第1章1話 夢の中で
視界全てに広がっているはずの緑色の絨毯は今の時間は黒に覆われている。
闇のみが君臨する世界で負ける気がなく黄金に輝く空に浮いた月が黒の世界で私の存在を証明していた。
風は私たちには興味がないようで駆け抜ける2人を通り過ぎ、
稲1つ1つを優しくんなでて稲穂は喜ぶように体を動かしてこすれ合う音が響き渡っていた。
「……ハァハァ。やめてくれよ!俺が一体あんたに何をしたっていうんだよ!」
中肉中背の青年は稲たちの演奏をバットで殴るように叫び散らすが、
何回も同じ言葉を聞いた‘彼女’にとってただ感情を揺らそうとする甘い風に過ぎない。
「喋る前に逃げろよ屑。……んまぁ、強いて言うとしたら食物連鎖」
彼には聞こえないとわかっていても‘彼女’はボソリと呟く。
--彼女と私はおそらく同一人物だ。私の視界は‘彼女’と同じものを見ていて体格も同じくらいだ。けど、私は‘彼女’と一緒ではないと仕組まれたように否定する。
「くっそう、やめろぉぉっ」
黄金の月の輝きを受け取って自分の物であるかのように銀色の鈍い光を、
乱反射させるナイフから主を守ろうとルビーに光る波が私を襲う。
火だ。
私は必死に足を止めて飲み込もうとする熱の波から反対方向に動かそうとするが体が言うことを聞かず、
抗うように突っ込んでゆく。
体の主導権は‘彼女’にある。
だが、‘彼女’も何もせずに突っ込んでゆくほど命知らずではない。
握っているナイフが黒の世界で人魂のように不気味に光り、
青年の命をつかむように空気の刃がルビーの波を切り裂き青年に突っ込んでゆく。
(危ないッ!)
私の叫びは届いているはずなのに口元で空気に溶けて誰にも届いていない。
刃は青年の右胸を切り裂こうとするが小刻みに揺れている足を動かし体が左に傾く。
だが、遅かった。
青年の右腕は体から逃げるように外れ、
宙に浮かび血が月の光を受けて赤黒く鈍く光り弧を描く。
その衝撃で青年は尻餅をついてどうにか左手でバランスを保った。
「俺の右手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ……やだやだやだ……誰か助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
一切建物の無い緑の絨でおおわれているこの地に1人の咆哮が駆け巡る。だが無情にも風のみが2人の間を通り過ぎ誰の助けも来ない。
‘彼女’は子猫のような小さいくて可愛らしい笑顔をするように筋肉が動いたのを私は感じた。
その瞬間に一歩、また一歩と舞台を盛り上げるように月を自分の背景に進んでゆく。
「……やだやだやだ………本当に勘弁してください……何でもやりますから……」
青年の顔が涙と鼻水とよだれで顔がぐたぐちゃになっている。
(くっそ……とまれッ)
私は‘彼女’の動きを止めようと必死で感覚のない自分の足を止める。
だがあざ笑うように足は私の命令を裏切る。
いつの間にかに‘彼女’は青年も顔を笑顔を崩さないで覗き込んでいた。
「ふぅん。君は私のために何でもしてくれるの~?」
「はいッ……何でもしますッ。だから殺さないで……」
「分かった。んじゃ今から一つだけ私の言うこと聞いてね。そしたらもう絶対襲ったりしないよ」
青年の顔に安堵の表情が支配した。
(だめだ!速く逃げて!)と、叫ぶが世界は何も無かったかのように私を見捨てて声を運んでくれない。
‘彼女’は優しく、
しかし裏では狂気に狂った笑みで青年を見てるであろう。
「とても簡単だよ。君は動かなければそれでいいの」
「でも……その、どうしてですか……?」
「それ聞いてくれてありがとね」
‘彼女’はここを一番待っていたかのように口を三日月のように引き上げる。
いままで興味のなかった風が‘彼女’を見ようと稲の間を強く走ってきたきがした。
「私があなたのお腹をナイフで開けるから動かないで痛みに耐えていてくれればそれでいいの。
意識保ってないと死んじゃうから注意してね。
私の一番欲しい臓器もらったらちゃんと閉じてあげるから」
やっと事の意味が理解できたようで、青年の顔から一気に血が逃げていき青ざめていく。
‘彼女’はナイフを握り直し赤く血のように光ると、
体感速度を加速させて青年の手と足を彼女の四肢を使って虎が襲い掛かるように獲物を固定する。
(もうだめだ……)
思わず私は口からあふれてきた声をこぼしてしまった。
「やだやだやだやだッ!お願いですやめてください!それだけは嫌です!もう本当に勘弁してください!」
「んふふ。やっぱり人間のそういう顔って一番美しいよねッ!もっと見せてよ!ねぇ!ほら刺しちゃうよッ!」
「やめてやめてやめて!お願いします本気で怖いですッ!助けてください!お願いしますッ!」
(やだ、私だって見たくない)
