特売デビュー −ここであったが100人目−
大根一本十円!!!先着100人、お一人様一本限り。2時より
たしかに安い。私はスーパーの店先に張られたポスターを見て、私は思わず足を止めた。
店の出入り口付近では、揃いの青い半被を来た店員さんたちが、ダンボールから大根を取り出し一本一本ビニールに入れている。
特に客寄せをしている様子は無いのだが、この手の情報は広まるのが早いらしい。時間にはまだ20分ほど有るというのに、スーパーの建物に添って長い行列が出来ている。
せっかくだから、並んでみるか。齢21にして特売デビューだっ。しょうも無いことを考えながら私は行列の最後尾へ向かった。
列に並んだ人たちの顔も服もばらばらなのに、なんとなく共通のまったりした雰囲気がある。この列の専業主婦率は80パーセント以上に違いない。私は勝手に結論付けた。
最後尾辺りには青い半被を来た店員さんらしき人がいたが、何かトラブルでもあったのか、トランシーバーに向かって何事か話しつづけている。
列の最後にいるのは華奢なおばあさんだった。
「ここって特売の列の最後ですか」
「そうよ」
私が並ぶと、その人は人懐っこく微笑みかけてきた。着ているカーディガンも花柄のスカートも帽子も、すべてパープル系の濃淡でまとめられている。白髪の前髪の辺りも淡くパープルにしている上品そうな人だ。私は、勝手にパープルさんとあだ名を付けた。
「ねえ、いいこと教えてあげましょうか」
パープルさんは、私のコートの袖を引っ張ると、耳元で囁いた。
「あなたが百人目なのよ」
特売に並んだ人数という現実的なことなのに、この人から聞くとなんだかメルヘンチックにきこえて面白い。私はなんだかワクワクした。
「すごいですねえ。数えたんですか」
「いいえ。でも、さっき田中さんが言っていたの。だから間違いないと思うわ」
パープルさんは、こちらに背中を向けている若い店員さんのほうをうっとりと見ながらいった。憧れの先 輩 を見つめる女子中学生みたいな態度である。
「田中さんのファンなんですね」
「からかっちゃいやよお。本当は私、俳優のマツ様のファンなのよ。ほら、『大江戸人情〜』に出ている人。目元の辺りが似てるでしょ」
私はその『マツ様』なる俳優もしらなかったし、田中さんの顔も見えなかったので、あいまいにうなづいた。話し好きらしいパープルさんは、その『マツ様』のディナーショーに行ったときのことを嬉しそうに話し始めた。
田中さんが、突然不機嫌そうにトランシーバーを切ると、つかつかと私達のほうに歩いてきた。パープルさんはパッと私との会話を打ち切ると、いそいそと彼に話し掛けた。
「ねえねえ、田中さん。この人で100人目よね」
「そうですね。たぶん」
かなり投げやりな返事だったが、パープルさんはおおはしゃぎで、
「ほら、あなた運がいいわよ」
といいながら、私の二の腕辺りをぺしぺし叩いた。
「それより、ちょっと一番後ろの人にお願いしたいことがあるんですが」
田中さんが私に話し掛けてきた。
「何ですか」
「僕少しここ離れるんで、来た人に言っておいてほしいんですよ。大体このへんで100人目だから、これ以降並んで頂いても、もしかしたら買えないかもしれませんって」
うわ。めんどくさい。それに「私は買えるけどあんたは買えない」ということは、かなりバツの悪い話だ。
「えー。それはちょっと・・・・・・」
私がやんわり断ろうとしたとき、パープルさんが突然腕を組んできた。
「大丈夫。私も一緒に言ってあげるから」
「じゃあ頼みましたよ」
私の返事は聞かないまま、田中さんは、はっぴを翻して店の中に駆け込んでいった。
「うふふ。まかされちゃった」
後姿を見送ったあと、パープルさんははにかんだ声をあげた。
憧れの田中さんとおしゃべりできて、なおかつ頼みごとまでされたことで、かなりハイになったパープルさんは、そのテンションのすべてを頼まれたことに注ぎ込み始めた。つまり、列に並ぼうと近づく人たちを勢い良く追い返し始めたのである。
