「研究都市ウェスタ」
ウェスタへ出発の朝。
私はすっかり片付いた自分の部屋で、身支度を整え、双剣を腰に固定する。
この部屋ともお別れ、か・・・
改めて自分の部屋のぐるりを見渡す。13歳で地方騎士団に入ってそれから、ずっと過ごしてきた部屋だ。
訓練の厳しさや男たちの嫌がらせに、涙したこともある。セレさんとお茶もよくしたっけ・・・。
さまざまな思い出が頭によみがえる。私は目を閉じてそれをしばし反芻してから、荷物を抱え、親しんだ自室を後にした。
本部の廊下。もうほとんど残っている地方騎士はおらず、がらんとしている。
・・・誰もいない・・・。もうだいぶ皆出ていっちゃったものね・・・この建物自体、閉鎖の日も迫っているし・・・
グレッグ団長もセレさんも、クライストたちの見送りに王都へ出ているのだろう。団長の部屋からも人の気配がなかった。
階段を降り、1階の稽古場の前を通ったとき・・・何やら人の声が聞こえた。
・・・あれ?あれは・・・セレさんと、トリスタン・・・?しかも・・・
「・・・セレ・・・」
だ・・・だ・・・抱き合ってる・・・!!!
「と、トリスタン、よせ・・・、こ、こんなところ誰かに見られたら・・・」
「もう地方騎士団はなくなるんだ・・・別にばれたって、構わないだろう」
「・・・・・トリスタン」
セレさん・・・
「本当に、王宮騎士団に入るつもりなのか?セレ」
「何度も言っただろ。もう手続きは終わってる。明後日には初勤務だ」
「セレ・・・ウェルム団長はあまりいい噂のある人じゃないし、俺は心配だ」
「トリスタン・・・私は大丈夫だから、気にせずウェスタへ行ってくれ」
「気にしないわけがないだろ・・・あのウェルム団長だぞ?」
「・・・大丈夫だから・・・ね?」
「セレ・・・」
セレさんがトリスタンににっこり微笑む。
なんていうんだろう・・・なんか、トリスタンの前だとセレさん・・・女の子っぽいっていうか・・・
「あ、そうだ・・・」
「トリスタン?」
「これ・・・まあ、その・・・お守りがわりにもっていてくれ」
言ってトリスタンが恥ずかしそうに取り出したのは・・小さな小箱だった。
セレさんはその小箱を開けて・・・目を見開く。
「・・・こ・・・これ・・・」
「・・・だいぶ、遅くなっちゃったけど。・・・セレ、俺が、ウェスタから帰って、全部片付いたら・・・」
「・・・トリスタン・・・」
トリスタンがセレさんの耳元に何か囁く。途端、セレさんがトリスタンに抱きついた。
「・・・遅すぎるんだ・・・お前は・・・っ・・・私が、どれだけ待ったと・・・」
「ごめんな。地方騎士団が、こんなになってからに、なっちまってさ・・・」
「馬鹿・・・」
トリスタンがセレさんの背中を優しく撫でる。それを見てから、私はふたりにばれないように稽古場をあとにした。
・・・プロポーズ・・・だった、んだよね、きっと・・・
セレさん、すごく嬉しそうだったな・・・いいなぁ・・・
本部の門の前までくると、クライストとライオネス、それから団長がなにやら話をしているところだった。
「やあ、イレインちゃん、おはよ」
「おはよう、クライストさん・・・よろしくお願いします」
「あはは。そんなかしこまらなくても。船の船長も気さくな人だから、心配しなくていいよ」
「は、はい!」
クライストは私に微笑んで傍らにある大きな荷物の点検を始める。
「キゥーキゥー」
あれ?この鳴き声・・・
「大丈夫だって。ちゃんと連れてくからそんなひっつくな、ラプタ」
ライオネスが背中から顔を出した・・・翼竜・・・の頭をなでている。
「ライオネス、それ、なあに、翼竜の赤ちゃん?」
「あ、ああ・・・。お前には言ってなかったか。エルムナード遠征のときに、異形にふみつぶされそうになっててよ。助けてやったらこんな感じで・・・」
「キゥー」
