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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未完成な人

作者: 鉄下駄

何も見えない暗闇の中、音だけが聞こえて来る。とは言ってもその音が何かは分からない。様々な音が同時に入り乱れて、何が起こっているのかまるで把握出来ない。

 金属が擦られた様な音、細かい何かが宙を舞う音、パラパラと柔らかい物に何かが跳ねる音、ボソボソと囁き掛けられる様な音、全ての音が混じり合い、一つになっている。

音だけの世界だというのに、その肝心の音すらも上手く聞き取れない中で、音に感情というものがあれば、理解する事が出来るのかもしれないと、少女はぼんやりと考える。

やがてその音が止んでしまうと、長い時間の沈黙が始まった。光も音も無い世界に立たされ、少女の意識がじわじわと侵食されていく。

不思議と嫌悪感は無かった。寧ろ心地良い温もりの様な感覚が、身体中を包み込んで行く。自分が起きているのか寝ているのかも分からなくなる程の定まらない意識の中で、ふと、このまま自分が消えて行ってしまうのではないだろうかと考える。

自分の姿すら知らないというのに、自分が消えるというのは奇妙だなと少女が顔を歪めると、突然、遠くの方からトントンという等間隔の音が聞こえて来た。久しぶりの音の感覚に、少女は懐かしむ様に耳を澄ませると、その音は自分の顔前で止まり、今度は何かを掘り返す様な音が聞こえて来る。

何が起こっているのだろうかと少女は音に集中すると、次第に近づいて来ているのが分かる。

暫くその音が続いて、やっと聞こえなくなったと思った頃、少女の身体が宙に浮いた様な感覚に襲われた。為す術も無いままに、少女はその感覚に身を委ねていると、今までの音よりもずっと近い距離から、はっきりとした声が聞こえて来た。


「おはよう」

 少女の視界には、何も映らない。


     ※


 耳に入る鳥のさえずりと、瞼の奥の瞳を刺激する光に、少女はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視界の中で、先ず目にしたのは見知らぬ天井だった。

 上手く動かない身体をぎこちない動きで起こし、掛かった布団を内側から捲り上げる。

「…………」視線を落とす。見た事の無い模様のベッドだ。そう思ってから暫くその場で考え込むが、碌な情報が頭から出て来ない事に気付いた。思わず右手で自分の顔を触る。

「あれ……?」困惑した表情のまま、目覚めてから初めての声を出す。顔を触った感触は、妙に固かった。いや、この感覚は固い物が、触れた感覚に近い。

 恐る恐る右手に視線を向ける。その指には指紋が無く、陶器の様な光沢感がある。手と腕の間にある関節部からは、三本の太い棒の様な物が覗いていた。この妙な右手が、固い物の正体だと理解するのに、数秒程の時間が必要だった。「えっ、これ私の手なの!?」

 まるで一昔前のからくり人形の様だと困惑する。木製では無い為、想像の様な古臭さは感じられないが、奇妙である事には変わりなかった。

 まさかと思い。身体に掛かっている全ての布団を押し退ける。「うそ……」そこには、信じられない光景があった。右手どころか、両腕両足全てが陶器の様な光沢を帯びており、それぞれの関節部分には、漏れなく三本か四本の棒が見える。指はギリギリと音が鳴りそうなくらいのぎこちない動きしか出来なかった。

 そして極め付けは、胸に見える小さな四角い溝の様な物。最早自分が服を着ていない事に驚く事すら出来ない。少女はごくりと唾を飲み込み、その溝に手を伸ばそうとしたその瞬間、今いる部屋の扉が開いた。少女の視線が扉の方へ向く。

 そこには、十歳前後くらいの年齢に見える女の子が、少女を見て、驚いた様に口を開けて立っていた。幼く可愛らしい顔立ちは、ぶかぶかの作業服でより一層強調され、ゴムで束ねられた薄緑色の髪が、窓からの光に照らされて輝いている。

「あれ? もう起きたんだ?」その女の子は、開口一番にそんな言葉を口にした。ニコリと笑ってベッドに歩み寄って来る。

「あ、あんた……、誰なの?」少女は女の子から遠ざかる様に身をよじる。しかし、ベッドの上という狭い空間ではそんな行動は無駄に等しかった。顔が引き攣る。

「ここ? わたしの家だよ。因みに今まで寝ていたそれはわたしのベッド」女の子は楽しそうに説明すると、ベッドの上に片膝を乗せて、少女に顔を寄せる。

「な、何……?」息も掛かりそうなくらいに近くなった距離を開ける為、更に身体をよじらせる。まだ自分がどういう状況なのかも把握していないのに、新しい事象が起こった事に、少女は心底参った様な顔をした。

「うーん、ちょっとね」女の子は視線を少女の顔から下の方へと落としていく。胸の辺りを凝視すると、突然胸の溝に手を伸ばした。「最終チェックがまだなんだよ」

「えっ?」少女が声をあげると同時に、女の子の小さな手が、溝で囲まれた肌の中心部分を軽く叩いた。

 パカッ、という音がして、胸に小さな穴が開く。

「げぇっ!?」突然の衝撃映像に、思わず口から変な声が出る。咄嗟に目の前の女の子を突き飛ばした。

「うわぁ!? イタタ……、いきなり何するんだよう」直ぐそこで尻餅を着いた女の子は、ぶつけた部分を右手で擦る。

「それはこっちのセリフよ! 何いきなり人の身体に穴なんか開けちゃってる訳!?」少女は胸の穴を指差しながら女の子を睨み付ける。だが、その後直ぐに、穴の中にある物を見て顔を青くさせた。

「何よこの身体!?」その中では小さな歯車や、ゴムの様な物がひっきりなしに動いている。ある筈の肺や心臓の様な臓器の類は何一つ見当たらない。

「ああ、良かった。動いていないパーツとかは無いみたいだね」何時の間にか近づいていた女の子が、胸の穴を覗き込みながら呟いた。

もう一度突き飛ばそうとしたが、今度はひらりと避けられる。

「あんまり身体は強い方じゃないんだから止めてよね」女の子は少し怒った口調になりながら言う。それから開いた穴の蓋を閉めると、人差し指を立てて頷く。「わたしは君に感謝されこそすれ、突き飛ばされる様な事はしていないんだよ?」

「か、感謝?」少女は頭の中で感謝という文字の意味を引く。それから顔を歪めて嫌悪感を示した。「人をこんな身体にしておいて、感謝なんてする訳無いでしょ!」

 すると女の子は首を傾げる。「あれ? 君はバラバラのままの方が良かった?」

「そうよ。変に弄くられるよりはよっぽど、って……はっ?」軽いノリで言われた聞き捨てならない言葉に、少女は話の途中で顔を上げる。「バラバラって何よ?」

 女の子はニコリと笑っていた。「嫌だなぁ、君の身体の事だよ。バラバラの状態で地面に埋められていたんだ。自分の事なのに覚えてないのかい?」

「は、えっ!? だ、だって! バラバラになっていたって、私は生きているじゃない!?」少女は言いながら胸に手を当てると、コツン、と軽い音が鳴った。思わず口を噤んで女の子の方を見る。

「勿論その時は死んでいたよ。でも、わたしが組み立て直して生き返らせたんだ」女の子は指で少女の横腹をなぞる。少女がそれに身震いすると、女の子は一歩下がって笑顔を向けた。「とは言っても腐敗が酷かったから、大部分はこっちで別のパーツに置き換えちゃったけどね」

「何よそれ……。私はバラバラになって死んで、良く分からない変な子供に勝手に生き返させられた挙句、良い様に作り変えられたって事!?」

「何かわたしが悪い奴みたいな言い方だけど、おおよその事はあっているかな」理解力の早い子は嫌いじゃないよと女の子は頷く。「でも、その様子だと死ぬ前の記憶は無いみたいだね。脳も半分腐っている状態から無理矢理直したから、少し飛んじゃったのかも」

「なおしたって……。あんた何者なのよ?」少女の言葉に女の子は待って居ましたと言わんばかりに顔を輝かせた。

「聞いてくれるかい!? 何を隠そう、わたしは物作りのスペシャリスト。『困った時は何でもお任せ、借りる手無いなら作ってやろう』のキャッチコピーでおなじみ、メイさんだよ」

「そんなキャッチコピー聞いた事無いんだけど……」

「当然だよ。今考えたもん」メイは胸を張る。少女はげっそりとした顔をした。「フフフ……、その顔はわたしの言っている事があんまり信じられていないみたいだね。でも君の身体自身がわたしの作品となった今、否定なんて出来無い筈だよ?」

