第5話「死なれては困る」
白い粉が煙のように立ち込めると同時に、2匹の犬型魔物は犬とは思えぬくぐもった呻き声をあげて森へと帰っていった。
オピニアは男の指示に従い息を止め身を潜めたが、それでもその粉からはかなりの匂いがすることが分かる。刺激臭ではなく、間違いなく不快な匂いなのだが、ついまた嗅いでしまいたくなるような……。
「おい、嗅ぐのはやめろよ。煙は出していないし毒じゃないが、これだけでも十分に中毒性がある」
「……! ええ……ありがとう」
オピニアは礼を述べるが、同時に警戒する。
この匂いとそして中毒性。
これは一度仕入れの時に見たことがある。
そう確か――
(コルタバの葉の粉末か……!)
コルタバと言えば冒険者たちの間で一時期出回っていた嗜好品だ。
葉を燻すか燃やすかで出る煙の匂いを楽しむものだったらしい。
しかし流行りすぎたが為に、20年以上も前に野生のものは狩り尽くされてしまった。
今は栽培法は分かったが、一部の貴族以外が国に無許可で作ることは禁じられているはずだ。
とすれば、この男は密造者か、あるいは今でも野生のコルタバの場所を知っているほど山に精通した――――
「助けてもらったわけだし、この…………えへんえへん――は黙っててあげるわ」
「密造じゃねえよ」
男は反射的に答えたが、おやっと思い直す。
コルタバが平民でも手にはいったのは20年も前だが、どうみてもこの娘は10代も半ばといったところだ。
と言うことは少なくともただの素人ではない。そういった知識をもった――貴族には見えないので恐らく農家か商人か。
「別に俺は助けたくて助けたわけじゃねえよ。お前があの場で留まろうとしたからいけないんだ」
「どういうことよ」
「あの場で死ぬつもりだったろ?」
「…………」
「お前に死なれちゃ困るんだ」
「…………んん!?」
オピニアは突然の見知らぬ中年の発言に不意をつかれ動揺する。
しかし男はそれに気付いてるのか気付いてないのか、そのまま話を続けた。
「俺に助けを求めて俺が助けずに死ぬ。この場合はアンデッド化すると俺を憎むゾンビかレイスになるはずだ」
「し、死んだ場合?」
「どの冒険者も勘違いしてるが、そいつらは所詮普通の魔物だ。対処も難しくない。だがさっきのお前みたいな自己犠牲めいた形で死なれると、土地に取り憑くゴーストになる。公害だ。こっちは簡単に取り除けないから面倒なんだ」
「つまりあのまま助けを求めてたら見捨ててたってこと?」
「そういうことだな」
「む…………」
聞けばひどく現実的な考えで、こちらは元より死んだも同然だったので何も言い返せなかったが、オピニアは何か引っ掛かるものを感じた。
さておき、とりあえず今は命があったことに感謝しようと安心しかけると、それを見透すように男は言う。
「ホッとしてる場合じゃねえぞ」
「? もうあいつら行っちゃったじゃない」
「馬鹿言え。ワームウルフは本来、数十匹単位で狩りをする魔物だ。あんなの斥候に決まってるだろ」
「えっ! って言うことは……」
「30分もしないうちに本隊を連れて戻ってくるだろうな」
「そんな――――」
否定をしたかったが、この男は魔物に関してかなり詳しいようだし、ここはそれを前提に動かなければ二人ともいよいよ犬の餌となるだろう。
とは言えこちらは丸腰二人。逃げるにも山小屋までは一時間以上かかる。
状況は先程逃げていた時とあまり変わっていないように思える。
だが、今は相手に捕捉されていない。そして準備する時間もある。
つまり万全の状態でアレが使えるのだ。
「ねえ、おじさん。そのワームウルフに対して何か対抗策はあるの?」
「今はねえな……」
「……じゃあ私の策に乗る気はない?」
「策ねえ……」
男はこの勝ち気な少女を見る。
どうみても戦えるとは思えない。
だが先程も何かしようとしていたし、今も万策つきた人間の顔ではない。
(勘だが……こいつ何か持ってるな――)
「まぁ、聞くだけ聞いてやる」
「ありがとう。でもその前にまずは自己紹介とお互い何が出来るかの確認ね。私はジグソー商店の娘。オピニア=ジグソーよ」
「やっぱり商人だったか」
「もう店もないし山では商売してないけどね。おじさんは……冒険者でもなさそうだし何者なの?」
「俺は――――」
男は一瞬名乗るのを躊躇うように言葉に詰まる。が真っ直ぐこちらを見据える少女の目を見て、意を決したように続けた。
「サツキだ。ここらの連中からは『小枝遊び』とか呼ばれてる」
…………
………………
「嘘!!」
「嘘じゃねえよ!」
「サツキは元貴族の若い美男子でしょ!」
「ただの噂話だろそれは」
サツキはオピニアを納得させるのに3分間説得し続けた。
ワームウルフの群れが来るまであと12分――。