10
「もう無理ー」
「まだ言葉が出てるうちは大丈夫だ!馬鹿者!」
筋肉という筋肉が、乳酸を溜め込んでうまく動かない。
全身に広がる体は、一度倒れてしまうと重さを増して持ち上がらない。
「体力が無さ過ぎる。まるで鍛えられていないじゃないか」
無様に倒れ伏したレティスが顔を起こすと、腕を組む用に怒り顔のセシルが見下ろしていた。
場所は寝っ転がると気持ちが良い、家の芝生の上。
「休むな!そのまま腕立てー」
「うぅー」
レティスはセシルに特訓を受けていた。スパルタ方式で。
現在の運動量を簡単に説明すると、尻を叩かれながら5kmマラソン後、休むまもなく腕立て、腹筋、背筋、スクワットを200回づつ……やろうとしているところだ。
「私と同じメニューだろう」
「うー」
レティスは唸ることしか出来ない。悔しい。女の子……セシルも同じように走って、同じように横にいる。彼女は早々とノルマをこなした。
男としてはこれほど悔しいこともないが、根性で体は動くようなものではない。
頭を無にして、苦しいとかを境地に追い込めば……まだ……。
「寝るな」
「おおふ」
セシルにのしかかかられ、肺から息が漏れでた。
どうやら背中に座られたらしい。
おかしい。自分は今、腕立てができていたのに……。夢のなかで……。
獲物を見つけた肉食動物がごとく、爛々とした瞳のセシルが言った。
「ふん。運動になると本当に情けない……。が、強い男になるぞ大作戦!私も協力してやるからありがたく思え。いいな、レティス!」
「……イジメっこ」
レティスは小さく呻いた。
セシルがこうなってしまったのは、昨日の話に遡る。
意気揚々と道に迷う事無くレティスは帰宅した。
手には南橋で手にいれたプロムと白色記憶結晶。心はホクホクで今日は良い日だった。
早速自室に飾ろうと、玄関を開けた時だった。
修羅……と見紛う、セシルの姿を確認し、考えるまでもなく脱兎のごとく逃げ出したが、遅かった。
下からすくい上げるような打撃に体が中を舞い、間に横に吹き飛ばされ、背中に落ちる鈍重なダメ押し。綺麗な三連コンボでレティスは家の芝生に倒れこんだ。
「おかえり。レティス」
底冷えする冷徹な声に、半気絶の状態で猫のように首元をつままれ、レティスは家の中に連れ込まれた。
レティスは冷たい床の上に正座させられた。
セシルは足を組んで、レティスを見下ろしている。
彼女が怒っていたのは、テーブルの上に置かれたジートの手紙だった。
「この手紙に申し開きはあるか?」
自分のした行為について,その正当さや,そうせざるを得なかった理由などについて述べること。俗に弁明の機会が与えられた。
ひな鳥作戦!確かにあれは同情を利用するひどい作戦だった。
「セシルがすっかり騙されてくれてちょっと可愛かったです」
「……ッ!ほうううう」
照れか怒りか……とりあえず手は飛んでこなかった。
自らの身体を抑えこむように身悶えし、プルプル震えているが、耐えたようだ。
こういう謝罪の場面では、質問に対して素早く答えなければならない。
例え本来は言い難いことであったとしても、今、相手が求めている答えは真実であり、間が空いた上での答えは、全て自己保身との釣り合いを考えた上での答えとなる。
即思即答。それこそが誠意を示す方法なのである。
「……私の心を弄んで楽しいか?レティス」
「怒るセシルに無視されるよりもよほど良いです」
こういう謝罪の場合は、相手から見てこちらの顔が見えるように配慮するほうがいい。
相手から完全に見えなくなると、ほくそ笑んでいるのでは?と勘違いされるからだ。
次に相手の反応は気になるけど、反省していますよという意思表示。
レティスは、下げていた目を少し上げてセシルと視線をあわせ、すぐ下げた。
この場合、決して相手の瞳を見続けてはいけない。相手に同意を求める場面ではなく、許しを乞う場面だからだ。良かれと思っての失敗ならば、相手の瞳を見続けるのは有効なので、うまく使い分けをしていこう。
「怒られているのに、何やら嬉しそうじゃないか?」
「実は全く反省しておりません……」
「……なるほど」
レティスからすれば無視をするセシルと仲直りするための演技だった。
半ばジートがいなくなり気持ちが沈んだのも事実であり、それが重なったに過ぎない。
何より無視されていないことが嬉しい。
セシルの最後の声色はやさしかったが……両者の間に続く沈黙……。
視線の端に映るセシルはピクリとも動かない。
