伊藤玲那編 「人生万事塞翁が馬とはこのことか」
陽菜、いや仁美に今の仕事を紹介した莉々は、高校生になっていた。もちろん仕事も続けている。当然ながら、そのことは秘密にしていたが。
あの仕事は、莉々にとって非常にありがたいものになっていた。何しろアリバイ工作もやってくれるのだ。莉々の場合は、社長の知人の会社で荷捌きのバイトをしていることになっている。基本的に校則でバイトは禁止されているが、よほど大っぴらにやらなければ黙認されている状態だった。ましてや荷捌きという地味なバイトなど、新聞配達と同じくらいに<社会勉強>とさえ見做されていたようだ。
放課後、教室で帰る用意をしていた莉々は、廊下を歩く仁美の姿を捉えて、声を掛けていた。
「今から帰るとこ?。一緒に帰ろ」
そう。そこにいたのは<仁美>だった。髪型こそストレートにして若干は印象が変わっているが、まぎれもなく<陽菜>と名乗り玲那と同じ小学生チームに所属している彼女である。体は小さく顔つきもあどけないものの、身に着けていたのも莉々と同じく高校の制服だった。つまりはそういうことだ。子供っぽくキャラクターものの飾りのついたゴムで髪をまとめてしまえばそれこそ小学生にしか見えないその姿を利用して、小学生として自分を売っていたということだった。
帰り道。並んで歩く仁美に対し、莉々は殆ど一方的に話しかけていた。
「去年、莉愛が仕事帰りに交通事故で死んだ時にはどうなる事かと思ったけど、まあ実際には大した騒ぎにもならずに済んで助かったよ。でもあんたも、事故とか気を付けなよ。もしなんかあって仕事のことばれたりしたら私達まとめてお終いなんだからね」
軽い感じでそう話す莉々の言葉からは、人間らしい情というものが殆ど伝わってこなかった。仁美と同じように仕事を紹介した従妹の莉愛がむごたらしい最期を迎えた話をしているというのに、それを憐れむような気配さえまるで伝わってこない。
娘の死を悲しむどころか保険金が入ってきたことでむしろ喜んだ莉愛の両親と同じく、莉々にも莉愛に対する情などまるでなかったということのようだ。と言うよりは、莉々や莉愛の家系は基本的にそういう人間の集まりということらしい。
莉々の両親も、殆ど家に帰らずに娘のことなど放置している状態である。双方共に、愛人の家に入り浸っているのだ。一応、仕事が忙しくて連日職場に泊まり込んでいるという建前ではあるらしいが、それが嘘だということは、莉々も、小学生の頃から承知していた。
まあそれでも、生活費を口座に振り込んでくれて、家賃や学費をきちんと払ってくれて、自分に迷惑さえ掛からなければ両親などいない方がむしろありがたいと莉々は思っていたのだった。そのおかげで、仁美を家に長期間泊めていても何も言われずに済んだというのもある。
今でも、仁美は学校帰りに莉々の家に寄って制服から私服に着替え、ランドセルを背負って、現在の自宅である事務所兼待機室に帰っていた。
もっとも、社長である伊藤判生には薄々気付かれているようだが。それでも客には気付かれていないようなのでそれで良しとしていたようだ。
莉々の家で私服に着替えて髪を頭の両側でまとめて子供っぽくした上でランドセルを背負い、この瞬間から仁美は陽菜になる。莉々も私服に着替えて一緒に<出勤>した。その姿は小学生の妹を連れた高校生の姉という風情でもある。
小学生チームと中学生チームの待機室のある部屋と、高校生チーム及び大学生・社会人チームの待機室のある部屋は隣同士なので、莉々が開けたドアのすぐ隣に陽菜の姿も消えていった。
陽菜としては一応は家に帰ってきたという体裁なのだが、事務所にいる人間は特に『おかえり』などの声を掛けることもなく、陽菜も『ただいま』などと口にしたりもしなかった。ここにいる人間達は皆、他人のことになど関心は持たないし持たないように努めていたのだろう。
待機室とは別になった生活用のスペースで、陽菜はランドセルから高校の教科書とノートを取り出し、課題を始めた。彼女は基本的に課題などはきちんとこなし、必要以上に学校などから関心を持たれないように心掛けていた。だから普段の格好も、校則をきっちりと守った地味なものである。口数も少なくとにかく目立たないようにしていたのだが、しゃべらないのにはまた別に理由があった。それについてはまた後程説明することになる。
