第10話 再会の知己と
ひとしきり再会を喜んだ後、トーヤたちとエヴァは一度冒険者組合への報告――行方不明届の取り下げと、トーヤが無事に帰還したことを報告に向かう。
本来、行方不明届を取り消すのであれば、色々面倒な手順を踏んで承認を得る必要がある。だが幸いというべきか、行方不明届が提出されたのはトーヤとエヴァが鉢合わせするほんの数分前であり、届け出はまだ正式に受理されていなかった。なので、本人確認と手数料を取られる以外に面倒なことは起こらず、トーヤたちは一安心する結果となった。
諸々の報告を済ませた後、トーヤたちとエヴァは町の外周付近にある広場へと移動する。
町の門にもほど近い場所にある広場には、行商人たちが開いている、大小さまざまな露店がある。その中には、トーヤも見慣れたエヴァの移動鍛冶屋となる馬車も停めてあり、ひとまずはその中で事情を説明することにしたのだ。
「さて、と。積もる話はいろいろあるけど……とりあえず、まずは色々聞かせてね?」
荷物を退け、とりあえず座れる場所を確保してから、エヴァはこほんと咳払いする。そして、静かにトーヤの隣――トーヤの横でちょこんと木箱に腰掛けているアスセナを示して見せた。
「まずは……その子、誰? どうしてトーヤと一緒にいるの?」
飛んできた言葉は、トーヤとしても概ね予想の範疇に収まる内容だった。
もともとトーヤは、一人でパニッシュ・レオーネに挑み、一人で遭難していたのである。それがいざ帰ってきてみれば、隣に見知らぬ人物――それもトーヤと同い年ほどの、年端もいかない少女を連れている。当時の状況を知る者ならば、まず間違いなく今のトーヤの状態を疑問に思うだろうことは、容易に予想が付いた。
「えぇと、話せば長くなるんだけど……」
そう前置きしながら、トーヤは内心で逡巡する。
真実を話すべきか、それとも考えていた設定で誤魔化すか。突然再会したこともあって、アスセナの扱い方に関しては、トーヤも未だ決めあぐねていたのだ。
エヴァは確かに信の置ける人物であり、仮にアスセナの真実を話したとしても、真っ向から嘘と断じることはないだろう。それでもなおためらいがあるのは、この突拍子も無い話を信じてもらえる自信が無いからであり、これ以上エヴァの信頼を損ねたくないという、ある種の恐怖を抱いたからでもあった。
「……ははぁ、なるほどね」
「え?」
頭を掻きながら悩んでいると、不意にエヴァが得心したような表情を見せる。
まだ何も話していないにもかかわらず浮かべた、訳知りのような表情。少しいたずらっぽい笑みを浮かべるエヴァの真意は、付き合いの長いトーヤにもわからなかった。
「おおかた、そうそう話せないような内容なんでしょ。それも……やましいことじゃなくて、アタシでも信じられるかわからないような、そんな内容。違う?」
ぴしゃりと言い当てられて、思わずトーヤは呆然とする。なんとなく、で察するだけでも相当なものだというのに、目の前の知己はトーヤの悩み事を、寸分たがわず言い当ててみせたのだ。
「どうして、って顔してるね。今のトーヤ間抜けだよー?」
「まぬっ……って、そこは別にいいけどさ。――なんで、わかったの?」
「ん? 何でも何も、その態度を見ればわかるよ。昔から、悩んだときにばりばり頭掻く癖は治ってないよねぇ」
からからと快活に笑うエヴァの言葉で、思わずトーヤは頭を掻くのを中断する。眼前に戻した手と知己の顔を交互に見比べてみれば、エヴァはまたからからと笑った。
「これでも、伊達にトーヤと一番長く付き合っちゃいないからね。――トーヤはいつも、伝えなきゃいけないことはきちんと伝えてくれてた。そのトーヤが口ごもるってことはつまり、言葉にしづらいか、もしくは伝えづらいことなのよ。……もしそれが慌てて隠さなきゃいけないことなら、トーヤはもっと焦ってる。なのに落ち着いて悩んでるってことは、やましい事情は一切なくて、話すかどうか、どう話すべきかを迷ってるってこと。……どう? 間違いはある?」
よどみない口調で見破られたからくりを享受されて、トーヤは数瞬呆然とした後、苦笑と共に両手を挙げ、降参のポーズを作った。
