16
慌ただしく人々が働くギルド組合の一室。
急報を受けてアルメニアは部屋を飛び出した。
「現状報告を」
「北エリアの植物魔物化事件によるものと思われます。地下水路にて発生した一体と冒険者が遭遇し、交戦したようです」
「それで」
「はい。魔物の方は討伐されたようですが、その際1名が意識不明の重症。また、2名が魔力枯渇のため寝込んでいます。ほか4名は軽症です」
「追加の手配は?」
「念のためB級冒険者のパーティーにて、全地下水路探索を行っていますが、今のところ発見の報告はありません」
「分かりました。続けてお願いします」
「了解しました。アルメニア氏はこのまま休養を……と組合長よりいただいています」
「……ありがとう。お任せします」
普段無口な同僚に感謝して、アルメニアはギルド組合を飛び出した。
アルメニアの向かった先は、重いケガを負った冒険者が担ぎ込まれる翠鳳院と呼ばれる建物だ。ルーティアより招き入れた魔法医がおり、よほどのケガでない限り、魔法や薬を用いて完治させることが出来る。
速度違反ギリギリで馬車を飛ばし、運転手に軽く礼を言ってアルメニは翠鳳院へと飛び込むように入った。
ギルド組合とはちがう、神秘的な雰囲気が漂うホールで、受付の女性に声をかけ、目的の人物の所在を聞いた。
ホールから延びる通路から、治療中となった扉へ小走りで駆けていく。
アルメニアはその扉の前に座っていた人物に声をかけた。
「レティスさんの容体は?」
廊下に置かれたイスには、ガンテツと叢雲のギルドメンバーの3名が並んで座っていた。
全員が男性で、女性の姿は見えない。
「面目ねぇな。命は無事だといいが……まだ分からん」
項垂れて覇気のないガンテツからは、排水路から漂うような香りがしていた。他の三人も似たり寄ったりで、全員が冒険者服ではなく、患者が着るような簡素の薄着を着ていた。
「状況はお聞きしました。私の責任でもあります」
本来であれば、魔物のような討伐任務はCランク以上である。未知のものとなればランクもあがり、今回のようなケースであればBランクになるだろう。
突発的な事故で予想が出来なかったとしても、依頼をだしたアルメニアの責任は大きい。
「あなたがいなければ、全滅もありえたんですから」
ガンテツがいてくれて、本当に良かったと思っている。
「俺だけじゃねぇ。全員が根性据えて戦った。撤退の判断が遅れた責任は俺にある」
「いや、親父さんは悪くねー。あの時は誰も逃げれなかった」
「しょうがなかったっす」
「……心慌意乱」
アルメニアは心を落ち着かせるように、彼らから話を聞いた。
………………
…………
……
「レティスーーーーーーー!!!」
叫び暴れるセシルが、自らの刀で足首を掴む魔物の触手を切り落とした。
汚泥で汚れることもかまわず、なりふり構わず切り込もうとする。
「むやみにいくなっ!」
ガンテツが横に入り、セシルに向かって振り下ろされた触手を根本から受け止めた。
気がついたセシルも距離をとり、体を揺らす魔物を見据えた。
「でも、レティスがっ!レティス!」
「ちょっと少し落ち着きなさい」
冷静さを失ったセシルをウロイティルが羽交い締めにし、動きを制した。
救出は最優先であるが、血反吐を吐くガンテツを見れば分かるだろう。腐っても魔物と呼ばれる巨大生物、直情的な攻めは命に関わるのだ。
「俺と親父さんで尻尾にあたる触手をまずは片付ける。援護してくれ!」
ギリが冷静に叫び、連携がたてなおされた。
が、これまで動きが少なかった魔物が、ヘビのような胴体を左右に振って苦しそうに暴れだした。
「レティスがまだ生きてる!?」
セシルの嬉々とした叫びとは裏腹に、メンバーの顔色はすぐれない。
相手が大きいということは、それだけ攻撃力があるということなのだ。
おそらく、レティスが魔物の内から攻撃してくれているが、それが皮肉にも魔物を不規則に暴れさせることになり、近寄ることができなくなってしまったのだ。
「こいつはまずいことになったな……」
焦りと苦悶の表情を浮かべるガンテツがそう呟いたときだった。その時、それは起こった。
突然ビクリと動きを止めた魔物、その内部から小さな爆発とともに炎が吹き上がったのだ。しかしそれはそれだけで終わらず、口元を締めるように閉じた魔物の体が次第に膨れ上がり、次の瞬間爆発した!
