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それからの四日間は、レティスの人生の中で濃いものとなった。
おそらく波長のようなものが合ったのだろう。
ときに師弟として、とき歳の離れた兄弟として、二人は打ち解け合った。
強い男になるぞ大作戦!といつの間にか銘が打たれた作戦は、ジートにより考えられたものであり、レティスの貧弱な肉体改造を目的として、ランニングや腕立て、腹筋、スクワットなどの筋トレをメインとして、旅のおまけ程度の出来事として行われていた。
旅生活一日目。
ジートが田舎の村まで来たとき、彼はボロボロの服と短剣のみの格好で、お金すら持っていなかった。どうやってきたのか不思議に思っていたが、なるほど納得。ほとんどサバイバルのような生活をして辿り着いたらしい。
まさに男の野生一人旅。
荷馬車でカッポカッポ進んでいたのは、西の大街道から大きく南へ外れた、本来は危険と言われてあまり近づかない、ノルマン領に点在する森の中である。
レティスの生まれ育ったギマ村は、イエリア王国の王都バルディウスから、西南方向にあるノルマン領に位置している。王都から西側にある外海に面する終着点、トルフへ至る西の大街道の中ほどにある場所であり、戦争で焼け残った深い森以外、何も無い場所であった。
レティスの父であるラルトが、素材探索家を生業としていたように、森の豊富の木々や貴重な薬草、木の実、野生動物に魔物などが領地の主な収入源となっていた。ちなみに、母リースによる卓越した手芸技術によって制作された草木染めの衣服は、王都において高値で取引される高級品とされている。
そんな森の中を縫うようにして、ジートは進んでいた。
その目的は言わずもがな、狩りで食料を得るためである。
森に入って野生の鳥やうさぎ、鹿などやたまに魔物を魔法と短剣だけで器用に捕らえきては、見事な解体技術でそれらをさばき、魔法で起こした火で豪快に焼く、食べるを繰り返して進んだ。
一見して旅慣れているように思えるジートであるが、森の中での暮らしはあまり得意ではないらしい。食物に対する知識が乏しいためか、野菜や果物の代わりにといって、道端に生えていた食べられそうな雑草を食べている有様であった。
人はそれで生きていけるものだ!
と、ジートに真剣な表情で言われた時、レティスは初めて彼を何とかしてあげなくてはと、心の底から思い、とりあえず、彼の代わりに料理を代わりに担当することにした。
幸いな事に村からの野菜が満載された荷馬車である。これだけあれば、旅で食うには困らなかったのだが、残念なことにそれは拒否された。
理解はしたくはないが、サバイバルに憧れた男は現地調達というロマンを追い求めるものらしい。もしかしたら、これが魔法学校入学の洗礼のようなものなのかもしれないと、この時のレティスは健気にも思っていたのだが、実際は100%ジートの趣味の世界の話であった。
森育ちのレティスも一日目はジートに習い、味のない肉をくらい、香草をそのまま食べた。
人生の中でこういった経験が一度はあったとしても……笑い話に出来るはずである。
旅生活二日目の朝。
太陽が大草原からのんびりと顔を出した頃に、森から離れることを嫌がるジートを宥めすかして、レティスは西の大街道沿いの町へ到着した。
本来であればギマ村から真っ直ぐ北へ向かい、西の大街道へ出て、点在する村や町を経由しながら王都ヘ向かうのが一般的なのである。なので、荷馬車に乗っていたのは物々交換に使える野菜のみであり、お金や装備は道中で揃えることを想定していた。
どうせ食べないなら早めに売らねば腐ってしまう!
