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青く澄み渡る空に、美しく広がる大草原。
心地よい風が作りだす、柔らかな草葉の波をぼんやりと見つめながら。
「……はぁ」
レティス・クローゼェルは深い溜息をついた。
イエリア王国魔法学校へ入学する14歳という歳にしては、まだまだ……かなり幼い容姿をした少年であった。
身長は低い。5つも離れた村の女の子に追い抜かれて、抜き返せなかった。くせっ毛で、髪は薄い茶色。小さな子供のような体に合わせて、顔つきもこれまた童顔で、母親譲りの大きくて愛らしい、琥珀色の瞳を持っていた。
その容姿は子猫のように愛らしく、声変わりもしていない鈴のような声は老若男女問わず癒やされると村でももっぱらの評判だった。村を訪れる旅人に女の子と間違われたことも一度や二度ではない。
――可愛らしい子供に育ちますように。
性格は良いと思う。ただ、少し頑固で生真面目な性格をしている。
そう、少し真面目が過ぎて、両親の期待に心だけでなく体まで応えてしまうほどに……。
「……はぁ」と、溜息をもう一つ。
そんなレティスは現在、ガタゴトと揺れる荷馬車に揺られていた。
出発してから半日程度、明るい世界を閉ざすように布に包まり、村自慢の野菜が入った木箱に挟まれ、出荷されていく仔牛……いや、物言わぬ野菜と同じレベルで運ばれている存在としてそこにいる。
レティスがここに至ったのは、数日前の晩の話にまで遡る。
三日ほど前の晩、レティスの村に王都からとある若い兵士がやってきた。
ジートと名乗るその兵士は、ギマ村……つまりレティスが生まれ育った村で14歳になる子供を送迎、もとい回収するために訪れたということだった。
イエリア王国では、14歳になると王都にある魔法学校への4年間の就学が定められている。
実際のところは若者の徴兵であるが、これはイエリア王国という国の成り立ちを考えれば仕方がないことであった。
北と南。二つの大国に挟まれたイエリア王国は、オシル大陸と呼ばれる巨大な一枚大陸の、その西部に広がる大草原を領土とした小国である。
実はこの大草原は、自然に出来たものではない。
東の湖から西の外海にかけて、元々は木々生い茂る深い森であったのだが、ちょうど大国同士の戦いの主戦場となることが多かったため、長い歴史、数多の戦いを経て、荒れ果てた更地となり、草が生い茂り大草原と姿を変えた、人工的な産物なのであった。
なので、イエリア王国の起こりは曖昧である。
一節には草原の草を家畜の飼料として求めた遊牧民か、あるいは戦争で生き残った者たちが次第により集まるようにして生まれたとされているが、詳しくは分からない。
ただ、今は国が出来て、そこに在るのである。
危ういバランスを保ちながらも、イエリア王国が平和を築き上げるに至ったのは、一重に統治している国王達が優れていたからであろう。数多の戦火と歴史は冒頭から話すと長過ぎるのでさくっと省略する。
この国を表現するならば、まさしく戦地に咲いた一輪の花といった儚げな存在と言って良い。偶然にも今の平和を謳歌しているが、いつ何時、再び戦争が始まり、戦火によって灰燼になる可能性を国家の根底に有していたのだ。
そんなこんなで、魔法学校への入学が、ほぼ強制ということが重要なのだった。
徴兵とはいえ、レティスが悲観するほど、悪いことばかりではない。
良く解釈すればイエリア王国が強すぎず弱すぎずの戦力を維持し、大国同士の戦闘を避けるための、バランサーとしての役割を担うために重要なものであるといえるし、悪く解釈すれば、いざ戦争となれば各自地力で逃げ切る程度の力くらい持っておきなさいよ。という王様の優しいお考えによるものだからだ。
まぁ、幸いなことにレティスが生まれる前から150年程……戦争らしいものは起こっていない。
そのおかげか、最近は戦うだけでなくだけでなく、生活の用途にも使用できる魔法が奨励されており、大人になって社会で活躍するための礼節や基本的な技術を学ぶ場として、学校は高く評価されているそうだ。それは、本来敵国であるはずの他国からも、留学生の申請もあるということからも伺えるだろう。
