宿角玲那編 「増幅する悪意が少女を育てる」
来支間克光の死により正気を失い、闇へと転がり落ちた娘の久美のことを母親の智美がどう思っていたかと言えば、実に救いようのないものでしかなかっただろう。
本来ならここで娘を支えるべき母親は、彼女のことを、<腹を痛めて産んだ自分の娘>ではなく、<どうしようもなく下衆な淫行男の娘>としか見ていなかったのだ。父親の死に打ちのめされ錯乱する彼女を哀れむどころか蔑みの目で見てさえいた。この時の母親の脳裏にあったのは、
『もっと早くに離婚するべきだった』
という後悔でしかなかった。その後、智美は克光の保険金を受け取りマスコミの取材から逃れるように姿を隠した。遺産相続や裁判などの諸々の煩わしいことの一切を弁護士に任せて。
とは言え、それ以降の智美の人生が幸せだったかと問われれば疑問符しかつかないと思われる。夫との死後離婚を果たし旧姓に戻し他人のふりをして気楽な一人暮らしを満喫し、保険金や遺産相続により金銭的にはそれほど苦労はしなかったかもしれないが、誰も信じられず精神はささくれ立ち、常に苛々していて口を開けば不平不満か悪態ばかり。
それでも、金さえあれば幸せだと思える人間から見れば幸せだったのかもしれない。しかし本当のところは本人にしか分かるまい。事件から数十年後、誰も面会にすら来ない高齢者施設で、職員をいびり倒して次々と退職に追い込む問題高齢者として疎まれつつ、八八年の人生を終えたことが果たして幸せだったのかどうかなど。
ただ、こうやって状況の中心から距離を置くことでそれ以上の不幸に呑まれることを回避できたのも事実なのだろう。取り返しのつかないことをしてしまった敏文とその両親に比べれば。
警察に逮捕されてからも敏文は、自分は正しいことをしようとしただけで、伯父が死んだのは自業自得であり事故でしかないと主張した。だがそんな理屈が通る筈もない。警察にしてみれば、少女を使った売春組織の有力な手掛かりの一つとなる筈だった来支間克光の死で、重要な証言が得られなくなってしまったのは間違いなかったのだから。そう、警察にしてみれば、『余計なことをしてくれた』というのが偽らざる感想だったのだ。
それでもせめてもと克光の事務所と自宅の家宅捜索に踏み切り、彼のPCやデジタルカメラ、ビデオカメラ等を押収。PCの中に残されていた、少女に断りなく行為を盗撮したと思しき多数の写真や動画などを見付け、そのうちの数人の身元を制服や会話に出てきた名前等から特定、補導して証言を得た。それにより、被疑者死亡という形ではあるが児童保護法違反等の罪状で書類送検まではこぎつけることができた。
しかし、それだけだった。克光は非常に用心深い性分だった為に、芸能事務所へ紹介した少女については一切の痕跡を消し、画像や動画の復元すらできないようにハードディスクもメモリーカードも物理的に破壊して処分していた。PCに残っていたのは、個別に援助交際で出会った少女達であり、彼にしてみれば二級品以下の存在でしかなかった。逆に、だからこそデータをぞんざいに扱っていたというのもある。そして玲那のデータは残っていなかった。その為、敏文の証言に基づいて玲那に対しても任意で事情聴取を行おうとしたものの拒否されて、それ以上突っ込んだ捜査ができなかった。
このことにより、克光に見いだされ芸能界へと進んだ少女達はその過去を暴かれることはなかったが、芸能界で幸せになれたかどうかと言われればそれはまた別の話である。ストレスに耐え切れず薬物に手を出してそれを週刊誌にすっぱ抜かれる者、不倫騒動を起こして引退を余儀なくされる者、精神を病んで人知れず消えていく者等々。
それでも、麻音と心音は、子役から女優へとシフトし、共に評価も得て、順調にキャリアを重ねていったのだった。まあ、プライベートでは男に騙されて金を持ち逃げされたり弄ばれたりといろいろあったようではあるが。