2人のやり取りを体の主導権を奪われている私はただ‘彼女’の視界で見ているしかない。
明らかに異常で、
私ならこんなこと絶対にやらない。
そんなことを思っていると、急に‘彼女’の目は全てに飽きてしまった。
「あっそ。やっぱつまんないわ」
「ごめんなさいお願いです助けてくださいお願いします」
青年の脳は麻痺してしまったようで、
呪文のように助けを求めていた。
「皆とおんなじ反応だね」
‘彼女’からすべての物が遠ざかり私も含め3人だけの空間になった気がする。
「んで、早く死ぬの?生きる可能性に賭けるの?どっちなの?」
「嫌です……お願いです、殺さないでください」
「はぁ、そんな選択肢はないんだよ。……目玉切り裂くぞ」
青年にとって今の脅しは本気にしか聞こえなかったのだと思う。
青年の目は生の希望を失い輝きをなくしていた。
「……早く……死ぬ」
「あっそ。んじゃばいばい」
ひどく無機質に短く告げられて黒い世界とその声が溶け込むと同時に、
青年の首は体から離れ顔の表情だけが自分が1秒前まで生きていたこと証明しようとしていた。
「つまらない……。みんなと同じ反応ばっか。立ち向かう奴がいればいいのに……」
悲しみの感情で濡れた声が風と共に踊って消えてゆく。
「まぁ、いいや。それではやりますか」
一気に場の空気がざわつき月が食い入るように見下ろしていた。
私は唯一隔離されていない脳がやばいと訴えてくる。
‘彼女’の持ったナイフが頭を失った青年の腹にめがけて吸い込まれた。
私にも血の一つ一つが侵入者を追い出そうとする生ぬるい感覚が体全体を刺激する。
上半身を縦に無垢な少女の顔を崩さないでいる‘彼女’へのお礼のように「胃」が姿を現した。
真っ赤に染まったそれは外気に触れたことに怯え収縮し始める。
「胃……違う……」
(やめてやめてやめてッ!気持ち悪い……)
私の存在に気が付いていない‘彼女’はもくもくと機械のように手が動いてゆき、
温かい感覚が拷問のように私の体を刺激する。
「肋骨……そんなのいらない」
「肺……邪魔……」
「そうだ、もう1個あったんだ……消えて……」
青年の体の中身がどんどん宙を舞っては地に落ちる。
「あったッ!」
(やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて)
そこにあったのは一番最初に消えたはずの司令塔の命令を、
最後までやり続けようとする忠誠心の強い騎士が規則的に動いていた。
赤く日光のような優しさを持つそれは真っ赤な縄で固定されている。
それを‘彼女’は1本1本丁寧に取り出していき、人間の中にあるまるでルビーのように輝く臓器を左手の手のひらに乗せた。
彼女はあの時どんな表情をしてるのだろう、
と急に冷静になった途端意識が月に向かって動き始めた。
‘彼女’は甘い笑顔でいただきますと黒の世界で微笑む。
「心臓」
そう呟いて口を鉄の臭いとともに真っ赤に染めている彼女を、
上で見下ろしながら視界は白くなってゆき、
私の視界は白の世界へ染められていった。
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「ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
視界が開け一気に見ている部分が動いた途端私はベットから落ちた。
お尻にむずむずとくすぐられているような感覚が走る。
「また夢か……」
少し苦笑して立ち上がると自分の部屋にかかるカレンダーの8月17日に赤丸を付ける。
「また増えたわ……この悪夢、いつまで続くんだろう」
1か月分のページに4つほど赤丸がついたカレンダーを睨みながら私は誰もいない部屋で、
優しく体を包み込む朝の光に向かって喋りかける。
私、月宮かさねの1日は今日もまたスタートした。
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「ね、眠い……暑い……帰りたい……」
口から這い上がってくる言葉の数々は叶えられるはずもなく体からじわじわと出る汗と共に零れ落ちてゆく。
真っ赤に光る太陽は朝の柔らかい光とは正反対に、
私の皮膚を刺し殺そうとしていた。
「あんたねぇ、毎日そんなこと言ってても何の得もないのよ。ほら、背筋まっすぐ伸ばして」
太陽のように真っ赤なスクールベストと短い髪に雷のような目の姉、
弥生を見るとそれも太陽であるかのように熱を周囲に放っている。
お姉ちゃんに言われて地面と平行だった腰を天に広がっている海へと持ち上げるが、
太陽は私へ光を一層強く吐き出して体に刺さってくる。
体の中まで温まってきた熱にため息をついてまた腰が曲がってしまった。
8月中旬、普通だったら夏休みという最高の学校生活イベントは今日もまた浪費されてゆく。
