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宿角玲那の生涯(R15版)  作者: 京衛武百十
3/12

伊藤玲那編 「不幸になる為に集まる少女達」

リビングでテーブルについて、ソフトドリンクを飲みながら仁美は改めて莉々りりの話を聞いた。


もっとも、基本的な内容としてはトイレで聞いたものと大差ない。これまでは自分で客を取っていたのが店から派遣される形で客と会い、受け取った金の三割を店に収める代わりに、客とトラブルになった時には店が間に入ってくれるし、客も会員制にして身元の確かな者にだけ派遣するので安全だということだ。


自分で相手を見付けていた時には、何だかんだと金をちゃんと払ってもらえなかったり、暴力を振るわれそうになったり、写真を撮ってそれを脅しに使おうとしたりする奴もいて、五人に一人くらいの割合でトラブルになっていたのだった。一度は、監禁されそうになったことさえある。その時は、相手の母親と思しき女性がたまたま自分のことを見付けて逃がしてくれて難を逃れた。逃がす際、『このことはお互いになかったことにして』と念を押されたが。


貰った金の三割を収めるというのは痛いが、雇われることでそういうトラブルを回避できるのであれば、悪い話ではないと思った。そして仁美は莉々に、


「分かった。その話、私も乗る……」


と応えていた。


それからは、とんとん拍子だった。形だけの面接も行い、地味なマンションの二室を用いて作られた事務所兼待機室は住み込みも可能ということで、仁美はそこに住むことになった。彼女は、家出中だったのだ。両親が不在気味の莉々の家に転がり込んでいただけで、いずれは金を貯めて自分で部屋を借りて住むつもりだったのである。その為に早く金を貯めたかったのだった。


仕事は、楽なものだった。自分で相手を探す必要がなくなって、派遣の依頼が入れば指定の場所まで自動車で送ってもらえて黙って客の言いなりになっていればいいのだから。しかも、会員制と言われていただけに客も身なりの良い割と丁寧な者が多く、無茶をされることはなかった。まあ、要望として、ランドセルを背負わされたり、ブルマーを穿かされたり、スクール水着を着させられた上でいささか変態チックなシチュエーションプレイを要求されたり、『お兄ちゃん』とか『先生』とか呼ばされたりということは往々にしてあったものの、それさえ我慢すれば概ね面倒なこともなかった。金も毎回ちゃんと支払ってもらえた。


なお、仁美はここでも<陽菜ひな>と名乗って小学五年生として<活動>していた。陽菜は、三人いた小学生チームでは二番目に人気だった。三番目だった<莉愛りあ>という少女は、小学生にしては背が高く胸もやけに大きく、一見しただけでは中学生にも見えるのがネックになっていたらしい。しかも、少々態度も悪かった。呼ばれても「あ?」と不遜な態度だし、とにかく可愛げがないのだ。だが一定のファンはいるらしく、莉愛の客はほぼ固定客だったようだ。


店には、若いが明らかに既に成人している女性を中心とした大学生チーム、高校生を中心とした高校生チーム、中学生を中心とした中学生チーム、小学生を中心とした小学生チームの四チームがあったらしかった。待機室はそれぞれチームごとに分けられていたのであまり顔を合わすことはなかったが、キッチンやトイレは当然共同なので、そこではすれ違うこともある。


事務所のある方の物件には中学生チームと小学生チームの待機室があった。これは、玲那と同じように強引に従わせている少女が中学生チームにも何人かおり、逃げ出したりしないように監視する為に事務所を配しているという意味もあった。


なお、中学生チームには陽菜を誘った莉々が所属していたが、二人とも、待機室では敢えてあまり親しげに振舞うようなことはなかった。あまり下手に親しそうにしない方がいいかも知れないという判断だったようだ。


そして、小学生チームには、<玲那れいな>と呼ばれる、四チームの中でも最も幼い少女が所属していた。


胸までのサラサラの髪に強く抱けば折れそうなほどの華奢な体。いつもおどおどとして上目遣いで、大人しくていかにも言いなりになってくれそうな、なるほどこれはいかにも幼い少女を求める人間から人気を集めそうなタイプだった。実際、玲那は、小学生チームの中では断トツの一番人気で、四チーム全体の中でも一~二を争う人気であった。