「それは、その……」少女は自分の身体を見つめて言葉を詰まらせる。それから自分が裸で人前に居る事に気付いて布団を被り直した。「最悪だわ……」

「今更隠したって仕方ないって。君を作っている最中にじっくり見ちゃっているんだからさ」

「だからこそ、最悪なのよ」少女はメイを睨み付ける。「ただでさえ他人に見られたい身体じゃないのに……」

「見られたくないって、可笑しいな。ちゃんと君の身体は元の通りに直したつもりなんだけど」メイは首を傾げる。

「それが嫌だって言ってんでしょ!」少女は声を荒げて被っている布団を投げ付けた。

「うわっぷ」視界が布団で覆われたメイは、それを除けようともせずに手を叩く。「取り敢えず、服でも着る?」

「当たり前でしょ! さっさと持って来て!」

 少女の命令口調にも特に気にする事無く、メイは布団を被ったまま部屋から出て行く。

 一人部屋に残された少女は、自分の身体を覆う物が無くなった事に気付き、咄嗟に胸と下腹部に手を伸ばす。それから深い溜息を吐いた。「……どうしてこんな身体なのよ」

 心の底から絞り出す様な、そんな言葉が口から漏れ出していた。


     ※


「持って来たよ! わたしの服じゃどう頑張ってもサイズが合わないから、眠っている間に新しい服を用意しておいたんだ」そう言ってメイは二着の服を持って来る。

 少女はその服を手に取ると、一着目の服を広げて少し顔を歪める。「ちょっと色が地味過ぎない? 上下のカラーもあんまり好きな組み合わせじゃないな」

「そうかな? 落ち着いた色の方が似合うと思ったんだけど」

 それから二着目の服を広げると、更に機嫌が悪くなる。「どっちも下はズボンな訳? スカートの方が良いんだけどな」

「……結構我が儘だね。でもまぁ、一応そう言われた時の為の対策もしてあるよ」メイはそう言うと、部屋の扉の前に置いておいた三着目の服を取り出す。「君が元々来ていた服を基にして作ったやつなんだ。まぁ身体と一緒でバラバラになっていたから、少し想像で補っているけどね」

「始めっからそっちを出しなさいよ」少女は三着目の服を受け取ると、目の前に広げる。紺色の生地に、赤色のリボンが付いていた。スカートも紺色で統一されている。確かに見覚えがあった。「セーラー服か。まぁ、さっきの二着よりはまだましな方ね」早速着ようと思うが、ふと思い立つ。「ねぇ? 下着は無いの?」

メイは困った様に笑って頭を掻いた。「それが、下着を作っている暇までは無かったんだよね。わたしのならあるけど、少し小さいと思うよ?」

「ブラは?」

「ブラジャーも欲しいの? 必要無いと思うけどな」メイは少女を見つめて呟く。

「うるさいわね」少女は顔を赤くして顔を逸らす。「それで、あるの?」

「ゴメンね。ブラジャーはわたしもしてないから無いんだ。ほら、この服だと目立たないからさ」それに私が持っていたとしてもサイズが合わないとメイは言う。

「ふーん、まぁそうね」少女はメイの胸と自分の胸を見比べる。胸のサイズというよりは、骨格の大きさの問題だった。恐らくホックを背中に回す事すら無理だったであろう。「それならパンツだけでも持って来てくれないかしら? 小さくても何も穿かないよりはましだわ」

「パンツね。少し待ってて」そう言ってメイは近くにある引き出しを開ける。

 それを見た少女は、この部屋がメイの自室である事を思い出した。

「はい。わたしの中でも派手なやつ!」メイはニコリと笑ってパンツを手渡す。

 少女はそれを受け取ると、「まだもう少し派手さが足りないわね」と呟いた。穴に足を通していくと、かなりのきつさではあったが、何とか穿く事が出来た。次に薄手のシャツに手を伸ばす。

「そう言えば、生前の記憶が無いんだったよね?」メイは思い出した様に訊ねる。

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「それじゃあ、新しい名前があった方が良いんじゃないかな? 無いと色々不便だよ?」

「……確かにそうね」何となく嫌な予感がしながら少女は頷いた。

「うーんとね。タクローとサヤカとクラリのどれが良い?」

「あんたのネーミングセンスどうなっているのよ!?」

「えー、良い名前だと思うけどな」自分の提案が何時も否定から入られているからか、メイは少しだけ不機嫌そうに口を尖らせる。「まぁ気に入らなくても良いからさ、この中でどれが良いの?」

「それ以外って選択肢は無いのね……。あーっと、まぁクラリで良いわ。なんか珍しそうだし」

「よし、決まりね!」

 そんなこんなで名前が決定した頃、やっとクラリの着替えが終わる。その後ベッドに腰掛けると、直ぐ前に立つメイと向き合った。「ねぇ? あんた。メイって言ったっけ? あんたみたいなちみっこい子供が、どういうつもりで私を生き返らせた訳?」

「あ、そういう事言っちゃうんだ? 確かに小さいのは認めるけど、少なくとも年齢は君よりも上だよ」

「嘘ばっかり、どう高く見積もっても十代前半にしか見えないじゃない」

「信じてくれなくても良いけどね。わたし自身年齢なんてどうでも良い事だし、君ももう歳をとらなくなったからね」メイは目を細めてクラリを指差す。「それと、君を生き返らせた事に関しては、どういうつもりって言われても困っちゃうな。ただ単に好奇心って答えちゃ駄目かい?」

「……はた迷惑な好奇心もあったものね」偶然その好奇心の標的となってしまった者の気持ちも考えてみろと、クラリは悪態吐く。

「でも好奇心は大事だよ。それに君は現状に不満みたいだけど、少なくともわたしは満足しているからね」

「自分だけ良ければ良いって訳ね。やっぱり私からしたらはた迷惑な話だわ」クラリはひらひらと扇ぐ様に右手を振る。

メイは笑顔を崩さずに首を横に振った。「そうとは言わないよ。寧ろ他人を満足させられない様じゃ、作品としては不完全なんだ。でも、自分も満足出来ない様な作品じゃ、人を満足させる事なんて出来ないと思わないかな?」

 クラリは目を細める。「へぇ……、随分と立派な事言うけど、私が満足出来る様になる日は何時来るのかしら?」

「今は見当も付かないけど、案外近いかもしれないよ? なんたって私は物作りのスペシャリストだからね!」メイは自分の胸に手を当てて、えへんと威張る。

「ああ、それは頼もしいわ……」クラリは膝に右肘を立てると、顎を乗せて溜息を吐く。

 その時は一生来ないかもしれないと、半ば諦め気味に呟いた。


     ※


 二人きりの生活が始まって一週間が経った。初めは戸惑っていたクラリも、段々とこの生活に慣れて来たのか、メイとの会話もぎくしゃくとした空気が流れる事も無くなっていた。

「ねぇ? ずっと思ったんだけど、生前の私ってどんなのだったのかしら?」椅子に腰掛けているクラリは、その正面に座っているメイに訊ねる。

メイはテーブルの上に置かれている朝食に伸ばしていた手を引っ込めると、首を傾げた。「今更そんな事が知りたいの?」

「それはそうよ。言わば前世の記憶みたいなものじゃない。生き返ったって事は、何週間か、何か月か前にはクラリでは無い私という存在が生きていたって事でしょ? 知ろうと思えば知る事の出来る事なんだから、興味が無い訳が無いわ」

「ああ……、一理無い事は無いよ。今の君は記憶の無い知識だけで生きている状態だけど、言ってしまえばその知識も死ぬ前の君が持ち合わせていたものだからね。今の自分に当て嵌まらなかったり、理解出来なかったりするのが気持ち悪いんでしょ?」

「相変わらず全部分かった風に話すわね。見た目ガキの癖に生意気ったらありゃしないわ」頬杖を突きながらクラリはメイを軽く睨み付ける。「それで、あんたは私に関して何か知らないの? 仮にも私の死体を掘り返した張本人でしょ?」

 メイは困った様に笑うと、頭を掻いた。「残念でした。何も知らないよ。掘り当てたのは偶然だったからさ」

「本当に肝心な所で使えないわね」

「まぁ、そう言わないでよ。どうしても知りたいならわたしの方で色々考えてみるからさ」これも一種の好奇心だからねとメイは嬉しそうに言う。

 クラリは不機嫌そうな表情を変えずに、メイを見つめる。「そもそも私の生活に変化が無さ過ぎるのよ。この家に一週間もずっといるだけの生活がどんなに苦痛かあんたには分からないでしょうね」

「たまに力仕事を頼んだりしているじゃないか。今まで一人で作業していたわたしは大助かりだよ?」

「うっさい。労働は生活の変化に含まれないのよ。とにかくこのままじゃ、死んでいるのと同じだわ!」クラリはテーブルを叩くと椅子から立ち上がる。

 メイは目をパチクリとさせると、「何かするの?」と呟いた。

「今の私は何をするか分からないわよ。暇を潰す為なら、悪魔に魂を売るつもりよ」

「あらら、退屈は人を狂わせるって聞くけど、本当の事みたいだ」どうせ大した事は出来ないだろうが、物作りの邪魔をされるのは少し迷惑だなとメイは考える。何よりクラリが生き返った事に満足してくれなければ、何の意味も無いとも思う。

