「王都を離れて」
そして・・・翌朝。
泣きはらした目をなんとか冷水で抑えて、私はいつもの業務をこなした。
心の隅っこにある深い寂しさは癒えないけど、向き合っていては身も持たない。
それに・・・仕事だけではなくて、王都を狙う魔剣ヴァエルのことだって気がかりだ。
気持ちの奥底に押し込めて、明るく振舞ううちに、一時的にでも忘れられればいい。
・・・そうだよ、落ち込んでられないものね・・・。
・・・頑張らなきゃ。
私は気を引き締めると、なじみの団員たちと挨拶を交わした。
今の仕事は街の警備と見回りが主だ。異形がまだ出るともあって気は抜けない。
昼になり交代の騎士がきて、昼食を食べに本部の食堂へ向かうと・・・
・・・あれ?ライオネス・・・?
彼が食堂にいるのは珍しいことではないけれど、なんだかひどく沈んだ顔をしている。
「ライオネス?どうしたの?」
近づいて声をかけると、彼は緩慢な動きで顔をあげ、私を見た。
「・・・ああ・・・お前か・・・」
彼もお昼を食べにきていたのか、パンとスープのトレイがそばにおいてある。
・・・でも、手をつけてないみたい・・・ライオネスだったら、いつもすぐに食べちゃうのに・・・
「・・・どうか、したの?」
置いてある彼のスープももう冷めかかっているのか冷たそうだ。
「・・・あの、スープ、冷めちゃうよ?」
「・・・ああ・・・そういや」
指摘するとライオネスは今はじめて気づいたように、食事のトレイを引き寄せてスープを口に運び始めた。
やっぱり何だかおかしい・・・。そういえば、ライオネスはヴァエルのこともクライストさんたちと調べていたっけ・・・もしかしてそのことと関係ある?
「あの・・・ヴァエルのこと・・・何かわかった、とか?」
言うとライオネスは私をちらっと見て、またスープ皿に視線を落とした。
「少しは・・・な。そんことでグレッグ団長が話あるって・・・仕事終わったら部屋に寄ってくれってよ」
「え・・・私?」
「ああ、俺もだけどな・・・」
そういってライオネスは今度は黙々とパンを食べ始める。私は自分のトレーを置いて、彼の向かいで食事を始めた。
ふたりの間に流れる沈黙。
なんだか気まずいなあ・・・何か話題を・・・あ、そうだ。
「そ、そういえばさ、ヴァンディットさんって最近見かけないよね?もう王都を出てっちゃったのかな?」
私は少し明るい声でそう切り出した。ライオネスがパンの手を止める。
ヴァンディットは・・・以前は酒場をのぞくたびにいたのだが・・・婚約式が近づいてからはとんと姿を見せなくなっていた。
「ああ・・・あいつか・・・。あいつならもうクレールを出て行ったってよ。兄貴がこないだ言ってた」
「そうなんだ・・・見送りくらいはしたかった気もするけど・・・」
「また王都にくることもあるだろ。定期的に剣を王都の鍛冶屋に見てもらってるようだから」
「へ?そうなの?」
「あいつの双剣は特注なんだよ。兄貴と同じで。だから王都の鍛冶屋じゃねえとダメなんだと」
「へえ・・・」
「『へえ・・・』って、お前のもそうだろうが」
「あ、そっか。そういえば」
ライオネスが呆れた顔をする。双剣使いは世界でも稀な存在で、扱っている店や鍛冶屋もほとんどない。
私の双剣もランスロットがなじみの鍛冶屋さんに特別に注文したものだ。
・・・ヴァンディットさんも同じなんだね・・・じゃあ、また顔を見ることもあるのかな・・・
同時にランスロットのことが頭に浮かんで、私はぶんぶんと首を振る。
いぶかしげなライオネスに、慌ててとりつくろうように言った。
「ま、また会えるといいね」
そういうと、ライオネスが肩をすくめる。
「俺はごめんだ。またからかわれると思うとうんざりするぜ」
「ふふっ・・・」
「・・・・・・。・・・・さて、ごちそーさん。仕事に戻るわ」
私が笑っていると、ライオネスが残りのパンをつめこんで立ち上がった。
口元には微かな笑みが見て取れて、さっきの落ち込んだ様子は見られない。
・・・少しは気が紛れたのかな・・・でも、どうしてさっき浮かない顔してたんだろ・・・
私はそんなことを思いつつ、食堂を出て行くライオネスに手を振った・・・。