しかし玲那は、いつも暗い顔をしていた。予約が入った日は待機室の方に来て呼ばれるのを待っていたが、顔色は青褪めて泣いていることもよくあった。


「何だこいつ。いっつもいっつもめそめそしてよ。ウザいんだよ」


同じ小学生チームで待機している時はいつも同じ部屋にいる莉愛は、わざと聞こえるようにそう独り言を漏らし、玲那を怯えさせた。一方、陽菜はそこまでのことはしなかったが。それどころか、


「大丈夫…?。ジュース、飲む…?」


という感じで声を掛けて、ソフトドリンクを差し出したりもした。


最初は怯えていた玲那も、陽菜がそういう風に接しているうちに慣れてきたことで懐いたのか、自分から彼女の隣に座るようにもなった。そんな玲那の頭を、陽菜は優しく撫でたりもする。


だからか、


「玲那、行くよ」


と事務所から声を掛けられれば玲那の顔はさらに血の気を失い、涙を滲ませて助けを求めるように陽菜を見ることもあった。


だが、陽菜も、助けるような立場ではない。ただの職場の同僚にすぎないし、助けを求められても困る。そんな時は決まって、目を逸らして黙るだけなのだった。一度、腕を掴まれて強引に部屋から連れ出される玲那が、


「ひーちゃん……」


と、やっと絞り出したような小さな声で呼んだ時には、さすがに思わず視線を向けてしまったりもしたものの、結局はただ黙って見送るしかできなかったのであった。




陽菜と出会うことになる少し前のある日、玲那は、十年の人生の中で最も勇気を振り絞っていた。勇気を振り絞って、掃除をしていて気が付いた、板間の下の収納に身を潜めていた。<仕事>に行きたくなかったからだ。だから意を隠して自分を呼びに来た母親に見つからないようにしたのである。


だがそこは、床下に簡単な仕切りをして収納のようにしただけのものだった。だから実質的には床下と変わらない。湿気がこもりカビ臭く、空気が淀んで息が苦しくなる気さえした。


母親が呼びに来るのはたいてい夜の八時頃だから、学校の宿題も夕食も入浴も終わらせた後でそこに潜り込んだ。


隙間から辛うじて光は入ってくるもののそこは殆ど暗闇であり、十歳の女の子にとってはあまりにも恐ろしい空間だった。だが、そんな暗闇の恐怖よりも、あの<仕事>は嫌だったのだ。


息を殺して潜んでいると、何もない筈のそこは意外といろんな音がしていた。家の前の道路を走る自動車の音、隣家から地面を通じて伝わってくるらしい生活音はまだしも、何か得体の知れない小さなものが走り抜けるような物音には、体がビクッと勝手に反応した。


しかも、十一月に入ったからか、寒い。ズボンとトレーナーを着こんで寒さ対策はしたつもりだったが、一時間もすると体がガタガタと震え始めた。そして玲那は、それに耐えかねて、二時間と経たずにそこから出てきてしまった。この日は結局、母親は来なかった。


翌日、玲那は毛布を二枚持って、やはり収納の中に隠れた。それが功を奏して寒さは何とかしのげるようになった。だが、空気の悪さとカビ臭さはどうにもならなかった。暗闇と、そこを走り抜けるかのような何かの気配も恐ろしかったが、彼女はそれに耐えた。すると彼女は、自分でも気付かないうちに眠ってしまっていた。ハッと気が付くと夜が明けていた。まだ朝の六時前だったが、彼女は結局、収納の中で夜を明かしてしまったということだ。


そしてさらに翌日、同じように収納の中に隠れていると、ついに母親が来た。


「玲那?、玲那!?。どこにいるんだい!?」


明らかに苛立った声で玲那を呼び、どすどすと不機嫌さがそのまま音になったかのような足音をさせつつ母親は家の中を歩き回った。


「まさか、逃げたのかよ…!」


玲那が隠れている収納のちょうど真上に立ち、母親は吐き捨てるように呟いた。苛立ちと焦りが床板を通して伝わってくるような気さえする。この時の母親の顔は、怒りで恐ろしく歪んでいただろう。携帯を取り出し、電話を掛ける気配も伝わってくる。