「そうなんだ・・・ずいぶんなつかれてるみたいだね」
「ああ・・・肉とかやってちょっと世話してやったら、あっというまにこうなっちまった」
「ふふっ。でも、そうやって甘えてるの、かわいい」
翼竜、ラプタがライオネスの頭の上にぴょんと乗る。
じゃれているようだが、それにはかまわず、ライオネスは私を見つめて口を開いた。
「・・・。・・・お前さ、ほんと、いいのか?」
心配がないといえば嘘になる。だけどもう今更、迷いはない。私は彼を見つめ返す。
「うん。私決めたから。みんなでウェスタに行くよ」
「・・・そっか」
「うん」
ライオネスは私を見て、少し安堵したような笑みをうかべる。沈黙を守っていたグレッグ団長が口を開いた。
「それじゃあ、イレイン、ライオネス、クライスト・・・気をつけて、いってくるんだぞ。旅の無事を、祈っている」
「ウェスタは様々な研究をする者が集まる聖地ともいわれる場所だ。ヴァエルを倒すための手がかりも、きっと見つかるだろう」
「はい。グレッグ団長も、どうかお体に気をつけて」
「ああ」
グレッグ団長は私たち3人の顔をそれぞれ見渡して、ゆっくりとうなずいた。
それを合図にしたかのように、クライストが声を上げた。
「さあ、それじゃあそろそろ出発しようか。シャロームの街に船が待ってる」
「うん!」
私が返事をすると、クライストが微笑んで歩きだす。トリスタンが後に続き、ラプタをつれたライオネスが荷物をもって後に続いた。
研究都市ウェスタ・・・どんなところなのかな・・・
ヴァエルを具現化する方法なんて・・・本当に見つかるのかな・・・
不安はつきない。だけど今は、前に進むしかない。
故郷と同じ懐かしい潮風に吹かれながら、シャロームの港が見えてくる。
私は改めて決意を固め、腰の双剣をぐっと握り締めると仲間たちの背中を追った。
・・・そして・・・
王都を出発、シャロームの街の港から出航し数日たち・・・。
不思議なくらい、特段何も起こることはなく私たちはウェスタに到着、上陸した。
ウェスタは中央大海の島にある小さな町だ。島全体がひとつの街としてつくられている。
本当に小さな町なのだが、ここはある特殊な役割を担う場所でもあった。
「さすがに学者の聖地とも言われるだけあって、荘厳な雰囲気だね」
クライストが町並みを眺めながら言う。確かに、ほかの街とはちょっと様相が違う。
さまざまな分野の研究者があつまる特別な街で、たくさんの研究所や書物庫が町中に点在していると
昔ランスロットに学んだことを思い出した。
・・・歩いてる人も学者さんみたいな人が多いなぁ・・・あれ、あの遠くに見える大きな建物って・・・
「クライストさん、あの大きな建物はなに?」
私が家々の奥に見える巨大な施設を指差すと、クライストが、ああ、と声を上げた。
「あれは古代図書館だよ。図書館とはいうけど、学者たちの研究施設も兼ねてる」
・・・古代図書館・・・
王都にも図書館はあるにはあったけれど、あれほど巨大なものではない。
研究機関とも聞いてヴァエルの具現化のことが思い浮かぶ。もしかして・・・
「もしかして、具現化の研究をしてるその人もいるかな?」
「そうだね、まずは行ってみようか」
私の言葉に、クライストがうなずく。退屈そうにあたりを眺めていたライオネスとトリスタンを伴い、私たちは町の中へと入った。
並木のレンガ道を、巨大な図書館の建物に向かって歩いていく。
すると急に視界が開けて、目の前に緑の芝生に覆われた広大な庭のような場所に出た。
奥のほうには森を背にして古代図書館がそびえたち、古めかしく重厚そうな門を構えている。
すっごい広い・・・これって、図書館の前庭みたいなものなのかな・・・王宮と同じくらいの広さはあるかも・・・
前庭にはそこここにベンチが置かれ、天気のいい今日は座って本を読む人たちが点在している。ひなたぼっこや昼寝などをしている人もいて、なんだか穏やかな風景だ。