そんな余談はさておき、敏文については、肝心な部分の裏付けが取れなかったことで克光に対する疑いそのものが明確な根拠に基づいたものであるということが立証できず、単なる思い込みで伯父を追い込もうとした挙句に死に追いやった身勝手な犯行という図式が出来上がってしまったのだった。
確かに、他の証拠から克光の淫行が事実であることは判明した。しかし、敏文の行為をまっとうな義憤からのものであったとするには証拠が足りないということである。これは、玲那の話を聞いたという来支間久美の証言を得られなかったことも大きかった。淫行そのものの画像や動画が見付かり克光の容疑がほぼ確定的になった時点で既に久美から証言が取れるような状態ではなく、回復を待とうとしているうちに病院の階段から転落し死亡してしまったのだから。
玲那が証言を拒んだことは敏文にも伝わり、彼は愕然としたという。
「何で…?。僕はあの子の為に…!。あの玲那っていう子の為にこんなことしたっていうのに……!!」
そして留置場の中で久美の死を知るに至り、彼の困惑はやがて憎悪へと変化していった。
『やっぱり、あいつを久美から引き離さなかったのが間違いだったんだ…!。あいつの所為で僕も久美も……!!』
この時の『あいつ』とは、もちろん玲那のことである。
<久美には詳しい話をしておきながら、警察には口をつぐんで自分を不利な状況へと追い詰めたクズ>。
それが、敏文による玲那の人物評となっていた。
だがこのことが、敏文に何らかの覚悟を決めさせたらしい。その後の彼はまるで心を入れ替えたかのように素直に罪を認め、協力的になった。司法手続きを円滑に進め、反省の態度を示し、早々に裁判の結果を出して刑に服し、最短で刑期を終えようとでもするかのように。
いや、まさにそれが狙いだった。自分はまだ未成年なので、しっかりと反省の態度を示せば大きく減刑される可能性は高い。場合によっては執行猶予がつく可能性もあるだろう。もしそれが駄目でも早々に刑を終えて釈放されれば、今度は<あいつ>に相応の報いを受けさせに行ける。そう考えたのだ。
敏文は、何も分かっていなかった。実際には何一つ反省などしていなかった。そういう考え方が今回の事態を招いたのだということに全く考えが至らなかったのである。
それは敏文の両親もそうだったのだろう。自分の子供は、淫行していた克光に復讐しようとした少女の計略にはまっただけでしかなく、責任は全て克光とその少女にあるとさえ考えていた。
実に近視眼的で自分本位で身勝手な発想だと言える。そして敏文はまさに、そんな両親の考え方を見事なまでに完璧に受け継いでいたということだ。
さりとて、そんな事情を知る由もない無責任な世間は、伯父を歩道橋から突き落として殺した敏文のことも当たり前のように攻撃していた。
『未成年のうちに人を殺しておこうと考えたんだろ』
『また未成年だからって守られるのかよ。少年法廃止しろ!』
『名前と顔を晒せよ!』
『裁判なんかイラネ。今すぐ吊るせ!』
『家族ともども即刻死刑!。殺人者の血は根絶やしにしろ!!』
等々。
自分がどこの誰か分からないと思えば本当に強気で大きな口を叩く卑劣な輩の多いことだと呆れるしかない。そう。こういうことを言っているのは、ごく一部の一握りの人間ではないのだ。小学生から本来は分別ある大人である筈の壮年までと、幅広い層にわたって少なくない人間がそれをやっているのである。正義を振りかざし、正義を執行する為に攻撃を加える。それがまさに敏文がやった行為そのものであるということを考えさえせずに。
批判は当然だ。敏文がやったことは許されない犯罪なのだからそれは責められるべきである。だが、批判と罵詈雑言は違うのだ。いい歳をした大人でさえその違いを区別できていない者が多いようだが。
顔を晒し身元を明かしてテレビなどで辛辣なコメントをするコメンテーターなどとも違う。匿名に守られ、正義のふりをした卑劣な悪意。
確かに、強大な権力や暴力から身を守る為には匿名であることは非常に有効な防壁ともなろう。だから匿名が必要な場合があるのは分かる。善意の内部告発者の情報が秘匿されるのはその為だ。だが、さして力も持たぬ個人を多数で袋叩きにする為にそれを用いるなら、そんなものはただの卑怯者の隠れ蓑でしかない。その卑怯者がどの面を下げて敏文を責めるというのか。
