第18話 町外れの洞穴
指名依頼を受けたトーヤ達は、その日のうちに洞穴へと赴き、調査することを決めた。
もともと件の洞穴は、エレヴィアの町から徒歩で2時間ほど、という近郊に存在しているらしい。なので、行って帰るだけならば、太陽が眠りにつくよりも早く、依頼を終えることもできるのだ。
何が待ち受けているかは誰にもわからないし、リディアが目撃したという魔物が、いつ周辺を通りがかった者に牙を向くかもわからない。それを考慮したうえで、トーヤ達は午後一番に調査へと乗り切ることを決めたのだった。
***
「――お、ここか」
そう呟くトーヤの眼前に、ぽっかりと口を開ける洞穴が姿を現す。
件の洞穴は、丘陵地帯の一角に生じた、小規模な崖の下にある。方角的に太陽の光が差し込みにくい、ということもあって、洞穴の中は濃い闇に包まれていた。
「……暗い。中が見えない」
「崖下だから、光も入りにくいんだな。……セナ、ちょっとこれ持っててくれ」
言いつつ、トーヤは持ってきた手荷物の中を漁って、木製の松明と、着火道具である火打石を取り出す。
松明をアスセナに持ってもらい、火が点きやすいよう加工された先端に数回ほど着火作業を行えば、ほどなくして松明の先端に赤々と燃える炎が灯された。
「ん、きれい。それにあったかい」
「明かりにしたり暖を取ったり、火は何かと使えるからな。また今度、やり方を教えるよ」
「分かった。……でも、私もトーヤも、炎は出せる。どうして、こんなのを使うの?」
「消耗を避けるためだよ。いくら休んで回復できるって言っても、魔力は無限じゃないからな。それに、いつ戦闘で魔力を無駄遣いすることになるかもわからないから、普段はなるべく、こういう道具に頼るのがセオリーなんだよ」
淀みない口調でトーヤが説明すると、アスセナはどこか感心した様子で頷く。
「ん、納得。ヒトの知恵は、勉強になる」
「多分、こういうところで補えるのが、人の強みなんだろうな。……ともかく、入ってみるとするか」
アスセナが頷いたのを確認してから、トーヤは松明を受け取り、洞穴の奥を照らす。
赤いかがり火に照らされた洞窟は、どうやらそこそこ深くまで続いているらしい。いつ、何に襲われても対処できるように抜刀してから、トーヤは一歩ずつ、慎重に洞穴の奥へと踏み入っていった。
***
松明から生じる火花の爆ぜる音が、かすかにこだまする。
踏み入ってから少し経過したが、襲撃を予想していたトーヤ達を待ち受けていたのは、かがり火の燃える音すら目立って聞こえるような、痛いほどの静寂だけだった。
「……魔物、居ない?」
「あぁ……妙だな。少なくとも、今までに魔物が居たような形跡はなかった」
通常、魔物がどこかに巣を構えたのならば、足跡や巣の材料の残骸など、それと確認できるような物を発見できるはず。それを一切見とめることが出来なかったこともあり、トーヤの中にはかすかな疑心が生じていた。
「でも、あのヒトは魔物を見たって、言ってた」
「そうだな。わざわざ正式な仕事として調査の依頼を取り付けてる以上、真っ赤な嘘ってことはないはずだけど……」
冒険者組合によって正式に受理された依頼、ということはすなわち、冒険者組合側でも「依頼として処理する必要がある案件」として認知された、ということに他ならない。となれば、件の依頼主、ことリディアの言っていることは、少なくとも嘘ではないはずなのだ。
だというのに、この洞穴には、魔物が巣くったような痕跡の一切を見とめることができない。はっきり言って、これは不可解だった。
「……とりあえず、何があるかわからない。セナ、気を付けて行くぞ」
「わかった。後ろは私が見る」
「頼んだ。油断して奇襲でやられるなんて、笑うに笑えないからな」
一週間の間、共に依頼をこなし続けたこともあって、二人の間では少しずつ連携の意識も芽生え始めている。
前後を充分に警戒しながら、二人はさらに奥へと歩を進めていった。
***
「……行き止まり、か」
それからしばらく歩き続けると、ほどなくしてトーヤ達は、すこし開けた空間に出る。
途中の通路に横道もなく、突き当たりの広間にも横穴らしい横穴は見当たらなかったため、どうやらここが洞穴の最深部らしい。どこからか湧水が滴っているのか、広間には水滴の落ちる音だけが、静かにこだましていた。
「……魔物の臭いがしない。それに、それっぽい魔力の残滓もない」
「足跡も、巣の跡もない。……こりゃ、リディアさんの勘違いで依頼が出されたってことなのかな?」