ジートを逆に威圧してたどり着いた町で、レティスは荷馬車の野菜を元手に調味料と料理用ナイフ、鍋を手に入れた。最低限の調理が出来る準備をし、ついでに行商市で売れそうな雑貨も手に入れた。交渉については、小さな頃より家事手伝いによりお手のものである。
レティスは元々が森暮らしの野生児だ。
下手に町や大街道へ出るよりも、森の中にいたほうが程よく気分が落ち着いた。
強い男になるぞ大作戦!が発動中であったこともあり、二人の旅はここからが本領発揮となった。
二日目の食事環境は激変したと言っていいだろう。
道中で森に入ってはジートが捕らえてきた野生動物の肉をベースに、レティスが道端で見つけた香草で臭みを取り、調味料で味をつけて焼くようにした。レティスから見れば、どれも一手間加えただけであるが、獲物の種類や肉の部位により調理法は変えなければならない。その知識の多さに、ジートは痛く感心し、レティスは気恥ずかしそうに笑った。
それからは戦闘はジートが、森での歩き方はレティスが互いに教えあう形となった。
お荷物だけの存在と思っていたレティスに取って、相手の役に立てることが喜ばしかった。今思えばそうなるようにジートが全て配慮してくれたのだろうが、この時のレティスは、ただ旅とジートがくれる修行を楽しんだ。
三日目には野生生活にも慣れ、二人して寄り道をすることにした。
森育ちのレティスも、村を遠く離れた場所では、食材になるキノコや香草、木の根、木の実の場所は探してみなければ分からない。王都に近いこともあり、森自体の緑も薄く、野生動物の数が少なくなったことも痛手であった。
もういっそのこと。ということで、本来の目的が迷走した二人は、王都から離れるのを覚悟で南下し、さらに森の深くまで入って探索することにした。今日の目的は野菜か果物の摂取である。
森へ入って1時間ほどだろうか、野性を取り戻したレティスが、犬並みの嗅覚により甘い香りを嗅ぎ分けた。ジートと共に警戒しながら行ってみると、辺り一面にびっしりと並ぶ木苺の群生地を発見してしまった。
案の定というべきか、大型のヘビという捕食者も待ち構えていたが、ジートの一閃によりあっけなく撃破された。ジューシーな蛇肉は開き焼きするのが一番美味しい。ちょっと大きな身であるが、レティスの調理技術が遺憾なく発揮され、美味しいお肉へと変化し、ジートも大変ご満悦だった。
付近は手付かずの自然が残っていたようで、食材の宝庫だった。
木苺と食用キノコ、香草にヘビの肉と、森の恩恵を持てるだけ持って荷馬車に積み込んだ。
四日目の昼過ぎには南の大街道へ出て、そこから北方向に進み王都を目指した。ちょうどノルマン領の森を渡り歩きながら、横断するように移動した感じだろうか。
今回の旅で、ジートもサバイバル生活に大変満足したらしく、事に食事についての知識が薄かったことを反省し、よく料理についてレティスに質問してきていた。森で食べられるものとそうでないものを知っているというのは、一つの大切な能力なのである。
夕方には王都近くにある少し大きな街までたどり着き、もう使わなくなった荷馬車を始めとして全て売り払った。交渉は全てレティスが行い、この時に得たお金はジートも驚く17万7400エルとなった。これは一般的な兵士の一ヶ月の給料に相当する。
村で貰った野菜の価値が3万エル程度と考えれば、荷馬車を含めてもなかなかの成果であったといえる。それを二人で仲良く分け合い、汚れた服やらを新調して少し豪華な宿に泊まることにした。
「いやぁ、初めはどうなることかと思ったが、レティス師匠はすごいな」
「それを言うならジート師匠のお力があればこそですよ」
今、二人ながらささやかな宴会が行われていた。
豪華な料理をはさんで、互いに師と呼び合う二人の顔は明るかった。互いの不得手を補い、成功したのが今回の旅であったからだろう。旅を通して育まれた二人の信頼は厚く、少し年が離れているとはいえ、長年の旧友のように会話していた。
「村の近くの森でいつも遊んでいましたから。食材を見つけてくるくらい村の子供達なら誰でも出来ます。本音を言えば、ちょっとでも戦闘でお役に立ちたかったですが……そこは学校での成長を期待といったところで」
「いやいや、その知識は十分に誇っていい」
ジートの賞賛に、レティスはニッコリと微笑んだ。
ギマ村では、村人たちはほぼ自給自足のような生活を楽しんでいる。そのため、森と川から恵みを受ける関係上、村人たちは小さな頃から食べられるものとそうでないものの区別は自然とつくような生活をしていた。
