第1話 夢見る冒険者
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「うおぉぉぉッ!!」
頭上にいっぱいの蒼を抱え、眼下に鮮やかな緑を敷き詰めた、広い世界のその片隅。
遠景に小さな町や森、そして雄大な山々を臨むことができる広い草原で、一人の少年が、ざんばらに切りそろえられた黒い髪を振り乱し、雄叫びと共に、猛然と標的へと打ちかかっていた。
彼の手に握られているのは、一振りの剣。無駄な装飾の一切を持たない、質実剛健という言葉が良く似合う質素な長剣が、少年の手により、幾重かの鋼色の軌跡を生み出した。
「ギィッ!!」
生み出された斬撃は、少年と相対していた影――鳥のような長いくちばしと、脚力に優れる発達した足を最大の特徴とし、きめの細かい鱗としなやかで長い尾を備えた、細身の竜のような魔物、こと「グラスラプトル」めがけて撃ちこまれる。二度、三度と振るわれた鋭い刃とその軌跡は、俊敏に動きまわるグラスラプトルの脚を捉え、その機動力を殺すことに成功した。
「これでっ!」
勢いあまり、その場に倒れたグラスラプトルの首元めがけて、再び少年が剣を一閃。ザン! という快音が響くと、それきりグラスラプトルは動かなくなった。
「ギャウアッ!!」
「ッ!」
直後、いましがた仕留めたものとは別のグラスラプトルが、くちばしのような口を大きく開き、不揃いな歯をむき出しにして跳びかかってくる。
鳴き声でそれを察知した少年は、とっさに上体をひねって回避。その動きのままに足のばねを最大限に活用し、大きく飛び退った。
「炎よ射抜け――召炎魔法!!」
距離を離した少年が、何も握っていない左手を、グラスラプトルに向けてかざしながら叫ぶ。すると、何もなかった手のひらの先に、ほんのりと赤く輝く無数の光の粒が生まれた。
一秒とかからないうちに、集まった赤い光の粒は渦を巻き、集束する。そして次の瞬間、赤い光が淡く弾けたかと思うと、少年の掌の先には、赤々と燃え盛る小さな炎が生まれていた。
ドシュッ! と音を立てて、小さな炎が矢のように撃ち放たれる。それが危険なものだと本能で察知したらしく、グラスラプトルが転進して回避を試みるが、飛翔した炎の矢はグラスラプトルの横っ腹に着弾。小さな紅蓮の爆発を引き起こし、グラスラプトルの体躯を吹き飛ばした。
「ギギィッ!!?」
黒煙を上げながら吹き飛んだグラスラプトルが、悲鳴と共に倒れ伏す。致命打には至っていなかったらしく、グラスラプトルはふらつきながらも、どうにか体勢を立て直してみせた。
しかしその直後、もう一発放たれていた炎の矢が、グラスラプトルの顔面を叩く。再び紅蓮の爆発が起こり、黒煙が晴れると同時に、グラスラプトルは倒れ、動かなくなった。
「……これで、最後か」
炎の矢を放った左手をかざしたまま、静かに周囲を警戒していた少年だったが、やがて新手がこないことを悟ると、詰めていた息を細く吐き出す。同時に、緊張していた全身をゆっくりと弛緩させ、うんと一つ伸びをした。
「1、2、3、4、5……よし、ノルマは超えたな。――よぉし、帰るかぁ」
気の抜けた表情でそうつぶやくと、少年は懐から一本の小さなナイフを取り出し、グラスラプトルたちの死体を手早く解体し始める。
しばらく格闘した後、少年はその手に戦利品の詰まった袋を握りながら、街道をたどり、ゆっくりと歩き始めた。
***
「――はい、依頼達成を確認しました。お疲れ様です、トーヤ様」
カウンター越しに立つ受付嬢が、トーヤと呼ばれた少年から受け取った袋の中身を精査する。先ほどの戦闘で得た戦利品が詰まった袋を一通り調べた後、受付嬢はにこりと微笑み、手にした木製のバインダーにさらさらとペンを走らせた。
少年、ことトーヤが生業にしているのは、世間一般に「冒険者」と呼ばれる仕事だ。
採取、討伐、護衛など、民間から寄せられる様々な依頼を捌き、その報酬で生計を立てる。古い時代に存在した勇士たちにあやかって名付けられた冒険者という職業は、剣と魔法を武力の象徴とし、大自然の驚異と隣り合わせに生きるこの世界の文明においては、ごく一般的な仕事であった。
先ほどまでトーヤがこなしていたグラスラプトルとの戦闘も、依頼として発注されたものを遂行していたものである。滞りなく依頼を済ませたトーヤは、冒険者たちの拠点として利用されている「冒険者組合」の支部にて、依頼達成の報告を済ませていた。
「報告も受領確認しました。では、こちらが今回の報酬です」
「ありがとうございます」
硬貨の詰め込まれた小さな袋を受け取って、トーヤは小さく一礼する。
「……あの、すみません。次のランクに上がるには、あとどのくらいかかるかわかりますか?」