「もしもし?、玲那がいないんだけど?。…はぁ?。どこ行ったかなんて私が知るかよ。とにかくいないもんはいないんだよ!。バックレやがったんだろ」


相手はどうやら社長でもある父親らしい。はっきりとは聞き取れないが、電話の向こうで怒鳴っている気配も伝わってくる。


そんな中、玲那は、息を殺して母親が諦めるのを待った。他にどうすればいいのか分からなかった彼女の精一杯の抵抗だった。


数分間、携帯電話で父親と罵り合いを続けた後、やはりどすどすと足音をさせながら玄関の方へと向かい、ビシャンと激しく扉を叩き付けて出て行く気配があった。それでも彼女はしばらく様子を窺い、彼女の感覚で五分くらいしてからそっと板間と土間の段差のところの扉を開けて這い出してきたのだった。何とかやり過ごせたと安堵して玲那は顔を上げた。だが―――――。


玄関の方を何気なく見た彼女の顔が、みるみると血の気を失っていく。そこに、あってはいけないものを見てしまったからだ。


母親だった。玄関の扉を少し開けた隙間から、母親が覗き込んでいたのだ。どうやら玲那が家の中に隠れているかもしれないと思ったらしい。出て行ったように装い、そっと様子を窺っていたのだ。玲那はそこにまんまと出てきてしまったということである。血の気を失った彼女を見る母親の顔が、まさに般若のように恐ろしく歪んでいくのが分かった。


「っふざけやがって、このガキぃ!!」


立ち尽くしていた玲那が咄嗟に自分の身を庇うよりも早く、母親の平手が彼女の頭を捉えていた。顔を叩かなかったのは、<商品>をなるべく傷付けないようにというせめてのも冷静さだったのかもしれない。


バシンと凄まじい衝撃を感じて、玲那の小さな体が壁に叩き付けられた。そのまま頭を抱えてうずくまる己の子に、もはや獣の咆哮のような母親の怒声が浴びせられた。


「お前、そんなに親を馬鹿にしたいのか!?。舐めた真似しやがって!!。その歳でよくそんな腐った性根してるね!?」


そう怒鳴りながら、母親はうずくまった娘の腹目掛けて爪先を蹴りだしていた。それが的確に腹の柔らかいところを捉える。


「うげっ!、ごぼっ、ごほっっ!!」


衝撃で胃の中のものをぶちまけながら、玲那は床をのたうった。


「きったねえ!、何吐いてんだよ、このクソが!!」


これにはさすがに母親も驚き、幸か不幸かそれが追撃を諦めさせる結果となった。


「あーもう!、掃除は帰ってきてからでいいからさっさと顔洗って着替えな!!。時間がないんだよ。手間かけさせんな!!」


喚き散らす母親に対し、玲那はもう完全に抵抗する気力も失われていた。その場に服を脱ぎ棄てて洗面所で口をゆすいで顔を洗い、ワンピースに着替える。取り敢えずきれいになった彼女の手を掴み、母親は引きずるようにして連れ出した。


そんなことがあってから、玲那の両親は、予約が入っている日は早めに彼女を迎えに行って、事務所兼待機室のマンションの部屋に閉じ込めるようになったのである。逃げ出したりしないようにだ。


そこで玲那は、陽菜ひなと名乗る少女と出会ったのだった。決して愛想良くしてくれる訳ではないが、玲那の周囲の人間の中ではあくまで比較的優しい部類に入る陽菜に懐いてしまうのは、無理もないことだったと思われた。


そのようにして、一部には強引に従わされている者もいたものの、多くは自身の体を金に換えることでしか自己実現できない少女達が集まって、それは皮肉なほどに順調に、軌道に乗っていったのだった。




来支間克光きしまかつあきは、真正の変質者だった。表向きはタレント事務所を経営しているという形を取ってはいたが、それは殆ど実態のない幽霊会社であり、実際には克光の性癖を満たす為の隠れ蓑と言った方が良かっただろう。


あどけない少女を食い物にするという、下劣な性癖の。


芸能界やモデルの仕事を餌に少女を懐柔し、その体を貪るというのが克光かつあきの日常だった。


しかし、殆ど実態のないタレント事務所でよくそんなことができるものだと疑問に感じる向きもあるかもしれない。だがその辺りの点では克光かつあきは狡猾だった。彼は実際に活動の実績のある芸能事務所と繋がりがあり、少女を何度か貪って飽きてきたら<事務所移転>と称してそれらの芸能事務所に実際に紹介していたのである。


