5 大型魔獣との死闘
目の前のイノシシ型の魔獣と、距離七メートルの位置で向かい合っている。
「こいつはやばい」
全身の皮膚が粟立つのを感じた。
俺がいつも捕まえていた魔獣は、体高が大きくても五十センチくらいのものだった。
目の前にいる魔獣は、体高が二メートルを軽く超えている。
体重はおそらく一~二トンあるだろう。
人間界に生息するサイに相当する。
この種の同族イノシシ型の魔獣の中でも、かなり大きな個体だ。
この森の主に違いない。
自慢のこん棒も、この魔獣の息の根を止めるには役不足だ。
数発殴ったところで、ビクともしないだろう。
鼻息が荒く、怒って興奮状態にあるのは間違いない。
ルシファーに指定された方向に魔力弾を放ったせいで、とんだ災難に巻きこまれてしまった。
……もしや、ルシファーは最初からこの状況を狙っていた???
「くそ!! はめられた!!」
「フグゴおおお」
目の前のイノシシの魔獣が、雄たけびとともに額に生えた一角を向け、突進してきた。
その巨躯をものともせず、猛スピードで突っ込んできた。
「はやっ!!」
ものすごい迫力だ。
二~三メートルの巨岩が意志を持って襲い掛かってきたかのようだった。
鳥肌が立ち、恐怖に心が飲まれそうになるが、何とか耐えた。
とっさに真横にヘッドスライディングでよける。
紙一重で回避に成功した。
後方からは轟音が響く。
全身が泥にまみれる。
一張羅が台無しだ。
しかし、そんなことに構っている状況ではない。
その巨大なイノシシが通った後を見てみると、細い木々はなぎ倒され、岩も跳ね飛ばしている。
恐るべきパワーだ。
まともに跳ね飛ばされたら、良くて複雑骨折、最悪ミンチになるに違いない。
俺は素早く立ち上がり、次の攻撃に備える。
しかし、よけるだけではなく、ここからどうやって反撃するかをいち早く考えなければならない。
イノシシは避けられたことに気づき、身をひるがえして再び向かい合う。
狙いを定めたイノシシは、俺に向かって突進してきた。
再び真横によけたが、今度は刃物のような鋭い牙が体をかすめた。
「くッ」
服がいとも簡単に破け、皮膚も破ける。
破けた皮膚の下から血がぽつりぽつりと沁み出てきて、それらは合わさり大きくなって、自重に耐え切れず体の表面を伝い落ちる。
服が血に染まっていく。
まだ大丈夫だ。
血は出ているが、傷は深くない。
しかし、無策によけ続けるのは無理がある。
ここはいったん逃げることにした。
木々の間を縫うようにジグザクに逃げる。
全力で走っているのだが、イノシシの魔獣はまるで散歩するかのように余裕を残し、追ってくる。
俺は逃げながら対策を考える。
まずは動きを止めるのが先決だと判断した。
しかし、どうやって?
落とし穴に落としてしまえば、あとはどうとでもできる。
だが、都合よくこの巨大なイノシシがはまるようなサイズの穴は掘っていないし、掘る時間もない。
高いところから岩を投げつけるのは?
しかし、高い場所は見当たらず、そこに手ごろな岩がある保証もない。
「……一か八かでやってみるか」
策を弄することにした。
*
目的地にたどり着いたサタンは、逃走をやめ、踵を返した。
背後から迫っていたイノシシと、正面から向き合う形になる。
「さあ、来い」
両腕を広げ、受け止めるとでも言わんばかりの構え。
魔獣を挑発しているのだ。
一角イノシシは一瞬身を沈め、力を溜めた。
次の瞬間、猛然とサタンへ突進する。
捨て身のタックル。
殺意を乗せた全力の一撃だった。
突進を確認したサタンは、受け止める構えを即座に解き、真横へ跳ぶ。
鼻先をかすめる距離で、辛うじて回避した。
その先は、崖だった。
足場を失ったイノシシの脚は空を掻き、巨体は放物線を描いて六メートル下へ落下する。
次の瞬間、地面に激突。
凄まじい衝撃音とともに、土煙が舞い上がった。
「やったか?」
しかし、期待とは裏腹に、土埃から動く影が見える。
イノシシの魔獣はぴんぴんしていた。
「これじゃダメだったか」
イノシシの魔獣は体を震わせると、再びサタンめがけて走り出す。
サタンも再び地の利を生かせるような場所を探し、駆け出す。
幾度もイノシシのタックルを避けながら、第二の目的地にたどり着く。
全身ボロボロで、正直これ以上攻撃を避け続けるのもきつい。
幸いだったのは、イノシシの魔獣だからか、直線的な攻撃しかしてこないことだろうか。
頭に生えている一角を横薙ぎにされていたら、今頃肉片にされていただろう。
「ここなら……」
サタンは大木の前に立ち、再び魔獣と向き合う。
手に魔力を収束し始め、魔弾の準備を行う。
このころにはイノシシの魔獣も少し疲れが見えてきたが、その眼にはまだ怒りがともっている。
「いい塩梅に疲れてきているな……さて、もう鬼ごっこはここまでにしよう」
サタンは乾燥した地に極小の魔力弾を数発撃ち込む。
周囲に土埃が舞い、視界不良となる。
魔獣は再び、渾身のタックルを放った。
地を抉りながら、巨大な躯が突進してくる。
サタンは身を捻り、その軌道から外れながら小さな魔弾を放つ。
狙いは目だ。
魔弾はイノシシの右眼に突き刺さった。
だが勢いは、止まらない。
避けきれない。
ナイフのように鋭い大牙が、サタンの脚を掠めた。
「くっ……!」
肉が裂け、血が噴き出す。