 メイは顎に手を当てて考え込むと、今にも暴れ出しそうなクラリを見て苦笑いする。「それならさ。今日は買い物に付き合ってよ」

 クラリの目がギョロリとメイを見据えた。「買い物?」

「そう、買い物! 昨日確認したら今作っている物の材料が足りなかったんだよね」

「え……、何よそれ。あんた私が外に出ても良い訳?」

「あれ? 外に出ちゃ駄目なんて一言も言ってない筈だけど。寧ろどうしてそう思ったのかな?」

「だって、私みたいなのが人前に出たら騒ぎになっちゃうじゃないの!」まともに人間の部分があるのは、顔と腰回りの一部くらいじゃないかとクラリは言う。

「スカートじゃなければばれないと思うけどな。殆どの部分は服で隠す事が出来るのは確認済みだよ?」メイは近くに投げ捨ててあるクラリ用の服を眺めて呟く。

 クラリはメイとその服を交互に見ると、最後にはメイに頭を小突いた。

「アイタッ!?」

「それならそうと早く言いなさいよ。変な心配して損しちゃったじゃない」

「女の子に手をあげるなんて酷いじゃないか」メイは頭を擦りながら涙目で訴える。

「歳相応に老人扱いしないだけマシでしょ」

「歳は関係ないよ! 好奇心を失わない為の子供の姿なんだからさ、……多分」

「ハン、自分の事が良く分かっていないのはあんたも同じみたいね。良かったら自分探しの旅も一緒にする?」

「わたしはいいよ。君のフォローだけでも一苦労しそうだから」

「よし! そうと決まれば早速準備するわよ! ほら、あんたもさっさと朝食済ませてよね」

 急かして来るクラリに、メイは目を細めると、「手を止めさせたのは君じゃないか」と呟いた。


     ※


 山奥にあるメイの家から歩いて二時間。最寄りのホームセンターで買い物を済ませた二人は、出入り口から出て来る。

左手にビニール袋を提げたクラリは、ズボンの端を摘まんで溜息を吐く。「……やっぱりスカートの方が良いなぁ」

「それもう十七回目だよ。そろそろ数えるの止めて良い?」うんざりとした様子でメイは呟く。「そもそも何でそんなにズボンを嫌うのさ?」

 クラリの服装は、黄色のTシャツの上に、緑のトレーナー、茶色のズボンを穿いていた。誰が見ても違和感は抱かない様な恰好であるが、それが気に入らないのだとクラリは思っていた。「他人からの目線なんてどうだって良いのよ。私が一番着たいと思っている物を着る。それが拘りってものよ」得意気になってクラリは言う。「まっ、年中ぶかぶかの作業服を着ている様なあんたに言っても無駄だと思うけど」

「確かにそうだけどさ」メイは嫌な顔一つせずに頷いた。「でも他人から良く見られたいって気持ちは無い訳じゃないんだよね?」

「当たり前じゃない」そんな天邪鬼な考え方に、自分でも面倒臭い奴だとは思っていたが、この意思を曲げる気は無い。

「…………」メイは暫くの間、隣を歩くクラリの顔をじっと見つめていると、突然前に出て行く手を遮った。

「どうしたのよ?」クラリは立ち止まって首を傾げる。

「わたしは似合っていると思うけどな」

「……だから、この格好を褒められてもあんまり嬉しくないんだって」クラリはあからさまに不機嫌な顔になる。

「でもわたしは今の格好の君が好きだよ?」

「はいはい。どうもありがとね」クラリは纏わり付く小動物を掃う様にひらひらと右手を振る。再び歩き出した。

 その少し後ろを着いて行くメイは、ニコニコと笑っていた。「わざわざ生き返らせたりしているし、案外私は君の事が好きなのかもね」

「気持ち悪い事言わないでよ……」前髪を弄りながらクラリは呟く。「と言うか私はあんたの事嫌いだし」

「照れなくても良いって」メイの笑顔は崩れない。

「話に成らないわ」呆れる様に溜息を吐くと、ふとクラリは近くにある交番に目が向いた。窓の奥からは、警官が椅子に座って欠伸をしているのが見える。「バラバラにされた死体が動き回っているっていうのに、のんきなものね」

「わたしが肝心の証拠を消しちゃったからね。君がその時の事を思い出さない限り、事件は無かったのと同じ事だよ」

「という事は私を殺した犯人は、まだのうのうとその辺を歩いている訳?」

「そういう事だね」

「あんたやっぱりはた迷惑な存在じゃない」

 メイはそんな事は気にしないと言いたげに笑顔を見せる。「少なくとも犯人は喜んでいるよ」

「良かったわね。私に記憶があったら殴っている所よ」

「君には嫌われたくないな」

「だから嫌いだって」

「照れなくても良いよ」

「…………」

やはり話に成らないなと、クラリは肩をすくめた。



 帰り道である山道に入った二人は、暫く会話も無く歩いていたが、突然メイが手を叩いた。

 パチンッ、という音にクラリは振り返る。「突然何よ?」

「良い事思いついたんだ。少し寄り道しようよ」

「私は別に良いけど、あんたは疲れて無い訳? 結構な距離歩いているわよ?」ビニール袋を持った左手を持ち上げながらクラリは訊ねる。半分以上が人工物のクラリには、疲れるという感覚が無くなっていた。

「慣れてるから平気だよ。ほら、こっちに着いて来て」メイは手招きをすると、来た道から逸れて、碌に舗装もされていない道を歩き出す。

 寄り道をしてまで一体何をしたいのだろうかと考えるが、クラリは大人しくメイに着いて行く事にする。

 メイはご機嫌な様子で鼻歌を歌いながら道を歩いている。今から行く場所は、そんなに面白い場所なのだろうかとクラリは少しだけ期待してみる事にした。

 道が段々と険しくなっていく。時には樹と樹の間を通り抜ける事もあった。何かに引っ掛けてビニール袋が破れてしまわないかとクラリはそれだけが心配だった。

「ねえ? まだ着かない訳?」寄り道を始めてから三十分が経った頃、ようやくクラリが口を開いた。

「あと十五分くらいかな?」振り返らずにメイが答える。

 クラリは顔をしかめると、この寄り道が終わったら、来た道を戻って更に三十分以上も歩くのかとうんざりした。身体は疲れないが、精神は別だ。

「いい加減教えてくれないかしら? 私達は今どこに向かっているの?」

「こういうのはサプライズ要素が重要なんだけどな」振り返ってメイは口を尖らせる。

「そんな要素糞喰らえよ。私は目的地の位置を何度も確認してから行動するのが好きなの」

 メイは溜息を吐くが、足を止めてクラリの方に身体を向ける。「今向かっているのは、わたしが君の死体を掘り当てた場所だよ。君の元寝床だね」

「はぁ? そんな所に行ってどうするつもりよ?」まさか自分を埋め直す気じゃないだろうなとクラリは目を細める。

「あはは、そんなに警戒しないでよ。わたしってそんなに信用出来ないかな?」笑いながらメイは訊ねる。クラリは何も答えない。「ほら、今朝君が言っていたじゃない? 自分探しの旅がしたいってさ。それなら、先ずはクラリになる前の君が、最期に居たあの場所を見てみるのが良いんじゃないかなって思ったんだ」

「ああ……。そう言えば、私を出産した母親は地面だったわね」冗談交じりにクラリは呟く。

「じゃあ君を取り出したわたしは助産師になるのかな?」自分を指差して訊ねるメイに、クラリは「知らないわよ」と笑いながら答える。

 メイは再び歩き出す。「今朝の話の続きなんだけどさ」

「何よ?」

「死ぬ前の自分の事って、例えば何が知りたいんだい?」

「……そうね。どんな人間で、どんな生活を送っていたとかかしら? 周りに居た人間の事を知るのも悪くないわね」

「家族の事とか?」

「そう。もしかすると、死んだ私の事を未だに探しているかもしれないじゃない。前の私の所為で無駄な時間を過ごす事になるのはあまり良い気分では無いわ」

「意外と義理堅いんだね。私だったら家族の事なんてそこまで考えないかもしれないな」

「……というか。あんた家族なんて居るの?」

「居る様に見えるかな?」メイは首を横に振ると、聞き返す。

「それどころかよく話す友達すらも居なさそうだわ」そもそもどうやって生まれて来たのかすら不明なんだろうとクラリは言う。「でも、それなら仕方ないんじゃないかしら。居ない奴の事なんて考えられる訳が無いわ」

「あんまり人前に出ないからかな? 大切な人っていうのが良く分かんないんだよね。自分の作った作品は大切だと思うけど、壊れてもまた作り直す事が出来るから執着はしないんだよ」頬を人差し指で掻きながらメイは言う。「だから、記憶が無くてもそう思える君が少し羨ましいな」