「並んでもだめだめっ。この人で100人目なんだからっ」
さっきまでの上品でおっとりした物腰からは想像もつかないほどのきつい口調と、まるで犬でも追い払うような身振り手振りつきである。大抵の人は、あきらめるというか、気分を害して列を離れてしまう。
私はしばらくの間、頼まれてないもーん、とばかりに知らん顔を決め込んでいたが、パープルさんが子連れの若夫婦一組と奥さん二人とおばあさん一人を追い返したあたりで、さすがに一言言わねばと思い始めた。
「あの」
「なにかしら」
頬を上気させ、満面の笑みを湛えて、パープルさんは答えた。自分の仕事に酔っている。
「あのですね。並ぼうとする人にですね、そんなに追い返すみたいにしないほうがいいとおもうんですよ。買えないかもしれないことだけ言って、後はその人の判断に任せたほうが良いと思いますけど」
私は一応非難に聞こえないように言葉を選んで言ったつもりだったが、余り意味は無かったらしい。パープルさんは、たちまち目を吊り上げると、甲高い声で反論し始めた。
「あなた、何を言ってるの。田中さんの予想はいつも当たるんだから。この間もぴったりだったのよ」
「でも少しは余裕が……」
「そんなこと無いわ。100名様といったら、100本ぴったりよ。あなた田中さんを疑うわけ?」
「いいえ。そういうわけでは……」
「じゃあ見込みが無いのに並ばせるほうがかわいそうじゃない」
「……はあ・・・・・・」
30秒たたないうちに言い負かされた私はしぶしぶ口をつぐんだ。さっきの田中さんが言えばすぐに言うこときくんだろうけどなあ。戻ってこないかなあ。私は列の前のほうを見たが、一向に帰ってくる気配は無かった。
そうこうするうちに、また一人列をたどって人が来てしまった。
レスラーと言われれば信じてしまいそうな体格のいいおばさんだ。染めた金髪部分と漆黒の生え際がくっきり分かれていて、プリンみたいになっている。
その人は、一番前から人数を数えながら来たらしく、パープルさんと私をそれぞれ「98、99」と数えると、にたーと笑って最後尾にしゃがみこんだ。
「ちょっとあなた」
パープルさんはまたも、とげとげしく話し掛けた。
「この人が100人目なんだから、並んでも無駄よっ」
また、きつい言い方を……。これでまた一人追い返しちゃったな、と私は思ったが、意外なことに、その人は列を離れようとはしなかった。
それどころか、返事もせずに、膝に乗せた虎柄のトートバッグの中を覗き込んで、ごそごそ何かを探している。その人はどうやら虎の柄が好きらしく、バッグもスニーカーの紐も黄色と黒の虎模様。着ているのはざっくりしたトレーナーで、白黒のシマウマ柄にもみえるが、きっとホワイトタイガー模様に違いない。私は勝手にタイガーさんとあだ名をつけた。
無視されてカチンと来たらしいパープルさんは、さっきの1・5倍の勢いでまくし立てた。
「さっき店員さんが数えたときは、この人で100人目って言っていたのよっ。あなたなんかの分はないと思うんだけどっ」
タイガーさんはやっと手を止め、パープルさんを下からなめあげるように見て、ゆっくりと言った。
「なあに。並ぶなってこと?」
「いいえ。そういうわけじゃ」
タイガーさんの低い声に怖気づいたらしい。急に弱気になったパープルさんは助けを求めるようにちらちらと私のほうを見た。私はちょっと肩をすくめて言った。
「ここらで100人目なので、もしかしたら買えないかもしれませんって店員さんが言ってました」
「大丈夫。数えたから」
こともなげに言うと、タイガーさんは、またバッグの中を覗き込み、何かをごそごそ探し始めた。パープルさんが私の背中越しにブツブツつぶやいた。
「あなたの大根はありませんから。だって田中さんが言ってたんですから」