課題を終えて軽く夕食を澄まし、陽菜は待機室の方へと移った。そこには既に麻音の姿があった。心音の姿が見えなかったが、おそらく仕事に行っているのだろう。麻音と心音は七時までには家に帰ることになっている。それまでは学童保育に行っているという体裁だった。
なお、実はこの時点では、玲那と心音は人気の一~二を争い、陽菜と麻音がやはり拮抗しているという状態だった。それぞれキャラが被っているからだ。初々しい反応の薄幸そうな少女の玲那と心音。方や幼い外見に反して冷淡で動じない陽菜と麻音という感じだろうか。
客層もそれに応じて分かれており、玲那や心音を好むのは加虐志向の強い、重度の変質的な性癖の持ち主で、陽菜や麻音を好むのは、小学生に興味はあるもののあまり痛々しい感じでは腰が引けてしまう為、平然とした態度で臨んでもらえた方が罪悪感が紛れるという、いわばライトユーザー的な客層だった。だから望まれるプレイの内容も、陽菜や麻音の方は比較的ノーマルでハードではないものが多く、割と楽なものが多かったようである。
この日は、これまでは中学生チームを主に利用していて、初めて小学生チームの派遣を依頼するという客だった。人選はお任せということだったので、四人の中では最も手馴れていて客あしらいの上手い陽菜が選ばれた。陽菜では物足りないと感じた客が、玲那や心音を指名することになるというのが定番のパターンだ。
陽菜も、そんな自分の役割を自覚していた。必要以上に自分を売り込むようなことはせず、客の負担になるようなことはせず、淡々とした接客を心掛けていた。まあ、陽菜自身がそういうやり方しかできないというのもあったのだが。
だが今日の客は、小学生を買うのは初めてということもあってか、少し緊張しているようだった。
「陽菜ちゃんって言うんだ?。陽菜ちゃんは何年生?」
「六年生…」
「へ~、六年生にしてはちょっと小さいのかな?」
「……」
「あ、ごめん、気にしてた?」
「大丈夫…。慣れてるから……」
という感じで、あまり会話が弾まない。と言うのも、陽菜が元々あまりしゃべるのが得意ではないからだった。意識せずにしゃべると言葉遣いが汚くなってしまうという癖が彼女にはあったのだ。彼女は幼い頃から言葉遣いが乱暴で、それが原因で両親との関係が拗れていたのだった。
だが彼女自身は、特に粗暴とか乱暴とかいうタイプではなかった。この時点では彼女自身も知らなかったのだが、彼女には脳の言語野に若干の障害があり、言葉を操る能力にハンデがあったのだ。しかし彼女の両親はそれを理解せず、彼女の性格に問題があると思い込んでいた。わざと乱暴な言葉づかいをして大人をバカにしていると思っていたのだった。
子供とよく話し合い、理解することに努めれば決してそうではないことが分かった筈なのだが、彼女の両親は子供は親に従順に振舞うのが当然だと考えており、子供の話などに耳を傾ける必要はないと考えているようなタイプなのであった。
それでも、世間から見ればごく普通という感じの人間だっただろう。共働きで我が子を保育園に預けて仕事をしてるというのも実に普通だ。家での様子もこれといって異常でもないと思われる。
仕事で忙しいことを言い訳に娘のことをあまり構わないようにしていたのも世間一般ではさほど珍しいことでもない。保育園に通わせる前にテレビをつけて延々とアニメなどを見せていたのも然りだ。
しかし、<普通>であることと行いが適切であるかどうかというのも実は必ずしも一致しない、この時の仁美の両親の行いは間違いなく適切ではなかった。
「わたしのなまえは、やすきひとみだ。わたしは、おまえたちとはあそばない。わたしはじぶんのすきにさせてもらう」
保育園で他の園児の前で自己紹介させられた時に、仁美は開口一番、そんなことを口走ったのだった。それはどうやら、当時放送されていたアニメに出てくる、主人公のライバルキャラの口調をそのまま真似たものだったようである。仁美の両親がずっとテレビに子守りをさせていたことで、それがすっかり口についてしまったようだった。