少し気になり、視線をセシルの青い瞳にあわせてしまった。
心の内側から冷や汗が湧き上がるような……、そんな微笑を浮かべていた。細められた瞳は、極限まで研ぎ澄まされた刃のようだった……。
「君を手折るのは容易いが、タダではつまらない。君が一番嫌がることをしてやりたいが、是非とも教えてくれないか?」
「………………………………ごめんなさい」
「ああ、謝る必要はない。悪いと思っていないのだろう」
「今思いました。心の底から」
「君の復帰祝にと……、料理も作ったのだが……」
「あ、お腹すいてたんだ。ずっと楽しみにして……た」
明るい話題で誤魔化そうとしたがダメそうだった。すぐさま額を下げる。
今、セシルの体の周囲には水の線が宙を漂い始めていた。
魔力は感情で制御され、魔法となってこの世界に初めて具現化する。
持続して体の周囲に魔法を維持するのは難しく、それ相応の魔力が必要となる芸当である。
セシルが足の甲で打った一口大の水玉が、無抵抗のレティスに当たる。
ポチュン。ポチュン。ポチュン……。服が少しずつ濡れていく……。
「そうだ。レティス。背中を洗ってあげよう」
「へッ!」
レティスは全身の肌が毛羽立ち、セシルを凝視した。
驚愕にフラッシュバックしたのは、脳内を駆け巡る、世界という記憶……。
「……っ」
あの時感じた恐怖は、忘れたはずの恐怖は、確かにレティスの心と体に刻み込まれていた。
遮二無二逃げ出すが、足がもつれてころんだ。
「足がッ!!?」
足が水の塊で結合されていた。まるで足枷だ。そんな器用な真似を!!?
「そうか、嫌か?私に背中を洗われることが?」
「おかしいです。セシル。正気に戻ってください。お願いします。お願いします」
「はっはぁ、なるほど。……じゃあ行こうか?」
「ぴぎゃあああああああ」
二度目も普通に一緒にお風呂に入った。一度あったら二度も同じなのだろうか?
しかも、ご丁寧に全身をくまなく……やられた。
あまりの恐怖で一回気絶したあとは、セシルも優しくなってくれた気がする。
わりと真剣にトラウマになってしまっていて……それが少しショックだった。
その後、少し互いに落ち着いて、夕食を二人で食べることになった。
それが……さらなる苦難へと続くとは知らず…………。
「わぁ、こんな料理初めて」
「今日初めて作ってみた料理だ。食べてみてくれ!」
セシルは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だった。
お風呂の一件で溜飲が下がったようで、気持ちを切り替えてくれたらしい。
こうして後を引かない性格は、彼女の良い所の一つである。
ジートからも聞いていたように、セシルは憧れであるリーナ姫を目指して料理を修行中だ。
本人としては元々料理が好きだったそうだが、小さな頃からジートが食事を用意してくれていたらしく、ようやく最近になって覚え始めたそうだ。
なので、腕はまだまだだということだが、レティスが倒れている時に食べていた看病食は美味しかったように思う。
そんな彼女の最近のお気に入りは独自に考えた創作料理らしく、ちょくちょく兄に食べさせていたらしい。
「……少し見た目変わってるね」
「うーん。そのあたりは練習中だ。食べてみてくれ。感想が聞きたい」
紫色のタレがかけられた魚の煮付け。
少し黒く焦げた野菜と肉の炒め物。
表面がふやけたように見える鳥の唐揚げ。
新鮮な野菜サラダは普通。
だが、それに添えられた生肉には、独特の臭いがするスパイスがかけられていた。
どれもレティスが初めて見る料理と言っていいだろう。
「紫の魚から……」
煮付けを噛んだ瞬間に伝わる、ぶりんという食感。
一瞬、生!と思ったが、噛み千切ろうとすると中からドロリとした汁のような何かが、口の中に溢れて、零れそうになった。……鼻から抜ける独特の匂い、何も無い胃がひっくり返りそうになる。
最初の一口は何とか胃に収めたが……これは……なんだろうか……。
「レイディフィッシュをドロンに漬け込んで、それを煮込んだ。健康に良いように、紫芋をベースにタレを改良してみた」
「へ。へぇー」
レイディフィッシュとは、河川に住む高級魚だ。横に平べったい形をしており、少なくともこの地方では見られない珍品にあたる。
まだ紫色をしたタレなら……食べられなくもない。
魚は未知である。味覚が破壊されたように舌がピリピリする。毒でもあったか……?