それが敏文の両親を追い詰め、そして敏文の憎悪にさらに燃料を与える結果になるということすら、想像できないということなのだろう。
このことがまた、敏文と玲那それぞれを恐ろしい怪物へと育て上げていくこととなるのだった。
なお、来支間克光と久美の死が玲那にどういう影響を与えたかと言えば、それはこの後の彼女の生き様に決定的な方向性を与えてしまったと言えるだろう。特に、敏文の手によって克光が死んだという事実が大きかったと言える。
『なんだ。真面目そうな人でも結構あんな感じで人を殺すんだ』
大まかに言えば、それがこの事件に対する玲那の印象である。これが彼女の中の人の死に関するハードルを更に大きく下げてしまった。
また、久美については特に感慨もなかった。あの男の血が流れているのだからいなくなった方がいい程度にしか思っていなかった。
学校でも久美の死を悼んで全校集会が行われたりもしたが、玲那は淡々とした態度でそれに参加していた。しかし、彼女の深く沈んだ陰鬱な面持ちは、思わぬ形で友人を亡くしたことで落ち込んでいるようにも周囲には見えたようだ。それが周りの者達の涙を誘ったりもした。
もっとも、実際には、二人でいる時には積極的に話しかけてくるようになっていた久美に合わせて応えていただけで、玲那自身は本質的には何も変わっていなかった。氷のように冷え固まった心のままにそこにいただけなので、一人に戻ると当然、暗い感じになる。それだけのことだ。それを周囲が勝手に斟酌しただけに過ぎない。
固く心を閉ざし続けた玲那は、他者への共感性を育てることができていなかった。誰も彼女のそれを育ててはくれなかった。久美も結局は玲那のことをただの人形のようにしか見ていなかった為に、表面上は親しくしているように見えていても、やはり心は通い合ってなどおらず、双方の間にはあまりに大きな壁が立ち塞がっていたのだ。
この時点では唯一、玲那の心の深いところに届きうる可能性があったのが陽菜だったが、保木仁美として日の当たる場所に戻った彼女と今なお日の当たらぬ場所を歩き続ける玲那とでは、もう既に生きる世界が違ってしまっていた。そして二人の人生が交差することは永久にない。
陽菜、いや仁美自身は、これから後も様々な苦しい事に直面しつつも徐々に凡庸な人生を取り戻し、最後には子や孫に見守られながら九十年の人生の幕を幸せに閉じることになる。ただ残念ながらその時には仁美の中から玲那に関する記憶は完全に失われ、彼女のことはなかったことになってしまっていたのだが。玲那が、宿角玲那として大きな事件を起こしたことも、仁美が知る彼女とは大きく人相も変わってしまっていたことで本人であると気付かず、まったく印象に残らなかったようだ。
このようにして、自分を変えてくれる育ててくれる可能性を持った者との繋がりを失い、玲那はある意味では順調に怪物として育ちつつあった。とは言え、まだ中学に上がったばかりでしかない彼女は肉体的にも精神的にも脆弱だった。本人もそれは自覚しており、今はまだ自らの<牙>を大きく強く研ぐ為の期間として大人しく日々を過ごしていた。
しかも、彼女の心自体も、まるで人工知能のように情動に乏しく薄っぺらで、他人の言葉に応えるだけのものでしかなかった。憎悪は有り余るほどあってもそれ以外の感情は未発達で、とにかく人間らしさに欠けていたと言えるだろう。だからこそ、陽菜との繋がりが失われてしまったことは悔やまれた。彼女の心を人間らしく育ててくれる誰かがいれば、もしかしたら違う結果があったのかもしれない。
だが、残念ながらそういう人間が現れることは二度となかった。
久美が亡くなって一ヶ月の後、玲那の家のリフォームが完了。いよいよ本格的に宿角健雅との生活が始まるのだが、ここからがまた玲那にとっては地獄だった。
玲那が学校から帰ると、家の前に引っ越し業者のトラックが停まっていた。