しかも、一時的にそうだったわけではなく、普段は無口ながら一度しゃべりだすと汚い言葉遣いばかりであった。
さすがにこれには保育園側も閉口させられた。しかも、そういう乱暴な話し方は良くないと諭して何とか直そうとはしたのだがそれは一向に功を奏さず、保育園はついに仁美の両親に面談して、家庭の方でも彼女の口調を改めるように躾けてほしいと泣きついたのである。
すると両親は、恥を掻かされたと言って娘に対して激高。
「今後はそういうしゃべり方は禁止!。ちゃんとしたしゃべり方をしろ!!」
と幼い我が子の前で怒鳴り散らした。
だが、子供がどういう風に言葉を学ぶかと言えば、当然、見聞きしたものを真似るところから入る訳で、そんな子供の前で口汚く罵れば、それを学び取ってしまうのも当たり前のことの筈だ。仁美の両親は、そういうことに考えが至る人間ではなかった。
「テレビではこういってた!。パパとママもいってる。わたしはわるくない!」
両親の言い草に納得がいかなかった仁美はそう言って反抗した。その口ぶりは、言葉こそ汚いのかもしれないが、年齢を考えれば普通ではあり得ない程に理路整然として筋の通った物言いだった。仁美の知能が決して低い訳ではないことを表していたと考えることもできるだろう。とは言え、幼い子供にそんな態度に出られては親のメンツが立たないと、両親はさらに感情的になった。
「子供のクセに親に口答えすんな!。誰が育ててやってると思ってんだ!!」
酷く殴ったりはしなかったものの、それでも何度か叩くことはあった。両親はそれが躾というものだと思っていた。だが、具体的にきちんと効果を上げられなければそれは躾とは言えない。そしてただ怒鳴って威圧しただけでは相手を納得させることなどできない。当たり前だ。職場で具体的な指示もせずただ怒鳴るだけで部下が育つか考えてみるといいだろう。子供だってそうだ。
自分が適切なやり方をできるだけの能力がないことを棚に上げていくら子供を責めたところで、ただ反発を招くだけだというのは当たり前の筈である。適切なやり方が出来ない自分を甘やかしてもらおうとしたところでそれが通用するほど世の中は甘くない。『子供は親を敬うべき』とか、『目上の人間に対しては敬意を払うべき』という考え方は、間違ったことをしてる人間であっても親とか目上とかいうだけで敬ってもらえることを保証してくれるものではない。
適切でないものは、どんなに言い訳を並べてみても適切ではないのだ。元々、それほど重度ではないといえど言語野に障害を持つ我が子をそれと気付くこともなくテレビ漬けにしてテレビから言葉を学ばせておいて自分達の思う通りに育つと考える方がどうかしている。
仁美の両親は、そういうことを理解できる人間でもなかった。娘が自分達の言うとおりにしてくれないのは自分達のやり方が適切ではないからだということに考えが至る人間でもなかった。
故に親子の溝は埋まるどころかただひたすら広がっていき、その結果、娘は中学に上がる頃には家にいることはできないと結論付けることになった。友人や、援助交際を持ちかけた相手など何人かの人間の家を転々とした果てに莉々の家に転がり込むこととなった。
それでもなお、この娘を責める人間はいるだろう。『子供なのだから親の言うことに従うべきだ』とか、『親に養ってもらってるクセに四の五の言うな』とか。だがそれは、自分の間違いを正すこともできない両親の側を甘やかしてるだけにしかならない。それでは駄目なのだ。だから上手くいかなかった。
しかもこの頃には仁美は、自分の体を売った金で生計を立てていたし、両親のところにキャッシュカードを置いてきた自分名義の口座に、学費などとして金を入金していた。そして両親は、そのキャッシュカードでおろした、娘が稼いだ金の一部を自分達のもののように使っていた。もう既に、彼女は両親には養われていなかったのだ。高校に進学した時も、莉々が進学するのを真似て自分で手続きをした。彼女はそこまで徹底していた。
