第27話 帰還
静寂が、大広間を満たす。
永遠とも取れるような一瞬ののち、その場に立ち尽くしていた大熊が、ぐらりとその身を揺るがせ、轟音と共に、その場へと倒れ伏した。
「……っ」
それと同時に、トーヤもまたその場にくずおれる。
持てる全てを余さず使い果たしたことを悟りながら、トーヤは全身を弛緩させ、ばたりと倒れ伏してしまった。
(やった……んだよな…………はは、体動かねー……)
体力も魔力も、気力のひとかけらまでも燃やし尽くして、まさしく精根尽き果てた状態で、しかしトーヤは笑う。確かに掴み取った「勝利」を実感してか、その顔には無意識の笑みが浮かんでいた。
「――トーヤ!!」
そのまま意識を手放しそうになったところで、降りかかってきた声に意識を引き戻される。
ちらりと目線だけを寄越してみれば、沈黙した大熊の向こう側から、アスセナが憔悴した様子で駆けてくるのが見えた。
「セ、ナ」
「トーヤ! トーヤ、しっかりして! 死んじゃダメ!!」
がばり、と飛びついてきたアスセナが、トーヤの身体を労わることすらかなぐり捨てて、細い腕でトーヤをゆする。
同時に倒れたその光景は、側から見れば相打ち同然の様相にしか見えなかったことだろう。そう考えれば、アスセナが悲痛な表情を浮かべるのも無理はなかった。
「だい、じょうぶ……ちょっと、力使い果たしただけ、だから」
鉛のように思い体に鞭打って、トーヤは片手を動かし、アスセナの頭をそっと撫でる。その所作で、命の危機に瀕しているわけでないことを悟ったらしいアスセナは、鉄面皮を崩したまま、ほぅと安堵のため息をついた。
「よかった……死んじゃうかと思った」
「バカ言わないでくれ。夢を叶えるまで、死ぬ気なんてないさ」
虚勢を張って軽口を叩き、未だに心配そうなそぶりを見せる少女に向けて笑いかける。
――と、不意に伸ばしていた手が、包み込まれるように握られる。アスセナの両手で掌を握り締められていることを知覚した直後、掌から体の中心に向けて、熱い何かが流れ込んでくる感覚を――数刻前、アスセナから魔力を譲渡された時と、同じ感覚を感じ取った。
「……トーヤ、もう魔力が残ってないから。私の魔力を分ければ、少しは楽になる、と思う」
「あぁ……そういうことか。ありがと、セナ」
礼を述べながら、しばし身体を弛緩させる。
腕を伝って全身を駆け巡る熱は、燃えるようでいて、しかしどこか心地いい。アスセナの身に宿る魔力が、常人のそれとは違う故なのかはわからないが、確かに言えるのは、その感覚が、体の内から活力をもたらしてくれていた。
「……とりあえず、このくらいあれば、大丈夫、だと思う」
時間にして30秒も経たないうちに、アスセナの手はトーヤの掌から離れていく。
名残惜しさの一方で、アスセナの言う通り、ダメージと精神的疲労による倦怠感こそ色濃いものの、少し前に比べれば、格段に体が楽になっていた。
「あぁ、楽になったよ。ありがとな、セナ」
立ち上がりながら礼を述べると、礼を言われた当の本人は、ふるふると小さく首を横に振る。
「お礼を言うのは、私。……勝手に飛び出して、勝手に怪我した。迷惑をかけて、ごめんなさい」
そう言って、アスセナが頭を下げる。
思いもよらない謝罪の言葉に一瞬動揺するが、トーヤはかぶりを振って、その言葉を否定する。
「何言ってるんだよ。アイツに有効打を与えて、とどめを刺すキッカケを作ってくれたのはセナなんだ。……むしろ、俺が焦って余計なこと口走ったせいでセナが怪我することになったんだし、謝らなきゃいけないのは俺の方だ」
「でも――」
なおも食い下がろうとするアスセナを制止して、トーヤが肩をすくめる。
