第20話 明かされる正体は
大気を切り裂く唸りと共に、トーヤの剣の切っ先が、襲撃者めがけて襲い掛かる。
――間違いなく、直撃。
仮に、この場に観衆がいたならば、誰もがそう思ったであろう。
「っ、く――――!!」
しかし、襲撃者を一刀のもとに切り伏せるはずの攻撃は、空を切る。
ほんの一瞬だけ、襲撃者が体勢を立て直すのが、早かったのだ。
「く、そォッ!!!」
襲撃者のフードの端を捉え、浅く繊維を引きちぎるだけに終わった結末を目の当たりにして、トーヤの口から、苦々しい怨嗟の声が漏れる。
「ため池からすくい上げた水で作った水たまりを伝い、相手の死角から電撃の魔法を撃ちこむ」。それが、トーヤの立てた作戦だった。
相手に気取られないよう準備する必要があり、なおかつ一度使えばタネがバレ、次からは通用しなくなる。一度限りの奇策だったそれはしかし、予想外に早い襲撃者の復活、という形で、失敗に終わってしまったのだ。
二度は使えない奇策をかわされたことで、トーヤは内心で頭を抱える。
軽やかに剣戟を捌く襲撃者を確実に足止めできる作戦は、これ以外に無い。それが失敗したということは、とどのつまり、トーヤ達にこれ以上打つ手がないことと同義だった。
(躱された……!! これ以上、アイツの動きを止められる手段なんて――)
趨勢が非常に悪い方向へと傾いていることを理解しながら、トーヤは構え直す。切り札を失ったが、戦闘はいまだに継続中。ならば、嫌でも戦わなければ道は開けないのだ。
「……っつぅ~。はは、今のは流石に一本取られたね」
「――えっ?」
そう息巻くトーヤだったが、不意に耳朶を打った声を聞き、硬直する。
――眼前で着地の構えを取る、フードを被った襲撃者。その影の内側から、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
隣では、トーヤと同じく驚愕を隠せなかったのか、再び斬り込もうとしていたアスセナが、トーヤと同じく泡を食ったような顔で硬直している。そんな2人の様子を尻目に、フードの襲撃者は、肩をすくめるようなポーズをとる。
「もう少し手合わせしたら終わりにしようと思ってたんだけど……いやはや、良い奇策だったよ」
賞賛の言葉を述べながら襲撃者が立ち上がると、トーヤに弾き飛ばされたフードが外れ落ち、襲撃者の顔がさらけ出される。
ぱさりとはだけたフードの中から、サイドテールに纏められた、しっとりとしたダークブラウンの頭髪が、零れるように露わになって。
「――――リディア、さん?!」
そこでようやく、トーヤ達を襲っていた者の正体が――先刻、組合支部の応接室で顔を合わせた依頼人でもある、リディア・エストレムと名乗った女性の顔が、明らかとなった。
「正解。さっきぶりだね、トーヤくん」
突然の出来事に面食らい、動けなくなったトーヤをよそに、被っていたフードを外し、素顔を晒した襲撃者、ことリディアは、実にあっけらかんとした様子で気楽な挨拶を交わす。力の抜けた悠然とした立ち振る舞いは、先ほどまでの襲撃者と同じ人物だとはとても思えなかった。
そもそも、リディアは冒険者たちに依頼を出す側の人間であり、戦う力を持たない一般人のはず。その前提があったからこそ、トーヤ自身、自分でも驚くほどに混乱していた。
「……どうして、ここにいるの? あなたは、敵?」
今だ完全に復帰できていないトーヤの代わりに、いち早く立ち直ったアスセナが、パルチザンを構え直しながら問いかける。竜としての力の名残なのか、突き刺すような鋭い殺気を放つアスセナを見て、しかしリディアは何事もなさそうに笑った。
「いいや、違うよ。私は敵じゃあない。……とはいっても、信じられないだろうけどね」
続けて見せたのは、申し訳なさそうな表情。眉尻を下げるリディアは、一つ咳ばらいを挟んでから、改めて続きを口にした。
「まずは、謝罪させてほしい。君たちを攻撃したことと、嘘の依頼を君たちに受けさせたこと。それと、身分を偽って君たちに接触したこと。――本当に、ごめんね」
小さく頭を下げてから、リディアは羽織っていたローブを、勢いよく取り払う。
ローブの下から現れた服装は、先刻組合の応接室で出会った時の、いかにも町人然とした格好とはかけ離れた、動きやすく戦いやすそうな、戦闘用の装束。
一目見てすぐに良質なものだとわかるそれは、傍から見るだけでもよく使い込まれていることがわかった。
「改めて、自己紹介させてもらうね。――ワタシはリディア・エストレム。一介の冒険者として、世界を飛び回ってる根無し草だよ」
言いつつ、リディアは懐から冒険者の証明証を取り出し、トーヤ達に見せる。彼女の名が刻まれた証明証の色は、美しくカットされた宝石を思い起こさせる、「紫色」に輝いていた。
「紫、ランク……!!」
そしてそれは、トーヤ達冒険者の中でも最高クラスに近い人物であることを示す、何よりの証拠。まさかの正体に、トーヤは再び驚きを露わにした。
「あはは、驚いてるところ悪いけど、ランクに関してはあんまり気にしてくれなくていいよ。今まで通りに接してくれれば、お姉さんとしては嬉しいな」