「自由で良いじゃない。自分以上に大切なものなんてそうそうある訳無いんだから、そんなの下手に意識しない方がよっぽど楽だわ」開いた右手を顔の横に持って行ってクラリが答えると、メイは振り返って柔らかく微笑む。

「君は生まれたばかりだというのに随分と大人びているね。生前は結構波乱万丈な人生を送っていたのかもよ?」

「少なくとも死体がバラバラにされて地面に埋められる程度には波乱万丈だったでしょうね」クラリは肩をすくめて小さく笑う。「何だか知るのが怖いわ」

「わたしは怖がらないから安心してよ。もしもの時は相談くらいのってあげるからさ」

「……あら、ありがと」ちっとも期待していないという態度で礼を言うクラリに、メイは苦笑いを浮かべる。

 ふと周りの景色を眺めると、そろそろ目的の場所が近づいて来ていた。「頑張って、もう少しだよ」

「それは朗報ね」クラリは鼻から息を吐く。

 辺りは樹で覆われており、視界も足場も悪い。しかし、何かを隠すのには最適な様には見えた。

 暫くしてメイが駆け足になって、少し土の色に違和感がある地面の前に立つ。地面の具合を確認する様に、爪先で数回地面を叩いた。「ここだよ」

「へぇ……、確かに地面に掘り返したような跡があるわね」興味深そうにクラリは覗き込む。埋められたという記憶は無いから実感が湧かないが、自分がここに埋まっていたのかと思うと少し奇妙な感覚になった。

 メイもその隣で一緒に覗き込む。「あれ?」思わずそんな声を漏らした。

「どうかしたの?」クラリは顔を上げて首を傾げる。

 メイは今一度じっくりと地面を見つめた後、ゆっくりと顔を上げて、不思議そうな顔をクラリに向けた。「わたしが君を掘り返したのは丁度一か月くらい前の事なんだけどさ」

「へぇそれで?」

「ここに結構新しい足跡があるんだよね」そう言ってメイは、クラリが埋まっていた場所から二メートル程離れた場所を指差す。

 クラリが視線を向けると、そこには確かに足跡があった。その場をウロウロとしたのか、爪先は様々な方向に向いている。長く見積もっても五日前くらいの足跡の様に見えた。形がはっきりと残されている。

「何よこれ……」クラリは気味が悪い物を見るかの様な顔をして足跡を指差す。

「わたしが来た後にここを訪れた人間が居るみたいだね。この足跡の雰囲気からして、地面にあったものを知っているみたい」メイは特に焦った様子も見せずに呟く。クラリと見つめ合った。「もしかして、君を埋めた犯人かな?」

「もしかしなくてもそうでしょ!」メイとは対照的に、クラリは酷く焦った様子で答える。

「犯人は必ず現場に戻って来るって言うけど、本当にそうなんだね」

「感心していないでさっさと離れるわよ! 偶然鉢合いになったりしたら危険だわ!」クラリはメイの腕を掴んで歩き出す。メイはそれに抵抗はしないが、視線はその場所に向いたままだった。

「ねえ? 自分自身の事や、家族の事は気になるのは聞いたけど、犯人がどんな人間かは気になったりしないのかな?」

「はぁ? 何を馬鹿な事言っているのよ?」

「だって自分がどんな理由で死んだのかはその犯人に聞くしか分からないじゃない。偶然そこに居たから殺されたのか、何か恨みがあって殺されたのか」

「…………」クラリは少しだけ考え込んだ後、小さく溜息を吐く。「気にならないと言えば嘘になるけど、そんな奴と会ってまで知りたいとは思わないわ」

「そうか……」メイは小さく頷いて納得する。それからおもむろに呟いた。「でもわたしが犯人だったらどうするのかな?」

 その瞬間、クラリの足が止まった。思わず掴んでいた手を放して振り返る。「あんたが犯人な訳?」

「…………」メイは無言でクラリを見つめる。

 クラリは暫くの間、メイを睨み付けた後、フッ、と鼻で笑った。それからメイに背を向けて歩き出す。「ほら、さっさと帰るわよ」

「はーい」メイはニコリと笑ってクラリの隣を歩く。「少し意地悪しちゃったかな?」

「気にしてないわ。直ぐに分かる事よ。あんた、物を壊すのとか苦手そうだし」

「確かに好きって訳では無いかな。それにしても少しは信頼してくれているみたいだね。何だか嬉しいな」

「大体私を揺さぶろうなんて百年早いのよ」目を瞑って得意顔になりながらクラリは言う。

「それじゃあもっと長生きなくちゃいけないなぁ」

「その百年で私も成長するから追い付くのは永遠に無理ね」

「あはは、もしかすると更に距離が離されちゃうかも」

クラリはメイの方を見ると、意地の悪い笑顔を向ける。「逆走なんてしてあげないわよ? 精々頑張って自力で私に追い付く事ね」

「スパルタだなぁ」メイは苦笑いする。それからクラリの服の裾を引っ張った。クラリが視線を向けるとニコリと笑う。「でもさ。もし、周回遅れでわたしを見つけたら、その時は付き合って欲しいな」

「…………。まぁ、考えておくわ」クラリはそう答えると、直ぐに視線を前に戻した。「周回制のレースだったらね」

「期待して待ってるよ」

 そこで二人の会話が終わる。家に着くまで、あと一時間は掛かりそうだった。


     ※


「……ううん」居間のソファで眠っていたクラリは何の前触れも無く目を覚ました。眠たい目を擦って時計を見ると、午前五時と普段よりもかなり早い目覚めに舌打ちをする。「何だか妙に身体がだるいわね……。変な夢でも見たかしら?」

 ソファに座り込んで寝直そうかと考えるが、ふと歯車の音が何時もより大きく聞こえて来る気がして、自分の胸にある蓋を見る。「そう言えば、あいつに初めて会った時以外に身体を開けられたりしていなかったけど、調整とかしなくても大丈夫なのかしら?」こういう精密な機械というのは定期的なメンテナンスが必要不可欠なのではないかと思う。

「……あいつ、何時も六時には起きていたわよね」その事が少し気になったクラリは、二度寝を止めて、メイが起きて来るのを待つ事にする。

 ついでに何時も適当なメイの朝食でも用意してやろうかとソファから立ち上がった。

 冷蔵庫を開けて、食べられそうな食材を探す。碌な物が無い事に思わず顔をしかめた。「前から思っていたけど、あいつ食事に関してはがさつなのよね。腹に入れば全部同じだって言うタイプだわ、きっと」冷蔵庫を乱暴に閉めると、今度買い物に行く時は食材も買わせようと思い頷く。

 再びソファに座り込むと、ひたすらに時間が経つのを待つ事にする。しかし、それも三十分と続かずに、クラリはメイの部屋の前に立った。

 扉をノックする。起きていないのか返事は無かった。「ちょっとメイ。あんたの都合は知らないけど、私が退屈だから起きて頂戴よ」自分勝手な理由を言いながら強めにノックする。

 これも返事は無かった。

「……珍しく深く寝入っている様ね」何時もとは全く逆の立場に、クラリは若干の新鮮味を感じながら、扉に手を掛ける。「入るわよ?」

 鍵は掛かっていなかった。小さな音を立てて扉が開き、クラリは中の様子を見る。

「…………居ない」ベッドに視線を向けると、乱雑に捲られた布団を残して、メイの姿が無くなっていた。「あいつこんな時間にどこに行ったのよ……」

 クラリは部屋に入ってメイがどこに行ったのかを思案する。「……まぁ良いわ。いちいちあいつのやっている事を気にしていたらきりが無いし」最後には考えるのを放棄した。そもそもメイの行先が分かったとしても、山の地理に詳しくないクラリが、そこに辿り着ける自信は無かった。

 使われていないのならこっちで寝ようかとベッドに寝そべる。自分の身体の固さと比べると、有り得ない程の柔らかい感触が伝わって来た。

「…………」暫くの間、思考を停止させる。身体の中の歯車の音がまだうるさいが、それも数分聞いている内に慣れて来てしまった。

 このまま眠りについてしまおうかと思った頃、ふと、部屋の隅にある大きな鏡が目に入る。何故かこっちに背中を向けている為、それを見る自分の姿は見えない。

「部屋に置いている癖に使っていないのかしら?」クラリはそんな疑問を抱くと、ベッドから身体を起こした。ゆっくりと鏡に近づいて行く。

「……あら?」伸ばした右手が鏡の縁に触れようとした瞬間、何故かその手が動きを止めた。クラリは首を傾げてもう一度手を伸ばそうとするが、今度も鏡に触れる事が出来ない。それどころか、自然と足が鏡から遠ざかってしまう様な感覚に襲われた。「ど、どうなっているの!?」