そのまま踵を返そうとしたトーヤだったが、ふと思い直すと再び受付嬢に問いかける。受付嬢は少し驚いたような表情を見せると、すぐに困ったように眉尻の下がった営業スマイルを浮かべた。
「申し訳ありませんが、トーヤ様が獲得している貢献度などを開示することは、規定により禁止されております。……そうですね。トーヤ様はご登録されてから半年が経過しておりますが、昇級には今少しの累積と、十分な信用が必要になると思われます」
「そう、ですか……」
「焦らずとも、活動を続けていれば、いずれ昇級の機会は訪れるはずです。無理をしてチャンスを逃さないよう、くれぐれもお気をつけてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
よどみない説明を受けたトーヤは、若干意気消沈したような面持ちになる。
そのまま、どこか自分を納得させるように呟くと、受付嬢のささやかなエールを受けながら、今度こそ踵を返し、組合支部を後にしていった。
***
組合支部を出たトーヤは、その足で町の外れに構えられていた、大型の馬車を使った露店へと足を運んでいた。
店の前にはいくつかの武器と、金槌の絵が描かれた立て看板。奥にある店代わりの馬車の荷台には、赤々と燃える火を抱えた炉や金床が積み込まれており、そこが「移動式の鍛冶屋」であることが誰にでもわかるような、そんな佇まいをしていた。
「すみませーん。エヴァ姉、居るー?」
「はーい、今行きますー!」
露店の主が居ないのを確認したトーヤが、辺りを見回して呼びかけると、泊められた馬車の更に奥から声が響く。少し待てば、ぱたぱたという足音と共に、一人の女性が馬車の裏から姿を現した。
活発そうな印象を与える顔立ちに、芯の強さを表すような透き通った青い瞳。ひと房に纏められた、煤塗れの長い金髪を揺らし、動きやすさと耐熱性を両立させた装束に身を包んだ女性、ことエヴァは、トーヤの姿を見とめると、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「トーヤ、いらっしゃい! 今日はなんの用?」
「この剣のメンテをお願い。自力でだましだましやってきたんだけど、やっぱりプロに頼む方がいいと思って」
「なるほどね、わかった。ぱぱっと終わらせるから、そこにかけて待ってて」
トーヤの差し出した剣を受け取ったエヴァは、手早く状態を確認すると、馬車の奥から足踏み式の回転砥石を持ち出し、手慣れた動きでトーヤの剣を研磨し始めた。
「そう言えばトーヤ、仕事は順調?」
トーヤが店の前に設置されていた椅子に腰を下ろすと、ふと思い出したかのようにエヴァが口を開く。
問われたトーヤは、少しばつが悪そうな表情を浮かべ、ぽりぽりと頭を掻いた。
「まぁ、ぼちぼちかな。……この半年間で仕事には慣れたけど、強くなれた気はこれっぽっちもしないよ」
「ふぅん……でも、まだ冒険者になって半年くらいなんでしょ? 駆け出しを卒業するには時間がかかるらしいし、あまり焦らなくてもいいんじゃないの?」
「それは、そうかもしれないけど……」
煮え切らない言葉をこぼしながら、それでもとトーヤはかぶりを振る。
「でも、俺には父さんと母さんから受け継いだ『夢』がある。それを叶えるためには、いつまでも駆け出しのままではいられないんだ。――二人の夢を叶えることが、俺にできる精いっぱいの親孝行だと思うから、さ」
少し苦笑しながら、トーヤが力強く宣言する。自虐的な色を含んだ発言とは裏腹に、その瞳に迷いの感情は無く、彼の語った言葉に一切の嘘偽りがないことを、音もなく物語っていた。
――トーヤは、幼いころに両親を亡くしている。腕利きの冒険者として知られていた彼らはしかし、トーヤが生まれてから10年経つか経たないかのころ、トーヤやそこに居合わせた者たちを守るため、勝機のない戦いに挑んで、そのまま帰らぬ人となったのだ。
今生の別れとなるその直前、トーヤの両親は、彼に一つの夢を託した。それは、かつてトーヤの両親が叶えようと志し、達することができる力を持ちながら、大切なものを守るために自ら手放すことを選んだものだった。
「誰にも負けない〈最強〉の男になれ」。
その言葉こそ、トーヤが両親から受け継いだ夢であり、両親が残した、たった一つの形見。
彼の両親がかつて目指し、そして志半ばで敗れてしまった、果てのない道の先に上り詰めるという、壮大な「夢」こそ、トーヤが両親から受け継いだものであり、彼を冒険者たらしめている、何よりの理由でもあった。
「『誰にも負けない最強の男になれ』だっけ。……そっか、ずっと追いかけ続けてるんだね」