加えてレティスは、村の子供達の先生のような立場のこともしていたので、村人随一と言って良い知識を蓄えている。さらに言えば物々交換などが当たり前の世界であったので、交渉事も得意であった。それが今回の旅の中で非常に役に立ったのである。
「俺も野生とかサバイバルとかに憧れていたけど、……勘違いしてたな。今思えばあれは動物の生活と大差がないものだった」
「確かにお肉を焼いただけ。雑草を食べるだけには限度がありましたね。ですけど、その下地があればこそ、旅に味が出たのではないかと思いますよ」
二人で笑い合えるのが懐かしい。
レティスが記憶を呼び起こしてみると、ふとジートとの出会いまで遡った。
「……ああ。そういえば」
レティスはジートのボロボロの服と短剣姿を思い出していた。
「ジートさんは本物の兵士なのですよね……」
「ああ、レティスが憧れる強い兵士だぞ。まぁ、見てくれはあれだけどな。家に戻ればちゃんとした剣も防具もある」
短剣一つで森の猛禽類の相手をしていたジートの活躍は見ている。その力量は疑う余地が無く、だからこそ疑問に残るところもある。もしかして、辺境の田舎に行くのにわざわざ正当な騎士の格好をするまでもないともでも思われたのだろうか?……とかはあるわけもない。旅を通してジートの人柄をレティスはよく理解していた。
「俺が着の身着のままレティスの村に行くことになったわけか?」
「……ええ、まぁ。気になるというかなんというか」
ジートが妙に真剣な表情をするときは、なぜかどうしても身構えてしまう。その姿はかっこいいが、大体そのあと決まって、何故か肩を落としたくなる残念な理由がついてくるからだった。
「確かに。俺も流石にどうかと思ったのだが、レティスには正直に話しておく」
心して聞けよ。と言われて、レティスは耳をふさぎたい気持ちを抑えつつ、弱々しく首を立てに振った。
「順序立てていくが、レティスはイエリア王国が王政だって知ってるよな?」
「それはもちろん。当然です」
王様が全ての頂にあり、それを貴族が支え、その下にレティスのような市民がいる階級制度である社会である。
「では、王国の今は分かるか?大国に挟まれ、資本主義を主とする市場が発展するにあたり、貴族よりもお金を持つギルドや商人のほうが力を持つようになった。金の多寡が物を言う世界に移り変わっている。これによる問題が何か分かるか?」
「……分かりません」
国の中で特に反乱などの話は聞いたことがない。
国王は傑物であり、国民全員から慕われている。五つに分かれた領土を治める貴族たちも有能で、レティスも村での生活に不満を覚えることはなかった。
「本来は富と力を牛耳り、支配するものが王という存在だが、……簡単に言えば飾りになってきたということだな」
「ジートさんちょっと声が大きいですよ」
どこかで誰かに聞かれれば、袋叩きにされそうなことを言うので、レティスはビクビクと首を竦めて辺りを見渡した。
「その証拠に、今は階級などの境界が曖昧だ。一般兵と貴族の娘が結婚をするようなことも珍しくない……、お前も聞いたことくらいあるだろう」
「……それはありますが」
古くから伝わってきている伝統や格式も、今は少しずつ軟化している。ジートが言ったことも、実際にあった出来事である。そのおかげで、市民から貴族に対する気持ちも穏やかなったという、良い出来事として捉えていた。
「だが、イエリア王国が中立の立場を取らなければいけない以上、どちらの大国の経済や思惑などに左右される訳にはいかない。王国が王国として、権力を集約していなければならない」
と、肉の塊にフォークを刺して、食べた後、ジートは言った。
「そこで血統を重視することにした。そして生まれたのが近衛兵、魔法学校という二つの柱だ」
まずは近衛兵の話をしよう。とジートの話は続く。
イエリア王国近衛兵とは、君主たる王族や貴族の守るためだけに作られた部隊で、警護・衛兵・戦闘に始まり、国の儀礼や式典でも駆り出されるアイドル的な部隊なのである。
当然のようにイエリア王国で近衛兵になることは至上の誉とされていて、その人気は国の内外問わずあり、名のある貴族やお金持ちが自らの息子を送り込むほどに高かった。だが、お金や権力さえあればなれるというわけではない。
近衛兵は完全実力主義だ!
国王直属ともなれば、永世の歴史に名が残る。
ゆえに、その名誉を求めて他国からも英雄と呼ばれる人が来ることもあった。
王が飾りであれば、近衛兵がそれを際立たせる存在と言えば良いだろうか……?