少々レティスには厳しい料理のようだ。
「野菜と肉の炒め物……」
なぜだろう。食べる前からザラリとした感触が、箸越しに伝わってくる……。
食べた瞬間、甘いシロップを口に放り込んだような、底が抜けた甘さと野菜の苦味が口の中を蹂躙した。
「野菜が甘くなるように、リーミッツを入れてみた」
リーミッツ。ウォンド平原に生息する昆虫で、地面に巣穴を作り生活している。彼らは巣穴に花の蜜を貯めこむ習性があり、その蜜がリーミッツである。リーミッツに雨水が混ざり、発酵が進んだものはリーミッツ酒と呼ばれることがあり、酒の起源と呼ばれているが、今は置いておこう。
「……このザラリとしたのは……」
舌で転がすと、弾けるように妙な酸味が湧いてくる。
「煮詰めたら出てきた」
「……ふむ」
どうやら意図しない謎の成分らしい……。
どうしてだろう。セシルの顔が見られない。今の自分は笑えているだろうか……。
表面がふやけたように見える鳥の唐揚げは、まだ予想できる。
「ちょっと温度が……」
噛みしめようとすると、ガキッ!?
それは肉の硬さではない。鳥の唐揚げだと思っていた物は、鳥じゃなかっただけの話だ。
「ウーカルモスの肉だ。ちょっとした高級肉だった。市場で勧められてな」
ウーカルモスは水性両生類だ。分類上は魔獣と等しく、正確には湖妖と呼ばれている種類の生き物だ。湿地の水辺に生息している。当然食べたことはないが、肉質は貝殻を揚げたものだと思えばいい。歯が……欠けた気がした。煮込みならともかく、唐揚げにするべき肉ではないだろう。
諦めて小皿に一度置き直す。人は石を食べることは出来ない……。
最後だ、新鮮な野菜サラダは普通。
「そういえば、サンドイッチ……美味しかったな……」
「兄様もサラダが好きだと言っていたな。昔は肉を好んでいたが、年をとると変わるそうだ」
添えられた生肉は……、まだ食べられた。
鼻を通るスパイスの香りは思ったよりよく、まだ食べられ……舌の上でパチパチと何某が。
「――ふぁぁ」
鼻の突き抜ける痛覚!これは辛さという名の痛み!
遅れてくるとはやるじゃないかこいつ……、くっ腹の中が……痛みがせり上がってきやがる。チクチクするー。
「少量しか手に入らない、貴重なスパイスだそうだ!」
瞳を輝かせているが、貴重だから旨いというのはおかしい。
少量だろうが多量だろうが、使い方を間違えればこうなる。おそらくこれは、炒って乾燥させた後、粉にして少量を入れるためのものだ。
震える手で、レティスは水を飲み干した。涙目はもう隠せない。
そして、しばし考えこんだ。
ジートは、何と言っていただろうか……。
『……だから、レティスにはセシルの友達になってほしい……というのが一つ目。二つ目は……おいおい説明する』
当初からジートはレティスに何かをお願いしたいと言っていた。
一つ目は友達で、もう一つは不明であった……が。
『……俺から給料を払ってもいいぞ……レティスの特技を活かしたものだな』
思い返せばすでにヒントが出ていた気がした。
ジートがレティスに期待出来る、特技といえば限られるのである。
そう、あの時の彼は確かに、一瞬言いよどんでいた気がする。
『そのお仕置きでセシル……ああ、まだ話してなかったが、俺にも妹がいる。レティスと同じ年だからあとで紹介してやる。で、ひどいことにそいつの心のこもった手料理……に薬を盛られてな。泡を吹いて気絶している間に……』
ジートがボロ服でレティスの村まで来るときになったときの話だ。
このセシルが薬……もとい毒を盛るだろうか……?いや、ありえない。短い付き合いだが分かる。
おそらくそれは、正真正銘のセシル渾身の作であったのではないか。今ならそう思う。
そういえばお風呂でも引っかかった事があった。
『っむ?兄様からは、料理が上手な可愛い子をしばらく面倒見ると聞いた。まだまだ未熟だが見どころがある、と。だから、セシルと逆だなぁ……と言って笑っていたが、それ……』
逆……?逆とは何が逆だったのだろうか?