タイガーさんは、パープルさんの独り言っぽい嫌味もどこ拭く風でやり過ごすと、バッグの奥のほうから煙草の箱を引っ張り出した。
パープルさんご贔屓の田中さんはそのまま帰ってこず、代わりに別の店員さんが所在なげにうろつき始めた。とりあえず来た人に説明する必要が無くなったことで私はほっとした。
パープルさんはタイガーさんを意識しまくりで、何か音を立てるたび険しい視線を向ける。
対するタイガーさんはまるっきりマイペース。緩慢な動きながら、なんだか忙しげである。煙草を吸い終わるとゴソゴソと携帯灰皿を取り出してしまいこみ、ゴソゴソした後ペットボトル入りのお茶を取り出す。一気に飲み干した空きボトルをしまったあと、またもやゴソゴソしてポケットティッシュをさがし、取り出して鼻をかみ、ティッシュを丸めて放り込んで、またゴソゴソした後、煙草の箱を引っ張り出した。もしかしてこのまま待ちつづけたら、もう1クール見れるかもしれないぞ。なんだか楽しくなった私は喉の奥で笑った。
しゃがみこんで煙草を吸っていたタイガーさんが、とつぜん店員さんを手招きした。茶パツの店員さんはやる気なさそうに近寄ってきた。
「何すか」
「ねえ。あの、オレンジの旗のところでしゃべってるひと。こげ茶のジャケット着てるひと」
「はあ」
「子供が増えた」
「はあ」
「はあじゃない。横入り。ちゃんと見て 」
私はタイガーさんの指差したほうをそっと見た。確かにこげ茶の人のところにポニーテールの女の子が居るが、さっきは居なかったかどうかはちょっと記憶に無かった。店員さんは頭を掻いた。
「いや、お買い求めかどうかわかりませんし……」
突然パープルさんが割ってはいった。
「ちょっと、あなた。確認してくれなきゃ困るわよ。こっちは20分近くまってるのよ。突然横入りされたら迷惑でしょ。それに」
パープルさんは私の腕をぐっとつかんだ。
「この人が買えなくなるじゃない。100人目なんだから」
「ねえ」と顔を覗き込まれて、私は慌てて手を振った。
「いえ。私は別に」
買えなくても気にしないと言いたかったのだが、どんよりとタイガーさんに遮られた。
「そうよ。困るのはあたし。なにしろ100人目だしね」
タイガーさんとパープルさんは私をはさんでキッとにらみ合った。
店員さんはため息をついて、こげ茶のジャケットの人のところに走っていった。そして二人並んでいるけれども一本しか買わない予定であることを私たちに報告してくれた。
「よかったわね。これであなたも買えるわよ。やったわね」
パープルさんが私と腕を組んだまま小躍りした。
なんだか妙に疲れてきた私はその場にしゃがみこむと店の壁にもたれた。背中からじわじわと壁の冷たさが染みてくる。そのとき私の胸に去来していたのは、薄寂しい後悔の念だった。喩えて言うなら、飲み会の席で回りの話題から取り残されて、あまり好みで無い相手とサシで語り合う羽目になったときの気持ちに近い。
秋晴れの空を見上げて私は考えた。いまさら、なんだけど私、何でこんな所にいるんだろう。
もちろん大根を買うためだが、もっと根源的な所から考えなくてはいけないだろう。そもそも私は本当に大根がほしいのか。大好物というわけでもないこの野菜を、安いからという理由で手に入れていいものだろうか。もっとふさわしい人がいたのではないか。さっきのパープルさんが追い返していた人たちのことがふいに思い出された。
あのさわやかファミリーは、この大根を目当てに一家総出で来たのかもしれない。それに、あのおばあさんも大根運ぶ為にあのショッピングカートをごろごろ押してきたのかもしれない。もしかしたら、つましい年金暮らしで、家には寝たきりのお爺さんがいて、咳き込みながら大根を待っていたりとか……。
考えれば考えるほど、たまたま通りがかっただけの人間が並んではいけないところのような気がして、私はすぐにでも列を離れてしまいたい衝動に駆られたが、時計を見て、かろうじてその場に踏みとどまった。