「近衛兵と言う名誉をエサにして、優秀な人材を徴用することを目的としている。結果として、王や貴族という存在にも泊がつく。そうすることで、イエリア王国は王政という体を保っていられる……のが一点目」
聞いているレティスは、はぁ、へぇとしか言うことが出来なかった。
「が、優秀な人材というものはどこにでもいるものではなく、育てなければ見つからないことも多い。また、王への忠義……とう名の洗脳も必須だ。王はすごい!それを守る近衛兵はかっこいい!というのが、この仕組みを支えるものだからな。そこで魔法学校の登場となる」
「洗脳……ですか……」
少々物騒な表現に、レティスの表情も少し強張る。
「洗脳とは、要は愛着を育てることを言う。誰も姿も見せない支配者などに、敬意など払わないだろう?だが、それが近くにいて、声を掛け合い、挨拶する親しい人間だったらどうだ?いざ戦争となれば、そんな気の良い親父が死んでしまう、レティスならどう動く?」
「それは……助けたいと思いますけど……」
レティスでは盾にすらならないと思うが……。
「魔法学校はそれを学ぶ場でもあるということだ。王都に行けばわかると思うが、イエリア王国魔法学校は中央エリア……つまり王が住まう宮殿のすぐ側に学び舎がある。まずそんな国は世界中を探してもここだけだろう。やろうと思えば、王と話すことも簡単だし、遊ぶことだって、イタズラだってすることが出来るぞ。無論、やり過ぎると首が飛ぶ可能性はあるがな」
「……あはは」
そう言って自慢そうな顔をするジートに、レティスは嫌な不安を覚えた。まさか王様相手に何かしでかしたのではないだろうか?と疑ってしまう。
「といった中で、学校で学ぶことは何も魔法や勉強だけではない。人と人との交流。人格形成や人間関係も重要視している。特に近衛兵というステータスを作ってしまったイエリア王国だからこそ、それを何よりも大切に考えているということだ」
「同じ釜の飯を食うというやつですね」
実際のところ、近衛兵が誉とされる制度は、あくまで大国のパワーバランスをとるために必要なものであり、それ以上でも以下でもないものだ。だが、設立当時は貴族や金持ちの息子ばかりが集まってしまい、そのステータスに甘んじて人を見下すような貴族や卑屈になる市民の姿が見られてしまった。
そこで悩んだ当時の王は次の方針を出した。
第一に、近衛兵の選出をイエリア王国魔法学校の成績上位者、もしくは多数の推薦による実力主義とし、貴族や金持ちの影響力を徹底的に排除した。
第二に、チーム制と呼ばれる制度を導入し子供たちを在学中は皆平等に扱うことにした。これには貴族の権威を盾に、反対する者も多数出たそうだが、王族まで平等とするという王の决意に実行に移されることとなった。
「イエリア王国魔法学校においては、身分といったものが一切排除される。市民から貴族、貧民から金持ち、そういったしがらみはない。むしろ気にしてはいけないという風潮を作っている……というわけなんだ。建前上はな」
「将来社会に出れば、その人の下で働くかもしれないわけですからね」
「そうだ。社会にしがらみがある以上、学校の中でそれを完全になくすことは不可能だ。まぁ、肝心なのはそういったしがらみを面倒に思っていた俺がいたわけで、若いころはいろいろやんちゃをしていた……」
ふっと笑みをこぼすジートにレティスは深く頷いた。
その時の光景が目に浮かぶようだったからだ。
「そしてとうとう、あまりにやんちゃが過ぎて、チームからも教師からも手に負えないと匙を投げられた。特別悪いことをしていたつもりはないのだが……、まぁそんなこんなで魔法学校からの退学処分になるところを……、とある人に拾ってもらった」
「とある人?」
「村で会っただろう?イエリア王国第二王女、リーナ姫だ」
レティスは村で見たリーナ姫の姿を思い出していた。背中までさらりと流れた金色の髪。力強い信念を抱かせる青い瞳。たまご型の顔は美しく、ピンクの清楚なドレスが、まるで絵画に描かれた人のように鮮やかであった。まさに市民が理想とする絵に描いたようなお姫様だ。
「学校にはチーム制と呼ばれる制度がある。これは生徒同士の交流を深めるためのもので、入学試験や教師によって決められるものだが、五名で一チームを組み、学校での寝食を共にする仲間だ」
「ふむふむ」