そもそもこの依頼は、依頼主であるリディアがもたらした情報が、真実かどうかを確かめるためのモノなのだ。なので実は、この洞穴の探索が空振りに終わったとしても、特に問題はないのである。
「……魔物、居ない?」
「詳しく調査しないと何とも言えないけど、この分だと多分居ないだろうな。……まぁ、元々そういう依頼だったんだし、気を落とさないでくれ」
ただ、アスセナの方は何かしらの魔物と戦えるという当てが外れたのが、少なからず不服だったらしい。
残念そうにぼやく彼女に、トーヤは苦笑しながら慰めの言葉をかけた。
「ん……明日は、魔物と戦える依頼がやりたい」
「わかった、そうしようか。……とにもかくにも、まずはここの調査をしないとな。情報を持ち帰るのが、俺たちの――」
アスセナのささやかなワガママにもう一度苦笑しつつ、洞穴の広間へと向き直ろうとしたトーヤが、不意に言葉を途切れさせる。
不自然な挙動に、不思議そうな顔をしたアスセナがトーヤの顔を覗き込もうとするが、それよりも先にトーヤは広間への入り口へと向き直り、手にしていた剣の柄を、ぐっと強く握り直した。
「セナ、構えろ。――何か来る」
「え――?」
トーヤが忠告したまさにその直後、不意に通路の奥がほのかに明るくなる。
洞穴の奥――トーヤ達のいる場所へと向かってきているのか、明かりはゆらゆらと洞穴の壁に反射しながら、ゆっくりとその明度を増していた。
「……何かの明かり。ヒト?」
「あぁ、多分な。さっき、かすかにブーツか何かの足音が聞こえた。……セナ、こっちに」
洞穴へとやってきた人間の正体がつかめない今、下手に接触するのは危険だろう。そう判断したトーヤは、セナの手を引いて、影になりそうな場所へとすべり込み、松明を消して身を隠した。
野盗か、それとも民間人か。緊張が走る中、ほどなくすると、それはトーヤ達のいる広間へと足を踏み入れた。
(……ローブで身を隠してるけど、随分小柄だな。見た感じ、野盗って感じではないけど……)
松明で照らし上げ、広間を一瞥するのは、ローブを羽織った人影。周囲の物体と自分の身長差から見て、自分と同等か、もう少し小さな体躯を持っていることがわかるその人影は、しばらく周囲を見渡して――。
「――召炎魔法」
「っ!?」
不意に、トーヤ達の隠れている場所めがけて、巨大な火球を放ってきた。
「くっ――!」
爆砕音と共に、遮蔽物となっていた岩壁が吹き飛ばされる中、トーヤはアスセナの肩を抱きながら、その場を脱出する。
そのまま洞穴の床を転がりながら体勢を立て直すと、トーヤはすぐさま戦闘態勢を取った。
「見られてた……?」
「いいや、アイツの視界に俺たちは入ってなかった。――気配と痕跡だけで、こっちの動きを読んだんだ!」
驚きとともに体勢を立て直すアスセナに説明しながら、トーヤは内心で歯噛みする。
遮蔽物に紛れた上で、松明の火も消して、入り口から見て影になる部分に隠れていたのだ。かがり火に照らされた程度で、容易く看破されるような隠れ方はしていない。
しかして実際、目の前で悠然と立つローブ姿の人物は、ほんの少し周囲を見回すだけで、迷いなくトーヤ達めがけて攻撃を放ってきた。それはつまり、相手がわずかな気配とわずかな痕跡だけで、トーヤ達を発見できる実力者である証左に他ならなかった。
「……召炎魔法」
そして、件のローブを纏った襲撃者は、トーヤ達の姿を見とめると、不意に天井めがけて複数の火球を撃ち出す。
爆発で天井を崩すのか、と勘繰るトーヤだったが、予想に反して火球たちは天井ギリギリの付近で留まり、そのまま洞穴の内部をオレンジ色の光で照らし始めた。
(もう隠れても無駄、ってことか)
その行動の意味を察し、歯噛みするトーヤをよそに、襲撃者は悠然とした動作でローブの下から剣を抜き放つ。剣そのものは量産品と大差ないようだったが、それは入念に手入れされているようで、洞穴を照らす光を反射して、冷たく剣呑な輝きを放っていた。
「……セナ、構えろ。何が目的かわからないけど、アイツに俺たちを逃がす気はないらしい」
「ん、わかった。……敵なら、倒すだけ」
どうやら、件の襲撃者の目的は、トーヤ達を標的にしているらしい。フードに覆われて見えない瞳に射抜かれながら、トーヤとアスセナはそれぞれの得物を構える。
現状、相手の正体はおろか、その目的すらつかめてはいない。だが、いきなり容赦のない一撃を浴びせかけてきたことから、穏便にことが済むとは考えづらいだろう。
「――行くぞ!」
「うん!」
トーヤ達に遅れ、ゆったりとした動作で構えを取る襲撃者を眼前に見据え、トーヤとアスセナは、同時に地を蹴った。