「……はぁ」
それでもレティスの気分が優れないのは、いろいろな理由が重なっていた。
「おうおう、レティス。そんな溜息ばかりついてどうする。旅が楽しめないぞ?」
一つ目がこの男、ジートの存在である。
さっぱりとした短髪銀髪。青く透き通った力強い瞳を持つ男で、鍛えられたしなやかな体をしていた。レティスからみても、「おお、かっこいい」と憧れすら思わせるほど良い男であるのだが、まずはその格好がひどかった。
かっこいい肉体美を殺すべくしつらえたような着崩した旅服に、騎士とは思えない簡素すぎるレザーアーマーという名の胸当てのような何かを着けていた。騎士の命ともいえるような剣は当然のように持ち合わせておらず、年季が入りどこか道端で拾ってきたかのようボロボロの短剣が腰の帯に一つだけ。どこかの人さらいの盗掘崩れというほうが、むしろしっくりくるという風貌だった。
王都から離れた、これといった産業がないノルマン領。そのさらに奥にある、森の民とすら揶揄されるほどのど田舎、辺境であるギマ村にまで、わざわざ迎えの兵士を送り込んでくるあたり抜目のない……いや、律儀な国ではあるのだが、その質はそれ相応のものであるらしい。レティスごときに人が来るだけでも過分であるとは言えるのだが……、どうもその辺りが納得しづらい。
布に包まって黄昏れていたレティスは、ようやくもぞもぞと顔をだした。
「……ジートさんは旅がお好きなんですね……」
「そりゃそうさ、初めてこういった任務を任されて、やり方もいまいち分からないが何事も楽しまなくちゃ勿体無い。楽しいから好きになる。好きになるから頑張れる。だから仕事も人生も楽しいに越したことはない。それが持論だし、生き様でもある。レティス君もそう思わんかね?ふははは」
出会って数日の付き合いであるが、ジートは実に楽しそうに笑う男だった。
年齢は若い。おそらく20歳も半ばくらいだろう。着ている服はボロボロであるが、どこか物腰は上品で落ち着いており、騎士のような風格すら漂わせている。だが、いくつか人が頭を抱えるような、悪癖を持つ曲者だった。
その一つ目がイタズラ癖だ。
例えば村へ訪れた際の話である。このジートという男は、人さらいの盗賊崩れとわざと村人に勘違いさせて、村を軽い混乱に陥れた。
神妙に捕まり、役者じみた小男を長々と演じ、村人に取り囲まれながら説得にやたらと時間を掛けた挙句、それならば偉い人に聞けばどうでしょうか?とすました表情で提案し、どういう訳かイエリア王国の第二王女リーナ姫へ、通信魔法の中でも特に高度な投影魔法をつなげて、事の詳細をややこしくした。
本来、通信魔法は遠く離れた場所にいる人間と声のみよってやり取りする魔法である。
互いの了承のもと交信可能となるそれは、それだけでも高い魔法技術や専用の魔具を必要とするものであるが、殊に、相手の姿形まで見える投影魔法ともなれば国家クラスの設備が必要となる代物なのである。
最初この地を治める貴族にでもお伺いするつもりであった村長と村人の目の前に、突如現れたのは金髪碧眼、ピンク色の清楚なドレスを纏った美しい王族のお姫様なのである。まさに驚天動地であった。
全員がその場で慌てて平伏し寿命を縮めたのは言うまでもなく、それについてリーナ姫が自ら謝罪するに至っては目も当てられなかった。ちなみに、ジートはその様子をニヤニヤとした表情で見ていた。
健気にも事情を聞き取り、優しく説明し始めたリーナ姫を他所に、ジートが思い出したかのようにポンと手を打ち、「あ、忘れておりました」と、申し訳無さそうな演技をしながら懐から取り出したのは、アノースカードと呼ばれるレティスが魔法学校へ入学するために必要な身分証明書で、これには姫も含めて村人も目を丸くして驚いた。
アノースカードは手の平くらいの大きさの長方形をした、アノーウィスと呼ばれる鉱石を加工して作られた青色結晶のカードである。イエリア王国の中でも特に魔法技術の才能に優れ、歴史に名前が刻まれているエイリア様が作り出したもので、その秘術は王宮魔法師のみに伝えられているという。