「図書館は一般の人たちにも開放されているからね。憩いの場所にもなってるみたいだね」
芝生をさくさくと踏みながらクライストが言う。
昼寝をしている人たちを見て自らも眠くなったのか、ライオネスがあくびをしていた。
「クライストさん、いろいろ詳しいね」
「ああ、俺は来たことがあるからね。仕事でだけど」
傭兵の仕事でだろうか。そんなことを考えつつもぞろぞろと歩き、図書館の巨大な扉の前に立つ。
「さあ、行こうか」
クライストが鉄製なのだろう、重そうな扉を押して・・・
うわー・・・中はもっと広い・・・
天井は見上げても見えないほど高く、また背の高い本棚がずらりとそびえたち入り口にたつ私たちを見つめている。
上等な樫の木でできた本棚には色とりどりの様々な本がぎっしりと詰まれていて、その眺めは実に壮観だ。
「すごいな・・・これは・・・」
後ろのトリスタンが息を呑む音が聞こえた。
ライオネスが上を見上げて天井に目を凝らしている。
クライストは本棚の間をすたすたと歩き、奥にあるカウンターに向かうと、受付らしき女性と何やら話しはじめた。
館内には学者らしい者もいるが、普通の町の人といったいでたちの者もちらほらいる。
皆熱心に本を読みふけるか、本を探しているばかりであたりは静寂に包まれていた。
「・・・こういう場所は、苦手だな・・・」
ぼやくライオネスにトリスタンが茶々を入れる。
「お前は本を読まないからな。読み始めても3秒で寝るんだろ」
ライオネスがむくれて反論した。
「うるせえな、3秒はねえ。3分は持つ」
・・・どっちも変わらない気が・・・
「精神体の研究をしている学者が2階にいるらしいよ。トレヴィ博士っていうんだってさ」
やがてクライストが戻ってきて私たちに告げる。私たちは彼の案内で、博士がいるという2階へ向かった。
「クレールでそのようなことが・・・魔剣ヴァエル・・・」
トレヴィ博士は初老の男性で、2階にある講義室でちょうど学生たちに話をしているところだった。
講義が終わったあと、クライストが話しかけて事情を話すと、トレヴィ博士は驚いた顔をしてそうつぶやいた。
「博士は、魔剣のことはご存知なんですか?」
私が問うと、彼は深々とうなずいた。
「はい。自らの意思を持つ剣・・・その剣は、魔族の思念体集合・・ディーヴァにより構成されていると・・。」
「よく知っていますね」
クライストがトレヴィ博士を見つめる。博士はクライストに向き直り口を開いた。
「私も昔、魔剣については興味がありました。ここの書物を読み漁った結果です。その当時魔剣の研究は大流行でしたが、何しろ本当に存在するかもわからず、魔剣に関する書物も現存するものは限られていたため次第に専門に研究する者は減少し、今ではほとんどいません。しかしまさか、本当に存在していたとは・・・」
「魔剣は本当に存在します。ここにも」
クライストは博士の目の前で青く輝く光剣・・・アグレアスを出現させた。博士が目を見開く。
「・・・これが・・・」
トレヴィ博士は震える手でアグレアスに触れようとした・・・が、その瞬間、魔剣はその刀身から激しい光線を放ち、彼の手をはじき返した。
「うわっ!!」
「不用意に触らないほうがいいです。魔剣は契約者以外の人間に触れられるのを嫌がる」
トレヴィ博士がはじかれた掌をさすりながらクライストを凝視する。
「君はこの魔剣と契約したわけだな」
「・・・はい」
「・・・愚かなことを・・」
吐き捨てるというよりは、どちらかというと哀れむような口調でトレヴィ博士は言った。
え・・・愚か・・・って・・・
「な、なんだよそれ・・」
「愚か・・・?どういうことだ・・・」
ライオネスもトリスタンも、戸惑って顔を見合わせている。
どうして、そんなことを・・・?
