、多様な魔物たちの棲み処となっているのだ。
加えて、うっそうと生い茂る、背の高い木々に覆われた内部は、常に薄暗い。
思うように視界を得られない上、足元は舗装の行き届いていない獣道。それらに妨げられ、思うように歩を進められない旅人たちの存在は、この森に住まう魔物たちにとって、格好の獲物でもあった。
この森を通過する際には、少しでも森を早く抜けられるルートを選択するのが、暗黙の了解となっている。グレアム率いるキャラバンの面々もまた、そんなセオリーに従って、可能な限り森を避けるような進路を取っていた。
「――くそっ、減らない!!」
そして、そんなコルシャの森の、真っただ中。
かすかな木漏れ日だけが光源の薄暗い森の中で、トーヤ達と行商隊は、無数の魔物たちに襲われていた。
それは、時間にしてほんの十数分前の出来事だった。
森の中に踏み入った、ということもあり、トーヤ達は充分に警戒して進んでいた。その時、不意に茂みから飛び出してきた数匹の魔物と遭遇して、交戦状態に突入したのである。
コルシャの森近辺に生息する魔物の中でも、比較的弱い部類に入るそれらは、仮にランクの低いトーヤが、一人で行動していたとしても、御しきることはできただろう。
しかし、それらを片付けたその直後、後に続かんとするかのように、四方八方から飛び出してきた新たな魔物たちが、一行を襲ったのだ。
何者かに仕組まれていたにしては、あまりにも不自然な、登場の仕方。そして、襲い掛かってきた魔物が、「特定種の群れではなく、たくさんの魔物がごちゃ混ぜになった混合軍だった」ということに疑問を呈する暇もなく、トーヤ達は行商隊を守るため出撃。
結果、人も魔物も関係ない大乱戦にもつれ込み――今に至る。
「らあぁっ!!」
握りしめた愛剣を必死に振るい、かざした手から魔法を放ち、トーヤは迫る魔物たちを片端から叩き続ける。当然、全てを仕留められたわけではなかったが、それらはトーヤ共々前線に立つ冒険者たちや、後方から魔法を放つ冒険者たちにより、残らず殲滅されていった。
「ガゥッ!」
「ギョアァ!」
「ガルアァッ!!」
しかし、それでもなお魔物たちの波は収まるところを知らない。あまりの密度のせいもあり、攻撃そのものはさほど苛烈ではなかったが、絶えずなだれ込んでくる魔物たちの勢いに、トーヤはじわじわと後退を余儀なくされていた。
「く、そっ――!」
「ウラアァァッ!!!」
その時、雄叫びと共に、人影――先日トーヤと模擬戦をしていた、大剣を携える男が切り込んでくる。
彼が大剣を一閃すると、その一太刀により、淡い光を孕んだ衝撃波の嵐が発生。暴力的な烈風は、目前の魔物を食らうだけでは飽き足らず、その先にいた魔物たちのことごとくを、余すことなく食いちぎっていった。
「あなたは――」
「おう、生きてるな。最前線は『戦技』を持ってるオレらに任せろ。お前は後ろに下がって、オレらの撃ち漏らしから、行商の連中を守ってくれ」
「わ、わかりました!」
大剣の男に促され、トーヤは後退する。
「喰らい――やがれぇぇッ!!」
直後、咆哮と共に、男が再び大剣を一閃。先刻よりもさらに勢いを増した衝撃波の嵐は、迫る魔物たちを一撃のもとに吹き飛ばして見せた。
(あの破壊力……あれが戦技か!)
――魔法の根幹となるエネルギーである魔力だが、その力の恩恵を受けられるのは、魔道士だけではない。力の出力方式が違うだけで、魔法を使わないような人間であっても、才能さえあれば、魔力を行使することは可能なのだ。
一般に「戦技」と呼称されるその技術体系は、魔道士の魔法と同じく、魔力を源にして発動される戦闘術だ。
「魔力によって武器の破壊力を増幅する」という特性を持つ戦技は、「魔力を炎や氷といった自然現象に変換して撃ち放つ」技術である魔法に比べると、燃費や物理的な破壊力で勝っている。総合的な火力では魔法に劣るが、今回のような大量の魔物を相手取る時や、通常攻撃の通用しにくい魔物を相手にする時、冒険者から重宝される技でもあった。
もっとも、剣を専攻しているにも関わらず、トーヤは戦技を使うことができない。
本職の者ほど習熟していない、ということもあるが、戦技と相反する技術である魔法を同時に専攻するその戦い方が、トーヤから戦技を使うための力を奪っているのである。その点においても、トーヤの戦闘スタイルは、とても中途半端なものだった。
「あっ、トーヤ! どうしてここに?」
無数の魔物の鳴き声が響く中、行商隊が立ち往生している場所へと戻ると、真っ先に気付いたエヴァが呼びかける。
「後ろの方を守ってくれって、先輩に言われたんだ。あの数を相手にするなら、戦技や魔法が使える方が良いからさ」
「そっか。何にせよ、無事でよかったよ、トーヤ」
そんな話をしていると、トーヤ達の姿を見つけたのか、グレアムが歩み寄ってくる。予想だにしない襲撃を受けたせいか、その表情はかすかにこわばっていた。
「トーヤくんか。向こうはどうなっている?」
グレアムの言葉に、ちらりと後ろを伺ってみれば、そこに広がる光景は変わらない。相変わらず押し寄せる魔物たちが、戦技の衝撃波や、とりどりに輝く魔法に吹き飛ばされているのが見えた。
「多分、何とかなると思います。魔物自体は俺でも戦えるくらいの強さだったし、他の人たちには強い戦技や魔法もあります。充分対処できるはずですよ」
「そう、か。それは何よりだ。……はぁ、やれやれ。恐ろしい数の魔物に囲まれた時には、流石に肝が冷えたよ」
事なきを得られそうだと理解して、グレアムが小さく安堵の息を吐く。辺りを見回せば、エヴァを含めた他の行商人たちも、一様に胸をなでおろしていた。
「グレアムさん、今のうちにここから発進する準備をしておきましょう。同じことがもう一度起きない、とは限りませんから」
「そうだな、私もそう思っていたところだ。皆、すぐに発てるよう準備するんだ! 他の冒険者たちが戻り次第、早急にここを離れるぞ!」
グレアムの言葉に、商人たちが一斉に動き出す。にわかにあわただしくなるその姿を見ながら、ふとトーヤは背後を見やった。
煌めく魔法が舞い踊り、戦技の嵐が炸裂する。一つ一つの攻撃で巻き上げられる魔物の数はだんだんと減ってきており、そう遠くないうちに、戦闘が終わるだろうことが見て取れた。
終局を悟ると、戦闘で熱されていたトーヤの頭が、ゆっくりと冷えていく。
そうして、熱の飛んだ頭に思い浮かんだのは、この大乱戦の発端となった、大量の魔物と遭遇した時の出来事だった。
(……どうして、魔物たちはこんなめちゃくちゃな攻め方をしてきたんだ?)