ボンッ!!
爆風に転がる面々。飛び散る汚泥。魔物の破片。
小さな火種が、魔物の中で大きな爆発を呼んだ結果だった。
糞尿における発酵において生産されるメタンガスが、魔物の体内で引火したのだろう。
凄まじい悪臭と焦げた臭いが瞬く間に場を充満した。
脳と呼ばれる部分があるかは不明だが、核となる何かが破壊されたのだろう……。内部が半ば引き裂かれるように倒れた魔物は、鈍重な動きを次第に弱めていった。
助け出されたレティスは、炎と爆発と魔物の体液にまみれ、誰もが絶望するような姿だった。
逃げるようにホールを後に、汚れを洗い流し、セシルとウロイティルの拙い水治療魔法で何とか小康状態まで復帰した。倒れた三名をガンテツとギリとセンスで地上まで運び、近くの幌馬車に応援を頼んでここへ駆け込んできたそうだ。
「それで、レティスさんは爆発に巻き込まれたと……」
「どうやら魔鉱石をナイフで貫いたらしいな。おそらく……自爆攻撃だろう……」
仮にレティスがなにもしなかったとしたら、彼は死んでいただろうとガンテツは考えていた。単純に窒息死だ。レティスを傷つけずに魔物を倒して救出するには、時間も戦力も足りなかった。
「大丈夫です。ここまで生きて返ってきたなら、必ず回復します」
「まぁ、そうだな」
アルメニアもガンテツも、叢雲のメンバーも絶望していない。それは、ここが翠鳳院だからである。水魔法に特化したルーティア人の魔法医療技術は高く、手足欠損から半死圧損レベルでも問題ない。ある程度生きていれば完治が可能なのである。
アルメニアはここが王都でよかったと、心から神に感謝を捧げ、涙を静かに流した……。
その頃、扉を隔てた場所にレティスは横たわっていた。
「(あれ……ここは……?)」
レティスが意識を取り戻したとき、初めに思ったのは死んだということだった。宙に浮いているような感覚で、体を透明な水が覆っていた。そう、水の中にいる。なぜだか分からないけど苦しくはない……。肺の中まで水が入り込んでいて、とても不思議な夢の中のようだった。
側には白い服を着た人が一人立っていた。青い髪に青い瞳をした、聖母のような優しげな顔をした女性……。その出で立ちは古の天使の姿に姿によく似ている。曲線を描いた何かの輪郭が、水越しに揺らめいて見えていた。これは何かの装置なのだろうか……。
「キークスルトルテ デオリヨ サクションニ シリミヌスエオーリエ」
ぼんやりとしてレティスの耳に、歌うような綺麗な呪文が響いた。
そんな呪文に反応するように、レティスの周りを、見たこともない、不思議な青く光る文字列が取り囲み始め、横に、縦にと数を増やして、鳥かごのようにレティスを包んでいく……。文字で出来た線が増えるたびに、優しく体を愛撫されているように、熱を帯びて行くのが分かった。とても……気持ちがいい……。温かい………………。
目を閉じて、再び開けると、そこは自分の部屋だった。
白い壁に木目の床。ベットとテーブルとイスしか無い簡素な部屋である。
「あれ……?」
声を出してみても部屋には一人……。自分は長い夢でも見ていたのだろうか……と思うほど、眠っていた気がする。部屋は薄暗く、日が落ちてしまったくらいの時間だった。
「セシルと鍛錬してたんだっけ……?うーん」
記憶が曖昧だった。朝の鍛錬は覚えているのだが、その後を覚えていない。なんだかんだと眠ってしまったのだろうか?貴重な一日を何もせずに、お昼寝としゃれ込み、現在に至る……?どうも違うようなそうでもないような……。レティスはベットからのそりとはいだした。
体は五体満足だ。しっかり動く。そういえば、昨日付けられたはずの、腕についていた鞭の跡がきえていることに気が付いた。上着を脱いで背中を確認。どうやらここも無くなっているようだ……。一日寝ていたから治ってしまったのだろうか?それはそれでどうでもいいけど……。
部屋を出て、階段を降りていく。
「よう。目が覚めたか?」
階段とリズムよく降りて行く時、そんな声がかかりレティスは居間を見下ろした。
ソファーに腰掛け、リラックスした様子の銀髪碧眼の男が軽く手をあげていた。
「ジート!帰ってきたんだ」