 一旦鏡から離れると、その感覚は無くなる。改めてじっと鏡を見るが、特に変わった様な所は感じられなかった。

「――見ない方が良いよ」

「うわっ!?」突然後ろから掛けられた声に、クラリの身体が跳ねる。慌てて振り返ると、メイがこちらを見つめて立っていた。その表情は、珍しく真顔になっている。

「な、何よこの鏡……。あんたの発明か何か?」

「別に、何の変哲も無いただの鏡だよ」メイは首を横に振る。

嘘は吐いていない様に見えた。しかし、どうにもクラリは納得がいかない。

 その様子を察したのか、メイは小さく笑う。「何も不思議な事じゃないよ。君が鏡を見るのを怖がっているだけなんだからさ」

「別に鏡なんて怖くないわ」

 否定するクラリに、メイは笑みを深める。「君が目覚めてから一度も自分の姿を見た事が無い事に、気付いているかな?」

「そう言えば、そうね」

「それわたしがそうしたんだ。君って、その身体があんまり好きじゃないみたいだから、極力自分の姿を映す様な機会を減らそうとしたんだよ。その鏡が裏返っている理由もそれなんだ」

 クラリは顔を歪めると首を横に振る。「別にあんたが作ったこの身体の事は嫌いじゃないわ」クラリは本心からそう思っていると断言出来る自信があった。初めは戸惑ったが、目立つ関節部分は服で隠す事も出来るし、動きが気になる程にぎこちない訳では無い。

「少しは気に入ってくれたんだ。ありがとね」メイは言いながら苦笑いする。しかし、直ぐに表情を硬くするとクラリを見据える。「でも今わたしが言っているのはそこじゃないよね? 君も本当は気付いている筈だよ?」

「…………!?」普段とは違う雰囲気のメイに、クラリは思わず気圧される。しかし、ふと疑問が浮かび上がり、恐る恐る口を開く。「……あんた。もしかして、死ぬ前の私の事を知っているんじゃないの?」

「知らないよ。君と会話をしたのも君が目覚めてからが初めだし」メイはあっさりと否定する。「わたしは君を知ろうとしている最中なんだよ。実はさっきまで、昨日行った君が埋められていた場所に行って、犯人を捜していたんだ。わたしは君の事を知らなきゃいけない義務があるんだよ」

「何でよ?」

「君が生き返った事に君自身が満足して貰う為だよ。前に言ったよね? わたしが満足するだけじゃ、それは作品としては不完全なんだ」

「それはあんたの勝手な拘りじゃない。他人の過去を無神経に知ろうとするもんじゃないわ。それに私が過去を知った所で、満足するかは別の話よ」

「そうなんだよね。問題はそこじゃないんだ」

「はぁ?」メイの言葉に、クラリは訝しげな顔をする。

「君の満足出来ていない原因は、自分の過去を知らない事じゃない。でも、それを知らないと原因を取り除く事が出来ないんじゃないかってわたしは考えているんだ」

「だから、私は満足したい訳じゃないんだってば」

「――三週間」メイは俯きながら呟く。

「えっ?」唐突なメイの言葉に、クラリは目を細めた。

 メイは顔を上げてクラリを見ると、会ってから初めて痛ましそうな顔を見せた。「不完全な作品が、そのままで長く生き続けられると思う?」

 その言葉を聞いたと同時に、クラリの目が見開いた。「……まさか?」

 訊ねる様なクラリの呟きに、メイは小さく頷く。「君の寿命はあと三週間なんだ。黙っていてゴメンよ」

「……冗談でしょ?」その問い掛けに対するメイからの返答は無い。その態度こそが答えであった。

 クラリは右手を額に当てると、溜息を吐く。力の抜けた様子でベッドに座り込んだ。

「あのう……クラリ?」メイはクラリに歩み寄る。拒絶されるかと思っていたが、意外にもクラリは反応を示さなかった。メイはクラリの隣に座り込む。「君に何も言わずに行ったのは謝る、ゴメンよ。あと三週間、君が過ごしたい様に過ごしてくれて良いからね」

「…………」メイは手で顔を覆ったまま、頷く事もしない。

メイはベッドから立ち上がると、部屋の扉に手を掛け、振り返る。「でも……、君がまだ生きていたいと思うなら、わたしは出来る限りの協力をするつもりだよ?」本心からの言葉を伝えると、扉に向き直った。

部屋の中に、扉の開く音が響き渡る。

「…………じゃないの」

「……えっ?」クラリの呟く声に、メイは振り返る。

「馬鹿じゃないのって言ったのよ!」クラリは顔を上げてベッドから立ち上がると、メイに詰め寄る。

「えっと……、え?」戸惑いながらメイが声を出す。自分よりも数十センチも大きいクラリに見下ろされ、思わずたじろぐ。

「馬鹿なあんたが一人で黙り込んでいた所為で、貴重な一週間を無駄に消費しちゃったじゃないの」

「で、でも、君が犯人と会いたくないっていうから――」

「――会いたくないって言ったから何よ? あんた私に死んで欲しいのかしら? それとも生きていて欲しい?」

「そんなの生きていて欲しいに決まっているじゃないか!」

「なら嫌がる奴を無理矢理引っ張り出してでも連れて行きなさい!」クラリは声を荒げるメイの頭に手を乗せる。「それが本当の友情ってものよ」

 メイが顔を上げると、クラリは優しく微笑んだ。「碌に人と関わりを持たない奴は駄目ね。こんな簡単な事も分からないんだから」

「し、仕方ないじゃないかぁ……」メイの大きく開かれた目がジワリと潤む。その瞳から涙が零れる前に、メイはクラリに抱き付いた。「君が初めての、友達なんだもん……」

「はいはい。分かってるわよ」クラリは不愛想に答えながらも、メイを抱きしめ返す。こんな状態だと、子供と何ら変わらないなと苦笑した。

(友達か……。生前の私の為に、泣いてくれる友達なんて居たのかしら……?)クラリはそんな事をぼんやりと考えていると、ふとメイの部屋のある鏡に目が向く。その鏡はまだ背を向けているというのに、何故だか今の自分の姿が見える様な気がした。

その姿は、肌に石の様な固さは無く、スカートから見える足も肌の血色が良い。(これは……、死ぬ前の私?)セーラー服を身に付けたその人間は、今の自分を少しばかり羨ましそうに見つめている気がした。

「メイ。ちょっと良いかしら?」

クラリが声を掛けると、メイは少し名残惜しそうな素振りを見せるが、身体を放す。目が少しだけ赤くなっていた。「……何?」

「生前の私の事を少し思い出したかもしれないの」クラリはそう言うと、メイの部屋の鏡に近づいて行く。手を伸ばすと、今度は前の様な拒絶反応が無くなっていた。両手で持つと、ゆっくりと鏡を回していく。

 クラリは鏡の中の自分と目が合うと、思わず変な笑みを浮かべてしまった。「相変わらずむかつく光景ね。本当、嫌になるわ」自嘲気味に呟くと、その場で深呼吸する。

 その鏡の向こうには、セーラー服を身に纏った。髪の短い若い少年が立っていた。

「……クラリ。そのう……、わたしはクラリの事、好きだよ?」鏡越しに見えるメイが、控え目な口調で呟く。

 クラリは後ろを振り返ると、メイを見つめてしっかりと頷いた。「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ」

クラリは胸の中がじーん、と温かくなる様な気がした。きっと、自分の事を受け入れてくれた者は、メイが初めてなんだろうと確信する。生前の自分が追い求めていたであろう存在が、死んでから見つかるとは、なんと奇妙なんだろうかと可笑しくなる。

「一緒に犯人を探すわよ。こんな私みたいな奴を受け入れてくれたあんたを置いて、死ぬ訳にはいかないわ」

「うん!」

 こうして、少女と女の子は友達になった。


     ※


「ねえ? 大丈夫?」クラリが目を覚ますと、顔を覗き込んでいるメイが問い掛けて来る。「随分とうなされていたよ?」

「……大丈夫よ。最近変な夢を見るんだけど、目が覚める頃には全部忘れちゃっているのよね」ソファから身体を起こしてクラリは言う。眠気覚ましに身体を伸ばした。

「寝心地が悪いからかもよ? このソファ結構固いからね。君さえ良かったら、一緒のベッドで寝てもわたしは気にしないんだけどなぁ」

「却下ね。あんた寝相悪そうだし」クラリはひらひらと手を振ると、溜息を吐く。「……あと三日ね」

「……うん」メイは少しだけ表情を暗くさせるが、直ぐにクラリに笑い掛ける。「今日はわたし一人でも大丈夫だからさ。期待して待って居てよ」

「……そうね。今の私が着いて行っても、足手まといだし」クラリは苦笑いしながら呟く。

 犯人を捜す事を決心した日から、早くも二週間と三日が経っていた。メイが言うには、クラリの寿命はきっかり四週間と定められているらしく、それが早まる事も長引く事も無いのだという。

