第2話 初めての護衛依頼
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「おっ、来た来た。おーい、こっちこっちー」
山間の向こうから顔を出し始めた太陽の光に照らされ、夜から目覚めていく町の中。
朝靄にかすむ景色の向こう、遠くから自分を呼ぶ声に、トーヤは軽く手を振り返す。声の主が知己であることを改めて確認してから、トーヤは小走りにそちらへと駆けて行った。
「おまたせ、エヴァ姉。……ひょっとして、俺が最後だった?」
「みたいだね。でも、まだ出発には時間があるし大丈夫だよ。ほら、他の冒険者さんたちも、まだ色々と準備してるところだし」
エヴァの指し示す方を見やってみれば、そこには一目で冒険者とわかる装いをした面々がたむろしている。彼らは一様に待機しているわけではなく、得物のメンテナンスをしていたり、持ち物の確認をしていたり、はたまたパーティを組んでいるのか、親し気な様子の仲間と雑談に興じていたりと、各々自由に時間を潰しているのが見て取れた。
「良かった。こういう依頼を受けるのは初めてだから、けっこう不安だったんだ」
「あはは、初めてならそりゃ緊張するよね。今のうちにしっかりと慣れておきなよ」
「そうだね。勉強にするよ」
緩く笑いあってから、トーヤとエヴァはしばし雑談に華を咲かせる。
幾ばくかの時間が経ち、朝靄も晴れて太陽が完全に顔を出した頃、一人の男性が周囲に集合の号令をかけた。
豊かな口ひげを蓄え、深い皺を顔に刻んでいる彼は、初老の男性らしい顔立ちに反して、しっかりと背筋の伸びた毅然とした立ち振る舞いを見せている。衰えを見せない力強い足取りで、集まった人間たちの中心に立った初老の男性は、集まった冒険者と商人たちを見回すと、一つ咳ばらいを挟んでから口を開いた。
「集まってくれてありがとう。私が今回の依頼の代表者で、名をグレアムという。今回の旅を決行するに当たって、依頼を受けてくれた冒険者諸君に、感謝するよ」
言葉と共に、腰を折ったグレアムが一礼する。一連の所作は実に堂に入ったもので、あまり礼儀作法に詳しくないトーヤでも、その所作がとても美しいものだと理解できるほどだった。
「依頼書にも記したが、今回の旅には私の率いる隊以下、フリーの行商人たちがひとまとまりとなって行動を共にする。冒険者諸君の仕事は、戦うすべを持たない彼らを守り、私たちの目的地である『エレヴィアの町』まで送り届けることだ。無事に町へたどり着くことができたならば、色よい報酬を約束しよう。――諸君の健闘を祈る」
そう言ってグレアムが言葉を締めくくると、冒険者たちは一様に頷き、それぞれに動き始めた。
続々と形成されていく隊列の各所に、冒険者たちは各々迷うことなく入り込んでいく。その様は、ここにいる冒険者たちが皆一様に旅慣れていることを、無言のままに物語っていた。
出遅れてしまい、しかしどう動けばいいのかもわからないトーヤの前に、先ほど挨拶をしていたグレアムが歩み寄ってくる。
「君がトーヤくんか。エヴァンジェ君から話は聞いているよ。護衛依頼を受けるのは初めてらしいな」
「は、はいっ。……あの、すみません。俺は何をすればいいでしょうか? 何をすればいいのか、わからなくて」
「そうだな。さしあたっては、他の冒険者と共に周辺の哨戒を頼みたい。……それと、人数が多い分、雑用に手が回っていなくてな。できるなら、いくらかそう言った仕事をこなしてくれればありがたいのだが」
「わ、わかりました!」