「だからさ。今日のところは、お互いのおかげってことにしよう。このまま言い争ってても意味はないしな」
お互いのせいでお互いに迷惑をかけて、お互いのおかげでお互いに助かった。どちらか一方に善悪を押し付けるわけではなく、どっちもどっちという形に帰結させるのが1番だろうと、トーヤはそう判断した。
「……ん、わかった。じゃあ、改めて――」
一呼吸を置いたアスセナが、その顔に儚げな笑顔を浮かべる。
「お疲れ様、トーヤ。頑張ってくれて、ありがとう」
「――あぁ、こちらこそ。お疲れ、セナ」
互いを労い、笑いあった2人は、そのままぱちん、とハイタッチを交わしてみせた。
***
視界を塗りつぶす眩い光が収まれば、トーヤたちの周囲に広がる光景は、再び一変していた。
石とも金属とも取れない不思議な建材で組まれ、床いっぱいに魔法陣が刻み込まれた、やや手狭な建築物の中。それは紛れもなく、トーヤたちが迷宮へ踏み入るために用いた、赤のほこらの中だった。
「ん、戻ってこれた」
「みたいだな。ともかく、まずはここを――」
一度洞穴を脱するべく、たいまつを取り出そうとしたトーヤだったが、彼の行動よりも一瞬早く、ほこらの外で赤い炎が浮かび上がるのが見えた。
「やあやあ、2人とも。そろそろ戻って来る頃だろうと思ってたよ」
何事かと光源へ向き直った2人に向けて、弾んだ調子の声がかかる。
傍に浮かべた炎の塊に照らされる人影は、トーヤたちのよく知る人物のものだった。
「リディアさん! どうしてここに?」
ダークブラウンのサイドテールが特徴的な女性、ことリディアは、歩み寄ってくるトーヤたちに向けて、いたずらっぽい笑みを浮かべてみせる。
「君たちがアタックしているらしいって話を、偶然耳にしてね。出迎えにきたのさ。……その様子だと、無事にやり遂げてくれたみたいだね?」
リディアの言葉に揃って頷き、2人は目配せする。
アスセナが懐を改め、1つの赤い宝石を取り出してみせると、それを確認したリディアは、どこか感慨深そうに目を細めた。
「うん、確かに。……ふふ、さすがはワタシが見こんだ2人だ。久しぶりに現物を見た気がするよ」
懐かしむようなそぶりでそう呟いて、リディアがくるりと表情を変える。どこか遠いところに想いを馳せるような顔から一転して、ぱっと快活な笑みを浮かべたリディアは、おもむろにトーヤたちの頭をわしわしと撫で始めた。
「いやー、さすがはワタシが見込んだ子たちだ! 君たちなら絶対にやり遂げてくれると思ってたよ!」
やや乱暴で、しかし慈しみを感じるそれを受け入れながら、トーヤはくすりと苦笑を漏らす。
「あ、ありがとうございます。……でも、ほこらはまだまだ残ってます。まだ、そう言ってもらうのは早いような気もするんですけど」
「まぁね、まだ1つ目なのは事実だよ。だけど、その事実とこのほこらを踏破できた事実は、また違うものだからね。君たちが乗り越えてきたのは、まぎれもない難関だ。そのことを喜ぶのは、なにも間違いじゃないはずだよ?」
そう諭されて、トーヤもなるほどと思い直す。
「まだ1つ」と考えるか、「まずは1つ」と考えるか。どう捉えるかによって、必然的に考え方も変わってくる。要は、気の持ちようなのだろう。
「じゃあ、今日のところは素直に喜ぶことにします」
「よろしい。素直な子は好きだよ?」
最後にぽんと頭を撫でて、リディアは数歩下がる。
「そういうわけだから――改めて、ほこらの踏破おめでとう。トーヤくん、アスセナちゃん、お疲れさま」
「――はいっ、ありがとうございます!」
「ん。ありがと、リディア」
柔らかな労いの言葉を受けて、2人は改めて、自分たちが試練を乗り越えて、無事に帰って来られたことを実感するのだった。