よって、偽造は不可能の一品物であり、村長を始め村の大人たちであれば、学校でお世話になったカードでもあるので、本物かどうかの見極め程度は十分に出来る代物だった。
初めから出していれば無用な問答など必要なかったものを……。と村人の誰もが思いながらも口に出来なかったのは、そもそもジートが胡散臭すぎて本気で偽物だと決めつけていたことと、投影魔法に映るリーナ姫がついに激怒し、村人が思わず距離をとるほどの大声で叱り始めたからに他ならない。
誠心誠意、姫に土下座して謝るジートの横顔、頭を下げるその口元が、確かにニヤリと歪んだのを隣にいたレティスだけは見逃さず、思わず背筋にゾクリとした戦慄が走ったのをよく覚えている。
村人たちは大人であったので、リーナ姫とジートを残しそっとその場を退散した。というのがジートとの初めての出会いである。今思い出しても胃が痛くなる出来事だった。
ともあれ迎えが本物となればそれもそれで大変なことで、それから村は上へ下への大騒ぎ。
うっかりしていたことといえば、「あれ?レティスってもう14歳だったの?」「まだ子供じゃないか。あんな小さいのに……」という村人たちの認識であった。レティスもレティスで、自らの力をよく理解していたので、このままひょっとすると魔法学校へ送られることもないのでは?と淡い期待を抱いていた。
だが、現実は甘くなかった。
村人総出による別れの宴が二日にも渡って開催され、移動用の荷馬車や荷物の準備はその合間に寂しさを紛らわすように進められた。外堀が埋められてしまったのである。
レティスといえば、本当は誰よりも魔法学校へ行きたくはなかった。自らの無力さは嫌というほど知っているし、誰もが扱えるとされる魔法も全く使えない。才能がないと言っていいだろう。
だが、そんな気持ちとは裏腹に、レティスは学校へ行くための説得に苦心することとなった。小さな子供には付き添いが必要だと言い張る両親と村人達が、王都まで付いて来ようとしたのである。これにはレティスも慌てた。流石に恥ずかしい。
心の底では全く、露程も思ってもいない14歳の決意を述べ、村で面倒を見ていた子供たちとの涙の別れも済まし、そしてようやく三日後の朝、皆に惜しまれて送り出されたのが、今朝方の出来事となる……。
「ある晴れた昼下がり 王都へ続く道 荷馬車がゴトゴト レティスを載せてゆく 可愛いレティス 売られてゆくよ~♪」
「う、売られませんよ!!!」
という訳で、冒頭の大草原へと戻るのである。
出発してからなんとも陽気なジートは、鼻歌まじりにこうしてレティスに絡んでくる。
なんとも無駄な美声に腹が立ち、最後の元気を使って荷台から詰め寄るように抗議の声を上げたが、レティスの気力はそれっきりだった。
初めて村を離れて、一人になったせいかどうも旅が楽しめない。
ふと訳もなく、涙が流れてきそうになるのだ。
そのモヤモヤの原因はレティス自身にもよく分からないものだった。
俯きかけたその時、レティスはジートに猫の子のようにつまみ上げられた。
すごい力で荷台から御者台まで引っ張りあげられ、世界がグルっと回って止まった。
「ようやく出てきたな。レティス!」
レティスはジートの隣に座らされていた。
あまりの出来事に目を白黒させて横を見上げると、ジートはやはり楽しそうに笑っていた。
しばらくそれを見つめ、レティスも視線を前に戻す。ポツリと言った。
「……お気を使わせて申し訳ありません」
それが分かる程度に、レティスの視野は広くなっていた。
「……気にするな。男でも旅立つ時は寂しいもんさ」
ぽんぽんと頭に手を置かれる。
かつては彼も同じだったのだろうか?と思うと、不思議な気分にもなる。
それに、と続けてジートは言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。王都はいいところだし、魔法学校も面白いものだぞ。向こうにはお前と同じ歳の子供たちが集まってるし、……それに境遇もみんな同じようなものだ」
はっ、とレティスはジートの青い瞳を見つめた。
そうだった。
