第26話 決着
「ガルァッ……!」
相対するストレングスベアが、忌々し気にトーヤをにらみつける。その眼孔は指すように鋭く、再び立ち上がってみせたトーヤを、明確に敵とみなしているような、そんな眼差しだった。
這う這うの体に鞭打って、トーヤは掌中の剣をしかと握り直す。
むろん、本調子とはとうてい言い難い。先刻の大技で受けたダメージはいまだに重くのしかかっているし、魔力の譲渡を受けたとはいえ、自前の魔力を治療に使ったおかげで、既に残存魔力量も3割を切ろうかという状況。正直に白状すれば、今のトーヤはとうてい戦える状態ではなかった。
しかし、トーヤは両の足でしかと地面を捉え、立ち続けている。
それを成し得ているのは、アスセナから受けた魔力の供給だけではない。己が身を焦がすような強烈な生存本能と、アスセナと交わした約束が、トーヤの心身に、ストレングスベアと真っ向から相対するだけの力を与えていた。
(状況は最悪。打てる手段はもう僅か。――だからどうした。そのくらいで諦めるくらい、俺は聞き分けのいいヤツじゃあない)
脳裏に浮かぶのは、過去。
幼いころに両親から夢を託されたトーヤは、その日から夢を叶えるために、ひたすら打ちこんできた。
それがあまりにも無謀な道だということは、トーヤ自身もわかっていた。だが、周囲から何度「バカバカしい」と嗤われようと、知己であるエヴァやその家族からも「夢物語だ」と説得されようと、それでもトーヤは、夢を諦めようとはしなかった。
アスセナと出会ったあの日、トーヤは圧倒的な絶望と向き合った。
死以外の選択を許されない状況下に置かれて、しかしトーヤはなおももがき、模索し、自他双方を生かさんともがいて、逃げ延びてみせた。
――そう。トーヤ・ストラヴィアという少年は、非常に諦めが悪いのだ。
「あぁ、そうだ。誰が諦めてやるかよ!」
軋む体に鞭打って、トーヤは力強く、啖呵を切る。
「やってやる、セナのぶんも! ――俺が、お前を倒す!!」
こだまするトーヤの雄叫びを開戦の合図ととらえたのか、大熊が今一度吼える。
直後、脳天まで震わせるような地響きと共に、ストレングスベアが驚異的な速度でトーヤへと襲い掛かってきた。
(さぁ、どうする! 考えろ、トーヤ・ストラヴィア!!!)
振り下ろされた巨腕の鉄槌を、鼻先三寸で躱してみせる。
動くたびに身体を締め付ける痛みを根性で押さえつけ、続けて迫る鋭利な爪を再び回避。
さらに振るわれた爪を、構えた剣の腹で火花を散らして受け止めながら、トーヤは思案を続けていた。
(今のこの状況で、打てる手はなんだ?)
(剣で切り付ける――ただ切っただけじゃ、あの防御を突破することはできない)
(魔法を撃つ――目くらましはできても、本命打には使えない)
(周囲の状況を利用する――あいつの剛腕に吹き飛ばされれば無力だ)
さらに襲い来る攻撃を、最小限の体捌きと、携えた剣による受け流しで退け続ける。
次にまともな一撃を食らえば、今度こそ完全なお陀仏だ。故にトーヤは、鉛のように重い身体に鞭打って、歯を食いしばり、両の目を限界まで見開いて、必死に攻撃を凌ぎ続けていた。
(決定力が足りない。アイツの防御戦技を破るには、死角から防御の不意を突くしかない)
(けど、相手の不意を突こうにも、セナはまだ動けない。快復を待とうにも、それを待つ間に結局俺がへばってお陀仏だ)
(かといって、アイツの防御を真正面から打ち破ろうにも、そんな火力なんて俺には――――ッ!!)