「……ないよ。はは、エヴァ姉にはかなわないな」
「当たり前じゃない。だってアタシは、トーヤのお姉さんなんだからね」
眼前の女性の観察眼に舌を巻きながら、トーヤはまた頭を掻く。――どうやら、エヴァ相手に生半可な嘘は通用しないらしい。
そのことを認識したトーヤは、決意と共に口を開く。これまでの経緯を――エヴァたちと別れ、この町へと帰り着くまでの、嘘偽りない経緯を語り始めた。
***
「…………なるほど、ねぇ……」
一通りのいきさつを話し終えて口を閉じると、眉間にしわを寄せたエヴァが、どうにかその一言だけを絞り出す。誰がどう見ても、トーヤの言葉を信じ切っているような状態ではなかった。
「……この内容を信じるかどうかは、エヴァ姉に任せるよ。こんな話、はいそうですかって信じる方がどうかしてると思うからね。今はとにかく、俺とセナが一緒に行動することになった、ってことだけ知ってくれれば」
なるべく面倒ごとは避けたいトーヤとしては、無理やり証拠になるもの――たとえばアスセナの真の姿なんかを見せてまで、エヴァの信頼を勝ち取ろうとは思っていない。もとより眉唾もいいところな事実である以上、最悪トーヤとアスセナ二人だけの秘密、という風にしても、さしたる問題ではないのだ。
「……いや。信じるよ、アタシは」
「……いいの?」
「いいもなにも、アタシとしては信じない理由が無いからね。トーヤのそぶりから見ても嘘をついてるとは思えないし、仮にその子がドラゴンだとしたら、こうして今トーヤがここにいるつじつまも、わりかしきちんと合わせられるしね」
にこやかにそう告げるエヴァを見て、内心でトーヤはほっと胸をなでおろす。
――確かに、無理に信頼に勝ち取ろうとは思っていなかった。しかし、いざ明確に信頼してくれると言われれば、告白したトーヤとしても気が楽になることには違いなかった。
「ありがと、エヴァ姉。……正直、信じてもらえるとは思ってなかったから」
「そりゃ、アタシもまだ半信半疑だよ? でも、さっき言った通り、そう考えれば道理が行く部分も多いからね。――それに、真実うんぬんでくだらない問答をするよりも、トーヤがこうして無事に帰って来てくれたことの方が、アタシとしては重要だからね」
そう言いつつ、ふとエヴァは思い出したようにアスセナへと向き直る。
「そうそう、その点ではあなたにも感謝しないとね」
突然話題を振られて対応に困ったのか、アスセナがこてんと首をかしげる。
「トーヤの話を信じるなら、この子をこうして町まで連れて来てくれたのは、あなたなんでしょ? だったら、それ相応のお礼はしてあげないとね」
続く説明で、ようやくエヴァの意図を察したらしい。少し意外そうな表情を見せたアスセナは、しかし小さく首を横に振ってみせる。
「……ん、違う。私は、トーヤに命を助けられて、人間の世界を一緒に歩いてくれるって、約束してくれた。だから、私も同じ」
口調こそそっけない物だったが、その声音はとても暖かい感情に満ちている。エヴァもまた、言葉尻に籠った紛れもない感謝の念を感じ取ったのか、得心したようにうなずいた。
「そっか。なら、お互い様だね。……じゃあセナちゃん、うちのトーヤをよろしくね。この子ってば、ほっておいたらすぐに無茶苦茶やらかすからね。危なっかしいことしてたら、ちゃんと止めてあげてね?」
「? ん、わかった」
その言葉の意図が伝わったかいまいち怪しい頷きを見て、トーヤは思わず苦笑いを浮かべる。
もっとも、アスセナは長い間外界はおろか、他者との交流すら著しく限定されていたのだ。額面通りの発言ならばともかく、言外に込められた意図について理解できないのも、無理からぬ話だろう。
「……さて、と。とりあえず、セナちゃんの正体に関しては、いったん置いておこうか。まずは、やらなきゃいけないことがあるからね」
「やらなきゃいけないこと?」
「そ。……まぁ、トーヤもわかってるでしょ? 今のセナちゃんの格好、はっきり言ってマズいよ?」
「あっ」
言われ、トーヤはようやく思い出す。