 クラリの身体は、既に数時間の運動すら困難なくらいになってしまっていた。多く動けて四時間。限界が来ると、その場で十時間以上は動けなくなる。そんな状態であった。

「きっと見つけてみせるから」メイの言葉にクラリは小さく頷く。余計な言葉は不要だった。今はやれるだけの事をやるしかない。

「それじゃあ、行って来るね」そう言ってメイは家から出ると、クラリが埋められていた場所へと向かう。

 クラリは手を振って見送ると、扉の閉まる音が聞こえた後に息を吐く。胸に手を当てると、体内の歯車が、無理をしているのかカタカタと小さな音を立てていた。

 一度死を経験した身体ではあるが、耐性が出来ている訳では無い。寧ろ、生前よりも死を怖がっているのかもしれないと、クラリは無意識的に感じていた。

「メイにあんな大見得切ったっていうのに、こんな中途半端でダウンするなんて、とんだ嫌がらせよね」この状態になるまで、期限ぎりぎりまで自由に動けるものだと思っていたが、どうやらそんなに甘くないらしいと悪態吐く。

「私自身が満足しないと不完全か……」クラリは確認する様に呟く。メイは、自分が生き返った事に満足すれば、完全な作品として認められると言っていたが、その条件に関して、よく理解が出来ていなかった。「……私って、何が不満なのかしら?」

 クラリは自分に問い掛ける。寧ろ何が不満なのだろうか? 自分が生き返った事で、メイと会う事が出来た。それは、アブノーマルな存在であるクラリを受け入れてくれた初めてにして唯一の友達であり、大切な存在である。それが出来たというだけで、生き返った事に満足していると言えるに値する充分な価値があるとクラリは思っている。

しかし、それが満足の条件では無いというのなら、一体そこに何が当て嵌まるのか、それがさっぱり分からない。これ以上望む物は無い。そう思っているからこそ、クラリは頭を悩ませる。「生前の記憶が蘇れば、少しは希望が見えるのかしらね?」

クラリはメイと友達になった日に、生前の自分の姿が見えたのを思い出す。少なくとも生前の記憶が蘇れば、あと三日で来るかも分からない犯人を探す様な手間をしなくて済むのにと考える。

「何かきっかけが必要なのかしら?」クラリはソファに寝転がると、天井を見つめる。ここの所、ずっと同じ事ばかり考えているなと苦笑した。「あの時は、どうして記憶が蘇ったのかしら? 確かメイが私を受け入れてくれて、その後、急に自分の姿が見えたわよね? やっぱりメイのお蔭で記憶が蘇った?」だとすれば、メイ以外に記憶を蘇らせる様なものが他にあるのだろうかと考えてみる。

今の自分にとって、メイは一番に大切な存在である。では、反対はどうだろうかと思案して、クラリは直ぐに溜息を吐いた。

「一番憎い奴なんて、私を殺した犯人に決まっているじゃないの。それはもう何回も考えているから無しね」頭の中のメモ帳を、ぐしゃぐしゃにしてくずかごに投げ入れる。

気を取り直してもう一度思考する。「じゃあ、生前の私が一番大切だった人って誰なのかしら?」その疑問が出てきた瞬間、直ぐに『家族』という単語が頭から弾き出された。ありきたりではあるが、確かに一番大切な存在である可能性は高いなと思う。

しかし、この考えには重大な欠陥があった。「ちょっと待ってよ。私の家族って、一体誰なのよ?」記憶を蘇らせる為に記憶が必要では、本末転倒ではないかとクラリは嘆いた。

「そもそも家族って何? 一緒に暮らしていて、他の家族の事を大切に思っていて……」クラリは頭をフル回転させてみるが、家族に関しての知識は出て来るが、実際に家族と過ごした側からの言葉は出て来ない。

「……ああもう!! 何で私が分かりもしない事に頭を悩ませなければいけないのよ!!」頭の中の考えが全てごちゃ混ぜになるが、どうしてもメイの顔しか浮かばない。そもそも家族どころか、メイ以外に会話をした人間が居ないのだ。それでは家族の事が分かる訳も無い。「止め止め! どうせ無駄だわ! 何か家族って言葉に腹が立って来たし」

 クラリは不機嫌になりながら目を瞑る。こんな事に大切な活動時間を消費するのも馬鹿らしかった。


     ※


「こんな馬鹿な事があってたまるか!!」

「…………!?」山中を進んでいたメイは、突然の人の声に驚き足を止める。長時間走って切れていた呼吸を整えると、辺りを見渡す。「今の声……、何だろ?」

 静寂に包まれた山の雰囲気を、一気に塗り替える様な憤怒の声。それは聞き慣れたクラリの声とは真逆の、男としての怖さを存分に含んでいた。

 メイは足音を極力出さない様に、慎重に進みながら耳を澄ませる。すると、先程の声が嘘の様な位に小さな声が聞こえて来た。

「大声を出さないでよ。誰か聞いていたらどうするつもり?」

「こんな山奥に人が居る訳ないだろう。とにかくこの中のものが無くなっている事が問題なんだ」

「頭に血が上り過ぎ。直接やった犯人だから焦っている訳?」

「黙れ。あれは三人で埋めたものだ。幾ら責任逃れしようと許さんぞ」

「誰もそんな事言ってないじゃん。そんなんだからこんな面倒臭い事になっているのよ」

「…………」

 その会話が耳に入った瞬間、メイの心拍数が一気に上がる。頭の中に『犯人』という単語が浮かび上がって来た。息をひそめて声のする方へと進んで行く。その先には、二人の女性と、一人の男が、掘り返した穴を囲んで立っているのが見えた。

 女の片方は、赤色のワンピースを着た化粧の濃い中年女性。もう片方は制服を着ている事から学生だという事が分かる。男は小太り気味の人相の悪い中年男だった。


     ※


――――――――――――――――――――――――――――

『ねえ? あいしてるってなぁに?』

『その人の事が大好きだっていう事よ。お母さんとお父さんが、あなたの事を愛してるって言っているのはそういう意味なの。あなたもお母さんやお父さんの事、大好きでしょ?』

『うん! わたしもお母さんとお父さんのことあいしてるよ!』

――――――――――――――――――――――――――――

『……最近の様子はどうだ?』

『別に可笑しな所なんて無いわよ。お昼はおままごとをして遊んでいたわ』

『……おままごとか。俺としてはもっと外で遊んで活発な子になって欲しいんだけどな』

『別に好きに遊ばせてあげれば良いじゃない。もっと大きくなったら、きっと色んな所に行きたがるわ』

『まぁ、それもそうだな』

――――――――――――――――――――――――――――

『ねえ聞いて? あなたに妹が出来るのよ』

『妹!? それ本当に!?』

『ええ本当よ。嬉しい?』

『とってもうれしい! それじゃあわたし、お姉さんになるのね!』

――――――――――――――――――――――――――――

『今日、学校の先生から家庭訪問がしたいって電話があったんだけど、何かあったの?』

『……何でも無い』

『何でも無いって、何も無かったら電話なんて来ないじゃないの』

『……本当に何でも無いの! 私、悪い事なんて何もしてないもん!!』

――――――――――――――――――――――――――――

『あなたの部屋にあるぬいぐるみ。何個か貰ってくから』

『……何で?』

『あなたの持っているの、結構センス良いのよね。それにそんなに持っていても仕方ないでしょ?』

『…………。好きにして』

『それじゃあ、ありがたく貰っていくわ。おねえちゃん』

――――――――――――――――――――――――――――

『お前は何時までふざけた真似をしているつもりだ?』

『別に良いでしょ。あんたにとやかく言われる筋合いなんかないわ』

『父親に向かってなんて口を利くんだ! もう何も分からない子供じゃあるまいし、いい加減現実を見ろ!』

『私にとっては、これが現実なの! あんたこそ現実を受け入れなさいよ!』

『黙れ!!』

――――――――――――――――――――――――――――

『……お父さんも何も殴る事なんてないわよね?』

『…………』

『これはデリケートな事だもの。あなたの踏ん切りがつくまで考えて良いんだからね?』

『……黙ってよ』

『えっ?』

『結局あんたもあいつと同じじゃない。私に変わる事を望んでいるのよ』

『そ、それは……』

『私は一歩も譲らないから』

――――――――――――――――――――――――――――

『最近、お父さんとお母さんの口数が少ないわね』

『それが何?』

『私の見た所によると、離婚一歩手前って感じじゃないかしら』

『だから何だっていうのよ?』

『別に。あんたが一番よく知っている事じゃない』

『…………』

――――――――――――――――――――――――――――

『ねえ? お母さん』

『何かしら?』

『私の事、愛してる?』

『――勿論愛しているわ。お父さんも本当はそうなんだけど、あなたを大切に思うあまり、少しから回りしているみたいなのよね』

『……何でこっちを見ないの?』

『えっ!? ちゃんと見ているじゃない?』

『……そうかしら?』

――――――――――――――――――――――――――――

『何よ大所帯で。勝手に人の部屋に入らないでくれる?』

『もうお前の顔を見るのもうんざりだ。お前が居るだけで家の空気が悪くなる』

『……あらそう。後ろの二人もそうな訳?』

『…………』

『とにかく、もうお前はこの家の子供じゃない。さっさと出て行け!』

『あら? 出て行くだけで良いのかしら? 責任を一人に押し付けて、血の繋がった家族を追い出した最低の家庭だって言いふらしちゃうかもよ?』

『なっ!?』

『父親は頭の固い、分からず屋。母親は現状維持だけが脳の臆病者。娘は陰険で嫌がらせが得意な性悪女だってね』

『貴様……!!』

『図星突かれて焦った? まぁあんたらの事なんかどうでも良いけどね。どうせどっちにも愛なんて存在していないんだし』

『黙れ! 黙れ黙れ!!』

『おっと、父親に暴力も追加ね。本当、救いようが無いわ』

『黙れと言っただろう!!』

『…………』

(ほらね……。やっぱりこっちを見ないじゃない……)