こうなると、彼に弄ばれた少女の方も、結果として芸能界やタレント活動の為のきちんとした足掛かりを得ることになり、何かおかしいと思いつつも口をつぐむしかなかったというのもあったのだった。しかも本当にタレントとしての才能を見抜く目があるのか、彼が手を付けた少女達は不思議とそれなりに売れたりすることが多かった。


某公共放送の子供向け番組で人気を博し、一躍アイドル的存在になった子役タレントもその一人だったりもした。


だが、克光かつあきは非常に欲深く我慢の利かない性分の人間でもあり、芸能活動を餌に取り込んだ少女だけでなく、手っ取り早く金で少女を買うこともあった。少女を芸能事務所に紹介した際に謝礼をもらい、その金で別の少女を買うのだ。ある意味ではスカウト的な実績を評価されて、その報酬という形でもあった。だから『芸能人にしてあげる』という、少女を口説くときに彼が使う定番の殺し文句は、あながち嘘でもないという面もあるだろう。


なんにせよ、そんな形で援助交際目当ての少女を買うことも彼の日常であった。そして最近の彼のお気に入りは、少女も派遣してくれる裏風俗で見付けた、十歳の少女であった。


その少女は<れいな>と呼ばれていて、とてもおとなしく、いつも怯えたような表情をしていて、ついついイジメたくなってしまうタイプだった。


もう、十回ではきかない回数、れいなは克光かつあきの部屋に呼ばれ、幼い体を弄ばれていた。


れいなにとっては、特に嫌な客の一人でもあったようだ。自分を見る目が陰湿で、行為もしつこく、時に苦しいことを強いてきたリもするからである。無理な体勢で首を圧迫され、意識が遠のいたことも何度もあった。にも拘らず、金払いが良いので、れいなが所属している店側としては大事な上得意でもあった。


「れいなちゃ~ん、今日も可愛いねえ」


ねっとりと絡みつくような男の声に、少女の体は強張った。とは言え、ここで抵抗などすれば事務所兼待機室に戻ってから何をされるか分かったものではない。それを思えば、目の前のこの男に逆らわずに言いなりになるのが一番、苦痛が少なく済んだ。


れいなは、伊藤玲那は、もうすぐ十一歳になるところだった。既に一年近くこの仕事を続けて、いや、続けさせられて、体の方はすっかり慣れていた筈だった。それでも玲那にとってこの仕事は苦痛以外の何物でもなかった。フィクションであれば無理矢理であってもいずれは甘い感覚にあどけない少女でさえ蕩けさせられるという演出があるのだろうが、少なくとも玲那にとってはそんなものは欠片もなかった。ただただ不快で、苦痛で、ゴミのように捨ててしまいたい行為でしかなかった。


膣への挿入も痛みしかなく、体への愛撫もやはり生理的嫌悪感しかもたらさない。元より、健康な成人女性であっても性交時に痛みを伴うという例は確かにある。なので、彼女の体は、こういうことについて適性がない可能性があった。何より精神的に玲那はその行為を心底嫌悪していた。


それを今日も我慢して、心を閉ざして何も考えないようにすることで耐え凌いだ。演技などする余地もない。また、彼女を組み敷いてくる客たちは、いつまで経っても慣れずにぎこちない態度を取る彼女を重宝がった。


「いい、いいよ、れいなちゃん。いつ見ても初々しい反応だねえ!」


克光かつあきも、スレることのない彼女を愛おしいとさえ思っていた。ただ同時に、タレントのスカウト的なことをしている者としての見方として、アイドルという形でこの少女が活きるかと言われればそれはないとも克光かつあきは思っていた。むしろこの少女は、華やかなところでは活きない。こうやって惨めたらしく男に組み敷かれて涙を流す姿こそがこの少女の価値だと感じていたのである。もう少し年齢がいって、大人びてきてしまえばもう用はない。大人になった彼女は、見た目には美しくなったとしてもそこに多くの人間を引き付けるような<華やかさ>は滲み出てくることないだろうと、彼は見積もっていた。


