2 ルシファーを受肉後の変化
ルシファーと名乗るものが俺の身に宿ってから、数時間が経過していた。
だが、動揺が収まることはなかった。
何者かが、体内に侵入している。
そう考えるだけで発狂しそうだ。
自分の知らないうちに肉体を乗っ取られることは無いだろうか。
そんな恐怖が、ずっと胸の奥に張りついている。
今は俺の中で眠りについているのか、話しかけてこないのが唯一の救いだ。
俺は興奮した頭を覚ますためにも、まずは情報を整理してみることにした。
ルシファーと名乗るものは、昨夜の天界にて激しい戦いをし、それに敗れて魔界に来た。
その際、エネルギーを使い果たし、肉体の崩壊も始まった。
その肉体の崩壊時に放っていたのが、あの光だということだろう。
そしてたまたま、俺を見つけ、崩壊寸前の肉体を捨てて体に受肉した。
俺とルシファーは半融合状態であり、今は分離できないという。
力が戻るまでは、俺の中で休むつもりらしい。
ということは、力を取り戻し、しばらくしたら出て行ってくれる可能性もあるはずだ。
おそらく、分離できる方法も知っているのだろう。
気色が悪いが、少し我慢すればきっと元の生活に戻れることだろう。
そこまで結論が出て、少し落ち着きを取り戻したのであった。
冷静を取り戻したことで、自分の状態を改めて顧みる。
ルシファーが受肉してから、体にも変化が起こっていたことに気が付いた。
最初に感じたのは視覚の異常だった。
物体の持つ色彩が鮮やかになっただけではなく、魔界のいたる物質や生き物に内包する魔力が見えるようになっていた。
噂にしか聞いていなかった“霊的な存在”も見えるようになっていたのだ。
この霊的な存在は、肉体を持たない魂と魔力だけの生命体のようだ。
この目で見えるようになったということは、おそらく、高濃度の魔力が溜まって生まれた存在なのだろう。
奇妙なものだな……と思いながらも、現実に目を戻す。
近くの池の水面に反射する自分の姿を見ている。
そして、次に気が付いたのは、背中に小さな翼が生えていることだ。
今は小鳥の手羽先ほどの小ささしかないが、なんとその翼が左右に三本ずつ。
計六本も背中に生えてきてしまった。
おかげで背中がムズムズするし、服も少しきつく感じる。
もしこの翼が大きくなるようなことがあれば、間違いなくこの一張羅の服は着られなくなる。
ルシファーが力を取り戻し、自分の身から出て行ったあとは必ず服を弁償してもらおう。
そんな小さなことを考えるサタンであった。
自分の顔をまじまじと見るのは久しぶりだったが、幼かった顔つきもいくぶん大人びた気がする。
年齢で言えば、十五歳くらいには見えるのではないだろうか。
年を重ねた点以外の顔つきは変わっていなさそうだ。
「顔まで化け物になっていたらどうしようかと思ったぜ……」
胸をなでおろす。
金色の髪に、スッと通った鼻筋。
自分で言うのもなんだが、恵まれた容姿だと思う。
「あれ? 目の色が少し違うような」
水面の自分の目が、鮮やかな虹色に見える。
これは昔、噂に聞いた七色眼というものではないか。
この瞳を持つのは非常に珍しいとのことだ。
どんな機能があるか知らないが……。
とはいえ、特に困ることも便利になることもなさそうだし、背中の翼に比べれば大した変化ではない。
現状把握も終わったところで、少し気分転換に散歩することにした。
視覚が変わったせいで、歩きなれた道がかなり違って見える。
世界のすべてが、新鮮に見える。
まるで景色のいい見知らぬ土地を歩いているようで楽しい。
道中、小型の魔獣や魔虫を見かけた。
だが今までとは違い、色彩の濃度や光の強度がまるで異なって見え、同じ種であるはずなのに別の生き物のように感じる。
なかでも大きいのは、霊的な存在が見えるようになったことだ。
噂には聞いていたが、これほど身近にいるとは知らなかった。
彼らは思考する脳も、動かす肉体も持たない存在のはずだ。
しかし観察を続けていると、どうやら知性があるらしい。
姿は、ほとんど黒い影にしか見えない。
だが明らかに集団で行動し、魔力を多く含む物質や魔獣から、協力して魔力を集めている。
とくに知覚の鋭い魔獣に対しては、自分たちの存在に気づかれないよう、ごく少量だけを奪う。
逆に魔力の多い個体からは多量に、少ない個体からは最小限に。
そんな調整をしている。
このような器用な加減と、痕跡を残さない振る舞いは、知能の証拠だろう。
では、奪った魔力をどうしているのか。
そう思い観察していると、回収された魔力は、ゆっくりと黒い影の内部へ取り込まれていった。
おそらく、魔力そのものが彼らの食事。
すなわち、存在を維持するためのエネルギーなのだ。
「単純な魂ではないな。知性があるのもその証拠。そのうえ存在を隠匿する能力持ちか?」
コミュニケーションをとれるか試してみようと考えたが、やめた。
存在を認識できたことは大きいが、まだ未知の存在には違いない。
最悪の場合、襲い掛かられる可能性だってあるのだ。
つまらぬことで、けがするのもつまらない。
まあ、向こうからアプローチしてくるなら、対応はするが。
危険な行動は慎む。
それが、この危険な魔界で生き抜く処世術だ。
意外な生態系を目の当たりにして満足した俺は、上機嫌で粗末なつくりの家に戻る。
「まあ、ルシファーが出ていくまでの少しの辛抱さ。面白いものも見れたし、悪いことばっかりじゃない」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、地面に大きな葉っぱを重ねただけの布団にもぐり、眠りにつこうとする。
横になると、ふっといろんな考えが頭をよぎり始めた。
ルシファーは、どうして天界から追われることになったのだろう。
天界で、何かわるいことをしたのだろうか。
罪人となり、追ってきた天界の者と戦い、何とか魔界に逃げて来たといったところだろうか。
おそらく、天界の者がこの魔界まで追ってくることはないだろう。
天界の者がこの魔界に長くいると、その身を魔の性質が侵食して、聖なる力が使えなくなるのだ。
何か特別な力に守られていなければの話だが。
それはそうと、このルシファーは極悪人なのだろうか。
確かに傲慢で、尊大な態度をとる傾向はあるようだが……。
しかし、サタンはルシファーという存在が危険なものには感じなかった。
最初はあまりの出来事に恐怖を抱いたのだけれども……。
むしろ今は、何か懐かしいような、安心できるような不思議な感覚を感じている。
「まあ、何とかなるか、寝よう。……ん? なんだか……落ち着かない」
背中の翼が、仰向けになれば潰れそうになり、横になればつっかえる。
その日は背中の翼が邪魔で、結局一睡もできなかった。