若干緊張ながら承諾すると、グレアムは満足そうにその場を立ち去っていく。
残されたトーヤが密かに安堵のため息を吐くと、背後からエヴァがポンと軽く肩を叩いてきた。
「大丈夫だよ。グレアムさんはあんな顔と口調だけど、トーヤみたいな新米さんにはことさら優しい人で有名なんだ。手腕も確かで、あの人の元に弟子入りする商人見習いも多いんだってさ」
「そ、そうなんだ。……期待に応えられるように、頑張らないと」
「それはいいけど、張り切りすぎて怪我しちゃだめだよ? ……っと、そろそろ出発みたいだ」
見れば、形成された隊列の先頭がゆっくりと進み始め、それに連なる無数の馬車たちと冒険者も、次々に発進している。
隊列に並んだトーヤとエヴァもまた、前を進み始めた馬車と冒険者の後を追いかけるように、ゆっくりと進み始めた。
***
トーヤを含めた冒険者と、商人たちで結成された行商隊は、街々を繋ぐ同線である街道に沿って、エレヴィアの町を目指してひたすらに歩みを進めていく。
連日好天に恵まれ、目立った足止めも食らわずにすんだ道中では、数回ほど低級の魔物たちに襲撃を受けこそしたものの、それ以外には何事もない、平和な道のりが続いていた。
護衛依頼のいろはを学ぶのに、これ以上うってつけな機会はない。なのでトーヤは、グレアムやエヴァをはじめとした旅慣れた者たちや、同行している先輩冒険者の指示の下、様々な経験を積み重ねていた。
最初こそ失敗することも多かったが、行軍は長く、合間合間に練習がてらの実践を行える機会も多く訪れた。そのたびにトーヤは挑戦を重ねて、今では簡単な作業ならば一人でも問題なくこなせるほどにはなっていた。
そうしてさらに行軍を続けると、トーヤ達キャラバンの行く手には、巨大な森林地帯が立ちはだかる。目的地であるエレヴィアの町は、キャラバンの目前に迫った森林地帯を切り抜けなければならないのだ。
手ごわい魔物も多く住みつく森に対し、無理に強行軍を敢行すれば、要らぬ被害を出す恐れもある。それを懸念したグレアムからの提案で、森に突入する前に一度足を止め、しっかりと休息をとることが決定したのだった。
***
「はぁっ!!」
「ウラッ!」
ガキッ! という鈍い音を立てて、二つの人影が握りしめた得物が交錯する。
有効打を与えられなかったと判断した片方の人影、ことトーヤは、手にした剣――鞘に納めて紐で固定し、しっかりを刃を潰した剣を手元に引き戻し、次の一合に備えて構え直した。
「ラァッ!!」
直後、トーヤめがけて、相対していた男――大柄な体躯と、携えた両手持ちの大剣が特徴的な冒険者が、雄叫びと共に、その手に握った得物を振り下ろしてくる。
大剣の刃には分厚い皮が何重にも巻かれ、徹底して刃を潰されてはいるが、その質量がもたらす破壊力は、普段のそれと遜色ない。故にトーヤは、迫る刃を見た瞬間、足のばねを最大限に引き絞り、横っ飛びに回避した。
「ぜぇあっ!!」
男の横合いを取れた瞬間を逃さず、トーヤは一気に懐へと潜り込む。大剣を振りおろしたことでがら空きになった胴を狙い、横薙ぎに振るわれた剣は、しかしすんでのところで回避された。
構わず、トーヤはさらに踏み込んで攻勢に出る。が、先の一合で大剣を引きもどし、体勢を立て直した男に、トーヤの剣は届かない。時にかわされ、時に厚い刃に受け止められて、繰り出した攻撃のことごとくは無力化された。
「っとぉ……ラァッ!!」
「ぐ――っ!」
そして、剣戟の合間を縫って、男の大剣がトーヤめがけて叩き込まれる。