『まあ、せいぜい、オタクが集まるサークルで姫扱いが関の山かな』


そういう風には見積もりながらも、本当の少女である今の彼女のことはすごく気に入っていたのだった。もちろんそれは、玲那にとってはおぞましいもの以外の何物でもなかったが。


そして弄り倒され、ぐったりとなった玲那を、やはり母親が叩き起こしてシャワーを浴びさせ、家へと送り届けた。この日の仕事はそれで終わりだったからだ。


しかし翌日にはまた、事務所兼待機室に連れてこられた。まるで人形のように意思を感じさせない虚ろな目をした彼女に、


「あ~もう!、ウザイウザイウザイ!」


と罵声を浴びせる者がいた。莉愛りあだった。莉愛は玲那のことがとにかく気に入らなかったようだ。


なのに、ある日、莉愛はやけ上機嫌だった。それと言うのも、昨日、いつも自分を買ってくれる常連客がチップを奮発してくれたからであった。だからいつも以上にサービスしてやったら客も喜んで、上機嫌で見送ってくれた。


そうやって自分を必要としてくれる人間がいるのは嬉しかった。何しろ彼女の両親は、莉愛のことを必要としていなかったからだ。


莉愛の両親は、愛し合って結ばれた訳ではなかった。お互いに打算と妥協によって結婚を決めたのである。それぞれ、そうしないといけない理由があった。


父親の方は、いつまでも独身でいては仕事の上で不利になるからということで焦っていたし、母親の方は、勤め先で次々と同僚が寿退社していくことに焦っていた。だからお互いに、共通の友人を介して知り合った人間で手を打ったのだ。共に、ステータスは決して悪くなかったが故に。


しかし、そうして結婚した二人の間には、愛情などまるでなかった。昔は見合い結婚というものもあったことだし取り敢えず結婚して一緒に暮らし始めれば多少は情も湧くかと思ったが、その気配すら微塵もなかった。体も何度も重ねてみたが、やはり結果は同じだった。二人の間には、何かが決定的に欠けているのだ。


なのに、そんな関係でもすることをすれば結果が伴う。妊娠だ。二人にとってそれは決して喜ばしいことではなかったが、周囲は二人の気持ちなど知らずに祝福し、それ故に要らないとも堕胎するとも言えないままに莉愛が生まれてしまったのだった。


だが、そんな形でこの世に生を受けてしまった我が子のことさえ、両親は愛おしいとは思えなかった。事ここに至って、二人は、根本的な問題として自分達が結婚に向いていない性分なのだということにようやく気付いたのである。


目立った虐待こそなかったが、二人の莉愛に対する態度はあまりに冷淡で、生まれたばかりの頃の彼女はそれを敏感に察したのか、いつも酷く不機嫌で泣いてばかりの子供だった。


そうなるとますます可愛いとは思えなくなり、莉愛の機嫌を取ることで落ち着かせる為に次から次へと玩具やお菓子を買い与えるようになっていった。いわゆる<甘やかし>ということなのだろう。


もっとも、この甘やかしによって一番甘やかされるのは、実は両親の方である。子供のことを理解しようとせず、何故不機嫌なのかその原因を知ろうともせず、安易に玩具やお菓子を買い与えることで子供を黙らせ、自分が楽をしたかったのだ。結果、莉愛は物心つく頃には手に負えないワガママな子供に育っていた。


何でもかんでも欲しがり、手に入らないとなると大きな声で喚き散らして両親の方を折れさせた。そうすれば自分の機嫌を取る為に両親が言いなりになってくれると学習してしまったということだ。


これは、完全に両親の側の失策であろう。丁寧に子供の相手をしてその目を見、その言葉に耳を傾けて我が子のことを理解するのを放棄したのだから。代わりに玩具やお菓子でご機嫌を取り、小学校に上がる頃にはそれは小遣いという形になった。そして莉愛はいつしか、金が自分を満たしてくれると思うようになっていた。


とは言え、両親の方も無尽蔵に金を渡せる訳ではない。やがて両親に頼るだけでは物足りなくなり、援助交際という手段があると知った彼女は、さほど抵抗もなく自分の体を金に換えた。自分より金が大事だったのだ。しかも、そうやって体を提供すれば、相手の男が面白いように自分に従順になった。自分とヤりたいが為にご機嫌を取り、金を出す。