14歳になれば誰もが親元を離れて魔法学校へ旅立っていく。少し出かけにゴタゴタがあったとして、それは些細な問題にすぎない。皆、不安のなか一人で魔法学校へ旅立っていくのだ。それはレティスも他の子供も変わるものではない。
「今回は俺みたいな奴が迎えに来たのは悪かったと思う。本来はちゃんと兵士の仕事をしているが、事情があってこんな姿になってしまった」
「……あ、いえ」
格好こそ少々ふざけているが、根は真面目で優しい人である。
どこか余裕のある態度が人を安心させてくれるオーラを持っていた。それは旅が始まってからずっと、レティスを気遣ってくれたことからも分かる。
レティスに対して多少過保護気味な村人達が、ジートとの二人旅を認めたのも、持ち前の戦闘力とは別に、このオーラがあったからと言って良いだろう。
それは、自らの幼い容姿と無力さにコンプレックスを持つレティスにとって、理想や憧れとしている姿によく重なるものであった
「まぁ、村では少し芝居をうったが、許してくれ。手っ取り早く信用してもらうのは、あの手が一番良いと考えた。アノースカードが如何に本物とはいえ、俺がそれを奪ってきたならず者である可能性は高いと判断されるだろう。結果的にある程度信頼できる相手に証明してもらわなければいけない話だったのだ……。まぁ、出来るだけこちらも楽しめるように努力はしてみたが。お前なら……理由は分かるだろ?」
「……。」
苦笑気味に誤魔化しているが、あの出会いは鮮烈だったと言って良い。
だが結果的に、普段は姿すら見ることが出来ない、ましてや話すら出来ることなど出来ない、お姫様との会話である。村人たちに取ってハプニングではあったが、後々になればみんなたいそう喜んでいた。宴のおり、あの村長が感涙していた姿は、初めて見たかもしれない。
それだけイエリア王国の皇族というのは、その地に住まう人たちの誇りでもあり、心の拠り所とされているのだ。あれだけ美しいお姫様となれば、村人の喜びもなおさらだろう。
今こうして二人旅で落ち着いていられるのも、姫様のバックアップによるところが大きい。ジートが認められたという意味では……、確かに効果的で大成功だったと言えるだろう。
とはいえ、釈然としないものも残る。
「でも、それだったらアノースカードを先に出してからでも良かったと思いますよ?そうしたら姫様もあれだけ怒ることもなかったでしょうし……」
「くくく。そこはほら、怒るお姫様なんて滅多に見られるものじゃないだろ?」
ジートにものすごく良い笑顔を向けられ、眩すぎてレティスは思わず顔を背けた。
二人の間になにやら特別な関係性があるような気もしたが、ジートも容姿だけならいい男であるし、兵士ということならどこかで繋がりがあったのかもしれない。
「人生は冒険だ。ちょっとしたハプニングがあったほうが楽しめるもんさ」
「それも……そうかもしれませんね」
レティスの人生はこれまで波風のない、閉鎖されたギマ村での生活を思い出していた。
ギマ村は辺境の山の中、深い森に囲まれた場所にある、小さな村だった。
貴重な木材や薬草、鉱石などを手に入れるための前線基地に、人が住むようになったような場所で、周囲には危険な野生生物や魔法を扱う魔獣などがいたことから、生まれた時からレティスの行動範囲は極めて狭い空間に限定されていた。
村でのレティスは、幼い見た目通り貧弱な体しかもたず、全く魔法も扱えない無能な子供であった。自分で言うのもなんだが戦うとかなり弱い。
なので、村でやっていたことといえば、家事の手伝いと子供たちの面倒を見ていた。
「まぁ、あんな村にいたのだからハプニングもさぞ多かっただろうな」
「たまに魔物に村が襲われますからね。そういった場合は、嬉々としてみなさんが撃退してくれましたが」
危険の多い土地であったが、そこに住まう村人もたくましかった。
村一番の強者はモルマンという恰幅の良い色黒の大男で、奥さんのミリアとの間に、ドリとドラという双子の男女の子供を授かっている。共に5歳で聞き分けの良い子供たちだ。