「お姉ちゃん、いつまで学校に行き続けないと行けないの?」
今の質問の答えは既に私の中では答えを出していた。
いや、皆の暗黙の了解として答えは闇に飲み込まれている。
私たちに夏休みとか、土曜日は休みとかそんなものは存在しない。
だが、私は時々、暑さからくるイライラをお姉ちゃんに向けてしまう。
熱いのは苦手ななんで。
しかし、電流のように光るお姉ちゃんの眼が威圧と共に私の体へ流れ込んでくる。
背筋に冷気が駆け抜けるとともに思わず目を逸らしてしまった。
お姉ちゃんのせいではない事は分かっている。
だが、生徒会長であるから生徒に休みを持たせるべきだと叫ぶ私もいた。
どこにもぶつけられないイライラは夏の暑さで体の中へ溶けて消えていく。
「かさね!大丈夫!?」
いつの間にかに下を向いていた私に黄色く輝く瞳が私の視界を覗き込んできた。
もう何年も一緒に暮らしているのに純粋な宝石のように輝く瞳は、
私を魅了してすぐに餌食となってしまう。
おっと、別に好きってことじゃないからシスコン百合って訳じゃないんだよ。
私は思考を強制的に会話の内容へと戻させる。
「うん。ちょい考え事をね」
「ふぅん、まぁいいけど。あ、そういえば今週の土曜日にお父さんが帰ってくるみたいよ」
「ん?そうなの?……てか、今日何曜日?」
お姉ちゃんは呆れたように肩を少し落とした。
「水曜日よ。手紙見なかったの?」
「あー、はいはい、手紙ね?見た見た」
やっぱり暑さで思考が回転してくれない。
お父さんは私には甘く、お姉ちゃんには厳しかった。
けど、お姉ちゃんは高位魔法研究家庭としての自覚を持ち生徒会長や頭脳技術ともに頂点の椅子を守っていて、
なにをやっても普通な私にとってその存在は暗黒な海で力強く輝く星となっていた。
そんなお姉ちゃんの期待の目から厳しくしてくれる愛情なのだと思う。
そう思うと、私に対する愛情は表面的な物かと思うと少し悲しかった。
「あんた本当に大丈夫?」
そんなことを考えていると蝉の大合唱を綺麗に貫通して飛び込んできた声に、
私は親指を立てて応じた。
またくだらないことを考えているのかいとでも言いたそうな風に私の黒い川のような髪を適当に躍らせ、
お姉ちゃんの話が何もない田園風景とともに脳に響きを与えていた。
バス停に着くと同時に狙ったようにバスが私たちめがけて走ってきた。
バスに乗ると涼しい風が纏わりついていた夏の重苦しい空気取り払ってくれる。
私は一番前にある子供が座りたがる高めの一人席に座った。
「あ、弥生ちゃん!おはよう」
「あら、皆。おはよう」
お姉ちゃんは私に太陽のような笑顔を一瞬だけ向けて、
明るい空間へと歩んでいった。
(はぁ、また一人の時間が始まるのか)
心の中でため息をつきながら流れる同じ景色を無心になって眺めていた。
バスに1時間くらい揺らされると私達の通うエクレア高校に到着する。
チャイムが鳴るぎりぎりの時間なので、
人という人が餌を貰いに来る鳩のように同じ場所へ流れ込んでいた。
私が下駄箱に着いたとき下駄箱の扉が苦しそうに留め金をつかんでいる。
またか……と、呟き周囲に生徒会とお姉ちゃんがいないことを確認して、
一気に開けるとためているものすべてを吐き出した。
沢山の手紙が降下を楽しみながら落ちてゆく。
死ねとか消えろとか大きく見やすいように書いてある手紙の数々は私の心を容赦なく抉っていく。
足が浮くような感覚と涙が出そうになるのをどうにか押さえ込んでそれらを鞄に突っ込んだ。
チャイムが始まりを告げ隠された上履きの捜索を後回しにして前もって持ってきたスリッパで上へと駆け上がった。
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「サーバント6号の外への排出が完了しました」
机、椅子、パソコン、人。4つしか存在しない部屋で4人の研究チームは頷く。
「はい。ご苦労だった」
研究チームのリーダーは感情の持たないような味のない声で答えた。
一人が一人に問う。
「現在の結果はどうなっている?」
一人が答えた。
「2号が2体、4号が1体、5号が0体、7が3体。そして8号が0体です」
「7号がリーチか」
一人が不安の顔を見せながらリーダーに問う。
「予定よりかなり遅れがあります。本当に大丈夫なのでしょうか?」
「問題ない。月宮かさねを殺せばすべてが終わる」
一人が悲観の顔を見せながらリーダーに問う。
「5号はリーダーの本当のお子様にあたる子なのですよ?本当にいいのですか?」
「失敗作には価値はない。餌になれただけ幸運なことだ」
1人が落ち着いた顔をリーダーに向ける。
「頼みましたよ。月宮先生」
リーダーである月宮かさねの父は夜の世界で笑う悪魔のように唇を三日月の形にしてから頷いた。