「これで荷物の運び込みは終了です。ご利用、ありがとうございました」
と頭を下げた作業員の笑顔が引きつっているように見えたのは気のせいだったのだろうか。まるで逃げるようにトラックに乗り込み早々に立ち去ってしまったところで、玲那は綺麗になった玄関の前に立った。老朽化した元の家の面影はまるでなく、新築のようにさえ見える今風の洒落た住宅へと変わっていた。
少し戸惑いながらドアを開けると、そこにいたのは不自然なまでに黒い肌をした大柄な男だった。宿角健雅ではない。見た目の印象は似通っていたが、明らかに別人だった。
『…誰……?』
見知らぬ男が自宅にいたことで玲那は明らかに警戒していた。そんな彼女に向かってその男はやや軽薄な感じで笑って言った。
「あ、もしかしたら君が玲那ちゃんかな?。オレ、君のお父さんの友達で見城っての。ヨロシク!」
親指を立てながら自己紹介するその男の前でどう反応していいのか玲那が戸惑っていると、突然、
「玲那!、オレの友達にちゃんと挨拶しろ!!。失礼だろがっ!!」
と怒声が浴びせられた。玲那の体がビクッと反応する。声の方に視線を向けると、奥のリビングから彼女を睨み付ける人影があった。宿角健雅だった。それでも玲那が固まって立ち尽くしているとどかどかと大股で歩み寄って一切の躊躇なくそうするのが当然と言わんばかりに玲那の頬を容赦なく張り飛ばした。
母親の平手打ちには持ち堪えられるようになっていた彼女だったが、それより二回りは大きな筋肉の塊のような宿角健雅の一撃には全く歯が立たなかった。綺麗になった玄関の壁に叩き付けられ、一瞬、意識が飛びかけた。辛うじて倒れはしなかったが、壁にもたれてようやく体を支えている状態だった。
「オイオイ!、相手は中学生の女の子じゃんヨ。ムチャすんなって」
自分の目の前でいきなり起こったことに見城が戸惑ったように声を上げる。それに対して健雅は、
「バッカ!、ガキってのは最初が肝心なんだよ。こうやってバシッと決めなきゃ舐められんだ!。これが躾ってもんなんだよ」
と、ぶたれた頬を押さえながら壁に寄り掛かる玲那を見下ろしながら吐き捨てるように言った。
「なんだそれ。お前は昭和の熱血オヤジかヨ」
そう言いながら苦笑いを浮かべる見城に健雅がなおも言う。
「今時の親ってのはガキを叱れないから世の中悪くなってきてんだよ。オレはそういうのとは違げーからよ!」
『世の中が悪くなってきている』。最近よく聞く言葉だが、それを具体的に裏付ける明確な根拠はどこにあるというのか。虐待の認知件数やイジメの認知件数、犯罪の認知件数等の数字を基に言っているのだとしたら、それはそういう数字のカラクリを知らずに上辺だけでものを見ている人間の理屈でしかない。認知件数と実際に起こっている事案の件数とは必ずしも一致しない。昔に比べて数字の上では増えているとしても、それは<昔の数字>が正しくなければ比較する意味がない。かつては認知されていなかったものが認知されるようになったのであれば、決して実際の発生件数の推移を表してはいないのだ。
暴走族や校内暴力が全盛だった頃は、警察に届けられることさえなかった事件が数多くあった筈である。また、昔は大らかだったが故に少々の喧嘩などでは暴力事案として認知されなかったという実情もあっただろう。また、虐待もイジメも、単なる躾や子供同士の喧嘩として表沙汰にならなかったものが多かったと思われる。そういう頃の認知件数と現在の認知件数を単純に比較することはできない。
つまり、今の世の中が昔に比べて悪くなったという具体的な根拠は何もないのだ。店員や駅員に対する暴力事案が増えているという指摘もあるが、それすらかつては『お客様は神様です』ということで事件化せずに泣き寝入りしていた事例がどれだけあったのか、考察してみるといいかもしれない。店側や企業側が泣き寝入りしていたものが表に出てきているだけかもしれないのではないのか。