思考に没頭するあまり、一瞬だけ動きが鈍る。
そこにねじ込まれた攻撃を受け流し損ね、トーヤは頬を掠める凶器的な爪の切れ味に肌を粟立たせながら、一度大きく後退した。
(……大見得切った手前情けないけど、突破口を見つけられる気がしない。けど――)
ちっ、と舌打ちを挟みながら、しかしトーヤは膝を突こうとしない。
諦めるつもりなど、毛頭ない。そう宣言するように、トーヤは再び、大熊へと真っ向から対峙した。
「それがなんだ! このくらいどうにかできなくて、何が〈最強〉だ!!」
自信を鼓舞するようにそう吼えたトーヤが、今度は自分から大熊へと打ってかかる。
むろん、自棄を起こしたわけではない。退いてばかりでは打開策も見つけられないだろうと、多少無理をしてでも打って出るべきだと考えたのだ。
「吹っ飛ばせ、召風魔法!!」
ストレングスベアの射程に入る直前で、トーヤは自身の足元に魔力の風を炸裂させる。
ドンッ! という炸裂音を背にしたトーヤは、その勢いで大熊の真横、振り上げられた脇の下を通過。すれ違いざま、手にした剣を袈裟懸けに一閃させた。
「グァッ!!」
ブーツの底を鳴らして勢いを殺し、体勢を整える。
有効打足り得たかどうかの確認もおざなりに、トーヤは再び足元で召風魔法を展開。今度は振り返ろうとする大熊の背中めがけ、もう一度剣戟を見舞おうとして――。
(――!)
一瞬だけ、それに目を取られたことで、始動のタイミングが遅れてしまった。
「グルァァッ!!」
「っ、ぐ!?」
その隙を逃さんとばかりに振るわれた大熊の剛腕に、行き場を失った召風魔法をぶつけることで勢いを殺し、すんでのところで回避する。
ゴロゴロと床を転がって大熊から距離を取ってから、トーヤは改めて、先刻見つけたそれに意識を向けた。
(――そうだ、行ける! あれを使えば、たとえこっちに意識が向いていようが、奴の「中」にダメージを通すことができる!!)
思わぬ布石が与えてくれた打開策を見出して、トーヤの思考が加速を始める。
思い描いた逆転の一撃。それを実現するための道筋を模索して、トーヤはひたすら思案する。
「グオァアッ!!!」
「くっ――」
しかし、かの大熊は考え毎の時間を与えてくれるほど甘い相手ではない。
再び振るわれた剛腕を、とっさに展開した障壁魔法で受け止める。そのまま横に受け流すことで回避しようとして――
「ぐ……ッあ……!?」
みしり、と鳴り響いた嫌な音を耳にして、反射的に身をそらす。
直後、トーヤの左肩口に、障壁魔法をぶち抜いたストレングスベアの爪が、浅く突き刺さった。
凶悪な爪が振り抜かれた勢いに身を任せ、吹き飛ばされるような形で距離を取る。
空中でバランスを崩しそうになりつつも、どうにか着地したトーヤは、焼けるような痛みを訴える左肩を抑えこむ。残り少ない魔力で治癒魔法を行使しながら、さらに悪化した趨勢に思わず舌打ちした。
(やられた……! 傷は浅い。けど、魔法を使う側の腕を潰された……!)
胸中で毒づきながら、肩口に治療を施す。だが、この後の作戦を考えれば、いたずらに魔力を消費するのは避けねばならない以上、完治させるほどの魔力を回すことはできなかった。
己の手札が一つ減ったことを確信して、ぎりと歯噛みする一方で、トーヤの瞳が湛える闘志は微塵も揺るがない。分の悪い賭けが大博打になったところで、トーヤのやることは変わらなかった。
(もう後はない。――仕掛けるなら次、か)
治療を終え、再び剣を握りしめる。やはり左腕は本調子でなかったが、四の五の言っていられない状況で贅沢を言う気はなかった。
「グオオォォォォオオォッ!!!」
ストレングスベアが、ひと際大きな咆哮を放つ。
それが、今度こそトーヤを仕留めんと決意したものなのか、中々倒れない獲物に業を煮やしたものなのかはわからない。確かなのは、これから飛んで来る一撃が間違いなく、必殺の一撃になるだろうことだけだった。
「来いよ……やってやる!」
トーヤがそう吼えると同時に、ストレングスベアがズドン! とひと際強く地を踏みしめる。直後、丸太のように巨大な右腕が、トーヤめがけて勢いよく振り下ろされた。
「勝負だ――障壁魔法!!」
迫る剛腕をしかと見据え、トーヤは一度愛剣を納刀。無理の効かなくなった左腕の代わりに、フリーになった右の手を突き出し、雄叫びと共に、障壁魔法を発動する。
瞬時のうちに煌めく粒子が凝縮され、開けたトーヤの右手の先に、光の盾が出現。大熊の剛腕と真っ向から激突し、盛大な衝突音をまき散らした。
直後、トーヤは砕けそうな盾を尻目に、全力で真正面へと突撃を駆ける。
向かう先に待ち構えているのは、ストレングスベアの巨体。真っ向からの体当たりになる――その寸前で、トーヤは身をかがめ、大熊の股下をスライディングで潜り抜けてみせた。
トーヤが大熊の背後へ回ると同時に、形成していた障壁魔法が木っ端のように割り砕かれる。
しかし、床を抉るような勢いで叩きつけられた剛腕の先に、狙いを定めていた獲物が居なかったことに、大熊は一瞬、当惑の色を見せた。
(今だ!)