脳裏に浮かぶのは、冒険者としての生活の中で学んだ、魔物たちに対する常識だ。
通常、魔物は種族ごとに異なる群れをつくり、その中で生活している。しかし、今回トーヤたちを襲撃したのは、多種多様な魔物たちがごちゃ混ぜになった、無秩序の大群だったのだ。
二つや三つの群れが、ぶつかり合いながら襲撃してきた……というならば、「珍しいがないことはない事例」として対処できただろう。しかし、今回の大群は、一体一体の種族や数も違えば、縄張りとするテリトリーすら違う魔物たちが、まるで志を一つにしたかのように、争い合うことすらなく一直線に向かってきた。ここまで来れば、珍しい事例の一言で片づけられる問題ではない。
(エサや天敵のこともあるし、あんなことをするメリットは魔物たちに無いはずだ。だったら、どうして――)
少しずつ終局を迎えていく戦闘を見守りながら、トーヤはひたすら思考の海に没頭していく。
(……いや、待てよ?)
そこでふと、大乱戦に突入する前の光景が――大量の魔物たちが一斉に飛び出してきた時の光景が、脳裏に蘇った。
はたして、あの魔物たちは「本当に自分たちを襲いに来た」のだろうか?
種族もテリトリーも関係なく、一目散に行動する、あの不可解な挙動。それは例えるなら、襲撃に来たというよりも「もっと別のナニカ」を目的にしていたのではないだろうか?
そんな考えが、トーヤの頭をよぎった。
「っしゃあぁ! 纏めて片付けたやったぞォォ!!」
さらに思考の深みに沈みかけたその瞬間、耳に入った雄叫びに、トーヤの意識が引き上げられる。
顔を上げてみてみれば、そこには携えた大剣を高々と掲げる男と、それに続いて勝鬨を上げる冒険者たちの姿。皆一様に疲労困憊の様相を呈していたが、彼らの表情は清々しさに満ち溢れていて、この戦いが、彼らにとっても激戦だったことを物語っていた。
(無事に片付いたんだな。……さすが、ベテランは違うな)
内心で賞賛の言葉を送りつつも、トーヤの心は複雑に揺れる。目の前の光景を凄いと思うと同時に、自分がその光景の中に混じることができない口惜しさが、胸中でない交ぜになっていた。
ともかく、まずはすぐに動き始めるのを知らせるべきだろう。そう考えて気持ちを切り替えると、トーヤは改めて冒険者たちの元へと一歩を踏み出し始めた。
その、直後。
ドズン!! という、地面を下から突き上げたような衝撃が、その場にいた全員を襲った。
「ッ?!」
予期せぬ出来事に襲われ、トーヤはたたらを踏む。すぐさま周囲を見回してみれば、その場にいた全員が、驚きに戸惑っているのが見えた。
「な、何だ?!」
「今、揺れたわよ! 何の揺れ?!」
「落ち着け! まずは周囲の警戒と、行商の奴らを守ることを最優先にするんだ!」
混乱に見舞われる中、大剣の男が率先して冒険者たちを統率する。しかし、そんな冒険者たちをあざ笑うかのごとく、強烈な振動はなおも森を揺るがし続けていた。
「――――まさか」
そんな中、トーヤの中の予感がささやく。
先ほど、トーヤ達行商隊を襲った無数の魔物たち。もしも彼らの目的が、トーヤの予測通り「行商隊とは違う、別のナニカ」を目的としていたのならば。
それは例えるならば――「何か巨大な脅威から、逃げようとしていた」のではないだろうか?
仮説が浮かび上がると同時に、トーヤの中で、何かが音を立てて噛み合ったような、そんな感覚が生まれる。
直後、まるでトーヤの仮説を肯定するかのように、ひと際大きな振動が響き渡って。
木々をかき分けるように、巨大な影が。
一対の翼を背に抱く、見上げるほどに巨大な「獅子」が、その姿を露わにした。