その事実は、莉愛をさらに増長させた。


が、そんな状態がいつまでも調子よく続く訳もなく、金を払わずに逃げる男がいたり、写真や動画を撮ろうとする男がいたり、首を絞めるような危険なプレイを要求する男なども出てきてしまった。そこで彼女は、援助交際の先輩でもある従姉の莉々りりに相談を持ち掛け、派遣型の裏風俗の店に在籍するようになったのである。


しかしそれは同時に、面白くない現実を莉愛に知らしめることにもなった。受け取った金のうちの三割も店に渡さないといけないというのも業腹だったが、それ以上にムカつくことがあった。


それまでは、小学生というだけでありがたがり、何万円もの金を出す男が自分にかしずいてくれていたと思っていたのが、自分以上にたくさんの客を取ってちやほやされるのがいるという現実を目の当たりにしてしまったのだ。それが面白くなくて、自分よりも年下でたくさんの客を持つ<玲那れいな>という少女のことが不愉快で、ことあるごとに罵るようにもなっていた。


さりとて、そんなことで自分の人気が上がる訳でもない。それどころか余計に鬱屈したものを募らせるようになっていくだけでしかない。


なのにその日は、前日にいつも自分を買ってくれる男がいつも以上にチップを奮発してくれたことで上機嫌になり、いつものイライラした気分がかなりマシになっていた。その為か玲那に対しても態度や言葉遣いが柔らかくなり、戸惑わせたりもした。


でもそんなこともどうでもいい。今度会う時には新しい携帯をプレゼントしてくれるという約束もしてもらって、その上、服やバッグまで買ってくれるというのだ。自分のことがそれだけ評価されたと感じて、とにかく嬉しかった。


だから、いつも以上に注意力が散漫になっていたのだろう。いつも、赤信号になっていても自動車が近付いてさえいなければ気にせず無視して渡っていた小さな交差点に差し掛かった時、普段なら自動車が来ていないか確認してから渡るはずがそれを怠ってしまったのであった。


そういう時にこそ、えてして間の悪いことが起こるものということか。運悪くそこに酷くスピードを出して交差点に進入してくる自動車があった。しかもその自動車の運転手も携帯電話で話すのに夢中になって、前をよく見ていなかった。


「…え?」


気付いた時にはもう遅い。いくら後悔しても時間は巻き戻せない。小学生としては大柄で中学生にみられることもよくある彼女でも、自動車が相手では勝ち目などない。


悲鳴を上げる暇さえなく、彼女の体は空中高く跳ね上げられ、でたらめな思考が脳内を駆け回ったその数瞬後、何もない真っ暗な世界へとその意識は呑み込まれてしまったのだった。




敷井出莉愛しきいでりあ。享年十二歳。死因、脳挫傷及び全身打撲。


その現場を目撃したものは、腕も足も首さえもあらぬ方向へと捩じれて折れた恐ろしい遺体を目にすることになったという。


だが、莉愛にとっての本当の不幸はその後だったのかもしれない。


我が子の存在を疎み、あわよくばと思ってかけていた生命保険が支払われた両親は、娘の死を悲しむどころかあぶく銭を手に入れて狂喜した。


さらに、彼女を跳ねた自動車の運転手は、赤信号を無視した彼女に責任があるとして無罪を主張。幼い少女を死に追いやったことなど欠片も反省していなかった。


また、運転手の主張とは無関係に、自動車の保険からも保険金が支払われ、両親はまたしてもホクホクだった。


莉愛の同級生は、ワガママですぐに感情的になって暴力を振るってきたリもする彼女がいなくなったことをむしろ喜びさえした。


そう、彼女は、死んでさえも誰からも本当に悲しんではもらえなかったのである。彼女を何度も買っていた客ですら、お気に入りの性の道具が失われたのを残念がっただけにすぎない。しかもすぐに、次の少女を見付けてそちらに熱を入れ始めた。


彼女の死は、テレビのニュースにもなったものの、それさえも『赤信号を無視する奴が悪い!』『こいつを撥ねたドライバーはむしろ被害者だ』等の罵声が浴びせられる結果しか生まなかった。


こうして、親にさえ望まれぬ生を受けた一人の少女は、その死を悼んでくれる者さえなく、すぐさま忘れ去られていったのであった。



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