第壱話 きっかけ
「・・・何で俺は此処にいるんだ?」
口にした言葉は虚しく響く。
「仕方ありませんよ・・・当主様の命令は絶対です」
斜め後ろから聞こえる声にも諦めが混ざっていた。
時は江戸。所は東国、東鬼と分類される人間達でいう蒼鬼の種類が多く住む国だ。
目の前には、堂々とそびえ立つ城。
凪は其れを見上げ、今日何度目か分からない溜息をついた。
* * * * *
東鬼の名門一家の一つ、千桜家の四男である千桜凪はその日も気に入っている桜の枝に座り空を見ていた。心地よい春風に揺れる薄紅色の桜が美しい。凪はその琥珀色の瞳を細め、口元を綻ばせた。
千桜家は代々桜を守ってきた。本家があるこの地にも春にはたくさんの桜が咲き乱れる。
丸印に桜。それが千桜家の印だ。千桜の男には代々、桜の模様が入った刀が渡される。それは四男である凪も同じだった。
----------なんの役職にも就いていない自分が貰っていいのだろうか。
跡取りの長男の兄とその補佐の2人の兄。
父から刀を受け取った時に浮かんだ疑問。
しかし、それ以上に言いようのない誇りと喜びが身体を満たした。
初めて刀を腰に差した十四の春以来、外に出るときには例え庭でも凪は刀を差した。
-----------刀を差せば俺も千桜の男だと堂々と言える。
幼きあの日に負った心の傷は、今も彼を苦しめ続ける。
「凪様っ!やはり此処だと思いました」
「桐葉、どうかしたのか?」
まだ幼子のようにあどけない顔で笑う桐葉。舞原桐葉、彼は何よりも凪を第一に考え、一生忠義を尽くす千桜家に仕える従者だ。
「当主様がお呼びです。今すぐ居間へ来るようにとの事」
「分かった。降りるからちょっとどいてくれ」
そう言わずとも彼がどくのは分かっているが、念のため口に出す。
力強い枝を軽い力で押すと、ふわりと身体が浮く。その妙な浮遊感も既に慣れた。
どこまでも軽い足取りで地に降りると桐葉がにこっと笑う。
「さぁ、行きましょう」
「あぁ」
----------この時返事をして、素直に居間へ向かったことをどれほど後悔することか。