15
闇に溶けこむよう感覚だった。
ただ真っ直ぐに延びる長い地下水路を歩いて、どれくらいがたっただろうか。
いつの間にか会話も途絶え、タダひたすら足を進めていく……。
道を進むにつれて、地下水路の水も汚れを徐々に増し、いまは茶色のヘドロのようなものが泡を吹きながらゆっくりと流れていくようになっていた。
最初の異変に気がついたのは、レティスとガンテツだった。
レティスは野生の勘で、嫌なものがあると感じだ。
ガンテツは長年の勘で、明らかにいつもと違うと感じた。
「ガンテツさん、すいません……この先って何があるんですか?」
「……中央エリアと北エリアだな。だが……、少し妙だな」
一同は足を止めた。暗いトンネルの中、ガンテツが水路を見つめる。
「この茶色はウンコだけじゃねぇ。何かが混ざってやがる……」
「臭いが……少し発酵した腐葉土に似ている気がします」
「……そうなのか?」
「私は魔法でパース」
「俺も魔法でー」
「俺もっすー」
「……四面楚歌」
魔法組の裏切りに、レティスとホワインルーガーの仲間レベルが上がった。
まぁ自身の呼吸を守りつつ、風魔法を維持するのはそれなりに難しいらしい。いざとなれば助けてもらえると思うが、死なないならばそのままで……と放置されているのである。
「うーむ。俺もここまでのものは経験したことがない。単に排水管が破損しただけとは思えないが……」
「ぼくの感覚で言えば、これは近寄ってはいけない気配がします」
森の中で暮らしてきて鍛えてきた危機への回避能力。
弱者であるがゆえ研ぎ澄まされた感覚が、明確な危険を告げていた……。
「って言ってもよー?早いとこ修理するなら修理してさっさと外でたいぜ」
「わたしも~出るならお風呂に入るから、戻ってきたくない~」
「それならほかの人に任せていいと思うっす」
「……他力本願」
任務の途中放棄になるが、この場合の判断はしっかりとすべきである。
「少なくとも原因が何なのか、調べておくべきではないだろうか?」
セシルの鶴の一声で、方針は決まった。
レティスは不安からか、落ち着きを失った。
「セシル……この感覚は魔物だ。魔物の気配がする」
「どこから魔物がはいるんだ?この地下水路へ」
「それは……分からないけど……」
縋り付くような決死な抗議もセシルに届かなかった。
ガンテツも原因が気になるのであろう、進むつもりのようだ。
「こんな汚泥と水しか無い所を根城にする魔物なんていやしねーから安心しろ」
ズカズカと歩いて行くが、レティスの足取りは重くなる一方だった。
フラッシュバックのように、何かの記憶が脳裏をかすめる。
あれは……あれは……。何時だっただろうか……。
「大丈夫か?レティス?」
「ごめん。セシル……やっぱ嫌な予感がするんだ」
「少し汗がすごいな。水を飲むか?」
「……ありがとう」
水魔法に風魔法。セシルも若干だが疲れている気がする。
食料もなく、ここに入ってから約三時間といったところだろうか?
これまでは灰色のトンネルだったところから、黄土色の城壁にぶち当たった。
だがよく見ると城壁とは少し違うようで、向こう側に向かって丸みを帯びている……。
「ここからは中央エリアの領域だ。防犯のため、素材が城壁と同じものが使われている。まぁ、排水管とかは殆ど変わらねーがな」
ガンテツが黄土色のレンガで作られた、アーチ型のトンネルの中へ入ろうとする。
その瞬間、レティスの背筋に悪寒が通った。この先に何かがいる、確信ともいうべき気配だった。気がつけば、全身の毛が逆立っていた……。
「ガンテツさんちょっと待ってください!」
悲鳴のような声に、全員が足を止めて振り返る。今、ここで言わないと後悔する……そんな確かな予感がする。レティスは決死の覚悟で懇願した。
「臆病かもしれませんが、この先に何かがいます。せめて行くなら武器を、用意していきましょう。お願いします……」
それはプレッシャーだった。この先にいる何かの、プレッシャーだ。
レティスの全身からは汗が吹き出していた。皆の視線にも不安が混じるほどの……。
別に怖がらせたい訳ではない。仮に武器を持っていって、何も無いなら自分が笑いものになればいいだけの話である。力が無いからこそ、彼らを守る力が無いからこそ、出来ることは、恥でもいい、今は信じて欲しい……。
「レティスがここまで言うならば……やはり何かいるのではないでしょうか?」
セシルの顔つきがかわり、剣気を帯びた。熟練冒険者のような、研ぎ澄まされた気迫だ。
ガンテツは息を呑み、そして軽く吐いた。
「たしかにな……だが武器はどうする?」
ここは地下水路である。持っているのは土木に使うものだけだ。
「それなら問題ないんじゃない?」
「ふふ。我ら冒険者!いつ如何なる時も戦う準備は出来る!」