ちなみに大学まではさすがに行こうとは考えていなかった。普通に就職できるようになれば今の仕事からは足を洗おうとも考えている。彼女にとって今の仕事は、まぎれもなく生きる為の手段だった。方法としては正しくないからそれが責められるなら仕方ないとも考えていた。もし補導されたりしても大人しく従う覚悟もしていた。もっとも、だからと言って辞める気もなかったが。
だから彼女は、明らかに両親に無理矢理仕事をやらされているのが分かる玲那には優しかった。辞めさせることはできなくても、せめて慰めるくらいはしてやれればと思って頭を撫でたり抱き締めたりもした。
「泣きたいなら泣け。でも負けるな。お前は生きていつか親を見返してやれ。それが親に対する復讐になる」
玲那の頭を撫でながら小さな声でぼそぼそと呟く彼女の言葉を、この時の玲那がどれほど理解できていたかと言われればそれは心許ないものでしかない。ただ、頭を撫でてくれたり抱き締めてもらったことで辛うじて持ち堪えられていたことは間違いない事実だった。
なのにいつの頃からか玲那は彼女を避けるようになり、やがて目を合わせることさえなくなった。自分のことが必要なくなったのならそれでいいと考えた仁美はなるべく難しく考えないようにしてスルーした。これ以上首を突っ込んでも自分にできることは何もないのが分かっていたからだ。
さりとて、そういう状態がいつまで続く訳でもないのも世の常かも知れない。ましてや法の目をかいくぐった裏商売など、司法がその気にさえなればたやすく潰せるものなのだろう。よほどの権力でも背後についていない限りは。
見た目が小学生でも十分に通じることから小学生だと言い張ってきたもののさすがに玲那よりも年下だというのには無理があったことで、玲那が中学に上がる時には自分も中学生として続けることにしようと考えていた矢先、彼女が所属していた裏風俗店は突然、社長の、
「サツに勘付かれそうになった。ヤバいから解散する。今後は一切、連絡もするな。もっとも、今の連絡先は全部消すから連絡できなくなるがな」
という言葉だけで跡形もなく消滅してしまったのだった。
まあこの時には既に、玲那と仁美も中学に上がるという形になって、麻音と心音も仕事を辞めてしまっていて、小学生チームは無くなっていたのだが。
「マジかよ…。せっかく割のいいバイトだったのに…」
不満げにそう口にする莉々を尻目に、仁美は思案に暮れていた。
突然仕事を失ったことにはさすがに戸惑ったが、しかし泣き言を並べてもどうにもならないことは既にそれまでの経験で承知していたからだ。
そこで仁美は、莉々が裏風俗店に勤めていた時のアリバイ作りに協力していた運送会社の連絡先を莉々から聞き出し、自らそこに電話を掛けた。
「アルバイトは募集してるか?」
その不躾な言葉遣いに電話に出た担当者は呆れたが、彼女は社長を名指しして『敷居出莉々の件で話があると言えば分かる』と取り次がせた。
「敷居出莉々のアリバイ工作に利用してた荷捌き作業のアルバイトをやりたい」
電話に出た社長に対して仁美は臆することなく単刀直入に申し出た。そのあまりに堂々とした態度に社長の方が気押されてしまい、裏風俗に協力していたことをバラされるくらいならと彼女をアルバイトとして雇うことを決めた。
こうして仁美は、普通の仕事を手に入れることができたのだった。
さすがに収入そのものは随分と減ってしまったが、それでも彼女は文句も言わず真面目に仕事に励んだ。運送会社の社長は、彼女があまりに堂々としてることからてっきり脅されているのだと思ったが、実際の働きぶりを見て胸を撫で下ろしていた。
給料が減ってしまったことも、彼女にとっては想定の範囲内だった。時期が早まってしまっただけで、いずれ表の仕事をするようになればこうなることは分かっていたのだ。
それまでの貯えにはなるべく手を付けず、アルバイトの収入だけで生活することを仁美は心掛けた。身元保証を引き受ける会社を利用してアパートを借り、一人暮らしも始めた。風呂なしトイレ共同、築四十年以上の老朽アパートだったが、彼女はついに<自分の城>を手に入れた。