そんなモルマンの仕事は材木の伐採と運搬だったが、その見た目通りの凄まじい力持ちで、片手で木を雑草のように引き抜くような男であった。戦闘力で言えば、雄叫びを上げるだけで、村周辺の動物も魔獣も裸足で逃げ出すレベルであり、家族に危険が迫り怒りだすと村人にも手に負えず、周囲の木々が軒並み引っこ抜かれて、一帯がハゲ山になるほど暴れまわった。
「それに、ああ見えても村長もお強いですからね」
「うーん。分かる分かる。すごい魔力圧だった」
レティスの村にいた村人の戦闘能力は総じて高い。
そんな中で弱者として生きてきたレティスは、逆に強者に対する感覚が研ぎ澄まされていた。いち早く危険を察知し、安全な場所を探しだす能力は村で一番と言って良い。
だからこそ分かる。そんな最強の村人に囲まれても、怯むことがなかったジートの戦闘能力の高さを言うものを。彼の本気は分からないが、度量だけで言えば、森一帯の猛禽類や魔獣よりも遥かに優れているといえるだろう。
「だが実際……、村人に囲まれた時生きた心地がしなかったな……」
「本当の盗賊だったら……まぁ、生きてはいなかったでしょうね」
危険な辺境にいるからこそ、人々の絆は深いものがある。
例え多少の危険があったとしても、他国から駆け落ちしてきたレティスの両親が、あの村に住むことにした理由がなんとなくだが理解できるほどに、ギマ村は住み心地が良い村だった。
ちなみにレティスは村で生まれたので、完璧にイエリア王国を故郷とするイエリア王国人である。なので、レティスが王都の魔法学校へ連れて行かれるのは正当な理由ゆえであり、……離れていくレティスを心配して、母リースが泣いて怒ったとしてもそれはそれ、これはこれなのである。素材探索家で森を駆け巡っている父ラルトと一緒に、何とか説得したのだがこれが一番大変だった。
「まぁ確かに、両親や村の人たちが心配する気持ちが分かります。もう14歳になるのに、体の成長も止まってしまっていて……」
「……魔法も使えない……か」
「です」
母だけでなく、父や村人の気がかりはその一点と言って良い。
この世界の人間は魔法を扱うことが出来る。
魔法は基本的に四大系統があり、火、水、土、風と分けられる。
魔力により魔法として自然現象を具現化し、あるいは操り、攻撃や防御の手段として用いるのが基礎的な使い方であり、潜在的な才能により開発されていく副次効果は、時に人の想像を超える効果を世界に発揮させる事が出来る。
この魔法と言うのは本来、心の成長と共に使えるものであり、誰もが物心ついた頃から扱い出すことが出来る。魔力の総量はその人が生まれ持った才能によることが多く、歴史に名を残すような人物は総じて総量が多いとされている。一方で、レティスのように極端にすくないものもおり、世界は不公平であった。
「父は魔法が達者で、母もそれなりに扱えます。遺伝で言えば……」
「可能性はまだあるだろうな」
ジートはあっけらかんとしているが、レティスしてみれば死活問題でもある。
魔法学校とあるように、学校は魔法が扱えることを前提としている場所だ。
この世界で魔法が扱えないということは、人としての言葉が話せないということに等しい。
魔法が扱えないレティスを、村の人達が外へ出し渋っていたのはそういった経緯があるということを、子供ながらにレティスは理解していた。
また下がってきた視線に、ポンポンと背中を叩かれる。
「まぁな。そう落ち込むことはないさ。魔法ってのは、心や体の成長で自然と身につくものだし、なにかのきっかけで変わることもある。自分が無能だと諦めればそれまでだが、思考結晶の発明で偉大と評されるエイリア様も、若いころは普通の人だったそうだぞ。「私は30歳を前に失恋し、ひたすら魔法に没頭したからこそ今の自分が作られた」という、かくも悲しき、心強い名言を残していらっしゃるだろう?」
「……。」
本当は嘘であって欲しいイエリア王国の過去の偉人伝という本に載せられている有名で残念なお言葉であった。いろいろな場面で人を励ますときに使われる。ちなみにその後、エイリア様は運命の人と出会い、幸せな家庭を築いたとされている。なので、人間やれば出来るとか、ハッピーエンド的な話としてされている事が多い。表向きは。