博士の意図を私が聞こうとする前に、クライストの冷静な声がそれをさえぎった。
「・・・確かにそうですね。しかし、今はそんな話などどうでもいい。
クレールに差し迫っている脅威を取り除くのが先です。
魔剣ヴァエルのディーヴァはクレールに恨みを抱き、次なる契約者を探して
かの国を滅ぼさんとしています。ヴァエルが契約者を手に入れる前になんとかして倒さなくてはならない。その方法を探して、俺たちはここまで来たんです」
博士の言葉をあっさりと肯定し、淡々と説明するクライスト。その姿に私も、ここに来た本来の目的を思い出す。
そう・・・今はヴァエルのことが先だよね・・・哀れ・・・てのも、気になりはするけど・・・
そしてそれをいわれても、動じもしないクライストの態度に違和感も感じる。
・・・クライストさん・・・
クライストの言葉に、トレヴィ博士はしばし考え込むような様子を見せた後、私たちに向き直り静かに説明を始めた。
「・・・ディーヴァは思念体・・精神世界に生きるものです。私たちが生きている物質世界とは
異なる世界。私たちが肉体を持つ人間である限り、ディーヴァに物質的に働きかけることは
不可能でしょう」
「ふ・・・不可能・・・?・・・そんな・・・」
私は肩を落とした。せっかくここまで来たのに、ヴァエルには手も足も出ないと言うのか。
「ディ、ディーヴァをこっちの世界につれてきたりはできないのか」
やや焦った様子で、トリスタンがトレヴィ博士に質問する。彼も少なからず、いやかなりショックを受けたようだった。トレヴィ博士が応える。
「それは理論上無理です。精神世界と物質世界は本来隔離され、間には繋がりのないもの
とされていますから。ただ・・」
「ただ?」
険しい表情でクライストが聞き返す。するとトレヴィ博士はクライストを意味ありげに見て、続けた。
「・・・例外は、あります。代表的なものがその魔剣です」
「あ・・・!」
思わず声を上げる私。そうだ・・・確かに・・・。
「お察しのとおり、魔剣は魔族の思念体という精神体で構成されますが、契約者を得ることで物質世界に『剣』という形で姿を現す。このことから、魔族は精神世界と物質世界を行き来する何らかの方法を持っていたのではないか・・と推測されるのです」
確かに・・・魔剣は精神体が形作るものながら、物質の『剣』でもある。
精神世界と物質世界を行き来する方法・・・もしかして魔法が使えることと関係ある・・・?
魔法もいってみればそうかもしれない。本人の精神・・・意志で、何もないところからあらゆるもの・・・物質を生み出すのだから。
クライストのほうを見ると、彼も同じことを考えていたのだろう、私を見つめてうなずいた。
「・・・そうだね、その方法はおそらく魔力によるもの・・・っていうことになるんだろうね」
「おいクライスト、お前は知らないのかよ?魔法を使えるんだろ?」
ライオネスがクライストに質問する。クライストは肩をすくめた。
「知ってたとしたらここには来ていないよ。それに俺は魔族じゃない・・ただの人間だ」
「しかし・・・・・いくらそんな方法を使えるとしてもなぁ・・・」
トリスタンが腕組みをし、うなる。
「古代の文献が正しいとするならば・・・魔族はずっと昔に絶滅したのだろう?」
「・・・まぁ・・・それにたとえいたとしても、俺らに協力してくれるとは思えねえよな・・・」
ライオネスが眉間に皺を寄せた。
そっか・・・そうだよね・・・迫害を受けた魔族はきっと人間を憎んでいるはず。だとすると、力を貸してもらうことなんかできないのかも・・・
ライオネスとトリスタンのいうとおりだ。
万事休すか・・・と3人でがっかりしたそのとき。
「・・・・・・・・・いや」
「クライストさん?」
ぼそり、とつぶやいたクライストに、その場全員の視線が集まる。彼が再び口を開いて―
「・・・レムなら・・・」
レム・・・?