攻撃を出した直後の崩れた体勢も、男に比べて貧弱な四肢も、その強烈な一撃を受け止めるには心もとない。直感的にそう判断したトーヤは、攻撃の勢いに乗りかかったまま男のすぐ横を通り抜け、そのまま素早く距離を取った。
トーヤと、もう片方の冒険者の男が行っているのは、なんてことのない「模擬戦」だ。
道中が平和なのは喜ばしいことではあるのだが、今回の依頼を受けた冒険者の仕事は、旅路を脅かす魔物や賊と戦うことにある。身体を動かさずにただ馬車と並走したり野営をするだけの日々は、ありていに言えば、とても退屈な時間なのだ。
なので、道中で野営を行う時には、準備の手伝いや警備に精を出す傍ら、腕が鈍るのを防止するがてら、鍛錬にいそしんだり、冒険者同士で模擬戦を行っている。今日もまた、冒険者の幾人かは、思い思いに鍛錬や模擬戦にいそしんでおり、トーヤも腕試しがてら、先輩冒険者に勝負を申し込んでいたのだ。
「なら――召氷魔法ッ!」
先の応酬で、相手がこちらよりも近接戦闘に長けていることを実感したトーヤは、距離を離して戦う方が得策と考え、男との距離を取る。後退で崩れた体勢を立て直すと共に、トーヤは何も握っていないもう片方の手を掲げた。
叫ぶと共に、掌中に青白い光の粒が集束。パキン、と澄んだ音を鳴らして、矢じりほどの大きさの氷が出現し、男めがけて撃ち放たれる。
「っと!」
しかし、男は危なげない様子で大剣を持ち変え、分厚い刀身の腹を盾にして、氷の矢を防御。模擬戦用に殺傷能力を取り除いた氷の矢は脆く、再度持ち変えるために振るわれた勢いで粉砕され、陽光を反射しながら宙を舞った。
「どうした! そんなへなちょこ弾一発じゃあ、オレは止まらねぇぞ!」
「っ、だったら――!!」
間髪入れず突撃してくる男に反論するよりも早く、トーヤは天に向かって左手を振り上げる。
開かれた手のひらから魔力が放出されたかと思うと、トーヤの頭上では、先ほどと同じ、氷が生み出される音が響いた。
しかし、生み出された氷の矢は先ほどと違い、数にして10を上回っている。その弾数にか、はたまたそれが瞬時に形成されたことにかはわからないが、相対する男の顔には、少なくない驚きが浮かんでいた。
「いけぇッ!!」
雄たけびと共にトーヤが腕を振り下ろし、それに追随するように氷の矢も一斉に撃ち出される。
先ほどの一撃同様、無用な怪我を防ぐために、氷自体は脆く形成してあるが、その数も速度も、先ほどのそれを凌駕している。決定打にはならないにせよ、相手に隙を生じさせるには充分な物量だろう……と、トーヤは考えていた。
「それが――どうしたァ!!」
しかし、そんなトーヤの考えは、無情にも裏切られる。
確かに驚き、一瞬だけ隙を見せた男だったが、次の瞬間には瞬時に体勢を変え、猛烈な勢いで大剣を横なぎに一閃。暴力的な質量の奔流に巻き込まれた氷の矢は、一発残らず粉砕され、無力化されてしまった。
「なっ……!?」
隙を生じさせるどころか、一時その動きを止めることすら敵わなかった事実で、逆にトーヤが隙を晒してしまう。
「ラァッ!!」
「ぐっ――!?」
そのまま懐へもぐりこんできた男の攻撃をいなそうとするが、中途半端に構えた剣には、踏ん張る力がこもっていない。結果、再び振るわれた大剣にからめとられたトーヤの剣は、鈍い音を鳴らしてトーヤの掌中から奪い取られ、遠くへと吹き飛ばされてしまった。
「しまっ……」
「勝負あり、だ」
しまった、とトーヤが呻くより先に、大剣の切っ先がトーヤめがけて突きつけられる。
敗北という形で決着がついたことを悟り、トーヤは悔しさを飲み込みながら、降参のポーズを取った。