ライオネスが沈んだ顔をしていたその理由を、私はこののち知ることになる。
それは彼だけでなく、私やおそらく他の騎士団員にも衝撃を与える・・・残酷な事実だった。
「失礼します」
仕事を終えて、団長の部屋に入るとそこには団長をはじめトリスタン、セレさん、ライオネスそれから・・・クライストが立っていた。
・・・皆そろってる・・・何か重要な話なのかな・・・
「・・・これでそろったな。それじゃあクライスト、話を」
グレッグ団長がクライストに目配せする。クライストはひとつうなずいて、口を開いた。
「ヴァエルについて、ガイア地母神教の巫女様から話を聞いてきたよ」
「巫女様から・・・?」
「ああ。やはり俺の睨んだとおりだった。大きな声では言えないけど・・・」
クライストの語った内容はこうだった。
今から何百年以上も前、クレールの町を魔力で救った魔族のひとりを、市民たちがその力を恐れ嬲り殺しにしたこと。
それだけでなく、人ならざるあやかしの力を使う者として、国をあげて魔族全体を潰そうとしたこと。
「・・・う・・・そ・・・」
思わずそんな言葉が、口からこぼれる。
「昔のクレールが・・・そんなことを・・・?そんな・・・」
セレさんが信じられないといった表情で口を押さえる。
「俺も最初はそうだった。そんなことがあるものかと。だが、これは本当のことらしい」
トリスタンがそういって、気遣うようにセレさんの肩にさりげなく触れた。
ライオネス、団長も重い表情をしている。クライストが真顔のまま、口を開いた。
「・・・巫女様も、このことは誰にも話すつもりはなかったみたいだ。だけど先代の巫女が、この事実を風化させてはいけないと言い残したって」
「クライストさん・・・だから・・・魔族の思念からできあがったヴァエルが、クレールに復讐を・・・?」
「・・・・・・・。そう、考えるのが妥当だろうね」
「・・・・・・・・・・・・」
・・・昔のクレールの人たちが・・魔族に酷いことをしたせいで・・・
「・・・だから、ヴァエルが一方的に悪いと決め付けることはできない。これは昔のクレールが招いた結果でもあるから」
「・・・それでも、今ここにいる王都の人間は関係ねえだろ・・・。ヴァエルにとってみちゃ、クレールの人間が皆憎いんだろうが」
「・・・そうだね・・・」
ライオネスの言葉に、クライストはそういって目を伏せた。団長が何かをこらえるような表情で、口を開いた。
「因果応報なのだとしても・・・我々はおとなしく殺されるのを待つわけにはいかない。・・・生きるために。王都を守るために」
「団長・・・」
団長だけではない、きっとここにいる全員が、葛藤と戦っているのだろう。
相手のことを敵と決め付け、何も考えず戦えば躊躇や迷いはないのに・・・
部屋の中が沈んだ空気で満たされる中、クライストが気を取り直すように顔をあげる。
「・・・ヴァエルは精神体で、物質世界に生きる俺たちから攻撃を仕掛けることはできない。だから、こちらの世界に引き込む必要がある」
「物質世界に、引き込む・・・?」
「ああ。その方法を研究してる学者が、巫女様が言うには研究都市ウェスタにいるらしいんだ」
・・・ウェスタって・・・確か・・・
「ウェスタは・・・島にある、町とかって・・・よくわからないけど」
クライストがうなずく。
「そうだよ。クレールと南の大陸にあるフランチェスカとのちょうど真ん中、中央大海に浮かぶ島にある街だ」
「研究都市に・・・クライストさんひとりで?」
「いや、ライオネスとトリスタンも行くって」
「えっ!?だ、だって街は・・・騎士団の仕事は・・・?」
驚いて私がふたりを見やると、トリスタンは腕組をしてため息をつき、ライオネスは団長に目配せした。
「父さん・・・」
セレさんも不安そうな表情でグレッグ団長に視線をうつす。団長は少しの間目を閉じ、やがて私をまっすぐに見た。
「・・・イレイン」
「は、はい」
「・・・・・・・・・・・・実はな、まだ、全員には知らせていないことなんだが・・・・・今朝、王宮の使者が本部に来てな」
・・・王宮の・・・使者・・・?