もう、小学生のふりをする必要もない。莉々から譲り受けた赤いランドセルも押入れに仕舞い込み、自分の部屋の真ん中に立った彼女の顔は僅かに紅潮しているように見えた。新しい生活が始まることに興奮しているのかもしれない。
しかもそのアパートで、彼女は後に生涯のパートナーとなる男と出会った。男の名は佐久田俊二。アニメとゲームが好きでかついわゆるロリコンの大学生だった。
佐久田は、突然、隣の部屋に入居した、どう見ても小学生にしか見えない、しかし高校の制服を着て毎日部屋を出て行く少女のことが気になって気になって仕方なかったのだが、あることがきっかけでその少女と言葉を交わすようになり、気取らず、口数は少ないが必要とあればはっきりと要点だけを簡潔に述べる彼女に惹かれ、彼女の暮らしを手助けしていくことになっていく。ただし、その詳細についてはここではもう触れることはない。別の機会があれば語られることもあるかもしれないが。
とにかくこうして、裏風俗で小学生として仕事をしていた<陽菜>は、この世から完全に消え去り、もう二度と玲那と再会することはなかったのだった。
今の仕事を始めたばかりの頃には心底後悔した麻音だったが、彼女は自分でも驚くくらい、その状況に適応していった。
いや、適応というのは少し違うのだろうか。<諦め>と言った方が近いのかも知れない。こんな形で初めてを失ったことについてもそれほど気にもならなかった。
それよりは、<男という生き物>に対する侮蔑の気持ちが強くなっていたのだろう。そんな男の為に初めてを後生大事に取っておくなど馬鹿馬鹿しいにも程があるとまで思っていたのだった。
と言うのも、麻音は今回の仕事を始めるよりもずっと以前に性犯罪の被害に遭っていたのだ。保育園に通っていた当時、そこの保育士の男に下着を脱がされ下腹部を弄られたことがあった。当時は恐ろしくて誰にも相談できなかったが、その経験故に、心音よりは早く達観できたのかもしれない。男の欲望などというくだらないものなどでいちいち心を惑わされたりしないと。
自分の体を道具のように使いたいなら勝手にそうすればいい。その代わり、愚かな男の欲望の対価として自分は日々の糧を得る。それだけだ。
小学校六年生とはとても思えない、下手な大人よりはよっぽど性根の座った少女だった。
そんな麻音に、心音が話し掛けてきた。
「お姉ちゃん。あのね…。私、お客さんに芸能人にならないかって言われちゃった…」
「…は?」
「だから芸能人に……」
「ちょ、ちょっと待って。芸能人って、テレビとかに出てるあれ?」
「うん。ちょうど、子供向けの番組で新しい子役を探してるから、それに推薦してくれるって言ってた……」
「何それ…。怪しすぎでしょ」
「やっぱりお姉ちゃんもそう思う…?。私も怪しいかな~って思ってまだ返事はしてなかったんだけど、今度また呼ぶからその時にって言われて……」
心音はそう言って黙ってしまった。心音がすぐにそれに返事をしてOKしてしまわなかったのは良かったと思った。だがそうやってホッとして冷静になってみると、今度はまた別の考えが自分の中に湧き上がってくるのを、麻音は感じたのだった。
『…待てよ…?。いくら怪しいって言っても、今でもこんなことしてるくらいなんだから、これ以下の仕事ってことはないハズだよね。もしかしたら、話くらいは聞いてみるっていうのもありかも。おかしいと思ったらまたこの仕事に戻ればいいんだし……』
そうだ。自分たちはもう既に体まで売ってしまってる。もしその話が芸能界入りを餌にした罠だとしても、実際には別のところに行って今と同じようなことをするだけかもしれない。だったら内容だけでも確認してみても問題ないのではないかと思ったのである。
「…心音。私も一緒に行ってあげるから、話だけでも聞いてみようか?。ダメだったら逃げてきたらいいんだしさ」
「え…?。いいの……?」
姉の思いがけない言葉に心音は戸惑いつつも、実は少しだけ興味もあったので、麻音も一緒に来てくれるということなら行ってみたいと思えた。そこで彼女は、再び来支間克光に呼ばれた時に、『お姉ちゃんと一緒だったら行ってもいい』と応えたのである。