初めて聞く名前だった。クライストの知り合いかなにかなのだろうか。
しかも、魔族に関係する・・・?
トリスタンがたずねる。
「クライスト、力を貸してくれそうなやつを知っているのか?・・・まさか、魔族・・・?」
「純粋な魔族・・じゃないけどね」
「え・・・?」
純粋じゃない・・・?ってことは・・・人間とのハーフ・・・とか?
直感的にそんなことが思い浮かぶ。だが、憎みあった人間と魔族が結婚するなんてこと、あったんだろうか。クライストが続けた。
「彼は人間を毛嫌いしてるところがあるから、協力してくれるかどうかは保障できない。
だけど話を聞いてみる価値はある、と思う。」
「・・・話して、くれるのかなあ?」
どういう人かはわからないけど・・・魔族関係の人なら門前払いされそうな気もする。
「それは行ってみないとわからないよ」
見上げた私に、クライストが微笑んだ。魔剣の強さからくるものなのかわからないが、彼はいつも自信満々な感じがして、少しうらやましい。
「彼の住んでいる場所は、ネド砂漠の手前の小さな洞窟だ。ウェスタから船でそう遠くはない」
ネド砂漠といえば、私の故郷テーベの南にある広大な砂漠だ。確かに、砂漠の南側には自然にできた洞窟がいくつかあった。そのひとつに住んでいる、ということなのだろう。
「それじゃ、とりあえずそこに行ってみるしかないってことか・・・」
トリスタンが言って、ライオネスと視線を合わせる。
とりあえず次の行く先は決まったものの、ふたりの表情は浮かないものだった。
ヴァエルを倒す方法がわかると思ってきたのに・・・肩透かしをくらったようなものだもんね・・・
何もかもあやふやだ。そのレムという人物も、話さえ聞いてくれるかどうかわからない。
だけど・・・今は行くしかない・・・
「とりあえず、今日はウェスタの宿に泊まって、明日出発することにしよう。俺は調べものがあるから、ライオネスとトリスタンは先に宿へ行っててくれないか」
「調べもの?」
トリスタンが片眉を上げる。クライストは笑った。
「まあ、大したことじゃないんだけど、ちょっとね」
「つか・・・なんで俺とトリスタンなんだよ?イレインは・・・」
「ああ、イレインちゃんには俺の手伝いをしてもらうからさ」
「ええ・・・??」
「いいよね?イレインちゃん」
「そりゃ、か、かまわないけど・・・」
にっこりと微笑まれて、勢いでうなずいてしまう。ライオネスが舌打ちした。
「ちっ・・・仕方ねえ・・・。わーった。だけど、すぐ来いよな」
「わかってるって。君が想像しているようなことは何もしないよ」
「ばっ・・・何言って・・・べべ別に俺は・・・」
何を想像していたのか知らないが、ライオネスが真っ赤になる。クライストが心底おかしそうに笑った。
「あはは。カマかけてみただけなのに、面白いように引っかかるんだね」
「てんめぇ・・・」
「まあまあ、落ち着けってライオネス。それじゃ、俺らは先に行ってるな。博士、いろいろとありがとうございました」
トリスタンがフォローにはいって、ライオネスを諌める。彼が博士にも頭を下げると、トレヴィ博士はいささかすまなそうに微笑んだ。
「あまり力になれなかったようで、申し訳ないな。もしもまた何か聞きたいことがあったら、いつでもたずねてきてください。私にできることがあれば、協力いたしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
お礼を言った私のほうを見て、トレヴィ博士が深くうなずいてくれる。それから、何か言いたそうにクライストを見つめていたが・・・結局は何も言わずに視線をそらした。
・・・なんだろう・・・?今、クライストさんのほう見てたけど・・・?