「もちろんさ。……それに、できるなら、二人の仇も取りたい。だから、俺は強くなりたいんだよ」
続いたトーヤの言葉に、エヴァが驚愕を露わにする。
「……まさか、あの時の『黒いドラゴン』と戦うっていうの?」
「あぁ。……そりゃ、あの父さんと母さんがやられるぐらい強い敵だってのは、充分わかってる。でもそれでも、俺は父さんと母さんの血を受け継いだ子供として、二人の仇を討ってあげたいんだ。きっと父さんたちも、夢を叶えられなくて悔しかったはずだからさ」
視線を落とした手を強く握りしめ、その胸に秘めた決意を確たるものにするかのように、トーヤは自嘲気味に笑っていた。
「そっか……うん、そうだね。もしトーヤがあのドラゴンを倒せたら、きっとお父さんたち、喜んでくれるよ」
「うん。……まぁもっとも、まだまだそんなこと言えるような立場じゃないんだけどね」
苦笑を漏らせば、それにつられてか、エヴァも自然にくすりと忍び笑いを漏らす。二人の表情は柔らかく、傍から見れば血のつながった姉弟が笑いあっているような、そんな和やかさがあった。
「それは仕方ないよ。……さっきも言ったけど、焦っちゃダメだよ? 凡ミスでチャンスを逃すなんて、笑うに笑えないからね」
「ん、わかった。心にとどめておくよ」
「よろしい。――よし、できたよ。おまちどうさま」
忠告と共に、エヴァが砥ぎ終えた剣をトーヤへと手渡す。握った剣をトーヤが日にかざしてみれば、鋼色の煌めきを取り戻した切っ先が、きらりと鈍く輝いた。
「ありがと。さすが、おじさんの一番弟子だね」
「褒めてもまけてあげないよ。まったく、調子のいい口車ばっかり上手なんだから」
「そう言うつもりじゃないんだけどなぁ……」
苦笑いと共に、看板に書かれた代金を支払うと、エヴァはいたずらっぽく「毎度あり」と笑った。
「じゃ、俺は日が暮れないうちに宿に戻るよ」
「わかった……っとそうだ、ちょっと待ってトーヤ!」
そのままエヴァの店を後にしようとしたところで、思い出したようにエヴァから制止の声がかかる。トーヤが振り向くと、エヴァはカウンターの下からがさごそと何かを取り出そうとしていた。
「どしたの?」
「あぁ、実はね。トーヤが来たら見せようと思ってたものがあったんだよ……っと、これこれ」
カウンターに置かれたのは、一枚の紙きれ。真新しい紙面の上にはインクで書き連ねられた文章と、冒険者組合から発布されたものである証のスタンプが押されていた。
「これ、依頼書? それに護衛依頼……臨時行商隊って?」
依頼書を受け取ったトーヤは、ざっくりとその中身に目を通す。
そこに書かれていた内容を大雑把に言えば、冒険者に対して護衛依頼――町から町へと移動する人々を、危険な魔物や賊などから守る依頼だ――を受けてほしいという旨のものだった。依頼主の名前を記す欄には、「臨時行商隊」という名前が書き込まれている。
「簡単に言えば、共同で護衛の依頼を発注する為の名前だよ。複数人で出資すれば、護衛として雇える冒険者の数も増えるし、個々で町を渡り歩くよりも格段に楽になるからね。もちろん、その依頼にはアタシもお金を払うよ」
「ってことは、エヴァ姉も町を出るの?」
「まぁねー。ここでの商売もけっこう長く続けてきたし、そろそろ別の町で商いするのも良いなって思ったんだ。丁度良く共同で依頼を発注するって話を聞いたから、アタシも便乗させてもらったってわけ」
「なるほど……でも、なんでこれを俺に? 依頼するなら、もっと上のランクの冒険者のほうがいいんじゃないの?」
首をかしげるトーヤを見て、エヴァがにかっと得意げに笑う。
「トーヤ、確かこういう依頼はあんまり受けてないでしょ?」
「まぁ、ランク的にはまだ駆け出しだし、受けようとしても受けられる依頼はほとんどないからね」
「だからだよ。強くなることを目指すなら、色んな事を経験しておいた方がいいでしょ? それに、こういう依頼は組合からの評価点も高いらしいし、こなしておけば早く昇格できると思うんだ。どう? 損はないと思うし、この際だからこの依頼、受けてみない?」
「エヴァ姉……」
どうやらエヴァは、トーヤのことを考えてこの依頼を提案してきたらしい。エヴァの言葉に納得しつつ、自分の夢を表立って応援してくれていることを実感して、感嘆の息をこぼしていた。
「――うん、わかった。ありがたく受けさせてもらうよ」
「決まりだね。……出発予定は三日後だから、それまでに準備しておいてね。――というわけで、道中よろしくね、トーヤ」
「こちらこそ。よろしく、エヴァ姉」
ひととき旅路を共にすることが決まった二人は、その場で小さく笑いながら、しっかりと握手を交わした。