結局、世の中が悪くなってきているというのは、かなり表向きの印象だけでそう感じているというのがあるのでは?。という話である。
連日のようにニュースになる、親による子供への虐待事件の多くが、親の方は『躾のつもりだった』と言っているのは何故だろう。
『子供は厳しく躾けるべきだ』という考え方を誤解している人間が多いということではないのか?。
子供を殴ることが躾だと思っているのなら、宿角健雅の行いを批判することはできないのかもしれない。
そもそも、身長百四十八センチ、体重三十八キロの玲那と、身長百七十八センチ、体重七十五キロの宿角健雅が真っ向から喧嘩をして、どちらが勝つだろうか?。
中一の時点では運動の類は苦手で体を鍛えてなどまったくいなかった玲那と、ジムで体を鍛えて筋肉の形に拘っている宿角健雅とどちらが強いだろうか?。
武器などを使わなければ、同じ条件であれば、百回戦ったところで百回とも宿角健雅が勝つだろう。玲那が勝てる要素など何一つない。そんな相手を容赦なく殴れるその神経は、果たして正常だと言えるのだろうか?。
また、話は若干逸れるかもしれないが、二歳や三歳の子供が大人に勝てる道理はあると言うのか?。何百回喧嘩したところで絶対に負けない相手を殴ることに何の正当性があるというのか?。それを卑怯と思わない神経が、果たして正常なのだろうか?。
玲那は、赤ん坊の頃から両親に何度も殴られてきた。<殴られれば痛い>。そんなことは言われなくとも骨の髄まで沁みついてる。そんな玲那を今さら殴る意味は?。
暴力事件を起こす人間を調べてみて、これまで一度も殴られたことがないと証言するのが果たして何割いるだろうか?。殴られれば痛いということを知らずに事件を起こした人間が何割いるのかきちんと調べた者はいるのだろうか?。
『殴られないと殴られる痛みは分からない』とする根拠は?。
殴られる痛みを知っている者をさらに殴ることで痛みを教えられるとする根拠は?。
殴られる痛みを知っており、他人に蔑ろにされる苦しみを誰よりも知っている筈の玲那が何故、何人もの人間を傷付け殺すことになったのか……。
宿角健雅は、一言で言えばとにかく身勝手な男だった。一から十まで自分が最優先されないと気が済まず、自分のことを後回しにされたりすると酷く不機嫌になった。それどころかすぐに怒鳴り散らし、果ては暴力まで振るう。そんな人間だから喧嘩は日常茶飯事で、ナイフで刺されたことさえある。その時の傷が腕と脚に残っており、ナイフで刺されながらも相手をぶちのめした一件は彼が他人に自慢気に語る定番の武勇伝だった。
だから当然、殴られれば痛いということくらい知っている。ナイフで刺されたこともあるのだからその痛みも知っている。彼はちゃんと、そういうことを知っているのだ。問題は、その痛みを軽んじているということだ。それが日常過ぎて痛い程度では懲りたり反省したりしないのだった。痛みに慣れてしまって麻痺しているのである。そして痛みではこの男は止められない。殴られたくらいでは怯まない。たとえその時は勝てなくても、自分が素手で勝てない相手となれば武器を持ち仲間を集めて報復する。鉄パイプで他人の頭を殴るくらいのことは何一つ躊躇せずできてしまう人間だった。
この男を殴って止められると思うならやってみるといい。その後、仲間を使って家まで調べ上げられて家族共々半殺しにされる覚悟があるのなら。男は手足を折られ若い女性は薬物を打たれ徹底的に嬲りものにされるだろう。こいつはそういう人間なのだ。
玲那に対してもそういう本性を見せるのにそれほど時間はかからなかった。
一緒に暮らし始めるとまず、玲那に徹底的に自分を敬い挨拶することを命じた。
「オレ、礼儀をわきまえてないヤツは許せねーから。
朝起きたら『おはようございます』。お辞儀は直角ね。オレが何か声かけたら『ありがとうございます』を忘れんな」
そう言った次の瞬間、手元にあったガラス製の灰皿を玲那に投げつけた。頭に当たる直前に咄嗟に手で庇ったものの、腕に当たって骨まで響いた。
「ありがとうございますって言えっつったろ!!。あ!?」
