第1話「門番と少女」
「ふぁー……」
男はその日、何度目か分からぬ欠伸をした。
ここはドイルヴァノン山の入り口にある管理棟。
欠伸の主、ゲイン=トールマンはそこに勤めて今年で16年になる。
元々はこの国は、貧乏な山間の小国である。
唯一の特徴と言えば、山に無数に空いた穴――ダンジョンの多数存在することだけだ。
昔はダンジョンと言えば、ただただ危険な場でしかなく、国もその脅威に怯えながら日々を過ごしていたらしい。
――しかし時が過ぎ、冒険者の増加と共に話は変わってきた。
ダンジョンを進む術、そこで得られる物の有用性が広まると共に、ダンジョンは単なる脅威から資源
の湧き出る宝物庫と変化したのだ。
他国の数倍ものダンジョンを有するドイルヴァノン王国には冒険者が集まり、その冒険者相手に商人が集まり、店が増えれば人が集まりと、以前からは考えられない程急速に発展をしていく。
国民たちはダンジョンに感謝した。
少し前まで恐れていたのに現金なものだ。
しかし住んでいる者からすれば、それは自分たちの生活を支え、豊かにしてくれた存在であることは、紛れもない事実だったのだ。
生まれから今までずっと、王国育ちのゲインにとってもそれは同じで、山は自分を育ててくれた存在であり、この仕事に就いたときは誇りに思ったものだ――――――最初の内は。
「あぁー、暇だ……」
慣れとは恐ろしいもので、如何に誇り高い職務であっても、10年以上も勤めて雑事に慣れてしまえば、そこにあるのは町の役場となんら変わらぬ仕事だった。
山に来た冒険者の名簿を作り、誰か迷ったとあれば冒険者ギルドへと報告する。
行方不明、死亡と名簿に書きこみ次の冒険者を待つ。
書類、書類、書類を眺める毎日。
――うんざりだ。
せめて新たな冒険者でも見ようと、こうして今日も入り口の登山受付に立っているが、来るのは見知った上級者たち、あるいは山遊びと勘違いした素人ばかりである。
見るからに"冒険者なり立て"な若者たちが、耳障りな笑い声をあげてここを通り過ぎていく。
彼は冷ややかな目でそれを見つめた。
(この山のダンジョンは二合目付近でもランクCはある。地元と同じ気分で来た田舎冒険者じゃ、生きてここに戻ることは不可能だろうよ)
だからと言って止めはしない。
山に入るのは自己責任なのだ。
それを念押しするために、彼は書類を作っているとすら言える。
そうして今日も彼はあくびを隠そうともせず、ただ道を眺める。
「………………」
ゲイン=トールマン――――彼には最近考えていることがあった。
この国の人たちはダンジョンによって生かされている。
しかし近頃は既に探索の終わったダンジョンで、狩り慣れた魔物の素材を機械的に集める上級者。
そこに辿り着くことも出来ない初心者ばかりだ。
これで良かったのだろうか?
何も進歩することなく、ただダンジョンの資源を食い荒らす冒険者たち。
ダンジョンが未知の物であり、危険なものであることを皆忘れてはいないだろうか?
この脅威を忘れて漫然と資源を消費していく日々が、いつか取り返しのつかないことになるのではと彼は密かに危惧していた。
――――事実、彼の懸念は正しい。
ゲイン含め国民の誰も知り得ぬことだが、山の管理者が王を名乗り、ドイルヴァノンが王国となってから80年経つ――しかしこの山で人が足を踏み入れたことのあるダンジョンは未だ20%にも満たないのだ。
――ドイルヴァノンは"穴だらけ"と言う意味。
そしてダンジョンはある時枯れるかも知れないし、また突然溢れ出るかも知れない不安定なものだ。
だがゲインはそう思っても、その現状を打破しようとは考えない。考え付きもしない。
なぜなら既に彼もこの山の日常に埋没した1人だからだ。
状況を変えるには大きな力が必要である。
それは武力であったり、財力であったり。
あるいは誰かの確固たる意志か――――
…………
……
「―――――」
「――ねえ!―――――さん!」
「それにしても暇――」
「ねえ! おじさん聞いてる!? ねえ!」
「おっと!」
気付けば目の前の客の声が聞こえぬほどに呆けてしまっていた。
――――仕事か。仕方無い。
ゲインは声の主の方を向き直す。
「すまねえな、登録か」
「そうよ」
「あぁじゃあここに……って?」
「どうしたの?」
「……お嬢ちゃんが山に入るのか?」
「何かおかしいことでもあるの?」
「いやまぁ、そりゃあ……」
今の今まで何故か目にはいらないと思っていたが、眼前――いや、眼下にいたのは15にも満たないような少女であった。
――無茶な。
誰もがそう思うであろう。
だがゲインはその言葉を飲み込んだ。
(よく見れば……なるほど……)
軽装ではあるものの山に適した格好とは言えず、彼女がこの山の初心者なことが分かる。
半面、その背に負った荷物は一人前の大きさだった。
それだけの物を持ってここまで平然と歩いてきたことから、単なるお嬢さんとは言えないだけの体力と意志を感じた。
何よりその碧に煌めく双眸は、死にに来る素人とも、緊張感のないベテランとも違う。ここ数年は見なかった挑戦者の眼だ。
(これは断っても無駄か……)
「…………はぁ。普通ならお嬢ちゃんのような子供は帰すんだが、どうせそう言ったら抜け道探してでも入るんだろ?」
「お、話が分かるじゃない。さすがは世界一ダンジョンの多い山の門番さんね」
「フッ……門番ね。分かった、ここに名前書きな。命の保証は出来ないとか分かってきてるんだろ」
「もちろん」
少女はやや背伸びしてサラサラと名前を書いた。
オピニア=ジグソー
名簿に記帳された彼女の名前を見る。
姓は聞いたことはな……いや――――
(確か前に町の中で見たことがあるような……)
しかしゲインは最後までそれを思い出すことは出来なかった。
記帳を済ませた少女はそのまま先へ向かおうとするが、ふと足を止めて振り返る。
「ねぇ、門番のおじさん」
「なんだ、まだなんかあるのか」
「"サツキ"って人知ってる?」
「………………」
「どうなの?」
「…………あぁ、知ってるが」
もちろん知っている。この山の古参でその名を知らぬものはないだろう。
山に住みながらも、ダンジョンの宝を取ることも、冒険者相手に商売することもない奇人。ただダンジョンやその周りの土弄りや枝切りをしてばかりのそいつを冒険者たちは嘲笑って『小枝遊び』と呼ぶ。だが――――
「そいつに用があるなら止めときな。俺の見解じゃ"サツキは実在しない"だ。ただの噂話。仮にいたとしてもとっくに死んじまってるよ。なんせ噂が流れ始めたのは30年も前なんだからな」
「つまりは居場所までは知らないのね?」
「そうだな……」
「なら自分で探すからいいわ。ありがとね」
少女――オピニアは今度は一度も振り返ることなく山へと入っていった。
ゲインはその時はただ一言も発せずに見送ったが、
(……出来れば死なずに帰ってこいよ)
心の中では自然とそんな声が漏れていたという。
◆
ドイルヴァノン山は登山者たちの悲鳴も絶望も飲み込んで、今日も雄大にそびえていた。
少女オピニア=ジグソー。
奇人サツキ=ソウヘイ。
そして少女の背負う荷物。
山は自身の中に潜り込んだ異分子の存在には気付かない。
――――この時はまだ――――気付かない。