「わが地方騎士団の解散を陛下が決定したと、通達してきた」
「!!??」
団長の痛切な顔。私は目を見開いた。
「えっ・・・か・・・解散て・・・・・・・・その・・・つまりは・・・」
突然のことでよくわからない。震える唇で出した声が、掠れる。
「つまり、地方騎士団をなくすってことだよ。俺らはもう、騎士じゃなくなる」
ライオネスがややいらついたような口調できっぱりと言う。団長がうつむき、顔を覆ったセレさんをトリスタンが気遣った。
「そ・・・そんなっ・・・どうして!?」
本当に突然のことだった。
陛下の言葉ひとつで、今まで何年も街を守ってきた地方騎士団があっけなく消されてしまうなんて。
・・・嘘・・・
何かの間違いだと思いたいが、目の前にある仲間たちの表情が紛れもなく真実であることを物語っていた。
「・・・異形の騒動で街に大きな被害を出し、戦力も傭兵に頼るようでは、これ以上の存続は難しいだろうというのが、陛下の見解・・・だそうだ」
トリスタンが吐き捨てるように言う。彼も信じたくないのだろう、だが、一番信じたくないのはきっと・・・
これまで何年も地方騎士団を率いてきた、グレッグ団長、のはずだ。
「・・・皆には到底受け入れがたい事実だろうが・・・陛下のご意向だ。逆らえるものではない」
団長はまるで、自身に言い聞かせるような口調でゆっくりとそういった。
「・・・・グレッグ団長・・・・」
「わしはこれ限りで騎士をやめ、戦いから身を引こうと思っている。あとは・・・セレに任せる」
「ま、任せるって・・・・と、父さん・・・?」
セレさんが目を見開き不安そうに父親を見つめる。団長はそんなセレさんをなだめるように背中を軽く叩いた。
「大丈夫だ。あとは頼むぞ」
「・・・だ、だけど地方騎士団がなくなったら私はもう、騎士では・・・」
・・・そう・・・だよね、騎士団がなくなってしまったら、所属するところのない団員は騎士の称号を奪われたのと同じ・・・
だが団長はセレさんを見つめながら、意味ありげに口を開いた。
「セレ・・・。・・・それがな・・・王宮騎士団に特例でお前だけ、地方騎士団からの入団を許されているそうだ」
「あくまでも特別な措置として、とのことだが・・・」
「父さん、私が王宮騎士団に・・・?」
茫然とするセレさん。当然だ。
貴族しか許されない王宮騎士団に入団できるなんて・・・
団長はうなずいた。
「ああ。もちろん断ることもできるが・・・せっかく王宮騎士になれる機会だ。セレ、お前には、頑張ってもらいたい」
「父さん・・・・・・・」
団長がセレさんに微笑み、セレさんが泣きそうな顔になる。
セレさん・・・セレさんも、お父さんの団長と一緒に地方騎士団を率いてきたんだもんね・・・。
なんだかこちらまで泣きそうになって、慌てて目頭を押さえた。
クライストたちのほうを見ると、彼らは何やらウェスタ行きの相談をしている。
「しかしウェスタに行くって決めたのはいいが、船はどうするんだ?」
「それは心配ないよ。俺の知り合いに船を持ってる男がいるから、彼に乗せてもらう」
トリスタンの質問に、クライストがこともなげに答える。ライオネスが眉をひそめた。
「お前の知り合いか・・・なんかうさんくせえにおいがするな・・・」
「あはは。大丈夫だよ。見た目はともかく、中身はまともな人だから」
地方騎士団はなくなる。ライオネスもトリスタンも、ウェスタへ行く。
そして、私は・・・。
私・・・。
一瞬、故郷であるテーベに戻ろうかという気も起きたが・・・
王都は第二の故郷みたいなものだ。ヴァエルは確実にクレールを狙っている。
持ち主がもし、現れることがあったら・・・。
私は拳を握り締めた。話し合う3人の男たちを見つめる。クライスト、トリスタン、ライオネス。
私に・・・何ができるのかはわからないけれど・・・でも・・・王都の人たちのために、何もしないわけにはいかない・・・。
ランスロットのことが、頭に浮かぶ。胸が締め付けられる。彼との思い出のあるこの王都が・・・ヴァエルに狙われている。それなら、なおさら。
「イレイン?」
ライオネスが視線に気づいたか、こちらに歩いてくる。
クライストとトリスタンも、話をやめて私のほうを見た。
「ライオネス、私・・・」
「イレイン・・・」
ライオネスの瞳が、心配そうに私を見つめる。想像もできない場所、ウェスタに行くのは不安もいっぱいだ。船だって、故郷のテーベに向かうような定期船ではなく、船中で泊まる長い旅になるのだろう。
それでも・・・
「私も・・・私も、ウェスタに行くよ」
「イレイン・・・」
「王都が狙われてるのに・・・黙ってみてるわけにはいかないもの」
私はライオネス、それからクライストとトリスタンを見て、深くうなずいた。
クライストがふっと微笑んで、うなずき返す。
「じゃあ人数追加だね。よかった、女の子がいると船旅も楽しくなるし」
「お前な・・・」
「あはは。じゃあ、イレインちゃんも荷造り頼むよ。これから忙しくなるからさ。俺は、知り合いの船長に確認をとってみるから」
ライオネスのつっこみを軽くかわして、クライストが明るく言った。
「わかりました!」
私は元気よくいって、これからの旅に身を引き締める。
心配なこともあるけれど、おじけづいてはられないと思った。
・・・ランスロット・・・
もう会えない彼との思い出がたくさんつまった、この王都を守りたいから。
顔を見ることはできないかもしれないけど・・・それでもランスロットに、笑顔でいてほしいから。