チーム制についてはそれとなく知っていた。村に住んでいた人たちの友人として、毎年よく足を運んでくれる人達がいたのだ。彼らが来ると村では決まって宴会が行われた。互いに肩を組みながら、酒を飲み、歌をうたう。皆一様に仲が良いので、その姿を見てレティスも羨ましく思ったものである。
「で、俺が入った年に、たまたま同じくリーナ姫も魔法学校に入学していた。平等と言いつつも、相手が王族となればさすがに教師も扱いに困っていたみたいでな。その頃はチームのバランス調整ということで、リーナ姫は入学からずっとどこのチームにも所属していなかったそうだ」
「確かに。下手に貴族をつければ無用な派閥争いになりますし、逆に知らない市民では素性が怪しいですからねぇ」
その辺りの教師たちの苦悩を、レティスはしみじみと感じることが出来た。
「退学になりそうだが学校にいたかった俺。チームを組みたかったが相手がいないリーナ姫。互いの目的が合致して手を組んだ。姫の意向であれば教師も強く阻止出来なくて、チームは案外あっさりと結成された」
「なるほど。それで、ジートさんとリーナ姫が……。それで、あとの3人はすぐに決まったんですか?」
五人一組がチームとなる。寝食を共にするのだ。まさか二人だけということは……、と予想外にもジートは首を横にふる。
「どうしても阻止したかったのだろうなぁ。その時に教師から言われたのが、余分に振り分ける人員がなく、男女二人きりのチームを認めることが出来ないという話だった。今思えば悪手だが、リーナ姫……、この場合はチームで一緒になったリーナだが、これもこれで頑固な性格をしていてな。その言い訳に怒った挙句「だったら、二人でチームを組みます」と啖呵を切ってしまった」
「ああ、意志の強そうな人ですからねぇ」
可愛らしいだけのお姫様ではなかったようだ。
「リーナは綺麗なだけのお姫様じゃなかった。俺と二人きりになっても嫌な顔一つせずに生活をしてくれた。俺も兵士の端くれだと思っていたし、騎士のように誠実に仕えた。まぁ、その頃にはリーナの強い意思を尊敬し始めていたし、生活を守りたいと思っていた。そして、俺は当然のごとくリーナに恋をした」
「あ~」
それはまずいですねと言う言葉をレティスは飲み込んだ。
「それでも相手を好きだと思うと、人間違和感がでるようで。ある日、少し距離をとっていた俺にリーナが詰め寄ってきた」
「それはまずいですね」
今度は口にしてみた。
「一緒に生活するうちに耐性みたいなものが付いたのか、その時の俺はひどく冷静になることが出来た。それでリーナに心の中をそのまま伝えてみた。俺が生まれた村や両親や友達のこと、魔法学校に入って退学になるにまで至った出来事。拾ってくれたリーナへの感謝の気持ち。相手の容姿も褒めたし、心のあり方に尊敬していることも伝えた。長い話だったが、一晩中、二人でいろいろな話をした。俺の人生で幸福で、誇れる時間だったと思う……」
「……」
途中からすこし惚気話のようになってきた気がするが、レティスは黙って聞くことにした。
「俺の恋情には答えることが出来ない。とまぁ、相手は貴族の上の王族だ。叶わぬ恋だと理解している。だけど友情は育むことが出来た。そこからは互いに遠慮して生活をしないという決まりを作った。王族と市民とかのしがらみを本当に捨てて、二人で模範になろうと誓い合った」
「……そうなんですか」
例え叶わないと知りながらも、相手を思うジートは健気にも強く思えた。
だが、現実は非情であり昼夜問わず張りつていた密偵たちが、予想以上に紳士的なジートの行動を賞賛し始めていた頃に事件は起こってしまった。
「まずは手始めにリーナの風呂を覗いてみた」
「何やってるんですか!!!」
立ち上がってツッコミを入れたので、ガチャンと皿が跳ねた。
ジートに対する同情も尊敬の念も吹き飛んだが、どうでもいい。問題なのは、ジートが未だに真剣な表情を崩していないので、これ以上の何かがまだあるのだろうと、レティスはゴクリとツバを飲み込んだ。
「言い訳にしかならないが、可愛い好きな女の子=お風呂覗いてみたいは、まず最初に繋がるものだ。そして、これは俺の作戦でもあった。本来であれば即刻死刑クラスの重罪だが、学生同士ではそうはならない。魔法学校で王族とか市民とかのしがらみをなくす上で、最初に必要な儀式でもあったわけだ。つまりリーナのお仕置きで話が終わることによって、リーナ姫でなく、リーナとして他の人に見てもらうという……深い考えがあったわけだ」