「お~!、そうかそうか。じゃあ早速、連絡してみるよ」
克光は嬉しそうにそう言って、その場で携帯電話でどこかに連絡を取り始めた。
「あ、どうもお世話になってます。実は先日お話しさせていただいた子なんですが、本人の承諾も取れましたので、一度面接をお願いしたいんですが。
…はい、それはもう。たぶん、お探しのキャラにぴったりの子だと思いますよ。双子の姉の方はその子とはまったく正反対の感じで、こっちも割といいキャラしてると思うんですよね。一緒に行くらしいから、ついででいいんで見てあげてください」
その後は、とんとん拍子に話が進んだ。克光に連れられて麻音と心音が向かったのは、二人でも名前を聞いたことがある有名子役が所属するという、それなりに名の通った芸能事務所だった。そこの社長だという人物が直々に二人の面接を行った。
そこで、即興で、姉妹で一つのおもちゃを取り合うという芝居をさせられた。すると二人は、演技というよりは普段通りの自分達の様子を見せたのだった。
「心音。本当に私がもらっていいの?」
「…いいよ。お姉ちゃんにあげる……」
「…ウソ。ウソだよねあんた。それ、正直な気持ちじゃないでしょ?。あんたいっつもそう。私に遠慮して自分にウソ吐いて。そういうのって逆にムカつくんですけど?」
「…ごめん…」
「ったく、そうやって結局はあんたがなんでも持ってくのよ。ホント、ズルい」
「ごめんね、お姉ちゃん……」
「いいよ。あんたが喜んでくれるのが私も嬉しいし」
それは、おもちゃを取り合うというお題を彼女らなりに解釈した即興劇だった。劇というよりは本当に普段のやり取りそのままだったのだが、それを見た社長の目が大きく見開かれていた。
「…いいね。いいよこの子達。イメージにぴったりだ!。今、オファーが来てる仕事で使えるかどうかはテレビ局の方が最終的に判断することになるけど、もしそれがダメでもこの子達ならうちもほしい!」
と、その場で契約を決めてしまったのである。実際の契約は二人の父親にも改めて来てもらって説明した上で行ったのだが、思わぬ棚ぼたに父親も驚きと嬉しさが隠せない様子で声が上ずっていたりもした。
そして、次の番組改編時、リニューアルされた子供番組に、麻音と心音、二人の姿があった。克光の読みはドンピシャで当たっていたのである。いや、それ以上かもしれない。なにしろ、最初は心音だけの筈だったものが、改めて面接を行った時の麻音との掛け合いもやはり絶妙であり、急遽、番組のプロデューサーの一言で双子キャラとして二人一緒に出演が決まってしまったのだった。
しかも、独特の雰囲気を持った双子の姉妹タレントは、ややシニカルな印象を放ちながら深いところでは誰よりも妹を理解し大切にしている姉と、気弱で薄幸そうで守ってあげたくなる儚さを持ちながらいざとなれば我が身を投げ出してでも姉を助けようとする意外な強さも見せる妹という、本人達の素のままのキャラが受けて、そのクールを代表する人気となったのであった。
それをきっかけとして彼女達は、子役としてはやや遅咲きながらも着実に仕事を増やし、体を売っていた当時のことについては事務所が金を積んだ上に少々の圧力も臭わせることで完全に封印することになった。
しかし、まったくもって人生というものは何が幸いするか分からないものである。深く考えることもなく安易に体を売って自分達の生活を守ろうとしたことがまさかこんな展開を招くとは。
これもまた、人生万事塞翁が馬という話の典型だということになるだろう。
もちろん、この仕事はこの仕事で苦労も多く、ただ男の言いなりなっていればよかったあの仕事とは別の形で大変な思いをすることにもなるのだが、それでも日の当たる場所を歩けるようになっただけでも劇的な変化と言えるのかもしれない。
麻音と心音の二人が抜けたことで一時的に玲那と陽菜の負担が増えることになってしまったりもしたものの、それは二人の所為ではない。
また、彼女達の顔すらまともに見ようとしていなかった玲那は、この後、テレビで二人を時折見かけることになるにも拘わらず、それとはまったく気付くことがなかったのだった。