レティスは力が未熟で、セシルは熟達している?それは何の力だ?
可愛いの逆はクールビューティー?いや、それは方向性の違いにしかならない。
消去法で残るもの……。
料理!
そういえば出会いの晩も、さり気なく料理を作るようにお願いされた。
書かれた手紙にも、思い当たる節がある……。
『今、俺がそこにいないのは訳がある。理由は二つあるが……』
一つ目はセシルが素直になれない為と言っていた。が、もう一つはなんだろうか?
料理好きなセシルのことだ、レティスが復帰すれば仲直りの料理があることは簡単に予測できる。
セシルも腕によりをかけて作るだろう。
経験則で言えば、命の危険がある。
『人に生死があるように、出会いと別れは突然なのだ。レティスの師として、最後まで見届けることが来なかったのは残念だが、俺は旅立つ。レティスよ、生きてまた会おうぜ。』
死に際に去りゆくセリフである。
生きて……………………。
セシルは……彼女は期待を込めた瞳で、レティスの感想を待っている。
普段は冷たい印象すら与える彼女が、初な少女のように、愛の告白を待つように……。
ジートは男だった。妹の悲しむ顔を見るくらいならば、自らが犠牲なるような、偉大な男であった。
「……セシル……」
「どうだ?レティス。一生懸命作ったが、口に合わなかっただろうか?」
自分は……どうする……!
ああ、なんて可愛い女の子なんだろう。
青く蠱惑的に輝く瞳から、スッキリと通る鼻筋。形の良い唇はみずみずしく、全体のバランスは、10人が10人とも美しいと評される顔立ちをしている。
冷然とした美貌で、いつもは少し冷たい印象を受けるが、こうして向き合っていると、時折子供っぽい、純真無垢な姿を見せてくれる……。
健気にも……、レティスのために料理を作ってくれた……そんな女の子に……。
「……全部まずい!」
真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「残念だけどすごくまずい!」
これは決意だ。レティスとして、嘘は付かないと……!
呆けたような表情のセシルが、今……何を考えているのかは分からない。
「ちょっと見た目は悪いけど、味は美味しいよ。ありがとう」とでも言ってもらえると思っていたのだろうか?いや、彼女自身分かっているはずだ……この破壊的なまずさを。
しかし森の子レティス。いかなる食料でも、無駄には出来ない。
食べられるかどうかは……少し手直しないと無理だ。
セシルの腕を引っ張ってキッチンへと連れて行く。
極力彼女の顔は見ない。もし泣いていたら……、と思うと向けなかった。
「レイディフィッシュは高級魚で、触ったこと無いけど、たぶん舌が痺れたから毒があると思う。一度タレは捨てて、皮を捨てる。卵、塩、サショウ、ニンジン、ショウサイ、片栗粉と香味野菜で鍋に入れて煮込み直す」
初めて見る食材だったが、先ほど食べて確信した。おそらく皮に毒がある。
あの時は舌がピリピリしびれたが、今は平気なので弱い毒だったのだろう。
手際よく準備をこなし、全て鍋に放り込んで蓋をした。
ちなみに最新の魔導炎熱装置により、鍋を上に乗せてレバーを横に動かすだけで加熱が可能だ。
「野菜と肉の炒めは、魚油を加えてもう一度炒めなおせばOK。強火になり過ぎないように注意して……」
焦げたのはリーミッツのせいだろう。あれは焦げやすい。一度洗い落とそうと思ったが、素材の栄養を考えてそのままにすることにした。本来、魚油とリーミッツの相性は良いのだ。
析出したザラザラは謎なので放っておく。炒め直した感じでは、上手く魚油に溶け込んだような気がするが……。
「唐揚げは……」
貝殻の唐揚げは難易度が高い。……砕いて衣?そうだ。そうしよう。
うーむ肝心の肉がない。この世界では使う分を使う量だけ持ってくることが多いのだ。魔法の達者な魔法師であれば、冷やす事が出来る魔導冷却装置を持っているらしいが、ここにそんな高価なものはない……。
「はっ、このキノコは!!!」
これは何の僥倖か!レティスが倒れる前に購入していたキノコがザルに残っていた。
鶏肉は何かで消費してくれたのだろう……多分。
キノコのカリカリ衣揚げである。揚げ物自体が贅沢なものであるので、今夜はご馳走そいった気分になってウキウキしてくる。
あとは野菜に乗った、スパイスの処理である。
手で一個一個全部拾う。それほど数も多くなく、大きさも指の先でつまめる程度だ。硬さをそれなりなので、中の辛い成分が弾けることもなかった。
「サラダは普通にドレッシングを作って……」
1,2,3と数えるまもなくサラダも完成!