ここまで当然のようにスルーしていたが、アスセナの姿は今朝からずっと変わっていない。トーヤが貸した外套一枚しか羽織っていない現状、公衆の前を歩かせるのは、色々な意味で危険がいっぱいだった。
「そうだ、忘れてた。エヴァ姉、セナが着れるような服って持ってない? 間に合わせにできるなら、なんでもいいんだけど」
もともとエヴァに会おうと思っていたのは、無事を知らせることのほかに、アスセナに着せられるような服を譲ってもらおうという考えがあったからだ。アスセナ(と自分の社会的地位)を守るためにも、彼女にはなんとしてもまともな服を着てほしい、というのが、トーヤの切実な願いだった。
「うーん……残念だけど、セナちゃんに合うサイズの服は持ってないなぁ。ほとんど作業着にしてるのばっかりだし、煤とか汗でだいぶ汚れてるからね。お古で着せるにしても、流石にドロドロの服じゃ悪目立ちしちゃうよ?」
しかし、そうそううまく事が運ぶことはなかったらしい。トーヤとしても、あまり汚い服を着せるのは悪いと思っていたので、食い下がることはしなかった。
「それは、確かに。……うぅん、どうしようかな」
頼みの綱を失って、トーヤは頭を掻いて悩む。と、そんなトーヤに向けて、エヴァが思いもよらない提案をしてきた。
「あ、そうだ。それじゃあいっそのこと、安物でいいから間に合わせの服を買ってあげればいいんじゃない?」
「む……それは、俺も考えたんだけどさ。無くしちゃった剣も新調しなきゃいけないから、お金に余裕がないんだよ」
新しい服を買い与える、ということはもちろんトーヤも考えていたのだが、トーヤの懐にはあまり余裕がない。宿代を含めた諸々の生活費だけならなんとかなるかもしれないが、今のトーヤには、パニッシュ・レオーネの陽動に使って紛失してしまった剣を、新しく調達する必要があるのだ。
各種の武器は広く流通しているとはいえ、武器というものは例外なく相応の値が張る。先送りにすることも考えたのだが、トーヤの戦術は「剣術を起点に魔法を織り交ぜて戦う」というもの。魔法だけでも戦えなくはないが、起点となる剣術が無い以上、著しい弱体化は避けられないのだ。実力の未知数なアスセナを伴って行動するのならば、早期に新しい剣を手に入れるのが得策だろう……というのが、トーヤの考えだった。
「なぁんだ、そういうことか。――そういうことなら」
といった事情を説明すると、得心した様子のエヴァが、おもむろに馬車の奥に詰め込んだ荷物の山へと手を伸ばす。
いったい何をするつもりか、とトーヤが問うよりも早く、エヴァは荷物の中から、何かを引っ張り出して見せた。
「……剣?」
エヴァが握っていたのは、何の変哲もない一振りの剣。エヴァが鍛えたものである証に刻まれたマーク以外は、トーヤが使っていたものとよく似ていた。
「トーヤ、剣が無くて困ってるんでしょ? なら、これを使いなよ。商品として鍛えたものだから、品質は保証するよ」
意外な提案に驚く暇もなく、エヴァがぽんと軽く剣を放る。慌ててキャッチした剣は程よい重量感を手に伝えてきて、求める質を備えた一振りだということが、直感的に理解できた。
「使いなよ、って……いいの? 商品なんでしょ?」
「もちろん。家族同然の人が困ってるんだから、助けるのは当たり前でしょ? 現にトーヤだって、アタシを助けてくれたじゃない」
エヴァが言っているのは間違いなく、昨日のパニッシュ・レオーネの一件のことだろう。
それとこれとは事情が違う、と反論しようとしたトーヤだったが、ぴっと鼻先に突きつけられた指に制止される。
「文句は受け付けないわ。大人しくその剣で活躍して、アタシの店の宣伝になってね?」
もっともらしい理由をこじつけられれば、トーヤとしては反論する余地はない。
元々、困っているのはトーヤの方で、エヴァは助け舟を出してくれただけなのだ。厚意に甘えこそすれど、その申し出を無下に断る理由は、何処にも存在しなかった。
「……わかった。じゃあ、ありがたく使わせてもらうよ。――ありがと、エヴァ姉」
「ふふ、どういたしまして」
トーヤが礼を述べると、エヴァはにこやかに強気な笑顔をこぼして見せた。