喜びに声を張り上げて駆け寄ると、本物のジートがソファーにくつろいで座っていた。
白いコップに何やら香りの良い黒い飲み物を飲んでいる。
二人は近寄ると軽く拳をコツンと合わせた。笑顔で顔を見合わせて、レティスは反対側のソファーに座った。
「久しぶりだ。レティス」
「何日ぶりだろう?よく寝込んでいた気がしてよくわからないんだけど……」
「本当にな……大体寝てたぞ?」
「……笑うこと無いのに」
ジートの優しげな笑みに、気恥ずかさで首を竦めた。
「まぁ、悪かった。ベルトにある鉱山に飛竜が住み着いたとかで、ちょっとそれの討伐をしてきたんだ。断っておくが……、別にセシルの料理から逃げたわけじゃないぞ?」
「……やっぱり知ってたんだ?」
「お前がどう答えるか、本音で言えば楽しみにしていた」
「いろいろあって、ちゃんと伝えて現在教育中ですよ」
「ふふ。本当になぁ。兄としては複雑だが……、だがレティスよ。もうすこし強くならないと妹は嫁にやれんぞ?」
「何を言ってるんですか。あなたは……」
レティスとセシルは、男女の関係どころか一緒にお風呂に入る子供レベルの友人関係を築いているのである。レティスはセシルの事を好きだが、これといって恋愛感情のようなものを感じたことはない。可愛い弟ができて嬉しい姉という感情はあるようだが……。
「愛したものを守る。男としてはわかるが、今回のような自爆攻撃では意味が無いぞ?」
「えっ!?」
驚いたのはレティスであるが、ジートの表情は真剣で笑っていない。
「やはり……記憶を失ったか」
「……あの……何かあったんですか?」
「ふむ。あった」
ジートは一度飲み物に軽く口をつけて、レティスにも同じものを用意してくれた。
「俺がここに急いで戻ってきたのは、お前が魔物討伐の際に瀕死の重傷を負ったと知らせを受けたからだ」
「魔物ですか?」
記憶が無いレティスにとっては、まさしく寝耳に水といった話である。
「俺も詳しくは知らんが、ギルドに入ったそうだな?」
「あ、はい。なし崩し的に……」
「その任務で地下水路の配管調査という依頼があったそうだ。そこで植物型の魔物に襲われ……魔物に掴まったセシルを助けようとして……お前は食われた。魔物にな」
「……なるほど」
食われて生きているとは中々に運がいい。口から入って出てきたのがお尻じゃないことを祈ろう……。
「食われたお前は魔物の体内で暴れ、ナイフで魔鉱石を貫き、腕と一緒に魔物を腹の中からふっ飛ばした……生きていたのは、セシルとウロイティル殿が生命を賭して治療した結果だ。……信じられるか?」
「……信じます」
ジートの声にも、表情にも、いつもの優しげな感情は含まれておらず無機質的だった。
記憶が無いのは確かで、レティスは全く身に覚えがない。が、何か重要なことがあったという感覚だけは体に残っていた。
「お前は翠鳳院で治療を受けて、ここで二日ほど寝てた。体の損傷が激しい場合、治癒には記憶の巻き戻しが起こることがある。今回は、それほどひどいケガを負ったということだ。まぁ、その時の激痛を忘れることが出来て悪いことばかりでもないが……」
「ジートさんもご経験が?」
「ああ。もちろんだ。記憶にないから嘘みたいに思えてしまう。なまじ周りだけはしっかり覚えているから、互いに感情のズレに悩むこともあるだろう。セシルも心配していたぞ……。しっかり受け止めてやれ」
「それは、もちろんですが……」
ジートがチラリと庭を見ると、セシルともう一人……見覚えがある女性が歩いてくるところだった。
「俺は少し席を外させてもらう。また後でな」
「あ。はい」
キョトンとするレティスを残して、ジートは奥の部屋に行ってしまった。
庭の芝を見るのも……朝方の鍛錬ぶりなので、それほど懐かしくもないが、セシルの顔は久しぶりのような気がした。
走るように駆け寄ってくる。その顔は心の内から心配した……そんな感情が伝わってくる。
「レティス。良かった。生きてて良かった!」
こうして彼女と触れ合うのは、料理の一件以来だろうか。
あの時はどうしていいか分からず、ただそこにいることしか出来なかったけれど。
「セシル。ありがとう」
そんな彼女を笑って受け止めることが出来る程度に、レティスもまた成長していた……。