そう。声を掛けたから『ありがとうございます』と頭を下げろと言っているのである。
「…ありがとうございます」
「声が小せぇ!!」
「ありがとうございます!」
「そうだよ。やればできんじゃねーか。それと、掃除しとけよ」
「ありがとうございます!」
一事が万事、この調子だった。この男は、これを<躾>だと思っているのである。躾が必要なのはどちらなのであろうか。
玲那は、健雅の命じるままに忠実に従った。心を閉ざし余計なことは考えず、ロボットのように。そうすることが一番楽だった。それが徹底しているので、意外と暴力は受けなかった。だから痣などもできることなく、それ故に学校側も暴力的に支配されていることが把握できなかった。
しかしこれは、玲那が味わう地獄の入り口に過ぎない。
一緒に暮らし始めてあっという間に一年が経ち、玲那は十四歳の誕生日を目前に控えていた。と言っても、十三歳の誕生日の時にも何もしてもらってはいないが。
それでも玲那もそれなりに成長し、明らかに子供から女性へと変わり始めていた。背が伸び、胸の膨らみも、服の上からでも一見しただけで分かるほどになっていた。
「へぇ…」
風呂上りに髪を拭きながら自分の部屋へと歩いていく彼女の姿を見た宿角健雅の目に、ギラリと光るものがあった。口元にはニィと淫猥な笑みが浮かんでいた。
宿角健雅に少女趣味はなかったものの、女性らしい体つきになってきたならば話は別だった。
リフォームの対象から外され、他の部屋などと比べると明らかに見劣りする古びた自室でベッドに座って髪を拭いていた彼女の前に、突然、ドアを開けて真っ黒な肌の筋肉の塊が立ちはだかった。健雅だった。
「玲那ぁ、お前もちゃんと女になってきてたんだなあ…?」
その物言いと、彼女の体を舐めまわすかのような視線と、口元に浮かんだいやらしい笑みを見ただけで、彼女には健雅が何を考えているのか分かってしまった。
だが、しばらくそういうことから解放されていたからか、心のどこかではもう二度とそういうことはしたくないと思ってしまっていたのか、彼女の体はこの時、無意識のうちにそれを拒もうとするかのように逃げ腰になっていた。そしてそれが健雅の癇に酷く障ってしまったらしい。
「玲那、手前ぇ!。オレを舐めてんのかぁ!!?」
それまではとても従順だった<娘>が自分に逆らうような素振りを見せたことで、健雅の暴力的な部分のスイッチが入り激しく燃え上がった。自分が見くびられたとも感じてしまったのかもしれない。それは健雅にとっては何よりも許せないことだった。見くびられることはこの男にとっては自分の存在そのものを蔑ろにされるのと同じであった。
「っザケんなよ、おるぁああっ!!」
怒声と共に飛びつくように掴みかかり、思わず自分を庇おうとして掲げた玲那の左手の指を鷲掴みにした瞬間、健雅は何一つ躊躇うことなく手加減なしでその指をありえない方向へと捩じっていた。
ペキッ!。という感じの細くて硬いものが折れる音と共に、玲那の口から絶叫が迸った。
「あ、あぁあぁああぁぁぁっっっ!!」
本来なら決して向くはずのない方向に折れ曲がった指を抱え、彼女はうずくまろうとした。しかし今度は頬にガツンと固く重いものが叩き付けられ、体ごとベッドの上へと崩れ落ちた。健雅が玲那の頬を拳で殴りつけたのだ。
折れた指と頬の痛みに耐えかねて、彼女はベッドに俯せになって体を丸めた。すると健雅は玲那のスウェットの下を掴み、下着ごと乱暴に引きずりおろした。ようやく女性らしい丸みを帯び始めていた柔らかそうな尻が姿を現した。
「オレが使ってやるからよ!、感謝しろ!!」
そう喚きながら健雅が何度も尻を張る。見る間に真っ赤に染まっていくそれが平手で張られるたびに、ビクッ、ビクッ、と玲那の体が跳ねる。
痛みに耐えようとしているのかベッドに顔を押し付けて、彼女は声にならない呻き声を上げていた。それにも構わず、健雅は、自分の唾をたっぷりと塗り込んだ<娘>の中に、己の怒張したものを捻じ込んでいったのだった。