だが骨までは届いていない。
致命傷ではない。
サタンは血の匂いの中、間一髪でその巨体をやり過ごした。
イノシシの魔獣はサタンのいた場所を通り過ぎ、後ろにあった大きな木の幹に激突した。
片目の視界を潰せたおかげだろう。
片目をつぶされたイノシシは距離感が分からず、大木に激突したのだ。
激突音が森の中に響き渡る。
空気が震えた。
衝突のすさまじさがわかる光景だった。
“ギシャー”
魔獣が激突した先にいたのは、魔界に自生している食獣植物。
背丈は三メートルをゆうに超え、最大では四メートル近くにも達するその植物は、まるで巨大な肉食獣のような禍々しさを漂わせていた。
幹は濃緑と赤黒が入り混じったねじれた筋肉のようで、周囲に絡みつく触手が無数にうねっている。
触手の先端からは、とろりと粘ついた透明の粘液が滴り落ち、地面に落ちた小動物の毛皮すら溶かすほどの強い酵素を含んでいる。
不注意に近づいた獣が一度触れようものなら、触手が電光石火の勢いで絡みつき、身動きを封じられる。
イノシシの体は食獣植物の触手と体液にからめとられ、身動きが遅くなる。
しかし、このサイズの食獣植物では、このイノシシを食べることは不可能だろう。
だが、足止めだけでも十分だ。
魔獣自慢の一角が食獣植物の幹を貫き、しっかり食い込んでいる。
最大の武器が裏目に出た。
魔獣も角を引き抜こうとし、もがいている。
そのたびに食獣植物の全体が揺れ動き、今にも木の根が地面から引き抜けそうだ。
「こんな巨大な植物が今にも折れそうだな……早くしなければ!」
今が最大のチャンス。
早くしないと魔獣は再び体勢を立て直し、襲い掛かってくるだろう。
とりあえず、腰に差していた自慢のこん棒で、渾身の力を込めてイノシシ型の魔獣の頭を殴りつけた。
ゴンッ!!
という鈍い音を立てた。
並みの魔人の頭なら、骨をも粉砕する威力だったはずだ。
「ブオオオ!!」
しかし、この大型の魔獣にはあまり効いていないのか、怒りを発散させるかのようにさらに激しく暴れるのみだった。
イノシシにも食獣植物にも近づきすぎるのは危険だ。
「おっと、危ない」
サタンは魔獣との距離をひとまず少し離れた。
これほど暴れられると、近接戦をすることは避けた方がよさそうだった。
これだけの巨体の前足が掠るだけでも、骨折しかねない。
「魔力弾しかないか……」
サタンは目を閉じ、集中した。
先ほどの感覚を丁寧に思い出しながら、体内の魔力をイメージし、それをゆっくり動かしてみる。
魔力を手のひらに集め、魔力弾をねりあげていく。
手のひらから黒い靄が出始め、少しずつ球体へと形を整えていく。
球体の中では黒い渦巻きのように、とめどなく流れ、球の中へ中へと回転している。
少しずつ大きくなっていく魔力弾。
ルシファーが作った魔力弾より大きくなった。
「まだだ! もっと大きく! 強く!」
ありったけの魔力を手のひらに注ぎこんだ。
さらに魔力弾は大きくなる。
突然、全身の脱力感に襲われる。
「まずい、魔力切れか……」
立つこともままならず、膝をつく。
しかし、今はそれでいい。
体勢を立て直すことは諦め、手のひらの魔力弾への集中を途切れさせないようにする。
魔力弾は握りこぶしの二倍くらいの大きさになっていた。
威力を求めるあまり、自分の魔力のほぼすべてを注ぎ込んだ大きさにしてしまったようだ。
魔力操作はこれからの課題だな。
しかし、一度練り上げた魔力弾の戻し方など知らないサタンは、そのまま撃ちこむしかない。
「おい、これが俺の全力だ。しっかり食らいやがれ」
魔力弾を魔獣に向かって打ち込む。
発射の瞬間、腕が吹き飛んだと錯覚するほどの衝撃が走った。
魔力弾は、目にもとまらぬ速さで飛んで行く。
ドガン!!
すさまじい衝撃音とともに、魔力弾はイノシシの魔獣の頭部と食獣植物の間で爆ぜた。
「ブヒイイッ!」
イノシシの短い断末魔が響く。
自慢の一角は、魔力弾の爆発の衝撃で根元からぽっきりと折れ、食獣植物の幹に取り残された。
食獣植物の幹もまた、魔力弾によって半分ほど弾け飛んでいる。
やがて食獣植物は急激にしおれ、体表から生気が失われ、みるみる変色していった。
一角から離れたその巨体は、ゆっくり地面に倒れこんだ。
「や、やった」
ふらつく体で、ゆっくり近づく。
イノシシの巨体を観察すると、頭蓋骨が砕け、脳がむき出しになっていた。
死んでいることを確認すると、全身から力が抜けた。
イノシシを背もたれにして座り込む。
戦闘終わりの静けさの中、自分の心臓の音が脈打っているのを感じた。
疲れと達成感と安心が同時に胸を襲う。
(よくやったな)
眠ったはずのルシファーが声をかけてきた。
「……やっぱりわざとだったか」
(それくらいしないと、そなたはやってくれなさそうだったのでな)
「……お前のいうように、俺一人では絶対この魔獣を見かけても、息をひそめビクビクしながらやり過ごすことしかできなかっただろうし……ただ今度からは相談してくれよ?」
(相談したら、そなたはうなずいていたか?)
サタンはフッと笑い、ゆっくり首を横に振った。
(さて、初めての死闘の報酬だな。ゆっくりいただくとしよう)
その言葉に従い、サタンはむき出しの脳から魂を引っ張り出すと、それに食らいついた。