驚くトーヤとは対照的に、リディアは何処までも力の抜けた振る舞いを崩さない。さきほどまでのような戦闘の気配もないため、トーヤもひとまず臨戦態勢は解くことにした。
「……冒険者の証。……敵じゃ、ないの?」
「一応、そうらしい。……たぶん、もう警戒はしなくてもいいと思うぞ」
トーヤの言葉を受けて、ようやくアスセナが構えを解き、槍を下げる。それを見たリディアが、満足したように剣を鞘に納めた。
「重ね重ね、ごめんね。少しだけとはいえ、君たちに危害を加えるような真似をしちゃって」
「……それに関しては、もう気にしてません。それより、聞かせてください。どうして、こんなことを?」
トーヤが切り出すと、リディアは後ろ頭を掻きながら、どこか照れくさそうに笑う。
「まぁ、簡単に言ってしまえば、有望な新人株くんたちへのご挨拶、ってところかな」
「挨拶?」
「そ。ワタシは少し前から、野暮用でエレヴィアに滞在してて、そこで色々と上のお手伝いをしててね。その一環で書類整理をしてた時に、たまたま君たちの……正確に言えば、アスセナちゃんの登録情報と、そこに書き加えられてたトーヤくんの情報を知ったんだ。そこでこう、なんというか、ビビッときてね」
「びび……? っていうか、それと襲い掛かってくることが、どうつながるんですか?」
追及を重ねると、リディアの顔には不敵な笑みが浮かぶ。といっても、それは見下すようなものではなく、どちらかと言えば悪だくみする子供のような表情だった。
「自慢じゃないけど、そういう直感みたいなのを感じたら、動かずにはいられない性分なんだよね。君たちの実力を見てみたい、って思ったらいてもたってもいられなくなっちゃって、こうして君たちの実力を測りに来た……ってことさ」
からからと笑うリディアの様子に底は見えないが、力の抜けたその立ち振る舞いを見るに、嘘で騙そうというそぶりは無い。
「いやあ、想像以上にやるね、君たちは。一発も貰わないつもりでいたのに、まさかあんな形で一杯食わされるとは……思いがけず、とてもいい戦いができた気がするよ」
なにより、その顔に浮かぶ笑みがあまりにも清々しくて、トーヤからすれば、つられて毒気を抜かれてしまうような気分だった。
「あ、はは……まぁ、狡いやり方ではありますけどね。何をやっても躱されるから、あんな搦め手に賭けるしか、方法が無かったんですよ」
ついついいたたまれなくなったトーヤがそう口走ると、きょとんとした表情でリディアが目を瞬かせる。かと思った直後、彼女はダークブラウンのサイドテールを揺らしながら、からからと面白そうに笑った。
「あはは、何言ってるの。あれは狡くもなんともなくて、立派な戦術さ」
当然とばかりにそう返されると、今度はトーヤが当惑する番だった。
鏡写しのようにきょとんとした表情になるトーヤを見て、リディアが苦笑する。
「戦いに狡いなんて概念はない。戦うための術として利用すれば、それは立派な『戦術』さ。――現に、君の奇策は見事にワタシを欺いて、術中に収めることに成功したんだ。その結果がどうであれ、それは素晴らしい戦術さ。誇っていいことなんだよ?」
「え……あ、ありがとうございます」
思いがけない賞賛を受けて、若干しどろもどろになりながらも、トーヤは礼を述べる。それを見たリディアは気分良さげな顔になりつつ、今度はアスセナの方を見やった。
「それに、アスセナちゃんだったね。君の戦いぶりも、中々目を見張るものがあったよ」
「ん……私?」
「うん。登録してからまだ一週間ほどしか経ってないっていうのに、体捌きの華麗さも、思い切りの良さも素晴らしい。――まさか、力づくで通れないように作った炎の壁を突き抜けてきちゃうとはね。いやはや、新人だからって思ってたワタシの見通しが甘かったねえ」
屈託のない笑みとともに賞賛されたアスセナが、どこか居心地悪そうにトーヤの方を見やる。
一瞬、トーヤは目くばせの意図を測りかねる。しかし、それが「どうしよう」という困惑の証だということに気づくのに、さほど時は要さなかった。
「何にせよ、君たちはワタシに対して、相応の実力を持っていることを証明してくれた。これで、ワタシからの依頼――実力テストは終わりだよ。トーヤくん、アスセナちゃん、2人ともお疲れ様」
悪戯っぽい笑みで二人をねぎらうと、リディアは早々に踵を返す。
「それじゃ、町に戻ろっか。テストを受けてくれた報酬も用意してるから、戻ったら組合に報告に来てねー」
それだけ告げると、リディアはまるで風のように、颯爽とその場を後にしていった。
「……終わり?」
「らしい、な。……はは、なんだか魔物に化かされた気分だよ」
まるで実感の湧かないひと時だったが、確実に言えるのは、とても濃密な時間を過ごしたということだろう。気づけば、トーヤの手はじっとりと汗に濡れており、そこにあった緊迫感を、無音のままに証明していた。
「とりあえず、依頼は終わりだ。――何はともあれ、お疲れ様、セナ」
「ん。トーヤも、お疲れ様」
改めてねぎらいの言葉を交わした二人は、疲労感と達成感、そして緊張感から解放された清々しさの入り混じった、言葉にできない複雑な面持ちで、町はずれの洞穴を後にしたのだった。