「俺のは数限りあるっすけどね」
「……合従連衡」
ホワインルーガーが四天王の補修用粘土をかき集めた。
何をするかと思えば、それぞれ武器を作るらしい。
ウロイティルには少し大ぶりの短刀二つ。
ギリにはロングソード。
センスには小刀10連。
自分用には鈍重なトンカチだ。
「土魔法で石の武器とは……強度もまぁまぁでいいじゃねーか。おまえら」
ガンテツも感心するほどの手際で、急造の武器が完成した。
ガンテツは大ぶりの両手斧だ。素材が少々足りず、トンネルの壁を少し崩して作った。
セシルは軽めの小刀だ。彼女はこれに水魔法で補強をするらしい。
レティスはナイフにした。振り回すほどの力はないが、相手に突き立てるならば扱いやすい。
武器が行き渡ったところで、簡単なフォーメーションを確認。
この段階なると、誰もがレティスを疑ってはいなかった。
「うヴぉヴぉヴぉおおおお」
変なうなり声が聞こえていたからね!
なんだろう。口に腕を押し当てて、息を出したような間抜けな音を増幅させた感じ。
「先頭は俺、ギリとウロイティル。中はセンス、ホワインルーガー、最後は子供二人だ。いいな?」
ガンテツの指示に皆うなずいた。
誰よりも足手まといであることが悔しいが、今は自分に出来ることを見極めるべきなのだ。
レティスは貧弱だが、危機察知能力が高い。それを利用して、相手の弱点を分析すること……それが今回のチームワークだ。護衛にはセシルについてもらった。レティスとしても、セシルを前線から離してもらえて、ちょっと安堵していたりもする。
先頭をギリにして、黄土色に包まれた通路を進んでいく。
辺りを照らすのは、額に光る魔鉱石の明かりだけだ。
薄暗いトンネルの奥……何者かの唸り声……その正体を確かめるべく……。
小さな声で、ガンテツが言った。
「中央エリアの中央には、小さな広場のようなホールがある。おそらく何かがいるとすればそこだ。中に入り次第、状況を判断して風魔法と炎魔法で俺が視界を確保する。各自、戦闘準備だ」
「「「「「「はいっ」」」」」」
みんなの士気が一致した、その時だった……。
「――なにか来ますっ!」
レティスの声に、ぎょっと身をすくませたのはギリだった。
目視では分かりにくい、薄暗い水路の奥から、紫色をした何かがベトリと体に張り付き、体が引きずり込まれたのだ!
「うぉおおおおぉぉぉぉ……………………」
「「「ギリっ!」さん」ー」
「敵か!」
「うろたえず状況判断を!」
「……死中求活」
叫び声を上げたギリが通路の奥へと消えた。
セシルの声に、レティスは平静を取り戻す。一部始終を報告した。
「先端に紫色の突起が付いた蔦でした」
「くそぅ。本当に魔物か!」
ガンテツの声もやや荒い。
「早く助けに行かないと」
「そうっす。ギリが!」
「……闘志満満」
「分かったから、落ち着け!てめーら!俺の後について来い!」
乱暴に言うが早いか、皆が走りだす。
拐われたギリの安否が、恐怖を凌駕していた。
しばらくして広いホールのような場所に踊りでた。
頼りない鉱石の照明で照らしだされた世界は、視界が限られている。天井は高く、周囲も広く見通せない。ホールを漂う不快な臭気は、汚物に空気を送り込んで撹拌したように、呼吸すら苦しい空間だった。
だが、その中央に何かが蠢いていることだけは、体が引きつるような悪寒で、皆が理解した。
ガンテツがホールへ飛び込み、叫ぶように呪文を唱えた。
後から続いたウロイティルも、指示を待つまでもなく後に続いた。
「風よ、我が身を守る盾となり、一切を吹きとばせ。ウインドドルゾルテ」
「光よ、天を遍く照らし、我らの恵みとなれ。サンリニーヌ」
ガンテツからは暴風のような風が巻き起こり、周囲の空気を四方八方へ押し出していく。ガンテツの魔法で空気が浄化され、息が吸える程度になった。続いたウロイティルの魔法炎弾が天井にいくつも張り付き、煌々とした光となってホールを明るく照らしだした。
「ほぅ、やるじゃねーか!」
「炎魔法は得意なんですよ!」
ニヤリとガンテツ。フンと胸を逸らすウロイティル。
極力光のみを発する炎弾である。あれならば引火の可能性は低そうだ。
しかし、光で照らしだされた空間で……レティスたちが見たものは……。
これまでの全て無に帰すような凄惨な光景だった。
「ギ、ギリーーーーーー!」ウロイティルが思わず叫んだ。
「そんなああああぁ、間に合わなかったああああ!」センスが発狂した。
「……ボッフォ」ホワインルーガーが吠えた。
「ギリさーーーん」レティスも叫んでいた。
「こいつはひどいな」セシルは苦悶に顔を歪めた。
「こいつはひでぇな」ガンテツもそれを見て小さく言葉を吐いた……。
皆が見据える先に……、彼は生きていた!