――――――――――――――――――――――――――――



「――ハァハァ……、今のは!?」一人の人間の一生を覗いたかの様な内容の悪夢に、クラリは目を覚ます。両手で確認する様に顔を触った。その後にゆっくりとした動作で顔を上げると、苦虫を噛み潰した様な顔をする。「今度ははっきりと見えたみたいね」

 メイが出て行ってから一時間半が経っているのが分かる。根拠の無い嫌な予感がクラリを急かして来た。「なんだか胸騒ぎがするわね」


     ※


(……遂に見つけた!)茂みに隠れているメイは、心の中で叫ぶ。目の前の穴を囲む三人が、クラリを殺した犯人である事は間違いなかった。

 しかし、その後にどうすれば良いのかと、目を泳がせる。(クラリを呼ぶ? でもこの三人が一時間もここに居るとは限らないよね。後を着ける? いや、ばれた時の危険性が高い……)もし成功すれば、この三人の居場所を突き止める事が出来るが、見つかれば間違いなく捕らえられる。最悪殺される事すら有り得るだろう。

(……クラリが来てくれる可能性は無いよね)そんな淡い期待を望むのは甘すぎるなとメイは思う。そもそもクラリに家に残る様に勧めたのは自分だ。

メイは額から汗を噴き出しながら、三人の様子を見る。今はまだ言い争いをしているが、何十分もこんな事をしているとは考え難かった。

(断言出来る。これがラストチャンスだ!)メイはゴクリと唾を飲み込む。この機を逃せば、今日を含めて三日以内にこの三人が山を訪れる事は無いだろう。つまりは三人を逃がしてもいけないし、自分が三人に捕まってもいけない。これだけが分かれば、メイが取るべき行動は決まっていた。

(うん。わたしがやらなきゃ、クラリは救われないんだよね)メイは決心して頷くと、近くにある太い木の枝を拾う。音を立てない様に三人から遠ざかると、深呼吸をした。

(よし!)意を決した瞬間、メイは木の枝で近くの樹を叩いた。コーンッ、という軽いながらも大きな音が鳴る。メイはその場から走り出した。遠くから人の声が聞こえて来ると、それから十秒が経った頃に、複数の足音がこちらに向かって走り出して来るのが分かる。

(このままわたしの家まで誘き寄せる!)そうすれば逆にあの三人を捕らえる事の出来る道具があるし、クラリも居る。今のクラリのやるべき事は、自分を囮にして相手が見失わない様にしつつ、自分が捕まらない様にする事であった。



 鬼ごっこが始まってから十数分が経った頃、メイの息が切れ始めていた。山の地理に関してはメイの方に分があるが、体力に関しては身体の大きな相手側に分がある。只振り切るだけならば良いのだが、姿を常に見せなければならない今回の場合は地理よりも体力の方が重要になる。それの差が着実に距離を縮ませていた。

「おい止まれ! いい加減諦めろ!」後ろから男の声がする。メイは今の場所から家までの距離を計算するが、どう足掻いても、あと二十分は走らなければならなかった。

(困ったな……。こんな事があるんだったら、普段から身体を鍛えとくんだったよ……)長時間の運動とは無縁の生活を送っていたメイにとって、たった十数分の距離であっても、その疲労感は何倍にも感じられる。今まで逃げきれていた事自体が奇跡的だという事は、メイ自身が一番分かっていた。(でも、ここで捕まったら、クラリの寿命は間違いなく尽きる。それだけは何としても避けないと!)

 メイは悲鳴を上げている足を無視して、更に力強く地面を踏み締めた。しかし、その次の瞬間――

「――うっ!?」ドンッ、という音が聴こえると同時に、メイの背中に軽い衝撃と鈍い痛みが走った。思わず体勢を崩し、走っていた勢いそのままで地面に倒れ込む。身体の擦れる熱と痛みに、顔が歪んだ。

「やった。当たったわ!」そんな喜びの声が上がると、遠くから聞こえて来る足音の感覚が広くなる。その時にメイは、やっと相手の投げた石が背中に当たったのだと理解した。

 メイは何とか体を起こそうとするが、無視し続けていた身体への負担が一気に襲い掛かり、上手く手に力が入らない。そうこうしている内に、追って来ていた三人が直ぐ近くまで接近していた。メイはぎこちない動きで顔を上げると、先頭に居る男と目が合う。

男は倒れているメイを見下ろす。「逃げていたという事は、俺達の事をある程度は知っていると判断しても良いんだよな?」

「…………」メイは問い掛けには答えないが、三人はその沈黙を肯定として受け取った。

「誰かに喋られたら不味いし、早く殺しちゃおうよ」

「そうよ、その方が良いわ。丁度山の中で人も居ないし」

「俺にそれをやらせるつもりか? 直接は殺していないからって潔白のつもりなんだろうが、あれを埋めたのを手伝った時点で、お前らも俺と同じ穴のむじなだという事を忘れるなよ?」二人の女の言葉に、男は不機嫌な顔で答える。傍から見れば、なんとも醜い光景であった。

 男は再びメイの方を向くと、しゃがんで顔を近づける。「一つ聞きたいんだが、あれの行方を教えて貰えないか?」

「……知らない」そう答えた瞬間、男はメイの頬を容赦無く叩く。頬に鋭い痛みが走った。「うぐっ……!」

「悪いな嬢ちゃん。もう駆け引きをして居られる段階じゃないんだ」男の顔は笑っていたが、その奥にある表情がメイには簡単に見て取れた。「嬢ちゃんは俺達の事を見て逃げたんだよな? それは俺達のやった事を知っていると言っているのと同じ事なんじゃないかい?」

 メイは無言を貫くが、男は気にせずに話を続ける。「まぁ、嬢ちゃんがどれだけ知っているにせよ、俺達は嬢ちゃんの事を見逃す訳にはいかないんだ。俺達の平穏の為の尊い犠牲という事だな。どうだ? あれの在りかを教えてくれれば、苦しまずに殺してやろうじゃないか」男はそれが、これ以上に無い名案だという様な顔をする。

 メイは嫌悪で顔を歪ませた。「……きっとあの子を殺した時も、同じ様な事を考えていたんだろうね」

「あん?」男は首を傾げる。

 メイは地面に突っ伏しながらも、キッ、と三人を睨み付ける。「全部自分の都合であの子を殺したんでしょ? 碌に相手の事を考えもせず、ただ自分達とは違うからって突き放した。あの子は優しいからきっと何度も分かり合おうと努力していた筈だ。でも貴方達は事もあろうにあの子を殺したんだ!」

「……随分と分かった風な口を利くじゃないか」男はニタリと笑みを浮かべる。後ろの女二人は、メイを不気味なものを見る様な目で見つめていた。「この様子だとあれの在りかを喋るつもりは無さそうだな。まぁ、俺達はいたぶる趣味は無いし、時間も長くある訳じゃない。さっさと終わらせて、この辺りを探すとするか」

 男は溜息交じりに呟くと、メイの首に両手を伸ばす。ピタリと男の手が触れると、ひんやりとした感触にメイはゾワリと身体を震わせた。「それじゃあ、さよならだ――」

「――そう。あんたがね」

「あっ?」突如聞こえて来た声に男は訝しげな顔をして声をあげる。そして次の瞬間、横から容赦の無い蹴りが炸裂した。「ぐわっ!?」

「貴方!?」

「お父さん!?」蹴り飛ばされた男を見て、二人の女が驚きの声をあげて駆け寄る。男は痛みに顔を歪めながら上体を起こした。

「…………」何が起こったのか良く分かっていないメイは、ポカンとした顔で硬直していたが、目の前に手を差し伸べられた事で我に返る。その手を伝う様に視線を上に向けて行くと、クラリの顔が見えた。「……どうして、ここに?」

 信じられないという顔をするメイに、クラリは笑みを浮かべる。「丁度散歩の時間だったのよ」そう言ってメイの手を引く。

 男はまだ自分に背を向けているクラリを睨み付ける。「お前、まさかと思うが――」

「――名前を呼ぶのは止めて頂戴。どうせもう要らないものだもの」クラリは男の言葉を遮って振り返る。その顔を見て、男の顔は引き攣り、後ろの二人は小さな悲鳴をあげた。その反応に思わず笑ってしまいそうになる。「まるで化け物でも見てしまったみたいな反応ね。自分達の方がよっぽど化け物染みた事をしているっていうのに」