トリスタンとライオネスが講義室を出て行く。ライオネスは心配そうに私を振り返りつつも、しぶしぶと背中をむけてトリスタンとともに部屋をあとにしていった。
彼らの姿を見送ったあと、クライストがトレヴィ博士に向き直る。
「それじゃあ俺たちも、地下の書庫に行こうか。博士、入ってもよろしいでしょうか」
地下の書庫・・・?
「ああ。いいですよ。鍵を開けましょう」
首を傾げる私を横に、トレヴィ博士は懐から銀の鍵を出した。
3人で講義室を出て1Fに行き、カウンター奥の丈夫そうな扉を開けると、地下への薄暗い階段が現れる。
一瞬視界が悪いかと思えたが、どうやらそれは入り口だけらしい。ちょっと覗き込んでみると階段の脇にはちゃんと明かりがともしてあった。
「それでは、ごゆっくり。終わりましたらカウンターの女性に声をかけてください」
「ありがとうございます」
クライストが礼をいって、トレヴィ博士がカウンターを出て行く。おそらくまた講義室に戻るのだろう。
「じゃあ、行こうか。足元に気をつけて」
「う、うん・・・」
クライストがすたすたと石造りの古びた階段を下りていく。私はおそるおそるながらも彼のあとに続いた。
案外早く、クライストの調べ物は終わった。というよりも、探しているものは見つからなかったらしい。
だがそれでも、図書館を出るとすでに街は夕焼けに包まれていた。
「ウェスタは酒場兼宿屋がひとつしかないからね。たぶんトリスタンたちはそこに行ったと思うんだ」
ウェスタの町を歩きながらクライストが言う。私は町のぐるりを見回してみた。
クライストが言うように、酒場や食堂などはあまり見当たらない。
「そういえば、お店とかもあんまりないね」
「それはね。一応、研究都市だから。観光の街でもないし、歓楽街自体も存在しない」
なるほど・・・
「そっか・・・あったら、勉強に集中できないものね・・・」
「・・・・・」
ぽつりとつぶやいた私をクライストは少し真顔になって見つめていたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「イレインちゃんは言うことがかわいいね」
「えっ・・・なんで?ど、どこが?」
「うん。そういうところがさ」
「・・・・・・・」
クライストさん・・・言ってることがわからないよ・・・
目の前には彼の満面の笑みがある。私はわけもわからず困惑するばかりだ。
複雑な心境ながらもふたりで通りを歩いていると、ふいに声がかかった。
「おお?なんだあ、お前、クライストじゃないか?」
クライストとともに振り返る。すると旅人といった服装で腰に剣をさげた男が人懐っこい笑みを浮かべていた。
クライストさんの知り合い・・・かな?格好からすると・・・傭兵さん・・・?
「やあ、ひさしぶり。こんなところで会うなんてね」
クライストもそつなく笑顔で挨拶する。男が私のほうをちらっと見てにやにやした。
「お前も相変わらず羽振りよさそうだなあ。また女連れかあ?」
「うん。でも、そういう関係じゃないよ?」
「よく言う。こないだフランチェスカで会ったときなんか、お前は・・・」
男とクライストが談笑をはじめる。なんだか会話も盛り上がっているようだ。
なんとなく、場をはずしたほうがいいような気もしてきた。
・・・先に宿屋に行ってたほうがいいかな・・・?