「少しだけ説得力ありますけど、やったことは犯罪ですからね」
分かっていると頷くジートは、苦肉の策であったかのような空気を出している。それが少し苛立たしい。
「それでリーナさんからのお仕置きですんだということですか」
「当然今ここで生きているからな。あの時は剣や装備をちゃんともらって盗賊団のアジトに放り込まれた。30人くらいの少ないところだったからまだまだ余裕もあった」
「リーナ姫も少し……かなりご立腹だったようですね」
きっとジートに裏切られた気持ちと、信じたい気持ちが混在していたのかもしれない。今のレティスの気持ちも同じようなものだ。
「翌朝、相手の返り血で汚れた姿で帰ったところでリーナとばったり会ってな。いろいろと驚いて困惑している隙に、人生初土下座で必死に謝ってみた。やはり友達でいたかったし、怒るのも当然だと理解していた。その時、覗きはもう二度としないと誓った」
「勢いに任せて押し通しましたね」
ちなみにこの時のリーナ姫がジートに下した本当のお仕置きは、盗賊団の拠点を見つけてくるという索敵任務であった。しばらく顔を合わせたくないというものだったのである。
だが、激怒していたのはリーナ姫でなく、見守っていた密偵、その背後にいる人物であったのいうのが真実なのであるが、両人はそのことを全く知らない。
「そこからは互いにやったりやられたりと、イタズラとお仕置きが繰り返された。それが学校の名物風景にもなったわけだが、そのおかげで真の意味で階級とかの差別意識は薄れて、リーナにも友達と呼べる繋がりが出来たんだぞ。あと、俺の名誉のために言えば、リーナだって仕返しといって、俺の風呂を覗いてきたことがあるんだ。あいつも清楚で可愛いだけのお姫様じゃないのさ」
ニヤニヤし始めたジートのこの顔を見ると、リーナ姫の反撃が無駄に終わったのだとよく分かる。
「逆に見せつけて撃退したんですね」
「おう、よく分かったな」
「分かりますよ」
恥ずかしがらずに雷撃魔法で感電地獄をするか、あるいはマッチョの男を突っ込ませたほうがよほど効果あっただろうに……。
「まぁ、いろいろあって学校を卒業して、腐れ縁でリーナの専属兵みたいな感じになった。どんな死地に送り込んでも生きて帰ってくる生命力が評価のポイントだったと、リーナからは説明された」
「そして今も関係は維持されている……ということで、今回は何をしたんですか?」
これでようやくボロボロの旅服で、短刀一本で村に辿り着いた話に戻るのである。
「専属兵になった辺りかな。毎日ってわけじゃないが、俺は日記をつけるようになった。『実録!俺とリーナの日々』というのを細々と書いていたのだが、どうやらそれがバレたみたいだ。そこまでなら良かった話だったが、ちょっと色々なことをイロイロと詳細に書きすぎて、怒らせてしまった」
「近くにおいて信頼を寄せている兵が、赤裸々な私生活を勝手に日記につけていると知ったら怒って当然ですよ」
さすがのレティスもため息しか出ない。
「そのお仕置きでセシル……ああ、まだ話してなかったが、俺にも妹がいる。レティスと同じ年だからあとで紹介してやる。で、ひどいことにそいつの心のこもった手料理……に薬を盛られてな。泡を吹いて気絶している間に、指令書とアノースカードだけで王都の城壁外に放り出されていたらしい。そこで、偶然通りがかった薬師の爺ちゃんに助けられて、紆余曲折を経てなんとかレティスの村へたどり着いたという訳だ」
「……それは大変でした。あと盛られたのは薬じゃなくて毒ですね」
レティスを出迎える顛末は実にジートらしいものだった。旅が終わる今となっては、心の底からジートであってよかったと思えたし、別れが近いと思うと寂しい気持ちがこみ上げてくる。
おそらく、几帳面にも仰々しい騎士が来ていたのでは、今回の旅は戸惑いのままだけで終わっていただろうし、ましてや楽しむことなど出来なかっただろう。
本当に今は……心の底からそう思うことが出来る。
「ジートに出会えて、感謝しています」
「むぅ。照れくさい事言うなぁ」
わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でられたのがジートの照れ隠しだと気がついて、ようやく一本取れたのだとレティスも大いに笑った。