「それにな、魔法を覚えるのは遅いほうが強くなれるというのが俺の持論だ」
「遅いほうが良いですか?」
「そうだ」
強くなれると言う単語に、レティスは反応した。
自らのコンプレックスがゆえ、強い男に憧れていたのである。
頷くジートは真っ直ぐ前を向いていた。村から続く道が細くなり、左右が森に囲まれた薄暗い場所に入っていた。はて、西の大街道へ向かっているのではないのだろうか?とレティスは疑問に思ったが、ジートは気にすることなく言葉を続けた。
「魔法と言うのは便利であるが、万能じゃない。だが、多くの者はその力を過信し、必ず堕落する。実践で言えば、切れ味の鋭い魔法剣を作ることのみ頑張り、それを振り下ろす体を疎かにする……といったかんじだな。そんな奴は相手にしても怖いものではない」
「言われてみると……そうですね」
両方できない自分はどうなのだろうか?という言葉を飲み込む。
「使えないというならば、むしろそれは好都合と思うべきだ。魔法に頼らず、まずは肉体的に強くなることだけを考えればいい。……優れた魔法師が最初にする特訓はなにか分かるか?」
「えっ、魔法師ですか?」
魔法師とは魔法能力に特化した者達の事を指す。生まれ持った魔力を存分に使い、広域殲滅魔法を扱えるのが条件で、その力は100の兵士に匹敵するとさえ言われていた。まさにイエリア王国において貴重な戦力であり、誰もが憧れる存在なのである。
「……体を鍛える」
「正解!よく分かったな」
驚いた表情をされたが、話の流れから推察出来るというものだろう。
「内なる魔力を制御し、魔法として発現する。その時に必要となるのが強い精神になるわけだが、これは感情に依存することが多い。精神と呼ばれるものを、体を構成する一つの器官として、アストラル体と呼ぶことがある。世にある物資を肉体としてエーテル体で維持し、アルトラル体によって情報を知覚する。これが人という構造になるが、これらは互いに重なりあい作用することにより成り立っている」
「俗に自我や魂と呼ばれているものですか?」
「いや、三つが合わさって初めて自我は形成される。どちらかというと魂の器といったほうが分かりやすいだろうな」
「……うーむ」
首を捻るレティス。
目に見えないものなので、いまいち理解がしにくいものである。
「まぁ、体を鍛えればアストラル体も鍛えられるってことだ。そして、何より大切なポイントは、一度鍛え上げられたアストラル体は、物質を支えるエーテル体が劣化したとしても衰えることはない。つまり年老いても強大な魔法が扱えるものは、若いころに頑張ったものということだ!」
「村長さんが強い魔法が扱える理由が……分かった気がします。納得です」
人間思いあたるものと一致すると、スッキリとするものである。
要は若いうちに体を鍛えれば、魔法も強くなるということだ。
魔法が使えるかどうかよりも、今はアストラル体を鍛える事が重要なのである。
精神を鍛えるには、まずは肉体から。という話は本当だったのだ。
「そんな訳で肉体的にもまだ未熟!魔法も使えないレティスは、これからの伸びがすごいといえる。それはもう、幼いながら魔法学校へ入ることが出来るのだ。試練は厳しいかも知れないが、それを乗り越えた時、おそらく自分が思う以上の成長があるはずだ」
「そう、言われてみれば……そうかも!!!」
要は考え方である。
ジートの話にレティスはいつの間にか引き込まれていた。
「そうだ。レティス。君にはチャンスが詰まっているのだ」
「おお、おおおおぉ」
わなわなと体が震えるのは武者部類だろうか。
今までの自分の欠点が、全てこれからの成長のための布石……。と思うと、ワクワクしてきた。
「そしてその努力は今この瞬間から出来る。どうだ、レティス。まずはランニングからやってみるか?鍛えた分だけ、あとで強力な魔法がバンバン出来るぞ」
「はい。やります。走ります!!!」
「よーし、レティス。がんばれ!」
人間それっぽい理由がつくと信じてしまうものである。
少し冷静に考えれば、先の将来で魔法が使えるとは限らないと分かるはずだが、この時のレティスは、終ぞその考えに至ることはなかった……。