クライストの様子をうかがっていると、彼は気づいて私のほうを見、口を開いた。
「ああ、イレインちゃん。俺は彼と話してからいくから、先に宿屋に行ってて。すぐわかると思うよ」
「うん、わかった。じゃあ、またあとで」
ちょっとほっとしながらも、通りをあとにする。背中から聞こえる笑い声。話はまだ続いているようだ。
クライストさん笑ってる・・・結構仲がいい友達なのかな・・・
傭兵同士、気があうとかいうこともあるのだろうか。クライストが知り合いと楽しそうにしている姿を、はじめてみたような気がした。
酒場はすぐに見つかって、先に飲んだくれていたトリスタンとライオネスと合流する。
あとからクライストがやってくると勝手に次々と料理を注文し、パーティー状態になってしまった。
「ちょ、お前こんなに頼んでどーすんだよ!」
「だいじょうぶだいじょうぶ。あとでお金はちゃんと払うからさ」
「そういう問題じゃ・・・おいおいまだ頼むのかよ!?」
クライストが笑いながら店員を呼び、ライオネスは頭を抱え、トリスタンは我関せずで酒を口に運ぶ。
「あ、イレインちゃんも食べて食べて。どんどん。お金は心配することないからね」
「は、はあ・・・」
・・・というか、絶対食べきれないと思う・・・
大食らいのライオネスがいても、ちょっとあまるのではないかという量だ。
私は辟易しながらも、名物だと言うクラーケンのリングフライをちょっとずつかじった。
夜。
いまだ飲んだくれる男たちを無視して、私は早々に宿屋の部屋に入った。
ウェスタの宿屋は、それほど大きくないけれど内装にはこだわっているらしい。
綺麗な絵やかわいらしいデザインの壁紙。棚にはぬいぐるみまでおいてある。
・・・へえ、かわいいクマのぬいぐるみ・・・あ、ぬいぐるみって言えば・・・
私は荷物の中を探った。
・・・セレさんに預けてこようかなって思ったんだけど、もってきちゃった・・・
小さいうさぎのぬいぐるみ。
古ぼけて、もともと白であったのだろう毛も黒ずんでいる。
無理もない。あれから8年もたっているのだから。
・・・・・私が、王都に初めてきて、まもないころ―――
『いつも一緒に眠っているウサギを忘れてきた??』
『う、うん・・・』
『・・・・・・』
そのときのランスロットの顔。いまでも覚えている。
よく理解できない、というような難しい表情をしていた。
『少し待て・・・だから、なんだというんだ?』
『私、あのウサギがないと眠れないの!』
『・・・・・・・ウサギがなくても、眠れるだろう・・・
甘ったれたことを言うんじゃない』
『眠れたことなんて、ないもん・・・』
『とはいっても、今からとりに戻るのは無理だ。諦めるんだな』
『・・・じゃ、じゃあ・・・一緒に寝て!』
『はあっ!?』
『誰かが隣にいたら、ね、眠れるから・・・だから、一緒に寝て!』
『ま、待てイレイン、それは・・・』
結局・・・その日はランスロットが私が眠るまで隣にいてくれて・・・
その次の日、このウサギのぬいぐるみを買ってきてくれたんだった。
さすがに、毎日は勘弁だと思ったのだろうか。
・・・あのころ・・・ホントにいっぱい、ランスロットには我侭いっちゃったな・・・
ランスロットの困ったような顔。今でも、忘れられない。
それでも、最後には笑って、願いをかなえてくれたりもした。
・・・厳しく叱られちゃったときも、あるけどね・・・
・・・ランスロット・・・
「っ・・・」
目が熱くなって、視界が滲む。
・・・だ、だめ・・・
慌ててごしごしと目をこすって、唇をかんで、涙をこらえた。
「だめだな・・・私」
最近では彼のこと、あまり思い出さなかったから、油断してたのだろうか。
宿屋でふと、ぬいぐるみを見つけたくらいで、こんなふうになってしまうなんて。
なんだか自分にがっかりもする。あんなに決心して、ウェスタに来たのに。
自分に嫌気がさしながらも、私はベッドにもぐりこむ。
無理やり目をつぶって寝ようとしたら、瞼の裏に彼の笑顔が浮かんだ。