「おいいいいいいい、お前ら!見てないでたすけろよおおおおおお」
茶色にまみれたギリが、大きな蔦に足を取られてぶら下がっていた。
その様相は臭い。ひたすら臭い。肥溜めにヘッドスライディングをすればああなる。そんな恰好だ。うん、すでに手遅れだった。これは、助けようがない……。ウンコだけに。
「あはは、超やばいんですけど。笑いがでちゃうんですけど」
「こいつは臭いっす。手遅れだったっす」
「……ボッフォ」
「笑うなんて可哀想じゃないですか!!!」
三バカを咎めつつも、レティスも笑っていた。ホワインルーガーが最初から地面を叩くほど大爆笑していて、ついつい釣られて笑ってしまっただけだ。
「お前たち!人の不幸を笑うとは何事か!」
セシルは真剣に怒っているが、かといって真っ先に助けに向かおうとはしていない。
「植物型の魔物か……蔦に引きずられてああなったんだろうな……可哀想に」
「見てないで助けろォォ」と叫ぶギリを無視して、状況を確認していく。
彼は今、体長3メートル横幅2メートルはあろうかという、巨大な茶色と緑の体をした、植物のような何かの蔦に足を取られてぶら下がっている状態だ。その姿は思わず皆が距離を取るほどで、茶色という表現で優しく誤魔化してはいるが、有り体に言えばウンコにまみれており、すでに手遅れだった。自慢の皮レザーや服の中もウンコまみれだろう。
ウンコウンコと煩いかもしれないが、現場はウンコの小プールの中に、植物型の何か……この際はもう魔物でいいだろう。レティス命名通称ウヴォーが存在している。そういった構図なのだ。
「排水管を壊して、自身の養分にしているようだな……」
ガンテツの言葉通り、ドクドクと流れ出ている汚物がウヴォーの主食のようだった。蛇のように延びる胴体で汚物をせき止め、ウンコハーレムを、このホールに築いていたようだ。
少しして戻ってくる臭気は言葉にすることが出来ない……。
レティスはセシルに懇願していた。
「セシルさん。情けを……掛けてはくれないだろうか……」
「ギリが助けだせたら考えよう」
それぞれが己の使命と立場を思い出したところで、戦いは始まった。
ウヴォーには目という感覚はないが、音には反応するらしく闇雲に触手を振るってきた。と言ってもそれらは動きこそ早いものの単発であり、一回動くとかなりの時間のインターバルが必要みたいだった。触手の数は全部で6本ほどだろうか……1本は哀れな生け贄をぶら下げたまま動いていない。
ガンテツが斧を振るい、伸びてきた触手をぶった切った。根本から離れた触手は、きられた後もウネウネと動いて気持ちが悪い。先端の紫色の部分は粘りを帯びた粘液になっているようなので、注意が必要そうだ。
「早いとこ助けてあげるっすよー」
センスが触手の攻撃を器用に掻い潜り、天井にぶら下がるような立体的な体勢から、ギリを掴んでいた触手の細い部分を切り裂いた。
ベチャ……ウンコの小プールに落下したギリが、滑るように逃げ出し、仲間もそれから逃げるように距離を取った。
「ひどい目にあった……」
誰も出迎えてくれず半泣きのギリに、セシルが容赦なく水鉄砲をぶつけ、汚物を洗浄した。
「戦いはまだ終わってないぞ!」
冷たい物言いと冷水に、ギリがついに涙を流していたが、現状は彼にかまってばかりはいられない。
「ウインドドルゾルテ!」
二度目の風魔法による換気。ガンテツの表情も厳しくなる。
「俺も魔力をだいぶ使った。後一度の攻撃でダメなら、全員で離脱するぞ!」
ガンテツの言葉に皆で頷く。
両手に大ぶりの短刀を構えたウロイティルが言った。