揚げた油を布で濾して、瓶に詰め直し、その鍋に先ほどの辛味成分を投げ入れた。油で炒るのもどうかと思ったが、そこはインスピレーションだ。ほどよい香りがしてきたところで取り出し、しばらく放置して冷却し、磨石で砕いてみる。香りだけも、鼻を突き刺しそうな辛さが感じられる。
「これは……何かに混ぜて使ったほうがいいな」
という訳で、先ほどから煮込んでいる魚料理にパラっとな。隠し味で少なめに入れてみた。
香りはなかなか悪くない。いい香りに変化している。
テキパキと作業を行い、30分ほどで全ての作り直しを終えた。
セシルはその間、ずっとレティスの後ろで立っていた。
レティスが不安に思い、恐る恐る振り返るとセシルは泣いていた。
瞳から大粒の涙を流して……。
慌てて駆け寄り、彼女に触れると崩れ落ちた。
もはや経験の少ないレティスにはどうすることも出来ず、彼女の頭を胸に静かに抱いて、背をさすり続けた……。
「やはり兄さまは……わたしに……わたしに……」
きっと悲しませたくなかったのだろう。
何でもそつなくこなすセシルであるが、所詮は我流の素人である。高級食材に貴重なスパイス……言われるがまま買っている時点で、その実力は知れるというものだ。
兄の愛ゆえ……妹は道を失ったということだろう。
もう、全部ジートが悪いのである。これだけは……。
「わた……一所懸命やって……たけど……」
途切れ途切れの声は嗚咽がまじり、レティスの涙腺もゆるくなってくる。
一生懸命と努力は、報われるとは限らない。
それに彼女の場合は、教えてくれる人がいなかった……ただそれだけである。
「セシルが困ったときは、僕が今みたいに支えるから……だから泣かないで下さい」
料理であれば、レティスは一日の長がある。森という限られたフィールドで、食事は唯一の娯楽であったと言ってもいい。母リース直伝のレパートリーから、鉱山ベルト、海辺トルフなど、周辺の貴族領の味を一通り学んでおり、アレンジも可能だと自負している。
「兄様がぁ………………」
そう言って泣くセシルは子供のようだった。
きっとジートは喜んでいたのだろう。泡吹くくらいの料理を笑顔で美味しいと言うくらい。セシルのことが好きだったのだ。だけど、セシルは……本当は気づいていたのかもしれない。それでも……とも思っていたのだろう。
バカ見たいな兄妹愛に胸焼けがしてくる。
……さっきの魚料理のせいかもしれないが。
しばらく……セシルは泣いていたが、どうやら泣き止み、二人で今度は食事を食べた。
「……ん、おいしい」
「お粗末さまでした」
うーん、なんだろう。この事後のあとの食事みたいな感じは……。
複雑な気持ち過ぎて、なんとも言えない。料理が予想以上においしくて、それは良かった。
からの翌朝……。
「もう無理ー」
「体だけじゃない!心の鍛え方が足りんのだ!」
元気を取り戻したセシルは、それはもう元気で、レティスに鞭を打っていた。
動物を叩くような黒い鞭を持っているので、文字通り打っていたのだ。
日も昇るかどうかの時間に部屋にやってきたかと思えば、ジート計画立案の、レティスの強い男になるぞ大作戦!を手伝うと宣言し、代わりに料理を教えろという、理不尽な要求である。
体を裂くような痛みは、もう疲れと同化して動けない。
昨日のか弱い女性はどこへやら、厳しい鬼教官と化したセシルは本当に容赦がない。
疲れた体で芝生に寝っ転がると、見下ろすように彼女が立っていた。
「さぁ、やるぞっ!」
その瞳と声に逆らえず、レティスは立ち上がるのだった……。