もうすぐ2時になる。ここで帰れば今までの20分が無駄になる。なにより、今ここで自分が列を抜けたら、それこそ無念に引き返していった何人もの100人目に申し訳ないではないか。私は心の中で手をあわせた。100人目になるはずだった皆さん。ごめんなさい。皆さんの代わりに激安大根を買って、美味しく頂きます。ええ。必ず。
拡声器の声が響いた。
「お待たせいたしました。水曜市開幕です。10円玉をご用意ください。おつりはご遠慮ください 」
列がぐんぐん店の中にすいこまれていく。どうやら品物を受け取ったあと、そのまま店内へ誘導されるだんどりになっているらしい。
私の番がきた。10円と引き換えに私にビニール入りの大根を手渡しながら、店員さんはニッコリ笑ってこう言った。
「はいお客さんで百人目でーす。後ろのお客さん、すみませんねえ」
後ろから太いため息が聞こえ、私は凍りついた。背中に何かどす黒いオーラを感じる。うかつに振り返って目が会ったりしたら、石になるんじゃなかろうか。そんな圧迫感が迫ってくる。
「ほら。やっぱりあなたが百人目。田中さんて、すごいでしょ」
パープルさんは無邪気に私の肩を叩くと、勝ち誇ったようにうしろに流し目をして立ち去っていった。
事情を察したらしい田中さんが、カウンターに飛びついた。
「本当にもう無いの? 少しは余裕があるんじゃねーの」
「いや、それを含めておわりっすよ」
その場にいる店員さんたちが、近くのダンボールをひっくり返しはじめたが、どれも明らかに空だ。タイガーさんはゆっくりと私の左後ろに移動した。何のつもりかは知らんが、その向こうの出口への道をふさぐ絶妙のポジションである。無言のプレッシャーに負けて、私はタイガーさんに話し掛けた。
「あの。良かったらこれ半分こにしませんか」
タイガーさんは親指の爪を噛みながら低い声で答えた。
「いいわよ。そんなに欲しくなかったし」
何をおっしゃいますやら。本当にそうなら、今すぐそこを退け。と私は思ったが、もちろん口には出来ない。
「いいえ。どうぞ。私一人暮らしだし、そんなに使いませんし」
何故かパープルさんが戻ってきて、数メートル手前で止まると
「半分こにしなさーい」
と一声叫んで、そそくさと去っていった。
「ええ。ぜひ、半分コにしましょう」
私が一押しすると、やっとタイガーさんは手を口元から放し、笑顔を見せた。
「悪いわね」
緊張が解けた。タイガーさんが財布の中から5円玉を取り出して、私に渡す。事態が収まったのをみて、カウンターの店員さんが明るく声をかけた。
「すいませんね。じゃあ、包丁とって来ますよ」
駆け出そうとする店員さんをタイガーさんは制した。
「いいわよ。めんどくさい」
え? どういうこと? ギャラリーが見守る中、タイガーさんは私のビニール袋からムンズと大根をつかみだすと、両手でふんっと気合を入れて膝に打ちつけた。
パキン。
タイガーさんは当り前のように下半分を私のビニールに戻すと、「ありがとね」と言い残し、意気洋々と店内へ去っていった。そのあまりに堂々たる退場ぶりに、「私も上半分がいいんですけど」といって呼び止める小さな勇気はどうしても出てこなかった。
ま、いいか。私はビニールの中の大根を覗き込んだ。瑞々しい切り口がなんだか痛々しいが、つやつやした見事な大根である。
よーし、思いっきり食ってやる。メニューはすぐに思いついた。大根のシャキシャキサラダに和風ドレッシング。ホカホカ御飯に大根卸しを添えて。メインディッシュはふろふき大根なんてどうだろう。せっかくだからこのスーパーで昆布と田楽味噌を買って行こう。ふろふき大根にはどちらも欠かせない。だしの効いたアツアツの大根に、田楽味噌をつけつつ、口をハフハフさせながら食べるのだ。そう思うと、なんだか楽しくなってきて、ひとりでに顔が緩んできた。店内に向かって歩きながら、私はわりと幸せかもしれないと思った。