「ねーねー。あいつの食事って排水管からでるウンコなんでしょ?あれ一度止めない?臭いし」
ガンテツとホワインルーガーがそれに頷く。
「いいあんかもしれなーな」
「……任務遂行」
陽動で動いたガンテツに触手がうねる。
ホワインルーガーがドッスドッスと駆け抜けて反対側にたどり着き、排水管の一部を土魔法でせき止めた。
どくどくと流れていた汚水が止まり、魔物のウヴォーが妙な雄叫びを上げた。
「おいおい、なんか怒ってねーか?」
「やばいっすね。ステージが上がったス」
「一度距離をとれ!」
前衛に立っていたガンテツとギリ、センスが少し下がり、取り囲むように互いに睨み合った。
レティス達はウヴォーを勘違いしていたようだ。今まで、とぐろを巻いて根だと思っていたヘビの胴体のような太い部分が、実はそちらが顔だったようだ。汚泥の中から持ち上げられたその部分には、生物的な目こそ無いものの、植物らしからぬ牙と真っ赤な口が開いて見えた。
「ウヴォオオオオオオ」
なんという咆哮、なんという臭い!
レティス達がおもわず後ろに下がるほどの、威圧と臭いがホールに充満した。
「ウインドドルゾルテ!。やばいな引火性のガスが息に含まれてやがる」
素早く周囲を換気したガンテツが、撤退を叫んだ!
が、
「あっ……」
逃げ出そうとした面々に一斉に触手が襲いかかり、逃げ遅れたレティスをかばってセシルの細い足首に紫の蔦が絡みついてしまった。
驚愕する表情で、セシルが釣り上げられる。
まるで小魚の踊り食いのように、赤い口を開いている魔物の姿がレティスの目に写った。
「セシルうううううう!!!」
レティスは一直線に魔物ヘ突進していた。何も考えていない。ただひたすらセシルを助けなければと動いた結果だ。自身を止める叫び声と、触手の暴風が耳元で聞こえたが、それすらも置き去るようにレティスは走った。
「ガッ!?」
その次の瞬間、肺の息が強制的に押し出されるほどの衝撃がレティス脇腹を襲っていた。
紫の粘液が付いた触手。その強烈な一撃が、小さなレティスを撃ちぬいたのだ。
本来であれば吹き飛ばされるほどの衝撃であるが、粘着性のある触手は素早い動きでそのままレティスを絡めとり、小さなコバエを捉えたかのごとく乱暴に振り回して、自身の頭上に持ち上げていた。
「レティスー!」
叫ぶセシルの顔が横にあった。伸ばそうとした手は、届かなかった。
どちらを食べるか……小さな方からが良いだろう。
バクン。大きな口に投げ入れられた。全身を襲う圧迫感は、生々しく、息を止めているのに鼻から悪臭が入り込んでくるようだった。
このままではセシルも!
頭の中にあるのはセシルを助けることだけだった。誰かを失いたくない。守りたいのだ。小さな自分だからこそ、それを何より渇望している。
僕は守るのだ。握っていたナイフを魔物の喉元に闇雲に突き刺した。
出来ることを最期まで。これで魔物が怯んでくれたそれでいい。
息が……。限界に近いが、外の状況は分からない。
きっと、魔物は自分の攻撃に少しは怯んだだろう。
ガンテツや叢雲のメンバーなら、セシルを無事に助けだして、逃げてくれたはずだ。
「僕以外、誰一人襲わせてやるものかあああああああああ」
その行動は限界を超えた先にあった。
何もかも闇に飲まれた空間で、レティスは額の魔鉱石を握りしめていた。
硬く握りしめた鉱石を、手もろとも突き刺す
『強い衝撃を受けると火を吹くことがある』
自身の手から吹き上がった炎が、またたく間に空間を押し広げ、レティスの意識は光の渦に飲み込まれた………………。