体勢を立て直したトーヤの眼前には、無防備にさらされた大きな背中。
素早く転進したトーヤは、一直線にストレングスベアへと駆け寄って――
「う、ぉらぁッ!!」
ストレングスベアの背を覆う毛皮を強く握り、がっちりと取り付いた。
「グァッ?!」
奇襲を仕掛けられたことを察知したストレングスベアが、刹那の速度で身を翻す。が、そこに広がっているのは、破壊の痕跡が色濃く残る広間だけ。当然、トーヤはいない。
「――外からの衝撃を防げるなら」
大熊の背に取り付いたトーヤは、その広い背中に留まったまま、一点に向けて手を伸ばす。
「お前の『中』に、攻撃を通せばいい」
トーヤの視線の先、伸ばした手の先にあるのは――「槍」。
ストレングスベアの肩口に深々と突き刺さったそれは、先の戦いの折、アスセナの一撃で外皮を貫き、彼女が吹き飛ばされたことで、突き刺さったまま放置されていたもの。
槍の柄をしかと掴んだトーヤが、凄絶な笑みを浮かべて。
「喰らえよ――――召雷魔法ッッ!!!」
大広間一面を埋め尽くすほどの眩い閃光が、鋭く迸った。
「ガアアアアアアァァァァァァアアアアアァァァァアアアアアア!!!!!」
「おおおおおおぉぉぉぉぉおおお!!!」
絶え間なく走るスパークが世界を照らす中、ストレングスベアが断末魔の悲鳴を上げる。そのままもだえ苦しみ暴れ倒す中、トーヤは槍の柄を両手で握りしめ、逃がすものかと召雷魔法を流し続けた。
「グォォオオアアァァァァァアアア!!!」
「っぐ――ぁッ!?」
しかし、人を遥かに超越した膂力で暴れ続けられれば、いかに人が耐え続けていても、物理法則の壁が重くのしかかってくる。
トーヤが一瞬の浮遊感を覚えた直後、硬質なものに背を打ち付ける。それが床だということを理解すると、同時にトーヤのすぐそばで、甲高い音を立てて、ストレングスベアに刺さっていた槍が転がった。
「ぐ……っそォ!」
肺の空気を纏めて絞り出されながら、しかしトーヤは立ち上がる。先の電撃では、ストレングスベアにとどめを刺すには不十分だということを、直感的に理解したのだ。
よろめきながらも体勢を立て直したところで、少し離れた場所で、ぶすぶすと黒煙を上げる巨躯の影を見つける。瀕死のダメージこそ受けているらしいが、トーヤの予想通り、その巨体は今だ動いていた。
「だったら――!」
折れそうになる足を根性で動かして、トーヤは最後の突撃をかける。狙うのは、大熊の首。
「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」
鞘に納めていた愛剣を勢い良く抜き放ち、真っ直ぐに疾駆する。
柄を握り込めば、刀身に向けて、自身の力が流れていくように感じる。限界まで集中を続けた影響なのか、まるで剣さえも自身の身体の一部のような、そんな錯覚を覚えながら。
「これで――終わりだああぁぁぁッ!!!」
雄叫びと共に振るわれた鋭い一閃が、ストレングスベアの喉笛を捉えて。
広間中に、澄んだ快音を轟かせた。