 男は警戒しながら立ち上がると、クラリをマジマジと見つめる。「その糞生意気な言動。原理は分からないが、どうやら本物みたいだな」

「原理については訊かれても困るわ。私だって分からないんだから」そう言ってクラリは苦笑するが、メイの方をチラリと見た後、三人の方に向き直り、突き刺す様に睨み付ける。「一つ訊きたいんだけど、一体何をしようとしていたのかしら?」

「何をって、あの時と同じ口封じだ。お前にやったのと同じな」男はクラリが生き返った事を重要視はしていない様であった。もう一度殺せば良いぐらいに考えているのかもしれない。

「そう、あの時と同じ。あんた達にとってはそうでしょうね」クラリは自分の中でふつふつと怒りが湧いて来るのが分かった。それなのに頭は思った以上に冴えているなと不思議に思う。

クラリは一歩前に出る。「別に家族としての繋がりは無い様なものだし、殺されたっていう恨みが有る訳じゃないんだけど」そこで言葉を切ると、更に一歩前に出る。「この子に手を出されたとあっては、黙っちゃ居られないのよ」

「それなら俺が黙らせてやるよ!」男はポケットから新聞紙に包まれた包丁を取り出すと、クラリに向けて突き出す。男の顔は狂気に歪んでいた。

 クラリはその顔を見つめながら乾いた笑いを出す。目の前の包丁目掛けて手を伸ばした。

 掌と包丁がぶつかった瞬間、ガキンッ、と音が鳴る。男は包丁を持った手が、衝撃によって痺れるのを感じて驚きの表情を浮かべた。

クラリはそのまま右手を横に振るうと、男の持った包丁を弾き飛ばした。「悪いけど、もう昔の私じゃないの。良くも悪くもね」少しだけ欠けた自分の指を見つめながらクラリは呟く。

 男は口を開いたまま定まらない足取りで後ろに下がると、後ろに居た二人とぶつかった。しかし、それすらも気にしている余裕が無いのか、地面に落ちた包丁に目を向けた。

 クラリはメイの方に戻ると、優しく頭を撫でる。「私の為に無茶をさせたわね」

「気にしないで。私がやりたいと思ったからやったんだよ」メイは首を横に振ると笑顔を向けた。

 クラリは柔らかい笑みを浮かべた後、三人の方をチラリとだけ見てメイの背中を押した。「安心しなさい。別にあんた達の事を誰かに話そうなんて考えていないし、殺そうともしないわ。その代わり二度とここに近づかないで頂戴」

「えっ? でもそれじゃあクラリが――」メイが驚くと、クラリは人差し指をメイの唇に当てる。メイは何かを言いたそうな顔をするが、それ以上声を出す事は無かった。

「別にこいつらと話すのが正解だと決まっている訳じゃないわ」クラリは呟くと、もう一度メイの背中を押した。

「――待て」背後から掛けられる声に、クラリとメイの足が止まる。二人は振り返ると、後ろの女二人に支えられた男がまだこちらを睨んでいた。男の足は小刻みに震えていたが、その顔はどこか吹っ切れた様な表情をしている。極限状態で開き直ったのかもしれない。「家族の繋がりが無いだと? そんなのは一番気にしている奴が言う言葉なんだよ!」

「…………」クラリとメイは無言で男を見つめる。

「お前は自分を認めずに殺した家族がいるという事を一刻も早く忘れたいんだ。お前の事を一番良く思っていないのは、自分だと分かっているからな」

「そっちの都合でクラリを殺しておいて――」

「――メイ。私に任せてくれないかしら?」クラリはメイの言葉を遮ると、男の方に向き直る。「ええそうね。私はあんた達の事も嫌いだったけど、それ以上に自分の事が嫌い、そういう人間よ」

 男はニタリと笑う。「そうだ。お前は自分の嫌悪を俺達にぶつける疫病神だ。お蔭でお前がいた時の生活は窮屈で仕方が無かったな」

「……何が言いたいのかしら?」

「悪い部分は切り落とす必要があるという事だ」

「私は殺した事を少しも後悔していない。そう言いたい訳?」

「ああそうだ」男はクラリを煽る様に笑みを浮かべた。怯える後ろの二人とは対照的なその表情は、奇妙なバランスがとれている様にも見える。

「…………。ありがとう」

「あ?」クラリの言葉に、男は顔を歪める。

 クラリは小さく笑うと、男達に向かって軽く頭を下げた。「あんた達が私を殺してくれたお蔭よ」

「何を訳の分からない事を言っている!?」男は声を荒げる。

 クラリは男達から視線を外すと、メイの手を引いて歩き出す。後ろから男の罵声が聞こえるが、もう振り返る事は無い。

「生き返ってみるものね。やっと自分を好きになれた」

 一度死んで、彼女はやっと彼を認める事が出来たのであった。


     ※


 最終日の夜。二人はメイの自室でベッドに腰掛けていた。

「いよいよ運命の日ね」

「……うん」メイはクラリよりも緊張している様子で頷く。

 クラリはそんな様子に気付いたからか、メイの頭を撫でる。「きっと大丈夫よ。最近身体の調子も悪くないし」

「でも……、いざこの日になると、何だか怖くって。変だよね? 君が生きていてくれる事を何よりも望んでいる筈なのに」

「まるで私の分まで怖がってくれているみたいね」クラリは小さく笑った。「自分の死を怖がってくれる人が居る。これ以上に幸せな事なんて無いわ」

「意地悪な事言わないでよ。もう君が居ない生活なんて考えられないからね?」メイはクラリに身体を寄せる。

 クラリは少しだけ面食らうが、直ぐにメイを抱きしめた。顔が熱くなった気がする。「それは責任重大ね」

 密着した身体が、互いの存在を教えてくれる。二人は暫くの間、無言で居たが、息苦しさなんてものは微塵も感じなかった。寧ろそれが正常な状態であるかの様な感覚すらある。

「……ねえ?」

「何?」メイの声に、クラリは応答する。

 メイは少しだけもじもじと身体を揺らす。「こんな事を言ったら、君は嫌な顔をするかもしれないけどさ」

「うん」

「わたしは君の身体が、それで本当に良かったと思うんだ。君はその所為で、家族に疎まれたり、色々嫌な思いをしたんだろうけど、わたしは君に会う事が出来た。だから感謝しているの」

「確かに、私もあんたに会えなかった訳だからね」クラリは小さく息を吐く。「でも、私がこの身体じゃなかったら、きっとあの家族とも上手く暮らせていたんでしょうね」もしかしたら、今以上に幸せな自分が居たかもしれないとクラリは言う。

「わたしが君の事を知っていたら、君の望む身体に作る事も出来たんだけどな」

「それは惜しい事をしたわね」クラリはクスクスと笑う。「でも、これで良かったのよ。少なくとも、今の私は幸せだわ」

「そう言ってくれると嬉しいな」メイは顔を赤くして微笑む。「それなら、君の身体の利点でも挙げて行こうか?」

「止めてよ。自分の身体の事を言われるなんて、何か恥ずかしいじゃない」クラリは困った様に頭を掻く。

 メイはベッドから立ち上がり、クラリの膝の上に座り込んで目を瞑る。「君は私を守ってくれる、支えてくれる、抱きしめてくれる……」

「ほら、やっぱり恥ずかしいじゃないの」クラリは苦笑する。

「隣に居てくれる、心配してくれる、話してくれる……」

「段々身体の事から離れているわよ?」クラリは茶化す様に呟くと、メイは目を開いて上を向いた。覗き込む形になっているクラリと目が合う。クラリは少しだけどきりとした。

「ねえ?」

「な、何?」聞こえて来る筈の無い心音が、聞こえる。メイの瞳に吸い込まれそうだった。

「……愛してくれる?」

 そこから暫く二人の会話が途切れる。



 何も見えない暗闇の中、音だけが聞こえて来る。

 それは優しく語り掛ける様な声だ。その声には優しさと愛情があり、聞いているだけで心地好くなってくる。

 やがてふわりと少女の顔が何かに包まれる。温かいそれは、少女の頬を優しく撫でると、もう一度囁き掛けて来る。

 少女の意識がその声に向く。それが自分にとって、何よりも大切なものである事は分かっていた。段々と声がはっきりと聞こえて来る。

 少女は宙を泳ぐ様な感覚で、その声が聞こえる方に向かって行く。次第に周りの暗闇が晴れていき、眩しい位の光が広がっていった。

 その光の到達点にまで少女がやって来ると、目の前から、はっきりとした声が聞こえて来る。


「おはよう」

 クラリの視界には、メイの笑顔が映っていた。


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